daisydaisyの「2001年」論
0(序) 僕と「2001年」
ここでは、僕自身が「2001年」に対して思ったことや、部分的に気になったことについて、「2001年」論と して書いて行こうと思う。だがその前に、daisydaisy(になる前の僕?)と「2001年宇宙の旅」との出逢い について、少し書いておこうと思う。
僕が「2001年」を初めて見たのは、スタンリー=キューブリックが亡くなった数日後だった。 ★大学に受かった春のこと、入学の手続きのために実家に帰っていた僕は、ヒマを持て余していた。本と音 楽は持っていったものの、それ以外にこれといった遊びもなかったのだ。街に行っても何があるというわけ でもなかったし、その頃にはヴィデオゲームも全くといってもいいほどやらなくなっていたので、ゲーセン にもほとんど行く気がしなかった(家にはファミコンがあったがACアダプターがなかったのでダメだった)。 ★と、こんな調子だったので、近くのビデオ屋からビデオを借りることにした。ビデオなら、普通の映画で 2時間ほど時間をつぶせる(面白ければだが)と思ったからだ。それで、いちばん始めに(というか、生まれ て初めて)借りたのが、「2001年宇宙の旅」だった。ほとんど迷わずにそれを選んだような気がする。それ ほどまでに心ひかれる映画だったのだ。スタンリー=キューブリックの亡くなった直後というのも、多分偶 然じゃない、と思う。 ★見たのは借りた翌日のことだった。この2時間半ほどの映像は、まさに「体験」と言ってもいいほどだっ た。類人猿が知性を得るまでは、心細かった。宇宙を飛んでいるときは少し重力が減じたように感じたし、 狭苦しい宇宙船の中でコンピュータの赤い瞳と目が合うと、息苦しくもなった。まばゆい光のトンネルの中 では、見たこともない光景への好奇心と、得体の知れないところへ連れて行かれる不安が混ざり合った。最 終的に、僕はディスカバリーの船長のように胎児になることなくビデオを巻き戻したが、もしかしたら頭 (体)の中のどこか一部分は、実際に「そうなっていた」のかもしれない。 ★僕はその後、ビデオデッキを買うより先に「2001年宇宙の旅」のビデオを買い、デッキを買ってから熱心 に見た。二度目以降は、冷静に、そして味わうように見た。書籍も幾つか買ったし、PCを買うときにはDVD- ROMドライブ内蔵のものを買った。もちろん目的はDVDで「2001年」を見るためだ。 僕は、こんな風にして2001年と出逢い、惹かれていった。
今では見る回数もぐっと減ったものの、基本的には「2001年」が、僕の感覚の中でかなりの部分を占めて いることに変わりはない。しかし、「2001年」のことについては、未だにうまく言葉で表現できなかったり、 説明したりすることができないでいるのだ(例えば、好きな映画を聞かれて答えたとき、「どういう映画?」 と問われてうまく説明できなかったことがあった)。そこで、僕自身がどのように「2001年」を捉え、また どれだけ「2001年」に込められた様々なものに触れられるかを、「2001年」論として表現してゆき、言葉に できる部分はなるべく論じてゆこうと思う。 序 謎 映像論 物語論 邪推 2001年topへ