月報 2004年 2月号 高岸 毅兄
「放蕩息子は帰ってくるのか」
長らく教会を離れていた放蕩モノの私が放蕩の道々感じたことをについて少々お話したいと思います。
教会から離れる原因はいろいろとありますが、それは身近なことがきっかけとなるのではないでしょうか。
私の場合は高校時代の部活が忙しくも楽しく、教会から遠のきがちとなり、何となく行きにくくなり更に遠のくという悪循環が原因でした。心の中では戻りたいと思っていても、状況に流され、そうできない様になっていくのです。私の場合、主は私を病気をもって弱くし「信仰に戻ってきなさい」と何度もお語りになりました。
最初は、やさしく、そしてより強く…。そう感じていながらも私は主を知らないと言ってしまうのでした。
最終的に私の意固地な言い訳は完膚無きまでにうち砕かれるのですが…私に与えられた言葉は「主われを愛す 主は強ければ 我弱くとも 恐れはあらじ」という日曜学校でよく歌った一節でした。
主はこんな放蕩者にも戻るべき機会を何度もお与えになりました。感謝します。主の声には早めに応えるのが簡明です。放蕩はお奨めで出来ません。でも無理に引き戻そうとしないでくださいね。
それはきっと主が何とかしてくださいます。乱文失礼しました。