おばさんの英語留学のすすめ
  
簡単な質問形式

Q 何歳で留学?
A 45歳です

Q 留学先はどこ?
A オーストラリア の西海岸 パース

Q どうして 留学しようと 思ったの?
A 英語ができたら 得することが たくさんあると思った それと 日本にいて 駅前留学しても 大金を払うだけで
  身に付かないし 集中して短期間でやったほうが 性格に合っている と思ったからです

Q 何ヶ月勉強したの?
A  3ヶ月です オーストラリアは3ヶ月以内でしたら ビザは 必要ありません

Q 留学先をパースに決めたのは なぜですか?
A  アメリカは 都会的過ぎる感じがしました。治安と 物価 英語圏でちょっと 田舎くさい 日本人がたくさんいない 時差があま   りない などの条件から パースに決めましたそれに 兼高かおるが いちどは住んでみたい街  と言ったのを うっすら覚えて  いて 気になっていました

まずは 簡単に 説明をしましたが ここからは 少しずつ おもいだしながら あの時 思い切って留学して 良かったことなどを書き込んで いきます
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さて 行き先はパース決まり 次は学校です。本屋に行って(その時はまだインターネットをしていません)オーストラリア語学学校の本を買ってきました。語学学校の案内は シドニーが大半で パースの語学学校は かずが少ないのです。それでなおさら パースで正解 日本人の若い子がたくさんいる所なんて 最初から パス。
その中で フェニックス ランゲージ スクールに決めたのは パースの街中ではなく そこまで 一駅列車に乗っていくという 立地条件が気にいったのです。街中にある学校というのは どうも金儲け主義な感じを わたしが勝手に 感じるのです
それから ホームステイ先を学校側頼みました。 
こういう手続きは 本に書いてあったので そのとうりにやってみたのです。
ただ ホームステイのホストマザーは 私より年齢が 上であること、動物 子供がいないこと を条件に書き添えました   

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結果的に 私より5歳年上の ホストマザーで 離婚して 一人暮らし。前に幼稚園の先生だったので おしえることが大好きな女性 毎日学校であったことを 食事のとき話をしなければなりません。しかしこれが とても英語力アップに つながったようです。
入学するとき ランクをみるためのテストがあります ペーパーテストと面接ですが 日本人ですから ペーパーテストは簡単でした。中学1年程度の学力があれば 簡単なものです。
しかし それをちゃんと回答したばかりに 発表されたランクは かなり上級
クラスに入ると 今何をやっているのか さっぱりわかりません。 何を言ってるのか 何をすれといってるのか なにもかもがわかりません
わからなかったら 質問をしなさいと 易しく言ってくれるのですが 何を質問していいのかもわからないし なんて質問していいのか 英語の一言もでませんでした。
慣れると だいじょうぶよといってくれたのですが 学校に来ることが 非常に苦痛に感じ 3日ほど悩み続けましたが お金をはらったから 絶対やめられないし 授業時間が長く辛いので 頼み込んで ランクを下げてもらいました。
適当なクラスに 空きがなかったので かなり初級コースに入れてもらうことにしましたがそのクラスには 日本人は 私一人でした クラスメートは私の娘 息子の年齢の子達が大半です  
これがよかったのかもしれません  先生の言っていることがわからなくても 誰にも聞くことができず 見よう見まねでやっていました
このクラスは 先生に恵まれていたようで 毎日授業時間は たのしかったのですが 友達ができませんでした 
みんな若いし それぞれの国の人達で 固まって休み時間におしゃべりしたり ご飯を食べたりするので わたしのような年配の日本人は孤独なもので、登下校も 一人です この何日間は 学校の休み時間が 大嫌いでした。
しょうがないので 昼休みは学校の周りを 一人で散歩していたものです
毎日 まったく日本語を話すことのない状態というのは 想像以上に 辛いもので よく独り言を言いながら 通学していました
そんな時 「なんでお金払って こんな辛いことをしているのだろう」と 後悔しましたが もうやるしかない状態なので すぐ逃避したがる性格の私には結果的には よかったのですね

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そんなこんなで孤独な日々を過ごしつつ 自分では気が付きませんでしたが 耳が英語になれていったようで 大体 言ってる事がわかるようになったのは 1ヶ月過ぎたころでしょうか...簡単に書いていますが その真っ只中のときは ひどいストレスでしたが つとめて明るい 面白いおばさんになってやろうと 自分で自分のおしりを叩き 前へ おしだしていたものです。そのかいあって クラスでは恥ずかしがらず 何でもやるおばさんという地位が確立されたようだした。
1ヶ月すぎると 簡単なテストがあり それによって クラスが変わります。
新しいクラスになり そのクラスで 韓国から親子で英語留学している 母親(30代 名前はスー)と親しくなり 彼女のおかげで登校 下校の行動を共にすることが多くなり 人りぽっちからの開放でした

スーと私のコミニュケーションは英語ですが 実力は同じようなものですから 意思の疎通には かなりのジェスチャーも伴いますし 当然辞書のお世話にもなります。
しかし スーのおかげで 韓国語の配列が日本語と同じであることがわかり 単語の並べ方で 結構分かり合えたのです

2ヶ月後 私のホームステイ先に スイスからのホームステイメイトが来ることになったのです(( L(>o<)」)) NO WAY!   いままでホームステイマザー ジリアンとの2人快適な生活だったので 気が重くなりました。 というのも この学校には スイスからの留学生がかなり多く スイスの学生は文法はだめでも 会話は得意のようで 日本人とは まったく逆のパターン 学校でも庭の中心を陣取って 態度がデカイので 私の好みではありません。
クラスでも 大嫌いな男女がいて その子達の国籍はスイスでした。
そんな訳で 平和な家庭に 一人の侵入者 23歳の若い女 趣味はエアロビックス 国籍 スイス  これほど嫌いな項目を持った女が来るなんてわたしの快晴な空のような気持ちに 暗雲がたちこめたのでした (it's bad) (-_-;;  

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絶対相性が悪いにきまっている娘がスイスからやってきました 名前はジェニファー 。
想像とはまったく別で 頭の良い子で 臨床検査の仕事をしていて 自費での留学 。結局 親子ほどの年齢差を忘れて 親友になったのです 残りの1ヶ月は 毎日ジェニファーと一緒の通学で (もちろんクラスは別 彼女はかなり上級) 彼女の使うフレーズを 自然と覚えていき 会話の上達の役にもたちました。 
アジアとヨーロッパの2人連れはとても珍しい通学風景だったようです (大半の学生は 同じ国で集団になります)
私の友達とジェニファーの友達などで 仲間が増え 授業が終わった後は 毎日アドベンチャーでした。
英語は学校で勉強しますが 同じ英語でも 国々によって発音に特徴があります
それが 友達同士で話したりする事で リスニングの力が どんどんついたようです
私の経験から言うと 英語でも何でも語学で 一番大切なことは 相手の言うことが どのくらい聞き取れることができるか ということだとおもいます。相手の言うことがわかると そのレベルでどうにかなるもので 意味が良くわからない場合は 「あなたはこのようにいっているのか?」と自分の知っている範囲の単語で聞くと こちらのレベルに合わせて 返してくれるのです。
ですから 単語を山のように覚えることは 必要ないと思いますし、人それぞれ よく使うフレーズというのは 決まってくるようですね。

そうそう こんなことがありました
発泡スチロールの箱が必要になりホームセンターに行き 英語て言うのかわからなかったのですが すぐみつかるだろうと思っていたのです
しかし なかなか探すことができませんでした。 それで お店の人に 説明をしたのです
白くて 軽くて 保温力があって (保温力とは言えませんでしたので 温かいものを入れておくと ズーット温かく 冷たい物はいつまでも冷たいと説明) 荷物を保護するためにも 内側などに 入れてある物 などと いろいろ説明しましたが わかってもらえず しまいには絵をかきました
何人かのお店の人が 考えてくれて やっとわかってもらいましたが オーストラリアでは 発泡スチロールの箱の事を フォームエスキー というそうです。結局 その箱は ホームセンターでは扱っておらず  スーパーに売っているとおしえてもらいました。
要するに 知らない単語は 自分の言葉で説明をすると わかってもらえますし そこで覚えた単語はわすれません

日本人の場合 どうしてもキチンとしたことを しゃべろうという意識が強いあまり まちがいを極端におそれてしまい 会話がとまる
      
と何かに書いてありましたが まったくそのとうりだと思います。
包み紙を買いに行って ラッピングペーパーといったのに ペッパー (コショウ)の所に案内されたことがありましたが 英語を話していても
いろいろな国のいろいろな発音のひとがいるので 一度通じなくたって へこたれることありません。
通じなかったら 何度も自分の言葉で説明をしていくと わかってもらえますし かなり楽しい 時間を過ごすことができます
3ヶ月での語学学校では 不十分なことがたくさんありますが 英語に対する 恐怖心はなくなりますし ます 間違いを恐れなくなるのと
多分こんなこと言ってんじゃないかな.....という想像力はかなりつきました。  
 
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長くつらく 寂しい感じの1ヶ月が過ぎると2ヶ月目には やや余裕がでてきますし 3ヶ月目は楽しい毎日になってきます。
それでも ホームシックというのか月日が経つうちに 夫に会いたくなりますし 帰国日をカレンダーに記して あと何日 あと何日と 指折り数えていました。
さて 帰国の当日 ホームステイマザー  ジリアンと スイス娘 ジェニファーが空港まで 送ってくれましたが 別れ間際 ジェニファーのあまりにも激しいわかれを惜しむ 泣き声に 非常に驚き いまでも鮮明にあの時の状況が 浮かんできます。
その後 ジェニファーとジリアンとは Eメールで連絡しあい ジェニファーは札幌に遊びに来ましたし わたしもジェニファーのすむ スイスまで会いに行きました。メールでのやり取りで 英語の勉強はその後も続くことになります。
使えそうなフレーズをみつけると ノートに書きとめ 彼女達とのメールに使用しました。そんなことが積み重なって 英語の習得に役立ったようです。

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語学学校には いろいろな国 いろいろなタイプの 学生がたくさんいます。
何歳くらいで 留学するのが適当か........私の考えではもちろん 何歳でもいいのですが 一番重要なことは いかに 自分のしっかりした考えをもっているか と言うことだと思います。 漠然とした言い方で わかりずらいかもしれませんが もちろん語学学校に通ったからって 英語が話せるようになるという訳ではありません。 日本人の若い子の大半は 親の援助での留学なのでしょう ただ 遊びに一生懸命の姿が 以上に目に付くし 外国(それも欧米圏)の友達を作るのが 目的なんて人もいます。

授業で 政治、経済、文化の話になると 「ワカンナ−イ」の一言  日本で若いからしょうがないと 認められていたことが 外国に行くと みょうに幼稚になる。 韓国や中国の人達は 真剣に政治などについて 話をします。 平和ボケとよく言われますが 自分自身は この歳で留学して本当に良かったと思います。 私の若い時を おもいだしてみると なんらあの若い女の子達と 変わらないような.... オソロシヤー!(*^_^*;

語学学校では 自分の意見を発表する場面やら 出来事などを みんなの前で言わなければならない 状態がかなりあります
もちろん 強制ではないので パスをすることができますが 自分で稼いだお金を 払っていると思うと なんでもやらなきゃ と言う気持ちになってきます。それと年齢が高いと 羞恥心があまりなくて 結構平気で 人前で何でもできる物です。
生徒も先生も 大半が私より 年齢が下ですから ^_*;   

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