二〇〇二年十月、ある食堂で夕方、食事をしていたら、号外の新聞が置かれていました。拉致被害者の地村保志さん夫婦はじめ、五人の人が日本に着いたところのニュースでした。大きな見出し、大写しの写真が載っていました。地村夫人が泣いていました。私もそれを見てついもらい泣きをしました。
とにかく、二十年以上も行方不明だった人たちが生きていて、しかも人々の目の前に現れたのですから、それは日本中を沸かす号外でした。
聖書の中に、死んで四日も経っていたラザロ(ヨハネ十一章)がイエス様の「ラザロよ。出て来なさい。」の一ことばによって、墓から生き返って出てきました。
今さらながら、イエス様の権威と力には驚かされます。ベタニヤ村の人々にとっては頭が変になるほどの号外ニュースだった事でしょう。
しかし、歴史上最大の号外といえば、神の子イエス様が新しい体をもってよみがえられたこと以外にないでしょう。
復活の三日前にはあのむごい十字架にかかられ、だれにも理解してもらえない悲しい死を遂げられました。(本当はまことの神にそむいている人類のそむきの罪を身がわりに受けてくださったのに…。しかも、苦しい十字架の上で「父よ、彼らをゆるしてください。」と私たちをかばってくださっています。)
イエス様の復活の朝はすばらしかったです。イエス様の女の弟子たちがイエス様の葬られた墓にやって来たときの聖書のことばを見ましょう。見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ二十四:四〜六)
イエス様はよみがえられました!その新しい体はとじこめられた戸でさえも通りぬけられる霊の体で、それであって、焼かれた魚を食べられる体でもありました。
イエス様は私たちが一番恐れている、しかも解決のできない死を打ち破られ、永遠のいのちをもたれたのです。イエス様には死ということばは当てはまりません。イエス様だけではなく、何とイエス様を唯一のまことの神と信じる者すべてに、永遠のいのちと新しい体が与えられるのです。
これこそ、神からの希望あふれるメッセージです。イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ十一:二十五:二十六)
主イエスよ。はい、信じます。アーメン。