映画評

2003/01/05
■「ゲームの規則」 ジャン・ルノアール■ 

(1939・1959年 フランス 107分)


   とにかくヒロインの召使役の女優が可愛らしいのである。夫の森番を田舎の別荘に残し、奥様と共に都会で生活をすることに喜びを感じているこの女性は、上流階級同様、恋愛のゲームを楽しんでいる。

 物語はヒロインとその態度を愛と勘違いした若者との遊戯的な恋愛を縦糸に、その夫と愛人との関係、召使と森番を天敵とする密猟者とのこれも遊戯的な恋愛を横軸としてコメディ的な展開から悲劇的な結末へと集約されていくのだが、正直言って、最後の悲劇さえも他の登場人物にとってはそうとは映らない。もちろん観ている我々にとっても同様である。
 ヒロイン役のドイツ女は頬骨がうきでた、やや年をとったようにしかみえない女優で、もちろんこの相手役となる主人公の男優もやや額の広い、冴えない男である。
 であるから、本来ならこの二人を中心として描かれる喜劇〜悲劇の流れが中心に描かれるはずのストーリーも、当然横道にそれて行くことになる。というより、むしろこの二人の恋愛自体は背景にしかなりえず、我々はむしろ、ヒロインの主人、成りあがりの貴族で小男であり、自動演奏機の収集に余念がない、これも冴えない男ではあるものの、その愛人と付き合いながらも妻に嫉妬する姿に微笑みを感じずにはいられないし、森番と密猟者とのドタバタとした掛け合いに大笑いせずにはいられない。

 ドタバタや喜劇のエッセンスとは勘違いであり取り違えだとまとめることが出来る。ヒロインの善意を愛と勘違いする主人公、その関係を不倫と取り違えるその夫、自分ではヒロインを愛していながら、主人公との関係を取り持ってしまう、存在自体が取り違えられたその友人、ヒロインでさえ、夫とその愛人の別れ話の姿をみて、不倫が続いていると勘違いしてしまう、細かなところでは、猟の中で、お互いの獲物をお互いに取り違えてしまう来客者たちなどなど。このような取り違えの物語はそのまま、ヒロインと自分の妻とを勘違いした森番によって主人公は射殺されてしまうのだが、それ自体も主人公の友人と主人公は取り違えられているのである。

 シーンでは召使の女優と、主人公の友人(ジャン・ルノアール本人)が蓄音機の演奏とともに、ステップを踏むようにじゃれ合うシーン。東洋の大仏を隣においてのヒロインの夫とその愛人とのやりとりの場面が印象に残る。また、最後に2回映される、田舎屋敷の入り口を正面から撮影したシーン、まるで舞台の様にはりだしたその上で一人たつのは主人公の友人とヒロインの夫、共にとりちがえられた喜劇の中で結果的に貧乏籤をひかなければならなかった二人のしぐさだけが物悲しい。   


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