日々雑記

2003/01/05
「笑うために生きる、のか?」

 新年から何なんだけれど、哲学にとって唯一重要なテーマは自殺、ということだ。という様なことをいったのは「シジフォスの神話」を書いたカミュだったかカフカだったか、結構昔、大学時代に読んだからうろ覚えなんだけど、それでも、それはそれでもっともだと思う。
 要は哲学にとって最も重要なテーマは人生というものが生きる価値があるのかどうなのかということらしいんだけれど、もちろんそんなことを考えずとも僕らは毎日生きている。

 この生きているということ自体も面白くて、人間呼吸をしなければ死んでしまうはずなんだけれど、とりあえずは意識せずとも、吸って吐いて、吸って吐いてをくりかえす構造に神は人を造りたもうた訳で、その点甘やかされているという訳ではないけれど、悩んでも、苦しんでも最低生きることは確保されている分ラッキーだよなあ、なんてことをビール飲みながら考えると、でも、そんなの人生といえるのか、って気もしてくるんだよね、これが。
 もちろんそれは他の生き物だってそんなんだから、じゃあ人間が人間である所以っていうのはなにか考えて見ると、それって笑いなのかもしれない。

 人間の定義っていろいろあって、例えば道具を使うっていうのは一つあって、箸から核兵器まで使いこなせているのか、それに振り回されているのかは別として、とりあえずヒトは道具をつかうんだけど、それはでも猿だって、アリの巣の中に棒を突っ込んで効率良く餌のアリにアリついているわけで、確実な定義でもない。
 その点笑いっていうのは人間特有かもしれない。それもおかしいから笑うってだけでなく笑うってことを自分から求めたりもする。

 面白いよね、テレビ番組、小説だって映画だってそう、笑うから癒されるとか、そんな高尚なことを考えなくても僕らは笑いを求めている。
 ストレス解消っていうこともあるのかもしれないけれど、能動的に、ってつまりは自分から笑いを求めるっていうのはやっぱよくよく考えて見ると、人間だけなのかもね。

 もちろん、笑いっていうのは千差万別、映画館なんか行くと、「そこは絶対違うだろ!」ってとこで後ろの誰かが爆笑したりしてて結構うざかったりするんだけれど、それも笑いを通して、その人間人間の個性が見える瞬間なのかもしれないな。昔、ゴダールの「右側に気をつけろ」って映画を見てて、カントクのゴダール自体が主役級で出演しているんだけれど、そのはじめの方で、黄色いフェラーリかなんだか、ヨーロッパのスポーツカーの助手席の窓からゴダールが頭から飛びこんで、見事席に収まるっていうシーンがあったんだけれど、そこで一人思わず爆笑してしまったりして、でも、後で考えて見ると、映画館のそこかしこから、「ヒャハッツ」とか「ハン!」とか笑い声が聞こえてきていたんだよね。それって、期せずして、無意識のうちに、笑いの共同体が作り上げられていた瞬間かもしれない。

 ヒトは笑う。ヒトは笑いを求める。それって、ものすごく大切で重要なことかもしれない。最初の話に戻るんだけれど、「自殺」ってうテーマ、人生は生きる価値があるのかどうか、ってことについていえば、どうだろう、そこで忘れ去れている概念っていうのは「笑い」なんじゃないのかね。

 価値って考えると、ものすごく重い。「私はあの人に愛される価値なんてあるんだろうか」とか、「同期の奴はもう課長なのにおれはまだ主任止まり、会社にとって俺の価値あんてそんあもんさ」とか、「価値」っていうマジックにかかるとそれにがんじがらめになって身動きとれなくなる。そこから絶望が始まったりするのかもしれない。
 でもそれって何なんだよ!いいじゃん別に。元々だれもがだれも望んで生まれてきている訳ではない。両親の快楽の果てにたまたま生まれてきたやつだって結構いるだろう!
そんな人生に価値なんてもともとないんだよ。いや、もしかしたらあるのかもしれないけれど、それは結局自分で創っていくもんなんだよね。
 もちろんみんながみんな、そうなれる訳ではない。松井みたいに、野球、ってものに出会えたり、オーケンみたいに文学に愛されてノーベル賞まで取っちまう人は正直少数派かもしれない、。でも僕らは皆息を吸って吐いて生きている。望もうと望まないとにかかわらず。

 こう考えられないかな。シジフォスはOK!カミュだかカフカの言うことはごもっとも。
でもそれを僕らは笑うってことに価値を見出しているから生きているんだってことに。

 世界の中に笑いのネタはつまっている、別にバナナの皮で滑らなくても、笑える話なんていくらでもある、毎日、(無意識に)息をして、すごしていれば一日に一度くらいは笑う瞬間はある、それを探して僕らは生きているんだってことに。

 眉間に皺寄せて、考え込むこともいいけれど、ふと我にかえって窓からみた風景に、ちょっとでもいい、微笑むことができる世界が待っているとするならば、それこそ、毎日毎日、つんでもつんでもこぼれる石の山に石を積み上げる作業にさえ、楽しみを見出せるかもしれない。その瞬間が人生ってものを生きているってことなのかもしれないよ。マジで。      


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