第2章ー4

ハイレ・セラシエ1世











 えー、いよいよ今回はジャー・ラスタファリ=ハイレ・セラシエ
 

ハイレ・セラシエ1世

その人についてじゃ。
 マーカス・ガーヴェイの思想とその予言により、ジャーという神に
 されてしまったエチオピア皇帝・・という話は前回までにした通りじゃ。
 では、彼自身“神”の自覚はあったのか?
 残念ながらそれはなかったようじゃ。むしろ困惑していたと言った方が
 近い。彼自身はラスタでもなんでもなく、エチオピアの国教である
 キリスト教を信じていた。
おそらくラスタファリアンのことは
 邪教と思っていただろう。
 ただ、ガーヴェイの思想の影響も受けていて、黒人国家の代表として
 全世界の黒人の地位向上、みたいな意識は持ち合わせていたのじゃ。
 だからラスタの思想も一応尊重し、折に触れてラスタへのメッセージを
 送ったり、66年にはジャマイカを訪れることもしたんじゃな。
 この時のジャマイカの熱狂ぶりはすさまじいものだったらしい。
 そりゃそうじゃな。“神”が来たのだから。
 ラスタは言うまでもなく、一般の黒人も“救世主”に大きな期待を
 寄せたことは想像に難くない。
 このジャマイカ訪問をきっかけにして、ラスタは一般市民に正式に
 認知された、と言っていいのじゃ。これ以降、ラスタに改宗する者、シンパを
 抱く者が確実に増えたはずじゃ。そしてそれはロック・ステディからレゲエに
 変化していく音楽にも多大な影響を与えた
、というわけじゃ。

 ところで、ハイレ・セラシエは74年にエチオピアで起こった革命により
 失脚。翌年には死亡。この出来事はジャマイカのラスタに大きなショックを
 与えたが、思想自体が大きく揺らぐことはなかったのじゃ。
 「ジャーの肉体は消滅しても、精神は存在し続ける」みたいなことじゃな。
 ボブ・マーレーのシングル「JAH LIVE」は、セラシエの死後すぐに
 

 リリースされたものじゃが、まさに“セラシエ後”の決意表明みたいなものじゃ。

 その後、ボブ・マーレーがレゲエ&ラスタの伝道師として世界ツアーを
 することにより、レゲエとラスタはセットで世界中の人々に広まること
 となる
。ラスタとレゲエが限りなくイコールに見られる理由がここにあるんじゃ。
 ところが、「ラスタ=レゲエ」という認識は実は正確なものではない、というよう
 な話は次回じゃよ。

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