――舘形比呂さんのこと――
『月』 『風』 『羽化』 『ニ短調〜白鳥の歌』
『オルフェウスの告白』
『観客席 2001改訂版』 『さよならの城』 『ニ短調』初日覚え書き
THE CONVOYを知った、最初のとっかかりは、『クリスマスキャロル』という市村さんのソロパフォーマンスの
公演のチラシ(とプログラム)に載っていた、”振付:舘形比呂”さんというお名前でした。
この人コンボイの人なんだって。ふーん。コンボイって、よく評判聞くよね。行ってみようか、って。
初めて舞台で、ナマで拝見したとき、なるほど、「華がある」ってこういう人をいうのか、と思いました。
あの濃いメンバーの中にあって、ひときわ目を引かれる。吸い寄せられる。
というよりもなんというのか・・・・「間がもつ」方です。不思議なくらい。そこにいるだけで場をもたせられる、独特な存在感。
すでに「実存」している方かもしれません、舞台の上で。
けど。
それよりも、何よりも。
この人はどこから来た人なんだろう、どこへ行かれるんだろうと、思いました。
THE CONVOYを離れて活動なさる、と聞いたから、でもないんですが。
この方は「僕はもう行かなくちゃ」というお顔を、常になさっているような気がします。
別に上の空でいらっしゃるとか、そういうんじゃないんですけど(^^;)・・・。
市村さんが、劇場で拝見するとき、つねに 「僕はいつでもここにいるからね」というお顔をなさっているように
思えるのと、ちょうど反対に。
ここじゃないどこかが、見えているような。そこに呼ばれているような。
だから。
Quo Vadis? ―――― いずこへ行きたもう?
という問いかけを、投げたくなる。
(大げさな言いぐさでもうしわけありません(^^;)・・・Quo
Vadis というのはラテン語で「汝いずこへ行く」という意味
だそうです。シェンケヴィッチという作家の小説のタイトルにもありました。)
それは、クリエイターの雰囲気なのかもしれません。演技者というより、創造者のお顔。
若いシンガーソングライターとかが、漂わせていたりする、雰囲気です。
『月』を観たとき思ったんですが。
「踊る」ということばで最初に思い出すのは、こういうことだったかもしれません。
踊るというのは私にとって、ステップを踏むことではなかった。
昔、理科のテレビ番組の、高速度撮影かなにかで、草花の育つ様のビデオがよくありました。
固定カメラで観察していると、じっとしているはずの植物が、実は身体をくねらせていることを、見ましたよね。
成長のエネルギーそのものが”動く”さま・・・螺旋を描きながら、上へ向かって、身をよじって、伸びていくあの姿を
「踊っているような」って、感じていた記憶がよみがえりました。
「力」が、目に見える形で、発現することが、「踊る」ってことかもしれません。
それは楽しげなばかりではないけれど。苦しそうなことさえあるけれど、踊るって事の最初の形かもしれないと。
この人ははかりがたい。
この人の官能は、感性は、植物的なんだろうか、動物的なものなのだろうか、それさえとらえがたいです。
あのものやさしいお顔をみただけでは、誰が、あんな怖ろしい肉体をなさっていると思うでしょうか(^^;)
しなやかな動きを見ているだけでは気づかない、思いの外がっしりとした手足。
アンバランス。
美は乱調にあり、といいますね。
端正なんだけど、アンバランス。
大きな、キレイな目をなさっているのですが、微妙に、白目がちだったりなさるし(^^;)
三白眼は悪人の目、とよく言いますが、この方は時々四白眼だったりなさいます・・・・・・四白眼、つまり、
瞳が白目の中で、上下の瞼のどこにも接しないで、小島のように浮かんだ状態。
それって中国では「皇帝の眼」っていうんですって。「龍の眼」だったでしょうか?
ともあれ、ただならぬ、「眼」。
子供の頃 「野の白鳥」という、アンデルセンの童話を読んだことがあります。
悪いまま母に、白鳥に変えられた11人のお兄さんたちと、それを助けようとする、末っ子のエリサ姫の物語。
兄たちにかけられた呪いを解くために、女神のお告げ通り、ひとことも口をきかないまま、墓場で摘んできた
とげのあるイラクサを編み続けるエリサは、魔女だと思われて、なんの言い訳もできないまま火あぶりにされそうになります。
そのラストシーン。
ネタばれは嫌いなのですが、申し訳ないけど、引用させていただきます。
・・・・・ いよいよ、下役人がエリサの手をつかまえました。そのとき、エリサはすばやく、十一枚のかたびらを
白鳥の上に投げかけました。たちまち、十一人のりっぱな王子がそこに立っていました。ただ、一番末の
王子は、片方の腕がなくて、そのかわりに白鳥のつばさがついていました。それは、このかたびらには、
片方の袖がまだできあがっていなかったからです。
「いまこそ、わたしはものを言うことができます!」と、エリサは言いました。
「わたしには、なんの罪もありません!」 ・・・・・・
(岩波少年文庫 大畑末吉訳)
この本を何度か読むうちに、この11番目の王子さまのことが、気になってしかたなくなりました。
その方が美しいからといって、詩人はなんて残酷なことを書けるのでしょうか。
確かに、”みんな立派な王子さまになりました”っていうのは、平板でしょう。真っ白な白鳥が、見る間に11人の
若い王子に変身して、その最後の1人だけ、片腕の代わりにつばさがついている・・・この描写がひとつ
加わることで、その光景が眼にうかぶような、ひときわ印象的な場面にはなると思いますが。
作家は、自分が生み出した生命に、そんなことをしていいんだろうかって。
ずっとひっかかっていました。
だけど・・・・舘形さんを観ていて、ああ、あのお話はありなんだって急に思ったんです。
こういう方がほんとうにいるのなら、って。
ほんとに、詩人の気まぐれで作られてしまったような、と思わせる、不思議な、ただならぬひとが、この世には
いらっしゃったんだなあって。
それはご本人にとっては不自由なことかもしれないけど。
もしかしたらこのひとは、あの11番目の王子さまかもしれないという気がしてならない。
(へ、変な言いぐさに聞こえるかもしれないんですけど(^^;)何が言いたいのか分かっていただけるか、
あんまり自信がないんですけど。)
神様の思し召しも不思議です。
しかし、この方がどうやら、女子プロレスラーの神取忍さん、女子プロレス界最強のオトコとたたえられる(^^;)
あの方と同い年でいらっしゃるらしい、と気がついて、私は世の中、きっとどこかでバランスがとれている
ものだという、わけのわからない確信を抱くようになりました。
・・・・・・・・・・・・・ご、ごめんなさい、くだらないこと申し上げて(;
;)。反省します。すぐします。今しました。
神取さんが男性に見えたこともなければ、舘形さんが女性に見えるわけでもないんです。
でも、舘形さんに髭が生えて、神取さんには髭が生えないというこの事実が、私には途方もなく不思議に
思えるんですけど(^^;)あああ、ごめんなさ―――――いっっっっっっっ。
ともあれ。
舘形さんはこれからどこへ行かれるのでしょう。
たいへんなことも多いと思いますが、出来るだけ、その行方を見失わずにいられるよう、祈っています。
どうか海外までは行かれませんように(^^;)・・・・。どうぞ国内で。
九州まで望むのは無理だとしても、せめて広島で(^^;)拝見できますように。