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評論 川柳川柳

*著者の大友浩さんのご好意により、承諾を得て、原典より、ここに転載いたします。

川柳川柳はイデオロギーを超えた!?

大友浩(東京かわら版編集長)

(「落語」1994年第32号 東西全落語家名鑑 弘文出版 p.32)より転載

屈折した大人。それが川柳川柳を思い浮かべる時の第一印象だ。

寄席という場所が、文字どおり「寄せ集め」であって、様々な個性がぶつかり合う場所であるとするならば、川柳川柳こそは、まさに寄席になくてはならない芸人の第一人者であろう。それだけ川柳の個性は際立っている。しかもその個性が、決して健康的なナニではなく、何やら屈折した、破滅型の匂いのするあたりが、実にどうも魅力的なのである。

川柳ファンの数は少なくない。しかし、(私自身も含め)川柳を好きだという人には、ある傾向があるように思われる。それは、やはりどこか屈折しているというか、どこか社会に適合しない性質を持っているというか、マニアックでおたく的というか、要するにとにかく不健全なのである。それは例えば、志ん朝ファンが、どことなく健全で、常識的で、文化的な香りがするのとは対照的である。そんなに悪く言うこともないか(いやいや、これは誉めているのである)。

川柳を語るアイテムは数多い。

酒。酔うと人にからむ。師・円生。聖書。ジャズ。軍歌。ラッパのまね。吝嗇。etc.これらの事柄について知りたい人は、吉川潮著『芸人奇行録・本当か冗談か』『千秋楽の酒』等をお読み下さい。面白いです。

『ラ・マラゲニア』『ジャズ息子』と並ぶ代表作で、寄席で最も聞く機会の多い『ガーコン』はまさに傑作中の傑作と言っていいだろう。戦前から戦後高度経済成長期までの、いわば歌う歌謡史で、もう、ひたすら歌いまくる。中心になるのは軍歌。声質は、ハイバリトンで、重厚さはないが、代わりにリズミカルで実に軽やかだ。握りしめた拳を振り下ろしながら軍歌を歌う時の、狂気に満ちた目は印象的で、かつ、おかしい。「小さん・小せん・柳朝・夢楽・・・」と、戦争に行った噺家を数え上げて行き、「それで誰一人死なない。小せんさんなんて太って帰ってきた」というくすぐり。

戦争中は軍歌一辺倒だったが、戦後になると一八〇度変わって「民主主義」の世の中。歌もジャズが入ってきて、若いやつらはジャズに狂い始めた・・・というのがおおまかな構成だが、川柳のすごいのは、戦争の悲惨さや残虐さを告発しているのではない。増して戦争を称揚しているのでもない。もちろん単なる懐かしさで歌っているのでもないことだ。

川柳落語は、イデオロギーを超えているのである。