新章:「ローリング・ストーン」
侵入編
今日こそは見つける。彼の決意は並々ならぬものだった。
通勤や通学の波が終わり、朝が一段落した頃、彼はバイト終わりから直接病院へ向う。丁度、回診が始まる時間だ。
バクバクと暴れる心臓を抑えつけて、正門の自動ドアをくぐる。緊張が顔に出ないように気をつけて、大ホールのソファーで一休みする。大丈夫。なにもおかしくはない。
こんな言葉がある。「木の葉を隠すなら森の中へ、砂を隠すのなら海へ。」
病院で隠れたいなら医者か患者になるのが一番なのだ。
あれほど苦労した病院への侵入はあっけないものだった。下手に変装したりするのではなく、患者として正面から堂々と入ればいいだけのことだった。壁をよじのぼり三階の窓から侵入する必要はまったくなかったのだ。
一昨日の無謀な挑戦を思い出すとぞっとした。
大病院ということもあって、人目につき不審者として追い出されるのを恐れたのだ。だが、時折うめきながら壁をよじのぼるという行為こそが不審だということに気づかなかった。結局3階にたどり着く前に力尽きて落下した。
昨日もひどいものだった。
失敗を生かして今度は2階のトイレの窓から無事侵入したまではよかった。二階は小児科のホールになっていて、混雑とはいかないまでも子供達のわめく声が絶えない。彼はうっかり小児科に迷いこんだ患者を演じて見事に風景に溶け込んだ。
患者達を観察してみると、マスクやギブスをしているものもいるが、ほとんどは外見だけではどこが悪いのかわからない。患者に変装するからといって、頭から血を流して、さらに全身を包帯でぐるぐる巻きにする必要はない。ましてや包丁が刺さったまま命からがら辿りついたという劇的な患者などどこにもいなかった。
彼以外には。
「ひいっ、化け物」
彼を見た女性が叫んで、子供を背中に隠した。
一瞬で場が凍りついた。堰を切ったように、悲鳴や泣き声笑い声などが混ざり合いけたたましい混乱となった。
「ミイラ男だ。」
「透明人間だよ。包帯とっちゃえ。」
「きゃー!」
彼は女の子の悲鳴を聞いて、何事にも限度があることを知った。
このまま本当に入院させられたらもともこもない。全身から冷や汗が噴き出した。さらに傷口から血も噴き出した。そこで初めて本当に包丁を刺す必要はなかったことに気づいた。
「ぐほぅっ・・・。」
「看護婦さん武器はどこ!」
「先生!来て下さい、先生!」
「おびえることはない。彼は宇宙からの使者だ。我々は選ばれたのだ!」
「みんな少し落ちつけ!胸に手をあてて深呼吸して、机の下に隠れるんだ。」
「目を狙うのよ!弱点は目よ!」
彼はうめいた。拡大するパニックが頭痛と共鳴して激しい痛みを産み出した。耳を塞いでとにかく逃げだした。
「おい、待て。君、しっかりしろ!いったいなにがあった。ひどい。いったい誰がこんなことを。橋谷さん、大場先生呼んで手術の準備を。」白衣を着た男は彼の肩を捕んだ。「おい、待て。やめろ!」
驚いて彼はとっさに開いていた窓から飛び降りた。幸いにも地面が柔らかかったためケガはなかった。不幸中の幸いだった。
その日、彼はレジを打ちながら、涙を止めることができなかった。
まずは病室を探さねばならない。ロビーのソファーを蹴り飛ばすようにして立ちあがった。全てはそれからだ。
こちらに近づいてくる看護婦と目があった。彼はつい、目を逸らしてから、それが不自然な動作であることに気づいた。まずい。どっと汗が吹き出す。不審だ。このままでは怪しい男だと思われてしまう。
彼は意を決しもう1度目を合わせて笑いかけた。
動揺した彼の笑顔はもののけのようだった。看護婦の歩みは止まらない。ついに3歩先で立ち止まった。
「おはようございます。」
看護婦は晴れやかな笑顔を浮かべてそう言った。
「お・・・」
虚をつかれた彼は鶏が潰れたような声を出した。全身全霊をかけて続く言葉をしぼり出した。
「はよ・・・う・・ござい・・ま・・・す。」
看護婦はそのまま去って行った。彼は抜け殻だった。全力を出しきった彼に残された力はおちょこ一杯分もなかった。だが、それと引き換えに確信を手に入れた。それは大きな大きな確信だった。みなぎる喜びをおさえることはできなかった。
「俺は怪しくないんだ!」
病院内に彼の叫び声が木霊した。
捜索編
外来は1階から3階まで、入院棟は4階から7階までだった。つまり、4、5、6、7階のどれかに花沢さんがいることになる。だが、安心はできなかった。たった4つの階とはいえ、1つの階にある部屋数は100以上なのだ。全てをチェックしていたらとてもじゃないが日が暮れてしまう。彼は頭を抱えた。
ひとつの案が閃いた。
こっちから探せないのなら、むこうに出てきてもらえばいい。病院関係者に聞くということは思いつかなかった。
30分後、彼は強奪したトラックの中にいた。
「♪〜かわいい かわいい 魚屋さん
ままごと遊びの 魚屋さん
今日(こんち)はお魚いかがでしょ?
お部屋じゃ 子供のお母さん
今日はまだまだいりません〜♪」
魚屋に扮装すれば、花沢さんは絶対あらわれる。作戦勝ちだ。しかも、ただの魚屋ではなく、かわいい魚屋さんというところが味噌である。キュートさをアピールすることで、年頃の女の子のハートをわしづかみ、ちぎっては投げちぎっては投げ、バックドロップ。動かなくなったところで機銃一斉掃射。花沢さん撃沈。
彼は舞いあがっていた。エベレストの山頂まで登りきったかのような、すがすがしい気分だった。彼は自分の賢さに陶酔した。
トラックは病院の正面玄関に突っ込んだ。衝撃が走り、派手な音をたててガラスが崩れた。舞いあがりすぎていた。彼は運転ができないことを思い出した。しかし、これこそが真実の美だ、と彼は突然激情に襲われた。
結晶のように崩れ落ちるガラス、あまりに美しい。あまりにはかない。あの空よりも海よりも遥に。しかし、それでも・・・。
花沢さん。もう一度会いたい。胸が痛い、頭も痛い。彼は生まれて初めて本気で恋をしていると感じていた。
「ごめんなすって。」
彼は耳を疑った。それは魂を深淵から揺さぶる声だった。
この声が聞きたかった。これだけを待ち望んでいたのだ。震える体を抑えながら、声のほうを見るとそこには、歌舞伎俳優のような派手なメイクをして、ザンバラ髪をふりまわし、片手を突き出して、眉をしかめて啖呵を切る花沢さんがいた。
彼は愕然とした。
(いったいなにをしているんだ・・・。)
体が音をたてて震えだした。
あの衝撃的な出会いで、花沢さんへの免疫はできたつもりだったが、どうやらそれは間違いだった。
「ごめんなすって。ごめんなすって。」
花沢さんがトラックの扉を突ついている。
怖い。なんだかとても怖い。
このままでは殺られる。彼はとっさに感じた。なんらかのアクションを起こさなければ奈落の底にひきずりこまれてしまう。
彼は清水の舞台から飛び降りる気持ちで、車から飛び降りた。
花沢さんは動きを止めた。
「花沢さん。おじさんのこと覚えてるかい?」彼は花沢さんの目を見つめた。「この間、水族館であったんだけど・・・。」
花沢さんはきょとんとしてしばらく見つめていた。
「あ・・・。」花沢さんが驚いたように声を漏らした。
その顔に驚きとともに喜びが広がっていった。やった。覚えていてくれたのだ。彼は歓喜のあまり小躍りしそうになった。
次の瞬間絶叫が響き渡った。
「あぁーーーめまぁーーーーーーーっ!」
花沢さんは目を血走らせ、首筋に血管を浮かべ、顔の筋肉を痙攣させながら叫んだ。
「ひぃっ・・・。」
再会の喜びは恐怖に押しつぶされた。あまりの剣幕にあとずさる。なにがこれほどまでに彼女を高ぶらせるのか。
「頭が高い!この方をどなたと心得る。由緒正しき王家の秘宝、水戸光圀公であらせられるぞ。」
やかんだった。花沢さんはふところからとりだしたやかんを目の前にかざして、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。殿様が罪人を蔑む、その目だった。
彼はわけもわからぬまま、膝をついてははーとひれ伏した。
「表をあげい。お主を打ち首獄門百叩きの刑に処するっ!」
彼はゾッとした。思わず見上げると、花沢さんは嬉しそうにやかんをいじっている。美しい微笑に彼はみとれてしまった。
はっとして、このままではいけないと二度深呼吸する。完全に花沢さんのペースだった。
「花沢さん、聞いてほしいことがある。」彼は立ち上がった。
あれほど反芻した言葉。一時も忘れることのなかった熱い思い。どれほど不思議少女だろうと、どれほど奇想天外だろうと、この思いに変わりはない。花沢さん。もう迷いはない。いまこそ言う時だ。
「大将!」花沢さんがさえぎった。
「へい、らっしゃい!」彼は負け犬だった。
思わず魚屋になってしまった。普段はにぶい彼だったが、告白の瞬間に魚屋になる反射神経だけは痛いくらいに研ぎ澄まされていた。泣きたかった。本当の魚屋だって、告白の瞬間くらい男になるはずだ。あまりのふがいなさにすがすがしさすら感じた。
死のう。この先、何年生きようと自分のみじめさを思い知らされるだけだ。いっそ今すぐにでも。そうだ今すぐに。
「品物を見せていただきたいでぇござる。」花沢さんが頭をふりまわしながらいった。
「へい、今日はいいサバがはいってますよ。」
彼は魚屋になることに決めた。
トラックの荷台を開くと、様々な魚が陳列されていた。かけよった花沢さんは、
「どーれにしようかな。」と嬉しそうに顔をほころばせる。
そんな様子を見ているだけで幸せだった。彼はマグロの隣に寝そべると、
「カツオのたたきいかがっすかー!新鮮ぴちぴちカツオのたたきいかがっすかー!」と喉が潰れるほど叫んだ。もっと幸せになりたかった。
そっと花沢さんの様子をうかがうと、目を輝かせている。やった。思い出してくれたのだ。あの水族館での愛の遊戯を。
「おじさん、そこのカツオの隣にあるサラミくださーい。」
彼は愕然とした。
「サラミ・・・?おいしいカツオもあるよ。とれたて新鮮、まだ生きてるし、あ、それからサラミ好きだからサラミ味のカツオだよ。」彼は焦ってつけたした。
「あたし、そのサラミが食べたいなぁ。」花沢さんがクスッと笑って片手を口にあてる。
その仕草に悩殺だった。やっぱりカツオよりサラミだね。
完全な玉砕だった。彼は泣いた。男泣きに泣いた。ここは男らしく敗北を認めるしかないのだ。蹴りがついた以上みっともない真似はできない。
彼はストーカーではないのだから。
「嬢ちゃん、いまなら大サービスでカツオもつけとくよ!」
「そんなのいらないから、早くサラミちょうだい。」花沢さんは笑った。
「く・・・うぅ・・・。」彼の絶叫が病院内に響いた。「も、もってけどろぼーっ!」
花沢さんの歓声とともに、遠くからサイレンが近づいてくる音がした。
なにもかも終わりだ。
涙でぼやけた風景に、黒服の男達が近づいてくるのがわかった。トラックと彼を囲むようにして慎重に間合いを詰めてくる。ただごとではないと気づいた時には遅かった。
「貴様、どうやってここをかぎつけやがった。動くんじゃねぇっ!」
逃げようとした彼に身も凍るほど冷たい怒声があびせられた。10人以上いる黒服達が、一斉にポケットの中に手をいれた。
「激闘編」
完全に囲まれていた。彼は状況を把握しようと懸命になったが、花沢さんの心の底から嬉しそうな声とサラミをむさぼる音に、思考は寸断された。
「おいしい。おいしい。ああ、死ぬぅーっ。」
「花沢さん、ちょっと食べるのやめるんだ。」
花沢さんは聞こえていないかのように新しいサラミに手をかける。その手をつかむと、蛇の目で彼を睨み、髪を振り乱し謎の言語で呪詛の言葉を吐き続けた。奥歯で砕かれたサラミのかけらがとんだ。
「ご、ごめんなさい・・・。」彼はひるんだ。
花沢さんは気を取りなおすと、何事か叫びながら食べまくった。食べて食べて食べまくった。食べていないと生きられないのだ。彼はあまりの勢いにそう確信した。しばらくして、耳をすますとなんと叫んでいるか聞き取れた。
「センキューッ!」花沢さんはそう叫んでいた。
彼は愕然とした。ただで貰う気だ。
「おまえら・・・」黒服の男が言った。
低く鋭い声だった。威嚇するようなオールバックで頭をかためている。他の黒服達を見ると1歩下がっている。この男がリーダー格のようだった。オールバックがさらに1歩進み出た。それだけで彼の腕に鳥肌がたった。
「香港マフィアだな。」
「そうアル。もちろんそうアル。」
あまりの怖さに彼は反射的に肯定した。マフィアという言葉で、相手が恐ろしい世界の人達であることが確定した。彼はどっと冷や汗をかき、滴が頬を流れた。
「やっぱりな。一人で親分の入院してる病院に乗りこんでくるとはいい度胸だ。どうやってここを見つけた。」
「お客さんついてる。今日はいいサバがはいってますよ!」彼は魚屋になった。
「なめてんのかっ!」
オールバックの一喝で、空気までが硬直したような気がした。彼は失禁した。恐怖がとめどなく溢れ出た。
オールバックは、ポケットから黒光りする鉄の塊を取り出した。映画やテレビで何度も見たことがある。鈍い光沢は派手さよりも、冷たさを感じさせた。
銃口は彼の額にむけられていた。
「どうやってここを見つけたんだコラッ!」
「ぐぉめぇんなさぁぁい・・・。」彼は失禁しながら泣いていた。
恐怖がすっかり流れ出ると、ズボンが濡れてがに股になった。同時にかすかな冷静さがもどった。この状況では、結局どう答えても奴らは納得しないだろう。
彼はトラックの荷台から飛び降りた。目の前に銃口があった。彼は怖気をふるいとばし、しっかりと目を見開いた。自ら銃に頭を突きつけ、オールバックを睨みつけて叫んだ。
「愛する人を見つけにきたっ!彼女に会うためにトラックでつっこんだんだ!あんたらがなにものか俺の知ったこっちゃない!香港マフィアでもないし、やくざでもない。俺は磯野勝男。彼女をつけねらうストーカーだっ!」
自棄糞だった。ひと息にまくしたてると、肺が激しく空気を渇望した。彼は荒い息をつきながら黒服達をねめまわし失禁した。もう怖いものはなかった。いくらでも流れ出るがいい。
彼の剣幕に呆気にとられていたオールバックは、思い出したように銃をおろすと、風のように動いた。次の瞬間、彼はみぞおちがなくなったと思った。息ができない。ワンテンポおいてからじわじわと腹部の痛みが知覚された。オールバックの拳がボディにめりこんでいた。
彼は体は二つに折れた。必死で息を吸おうとすると喉から蚊の鳴くような音が漏れた。膝をついて胃液を吐いた。吐き終わった時、また喉がひきつるような音をたてて呼吸が戻った。
「ふざけてんじゃねえ。」オールバックは息ひとつ乱れていなかった。
このまま殺される、と彼は思った。なんとかこの場を和ませなければ・・・。コマネチ、ガチョーン、そう言ったギャグが浮かんでは消えた。リスクが大きすぎた。
「おい、そっちのきれいなお嬢さんはいったいなにものなんだ。なんで、あんなにサラミを食べている・・・。」
おそらく、その質問には誰も答えられない。矛先が自分ではなく可憐な少女にむけられたことで彼はいっそうの恐怖を感じた。なにがあっても花沢さんだけは守らなければ。
彼は思いきって口を開いた。
「あの女の子は関係ない。」
「ああん?」
「あのその・・・もごもごもご。」彼はひるんだ。
口の中で最後まで言うと、オールバックは狂ったように銃を連射した。病院の中に銃声が反響する。彼は悲鳴をあげながら耳をふさいでうずくまった。
ようやくカチカチという弾切れの音がなると、息を切らしたオールバックが叫んだ。
「ファッキンジャップぐらいわかるよバカヤロォッ!」
彼は心の中で泣き叫んだ。みんな狂っている。
幸い弾は全部はずれていた。硝煙の匂いがたちこめる空間に、女の悲鳴が響き渡った。花沢さんだ。彼の脳裏にゾッとする想像が浮かんだ。彼はトラックの荷台にかけこんだ。
花沢さんはトラックの中でサラミをくわえたまま、マグロに抱きついてふるえていた。哀れな子犬のようにガクガクとふるえて、彼を見上げるとしくしくと泣き出した。
「花沢さん・・・。」
「怖い。」花沢さんは彼に抱きついた。
せっけんの匂いがした。シャンプーの匂いがした。汗の匂いがした。彼はにやけた。人生の絶頂を感じていた。ゆっくり花沢さんの背中に回した腕に力をこめた。
「痛いっ・・・。」
花沢さんの腕から血が出ている。流れ弾にあたったのだ。怒りが体中に満ちていくのがわかった。彼は決壊したダムのように襲いくる激しい衝動に身を任せて咆哮した。
「うおぉーっ!」
彼は叫びながら飛び降りると、黒服達をにらみつけ、脱兎のごとく逃げ出した。
花沢さんさようなら。お元気で。彼は涙をふりきって、外へ逃げた。
病院の外へ1歩出て異変に気づいた。
彼の目に飛び込んできたのは、赤く点滅する何台ものパトカーのランプだった。だいぶ前から包囲を完了していたらしく、非常線のむこうには人だかりができている。
「君達は包囲されている。いますぐ投降しなければ、撃つ。」
きれいにハゲあがった男が、たくわえたヒゲをつまみながら、拡声器で叫んだ。パトカーのドアを盾にして10数人の警官が銃をかまえている。
「撃てーっ!」
「わーっ」
警官隊は発砲を始めた。
「投降させろぉーっ!」
彼は泣きながら逃げ出した。結局、銃声に追われて、病院へ逆もどりだった。
病院の中では黒服達が冷静を失っていた。警官隊に包囲されていることを知ったのだ。おそらくこのままろう城しても、機動隊、自衛隊と出動し状況は悪くなる一方だろう。
この機に乗じてなんとか逃げ出せないものか。
「兄貴、どうしやしょう。サツのヤローが突入するのも時間の問題すよ。」
「落ちつけ。日本のサツに無茶なんかできやしねえよ。」オールバックが群がる黒服達をなだめた。
「けど、あいつらマジに発砲しやがった。どっかイカレてるよ。」
「大丈夫だ。いざという時は女を人質にする。飛行機を用意させて外国に逃げりゃいい。」
トラックの中の花沢さんを見たオールバックの目から、光りが失われていた。
口では冷静さを装っているがこいつも追い詰められている。彼は確信した。黒服達にもはや戦意は感じられなかった。花沢さんはトラックの中で泣きつづけていた。彼の良心が痛んだ。
彼女は撃たれている。トラックを得体の知れない黒服達に囲まれて、唯一の味方だった彼にも裏切られ・・・。無力な少女が一人で、どれだけ心細いか。彼は自分の愚かさに涙を流した。
(俺が守らなければ誰が守る。)
彼は体の中に散らばった勇気をかき集めた。どんな感情でもいい、エネルギーに変えられるものを総動員して、気合をいれるために大声で叫んだ。
黒服達の視線が集まった。彼は全身全霊でなおも叫びながら、目にも止まらぬ勢いでもみ手を始めた。
「兄貴っ!やつらは本気っすよ。兄貴ほどのお人がこんなところで命を粗末にしたらもったいない。それこそ日本の損失です。いまなら誰も殺してないわけですし、ファミリーの未来のためにも、ここはおとなしく投降したほうが。」彼のもみ手はさらにスピードアップした。
「てめえはなんなんだ。」オールバックはこめかみの血管をひくつかせて言った。
「あっしはあなた様の下僕です。」彼は越後屋のような笑みでへつらった。「考えても見てくだせい。兄貴は鉄砲こそ撃ちましたか、トラックの運転手をやったのも、病院へつっこんだのも、全部あっしが。そうだ、全部あっしがやったんだった・・・!?」
彼は仰天した。全ての発端は彼だった。黒服達は妙な侵入者を排除しようとしただけで、最初の110番通報は明らかに病院に突っ込んだトラックのせいだ。警察は彼を捕まえにきたのだ。
「て、てめえ!はめやがったなっ!」彼は激昂して唾を飛ばしながら迫った。「全部おまえのせいだ!すごんだってもうびびらないぞ。もう流せるもんは全部流しちまったんだよ!」
「だから、てめえはなんなんだ。」オールバックが銃を取り出して引き金に手をかけた
「なんだっておまえこ・・・ごめんなさい。」彼は銃が見え次第土下座した。
完全に追い詰められた。
「兄貴、どうするんです。」
「落ちつけ。」
「このままじゃみんなまとめてパクられちまう。」
「安心しろ。おまえらには迷惑かけねえ。俺一人が捕まれば済むことだ。」
「兄貴・・・っ!」黒服達は驚き感動していた。
彼は急速になにもかもどうでもよくなった。彼はよろめきながらトラックによじのぼった。花沢さんは傷ついた腕をかばって震えていた。
「花沢さん。俺捕まっちゃう。」
花沢さんは泣きはらした目で彼を見上げるとサラミを差し出した。彼はとても悲しくなって、花沢さんを抱きしめた。花沢さんの手が彼の顔をなぞった。涙に濡れた目を探し当てると思いきり突いた。
「ぎゃーっ。」
「あはは、痛がってるー。」花沢さんは笑った。
彼はのたうちまわった。四面楚歌とはまさにこのことだった。彼は生きる気力をなくした。
その時だった。割れ残っていたガラスを突き破ってパトカーが突入した。スクリーンに映し出された映画のワンシーンのようだった。
「突入ーっ!」拡声器の号令で、次々とパトカーや人が侵入してきた。
途切れることのない銃撃音が弾け、彼は反射的に花沢さんにおおいかぶさった。次の瞬間トラックに衝撃が走り、彼らは壁にたたきつけられた。トラックは横転していた。
「花沢さん、しっかりしろ。トラックから出て逃げるんだ。」彼は花沢さんを揺すった。
花沢さんは衝撃で散らばった魚に埋もれて恍惚としている。
「花沢さん!」彼は腕をつかんでひっぱった。「俺は今から投降する。今からじゃ遅いかもしれないけど、とにかくここにいちゃまきこまれる。」
花沢さんは忘我の極地だった。このまま外に連れ出すのは無謀と判断して、彼は一人で荷台の端まで移動した。
外の様子をうかがおうとしたところで、突然、オールバックが荒々しく荷台にのりこんできた。彼はなにもできないままにわき腹を蹴飛ばされて這いつくばった。
「女っ、こい!」
「きゃー。」
「やめろ・・・。」
オールバックはしがみつく彼を苦もなく蹴散らすと、力ずくで花沢さんをトラックの外までひきずりだした。そして、後ろから抱えた花沢さんのこめかみに拳銃を突きつけた。
「おい、ポリ公っ!撃つんじゃねえ!」
数十人にものぼる警官隊は銃を構えたまま静止した。
「病院内で銃をぷっぱなしたのは俺だけだ。俺は今から投降する。銃も捨てるし人質も解放する。悪いのは俺一人だ。だから撃つな。」
警官隊は微動だにせずに、オールバックを見つめていた。オールバックが両手をあげて、解放された花沢さんはへたりこんだ。オールバックは銃を指にひっかけて手を離した。銃はくるりと回転した。黒服達は兄貴兄貴と呼びながらすすり泣いていた。
銃撃は止まっている。投降するなら今だ。彼はわき腹をおさえながら、ゆっくりとトラックの荷台から降りて警官隊の前に立った。
「おいポリ公っ!俺も投降する。もとはと言えば悪いのは全部俺だ。オールバックはなにも悪くねえ。あいつらはただ病院を守っただけさ。」
黒服達が驚きと感嘆の声を漏らした。彼は煙草を咥えて火をつけた。
「さあ、署まで案内してくれ。」
次の瞬間、彼の目の前の警官が構える銃がかすかに揺れ、火を吹いた。降りかえると両手をあげたオールバックの額に穴があいて、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「なんでっ・・・。」
発砲した警官はうっすらと笑みを浮かべていた。「警察に逆らった報いアルよ。」