「川柳川柳」の芸名の由来
2000年4月20日、JALの中で聞いた寄席の録音(日航名人寄席)から。
川柳川柳vs 高田文夫
昭和6年、埼玉県秩父市生まれ。おじさんが北千住で酒屋をやっていて、そこで小僧をやっていた。定吉のようなもの。それで、7年間辛抱したが、いよいよこれはダメだと思って、学歴もないから、落語家になるしかないと思って、三遊亭円生に入門。兄弟子は全生(今の円楽)。前座の時の名前は三笑だった。ギターが引けた。村でギターが弾けるのは自分だけだったので、とてももてた。最初は、寄席にいっても、予備の人で、割はもらえるけど、舞台に立つことができなかった。それで、何とか舞台に立ちたいと思い、ギターを弾くことを思い付いた。早稲田のラテンが好きな学生に、歌詞を書いてもらって覚えた。テレビ創成期に、ソンブレロを被ってラテンを歌って人気を博した。しかし、その人気も、1年で終わった。その後はキャバレー回り。客は酔っぱらって話など聞かないが、歌なら聞く。羽織袴にソンブレロを被って出てくると、それだけで受けた。客は、あれ、よったかなと思う。師匠に呼ばれて、お前は色物だ。寄席は2つ掛け持ちさせるけど、真打ちにはされないと言われる。しかし、死ぬ前に許してくれた。師匠よりも早く車を買った。落語界で3番目だった。師匠よりも早くアメリカに行った。真打ちになったのは、昭和49年。落語協会の分裂騒ぎで「裏切って」落語協会に残る。その時、さん生の名前を返した。柳家小さんのところに行く。小さんが、新しい名前を考えてくれる。ちょいちょいちょいと書いて、これなんかいいぞ、川柳川柳なんかはと言う。今風ならば、きょん2のように、川柳2と書いたらどうか。それで、川柳川柳を名乗るようになった。
*この録音は、高田文夫との掛け合いも、その後の「ガーコン」もとても良かった。日航の中で秘蔵していないで、一般に売ってくれないだろうか。