肌の露出020106

さんまのスポーツトーク番組にて、ワールドカップサッカー予選・アルゼンチンVSイングランド戦の勝敗予想として、引き分けならフジテレビ内田アナウンサーがビキニで放送すると公約していました。おいおい、ほんとかよっ!!忘れないように、ここに記しておこう。

女性アナウンサーの水着や入浴は、局によって対応が違いますが、全面的にNGというケースが多いようです。

タレントの座席011024

トップと言われているタレントの中にも、住み分けがありますね。

便秘に生理、発泡酒。仕事を選ばないその姿勢。がんばるねえ。

いき遅れキャラ011024

磯野キリコ(元チャイルズ)、森口博子、井森美幸・・・

それを売りにするのは、見てるほうも悲しいよ。

呼び捨て010103

大の大人であるお笑いタレントなどがテレビ番組やCMなどで、子供に呼び捨てにされるシーンをよく見ます。親しい間柄だからこそ通じるのが呼び捨てであり、それ以外は侮蔑といわざるを得ません。他人を蔑視することに慣れた子供がどんなふうに育つのか、恐ろしくなってしまいます。

笑わせるのと、「笑われる」のは違いますよ。またそれを企画する制作者の感性も信じられません。

 

うまーい010103

下品な女性タレントがテレビでものを食べながら連発する言葉。育ちが知れちゃうね。おばさんタレントも言っているから、若い人だけのせいではないとは思うけど。

男女に言葉遣いの違いがあることは、差別ではなく、美しい言語文化だと思いますけど。

野球選手とスポーツ系芸能人のトーク番組

オフシーズン特に年末年始に多く見られるが、いつみても退屈極まる。長くしゃべらせるなよ、クスリとも笑えねえぜ。お愛想で笑う司会、インタビュアーも最悪。  

続く!CMの不作(991116)

不況の影響だろう、コマーシャルのクオリティーが低迷し続けている。有名タレントの出演が減少している一方、無名の人が大勢出るものが増えているような印象を受ける。それとともに新作を作らない使い回しも目立ってきているのが気になるところだ(サントリーCCレモンなど)。そして、不快ロングラン!しているのが永谷園のお茶漬け。(以前にも書いたかな?)当初、ひたすら食べる演出は大胆で斬新だ、などと評価するむきもあったようだが、その程度のアイデアは古くから存在したし、大体くちゃくちゃ食べる音が強調されていて汚らしく不愉快だ。途中でヒステリックに鳴り続ける電話の呼び出し音にもイライラさせられる。これを見たらすぐチャンネルを替えるようにしているのはもちろん、お茶漬けも食べない。ネット上のフォーラムでも散々の酷評なのに、なぜこれがいまだに放送されているのか、全く理解に苦しむ。

好感度高いのは、ホンダ、トヨタかな。いわゆる勝ち組。あと、前述した無名ジャンルのものでは、ヒットショップのシリーズ(ゆず、19のパロディー)はチープでおもしろいと思う。

古舘実況はバブル経済だった(990907)

世界陸上で古館伊知郎氏のマラソン実況を聴きました。率直に言うと「こんなもんか」という感想です。

マラソン実況は、目の前で起きている競技自体がそれほど劇的な変化を見せる訳ではない為、他のスポーツに比べ話の内容の濃さ、解説者との掛け合い、テンションの起伏、そして間の取り方が難しいのではないかと思います。そういう意味で古館氏がどういう仕事をしてくれるのか、大変興味を持って見ておりました。

結果的には、口調が単調(始め低い声から最後は高い声へ上がっていくワンパターンな叫び声)。間を取れずじっくり競技を見せることができない。得意の比喩を交えた表現もどことなく現実の映像と「かい離」してしまい、いまひとつピンと来ない、というよりかえって興醒めでした。

天才と言われている人にこんな評価を与えるのは非常に無礼なことかもしれませんが、この実況を見て、決してうまいわけではないんだと思いました。確かに当時は革命的と言われました。次々と繰り出す言葉で現象を飾り立てるテクニックは、今でも他の追随を許さないのかも知れません。しかし今その過剰さを求めている人がどれほどいるでしょうか。それに、先に述べた僕の感想は、今に思えば以前からずっとそうだったですよね。プロレスやF1では成立したのかも知れませんが、もっと一般的なスポーツ競技では通用しない手法であるような気がします。今まで誰も比べもしなかったけど、うまさで言えば天才より、実はTBSの一局アナのほうが一枚も二枚も上なのです。

テレビのチャンネルも増加し、ソフトとしてのスポーツ中継番組は作る側も見る側も成熟して来ました。そんな中にあっては、もはや過剰な実況によるショウアップは必要無いのかも知れません。

VTR構成番組の、スタジオトーク(990817)

著名人の特異な生涯を紹介する某番組にて。幼い頃から父親になかなか認めてもらえなかった主人公の少年期についてのVTR明けスタジオトークでは、ゲストの面々が過剰なまでに神妙な面もち。誰もが口々につまらないありきたりのコメントを並べている。例えばこんな調子。「この時にもう少し父親が優しい言葉を掛けてあげていればねえ。」そして全員がため息混じりにうなずくのだ。

おい、ちょっと待ってくれよ、そんなコンプレックスがあったからこの人が頭角を顕したのでしょう?なんでもかんでもうわべだけ取り繕う「善良な」発言で電波を塗り固めないでくれ!!百歩譲って、そんなことを言う人がいてもいいとして、それを他の出演者もしくは司会者がたしなめるなり補足するなりするようなシーンがなぜ見られないのか、不思議でたまりません。

これはひとつの例ですが、この手のVTR構成番組のスタジオトーク部分が余りにもくだらな過ぎて、せっかくのVTRを台無しにしていることがよくあります。番組の構成としてはちょっと息抜きの時間と言う意味あいがあるでしょうし、話の方向性をはっきりさせる役割もあるでしょう。そしてなにより、有名芸能人の顔を並べることによって、スポンサーに納得してもらう、ということが大きいかも知れません。しかし、あれだけ大勢の人が寄ってたかってほんの数分を埋めるだけのことなのですが、いかんせんそのクオリティーが低すぎます。しかも編集してこの内容の薄さなのです。

例えば「たけしの万物創世記」などは、壮大なテーマを美しいCGや音楽で盛り上げながら科学をやさしく解説しており、VTR部分の質は極めて高く、それこそNHKのスペシャルものに肩を並べるほどだと思います。ソフトとしてこれほど完成度が高い番組が、スタジオコーナーで「ただのバラエティー」に成り下がってしまうのはいかにももったいない。勇気がいるでしょうが、いっそのことくだらないスタジオトークをやめてもっと説得力のあるキャスター(男女2人だけでいい)が繋ぐだけというシンプルなスタイルにしていただきたいものです。

また、そのあたりを改善する動きとして、「特命リサーチ200X」などはVの合間は完全に「つくりもの」にしており、芝居のうまいヘタはともかくその試みは評価に値するのではないかと思います。

プロ野球中継のスキキライ(2)

 

先日、このコーナーでテレビ朝日のスポーツ中継について取りあげましたが、ひとつ追加があります。同じ系列でも大阪・朝日放送の野球中継はなかなかいいということです。

それが歴然と現れたのが、初日が東京、二日めが大阪で行なわれたプロ野球オールスターゲームでした。案の定、1日目は長島三奈のぎこちないルーキーインタビューが延々と続くなど、見るに耐えず途中でチャンネルを変えてしまいましたが、二日目は違いました。

アナウンサーはうまいし、派手な企画はないけど解説者とのやりとりがスムーズでとりあえず話でモッテいます。解説者自身、話に対する反応が良くて好感が持てるんです。また、系列の統一感という取り決めが多少あるのでしょうが、このコーナーで指摘した、CM前の格好わるいジングルを使っていないのもいいところです。大阪の意地みたいなものがあるのでしょう。そしてなんといっても、音声のミキシングがいい。実況席の声と球場全体の雰囲気のバランスにおいて、球場の臨場感を大切にし、下手したらアナウンサーの声すら聴こえにくくなるぐらいのミキシングになっています。これはかなり大胆ですが、僕は好きです。

物量や資金ではキー局にはかなわないんでしょうが、最終的には制作者のセンスだと言うことがよくわかる対比でした。

シザ−ズリーグ/社会の窓、フジテレビ深夜番組の明暗(990712)

 

深夜放送が挑戦的であったのは今は昔の話である。バブルマネーが24時間タイムテーブルを潤していた頃。各局には充実のラインナップが勢ぞろいし、江戸時代で言えば元禄のように文化が爛熟した。(例えばオールナイトフジ〜カノッサの屈辱〜イカすバンド天国)功罪で言えば、バブルの「功」の一面であった。

その面影なき今、一石を投じる話題の番組がこの春からオンエアーされている。それが、シザーズリーグ、一言で言えば、料理の鉄人の「美容師」版である。御覧になっていない方の為に付け加えるなら、これは、パクリではなく、あえて第2弾的な作りになっているものである。

長い平成不況の中にあっても、元気な業界、というものがあり、そのひとつが東京のトップへアメイク業界だ。経済が停滞していても、人は自分への投資には金をかけているそうである。食しかり、そして美容しかり、である。しばらく前から東京でも特に原宿界隈のサロンの人気が注目されており、大規模にヘアメイクショーなどが開催されていた(らしい)が、まさにその渦中のヘアサロンが集まってリーグ戦で対抗しようというものだ。

企画として、これはアリだと思う。本物を求める視聴者が多くなっている中、プロフェッショナルの技を、しかも現在の日本でトップのものを見たいと願う人が多いはずである。また、深夜の視聴者層の多くを占める10代から20代の嗜好性にぴたりとオーバーラップしているのも強みである。また、公開録画の観覧者が全員若い女性で(写真で選考されているらしい)モデルも審査投票も彼女達の手に委ねられるのだが、女性視聴者はファッション誌を見るような感覚で、また男性視聴者でもこの素人女性達が画面に映っているのを見るだけで相当いいものである。(なんだーっ!結局そこかーっ!!でも、作っている側も計算していると思うよ、たぶん)

ただ、気になる部分もあるので一応記しておくと、1、司会が石井ビューティー(米米のカールスモーキー)であること。ダサい。なぜこの人が?2、会場のセット、リプレイやワイプの処理、テロップがショボくていけない。3、勝敗を通して美容師たちの人間模様を描こうとしているのは解るが、中途半端で描ききれていないので、画面をいくらモノクロでスローにしても格好わるい。4、ナレーションの台詞が陳腐。(料理の鉄人はもう少し練れていると思う)

パッと見、こんな文句もありますが、見る価値はあるのではないかと思います。

一方、今一つきらめきのないのが「社会の窓」(でしたよね?)である。極めて大まかく御説明すると、企画は週間プレイボーイや宝島、アサヒ芸能などの「ネタもの」投稿ページのテレビ版である。具体的には、ふかわりょうの「君んち、割り箸も洗うの?」みたいなネタを視聴者から募集してスタジオでその言葉についてああだ、こうだと議論する、というものである。

感想は、「ううむ、これをテレビでやる意味あるの?」というところか。実体を伴わない机上の空論を楽しむような企画は、なにか「今」の空気にマッチしないようなムードがあり、少し気持ち悪くなってしまうのだ。こういう企画がいかにも好きそうな司会のいとうせいこうといい、出演者もどこかバブルの遺産的「におい」があってどうしても全部見る気がしないのである。そのうえそのネタ自体それほど笑えないのも致命的である。

こうしてフジテレビの深夜番組ふたつを並べてみたのだが、これらを制作する作家、スタッフの多くはたぶんバブル期の深夜テレビカルチャーを支えた顔ぶれではないかと思う。そのメンバーがこうして今、明暗を分けているというのも興味深い事実である。

プロ野球中継の、キライ(990623)

 

スポーツ中継番組において、その演出については世間で問題になることがあまりない。放送にとっては、そのスポーツ自体の持っているエンターテイメント性が最も重要な要素だからである。つまり、どこか違和感を感じても、試合が中継されているならとりあえずOK、ということになってしまう。しかし放送局の演出が、スポーツ中継を良くもすれば台無しにすることも事実で、神経質な僕などはこの点だけで大好きなカードも見たく無くなってしまうことがあるほどなのである。

そして、いきなり結論。テレビ朝日のスポーツ中継がキライである。演出ベタ。予算無いの?と思えるほど、ローカル並みの地味な雰囲気が画面にいっぱいだ。しかしこれはたぶんお金の問題ではなく、結局、センスがないということなのだろう。テレビ放送が始まってかなりの年数になる野球中継では、ベースになる基本的な手法が確立されている。しかしテレビの世界は進化しており、ハード面だけでなく見せるテクニックなども時代とともに変化しているのだ。スローやデータの入れ方はもちろん、カメラワーク、スイッチング、スーパーの書体やワイプの切り方、さらには特集でドラマを作りあげてゆく企画性などにまで流行というものがあり、あらゆる部分においてこれを上手に取り入れつつ独自性を発揮することが必要なのだ。その努力が足らないと、どこか時代遅れで地味な放送になってしまうのである。もうすこし大胆な演出を期待したい。アップを多用したりディゾってムードを出すだけでも随分違うと思うんだけどなあ。また、ドラマティックに仕上がらないということは、コンセプトや方向性がないということかもしれない。そのゲームの持つ意味をもう少し突き詰めて考える必要があるのではないかと思う。

また、センスがないと言えばCM前のジングルなのだが、ロック調のギターサウンドにJウォーク風のヴォ−カルが入って尻切れとんぼ的にスクラッチ(DJ風)とドラムで終わるのが、もう、許せないぐらい嫌いだ。だいたいあのサウンドにスクラッチ(これはたぶんCDの音源集からだ)は、絶対合わないと思う。あー、思い出すだけで気持ち悪い。(ただしセンスアップというとすぐ安直に英語DJ風のナレーションを入れるのには大反対だ。)

あと、アナウンサーが信じられないぐらい下手。実況もさることながら、解説者との掛け合いがあまりにもお粗末で、気になって仕方がない。会話が成立しないので解説者がだんだんかわいそうに思えてきてしまう。そんな状態を見兼ねた解説者が自分から話題を振ったりしているシーンもよくあるが、その話の方向性をうまく汲み取ることもできず「はい」ぐらいの受け答えですぐ途切れてしまうので、またしても気まずい雰囲気になってしまう。見ているこちらは苦笑。たまにしか本番がないという弊害なのだろうか。逆に今度はどんな中途半端な話になるのか

楽しみになってしまうぐらいだ。これはひとりの人に限らず全体がそんなレベルのように見受けられる。まあ、一視聴者がここで叫んでも何も変わらないのでちょっとあきらめているのだが。好きなカードはテレビ朝日の中継でないことだけを祈るのみである。

素人オーディション番組の限界(990601)

 

オーディション番組は、もう、結構。最近は音楽だけではなく、いろんな分野に人材を輩出しようという企画も登場しているが、いずれにしても、プロをナメすぎている。だいたい、大成する人間はどんな所からでも出てくるのだ。しかもそれは大抵、正規のルートで。タレントなら事務所のオーディションやスカウト、音楽ならデモテープとライヴ、デザイナーなら学校やある程度の実務経験など。結局、テレビに応募するのなんて最終的な手段なのであって、我々は、他の方法ではどうしようもない切羽詰まった人たちのあがきを見せられているに過ぎないのである。(また、新人タレントが素人みたいに登場するものもあるので注意が必要だ。今や、乱立するタレント事務所のひとつに所属することは、単なるステップにしかならないのだ。)

それでもまだ、かつてのスター誕生などは良心的だった。単純だったから。ただ単に、最高に魅力的な人材を発掘し、後は御自由にどうぞぐらいのおおらかさだった。ところが、今の番組のつまらない点は、はじめに「枠ありき」というところである。つまり、スポンサーが決まっていたり、そうでなくてもプロデューサーが決まっていてその人の考える企画にうまく「はまる」人だけが勝ち残っていくシステムなのだ。人の想像を超えるような逸材がどうして選ばれようか。オーディション番組出身タレントの粒の小ささ、つまらなさはここにあるのだ。

楽しむ意識と楽しませたい意識(990127)

ショッピングのオンエアを御覧になった方が僕に必ずおっしゃるのは、いつもおいしそうに食べますね、ということです。また、仕事で御一緒したタレントさんなどに言われるのは、とても楽しそうに仕事をしていますね、ということです。

そう、仕事が楽しくて仕方がありません。生きる喜びが今ここに凝縮していると言っても過言ではありません。古来、日本の社会に日曜日などなくお正月と御盆とお祭りの日にしか仕事を休まなかったのは、なにも苦役を強いられていたわけではなく(一部を除くが)、労働の喜びこそ私達日本人の人生のよりどころに他ならないからだと思い知ります。第一、仕事が苦にならないわけですから休むという概念自体もなかったのかも知れません。

さてしかし、今回の本題はそこではありません。

テレビ番組を見ていて思うのは、テレビの向こうだけ勝手に楽しそうなシーンが多すぎると言うことです。自分達は楽しくやるからそれを見て楽しくなってくれ、と言うことなのでしょうか。これは注意しなくてはいけないポイントです。しかし、一部の優れた出演者はそれを感じさせることなく見る人を楽しませてくれます。この違いはどこにあるのでしょうか。

どちらも本人は楽しんでいるんだと思います。でも楽しみ方の質が違うのではないかと思うのです。例えば行楽地のレポートのロケがあるとします。その場所で本当にただ遊んでしまうレポーターと、その場所で遊んでいる自分を見てもらい「楽しませることが喜び」であるレポーターとの間には、大きな隔たりがあるのではないでしょうか。その意識の中に「見ている人に対してサービスする気持ちは存在するのか」ということです。

僕自身、おおいにこころしなくてはいけないと思うと同時に、この文章を一部の後輩とこれからタレントになろうと思っている方に捧げたいと思います。