daisydaisyの「2001年」論〜映像論


骨から衛星へ、基地地下から会議室へ〜立て続くジャンプカット

10/03/00

 モノリスとの接触により高度な知能を得、同じ種の集団の襲撃に対して「道具」で応戦し、殺してしまうほどの力を持った祖先たち。猿人が放り投げた骨は、空高く飛び上がる。そして一瞬にして場面は、遙か未来の宇宙へと、、、

 太古の地球から未来の宇宙へと飛ぶ「大ジャンプカット」は、物語に奥行きを与え、美しい宇宙空間の描写とともに、強烈なインパクトとなる。もちろん、「2001年」では非常に有名なシーンであり、映画史上でも最もよく知られたシーンの一つとも言える。私もこのシーンに遭遇したとき、あの一瞬に無名の歴史が凝集された気がして、ぱっと視界が開けたような濃密な感覚を覚えた。
 このシーンで最も重要なのは、時間的、空間的飛躍を、骨と人工衛星という「白くて、細長い道具」で繋いだところにあるのは明らかなことだ。距離の離れたものを違和感なくつなぎ合わせる二つの繋がりなくしては、ジャンプカットもそれほどの重さを持ち得なかったし、この映画の主なテーマとなる「道具と人間」についても、見ている側に深く訴えることは出来なかったであろう。

 400万年の「大ジャンプカット」以外にも、この映画には、あるカットから次のカットへ移る際に、前のカットに似た構図を残すという「小ジャンプカット」が見られる所がある(ちょっとこじつけ臭いところもあるが、それはご愛敬)。
 まずは、「大ジャンプカット」に先だって出てくる、モノリスのカットから突如として荒野のカットへと飛ぶジャンプカット。太陽と月と並列したモノリスが画面の下半分を覆うようにそびえ立っているが、次のカットでも、断崖の影が下半分を覆うように荒野にのびている。
 「大ジャンプカット」の後、宇宙ステーションの間をくぐり抜けるカットから、ステーション内の回転するエレベーターのカットへ行くときも、全く同じではないけれど、同じ円筒形があったり、回転の方向が同じだったりする。
 ステーションと月を結ぶ連絡船が、基地の地下へ格納されるシーンから、会議室のシーンへ行くときにも、基地地下の廊下のような構図が、会議室の奥行きのある構図へと引き継がれている(ここが一番わかりやすいかも知れない)。
これ以上は確認してないのだが、このような構図の引継ぎを伴う「小ジャンプカット」が、「大ジャンプカット」程ではないものの、二つのカットを比較的段差なく結びつけ、大きな時間的な流れの中にうまく配置させる働きを持っているのではないだろうかと、私は考える。  

ちなみに、「小ジャンプカット」と思われるところは、前半(舞台がディスカバリーに移るまで)に集中している。やはり狭くて数十時間の中に事件が集中するディスカバリー号以後と違い、カットごとの時間的、空間的な隔たりが大きいからかもしれない。


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