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って聞いた事あるけど、、、万年ボケのREI=ZEROはすでに怪しい、、。 とりあえず、これ以上ボケが進まないように、ちと頭を使って、 気紛れ日記をつけることにしました。えっへん! |
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今日もちょっと忙しかったです。 午前11時過ぎに義叔父(亡き義父の弟)が来訪。 一昨日電話があり「御盆なのでお線香を上げにいきたい。」とのこと。 あれ?、あれれ?うちの御盆は新暦の7月なんだけど、、、。 電話を受けた義母もそう言ったらしいが、義叔父は 「ま、そうなんだけどさ、今、世間は御盆だからいいでしょう?」と、来ることになったらしい。 来るのは一向にかまわないけど、うちの御盆はずっとずっと前から 7月って知ってたはずなんだけど、、、、。 叔父にとっても自分の実家の事なんだし、、。なんかちょっと腑に落ちない。 私は妙に古いところがあって、祖先の行事は尊重したいのである。 もちろん、昔からそうだったわけではない。 私が大学の頃だったか、もう少し後かもしれないが、 実父が長野にある自分の実家の法事に行ってある書類の写しを持って帰ってきた。 それは父の実家の過去帳。それによって父の実家の(戦前までは豪農だった) 過去約300年前までさかのぼることができると言う。 実際にそれが作られたのは江戸後期か明治初期のことなのだが、 その時の当主がそれ以前にバラバラだった資料をまとめて きちんとした系図、過去帳を作ったそうだ。 それによると、その系図の最初、つまり江戸初期に登場した御先祖様は身分でいうと いわゆる「足軽(あしがる)」だったらしい。 (そう、偶然にもhideyoshiと同じ。わはは。) 細かい事は覚えていないが、その過去帳にはまさしく、その家の過去の大きな出来事が 記されており、何代目かは火災にあったことなども書いてあった。 またその過去帳とは別に、私が子供の頃から私の実家に1枚の古い写真がある。 (その写真のマスターは父の実家にあるのだが)父が複写したもの。 それには2人の男の人と1人の小さい男の子が一緒に写っているのだが、 その人達は、父の父(私の祖父)、祖父(曾祖父)、曾祖父(曾曾祖父)で、 なんと私の曾曾祖父にあたる人はチョンマゲを結って、 裃、袴にカタナを差しているのである。(たぶん撮影は明治初期と思われる。) その写真や過去帳に触れて以来、自分にも御先祖様がいて 脈脈とその血が受け継がれてきたのだと意識するようになったのだ。 だから私は基本的には無宗教者だが、御先祖様だけはきちんと扱おうと思っている。 そのせいかお墓参りはけっこう好き。わはは。 というわけで、嫁ぎ先のここの家でも、義母が御先祖様を大切にしている姿は 尊重して、なるべくお墓参りやそれに関係する行事はバックアップしてあげたいと 思っているのである。 |
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2003年8月16日
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久しぶりに実家で泊まってきた。2年ぶり。 (6月初旬に冬から体調を崩した実母のお見舞いに行ったのだが、その時は日帰り。) 朝10時過ぎに松戸の自宅を出発。長女、次女の2人が同行。(長男は原付きで別便) 千鳥町から首都高湾岸線に乗り、横浜ベイブリッジ、 本牧、磯子を経て幸浦インターで一般道へ。途中お昼御飯の御買い物。 (シーパラの駐車場へ入る渋滞にひっかかったのでちょっとロスタイム。) 実家到着は12時半を回っていた。 原付きで出かけた長男はヨレヨレのヘロヘロになって2時過ぎに到着。なんと4時間。 途中迷って、皇居の回りを3周もしたそうだ。だから反対したのにねえ。(笑) おまけに横浜から鎌倉、逗子のほうへ抜けてしまい、(実家はシーパラのそば) 携帯から「迷った」と連絡が入り、要所要所で連絡しあいながら なんとか無事実家に辿り着いた次第。 私は独身時代、原付きで実家から東京田無市まで行った事がある。 だからその経験から道に迷わなくても、松戸から所要時間3時間はかかると踏んでいた。 大変だからやめろと言ったにもかかわらず、長男は強行に出たのだ。(←バカ) ちなみに長男の原付き走行距離は130キロ強。(私のは80キロ強)約50キロもロス。 今回の帰省に関しては目的が3つ。 一つはもちろん両親に私と子供の元気な姿を見せに行く事。 2つめは、今同居している兄嫁が子供を連れて8月3日から 長野に帰省しているので家事を手伝う事。(たった2日間だけどね) 3つめは近く(車で10分)に住む叔父(母の弟)に御挨拶する事。 (13日夜叔父のうちで御盆の集まりをするということもあった。) 母が冬に痛めた腰の靱帯が良くならず、ソロソロとしか歩けないので 兄嫁が留守中の現在、家事のほとんどは父がやっている。(兄は御盆休み無しで仕事) 彼は単身赴任生活が多かったので、なんでもできるのだが やっぱり昔の男性なのでやる事が大雑把。 それで、私がいる間だけでもと掃除と炊事をしてきた。 (父は13日長野の義姉の初盆のため日帰りで帰省。夜帰宅) *****13日(御盆のお墓参り)***** 実家は父と兄と兄嫁が車の免許を持っているが父は完全なペーパードライバー、 兄嫁もほとんどそれに近いので運転したがらない。 それであまり歩けない母は外出もほとんどできないのだ。 母の両親(私の祖父母)のお墓は鎌倉霊園なので、 車だと15分もあれば行けるのだが、この御盆にお墓参りもしていないという。 父方の祖父母は父の子供の頃に他界していたので 私にとって祖父母と言えば、この母方の祖父母しか思い浮かばない。 「ママ(実母のこと)、私おじいちゃんおばあちゃんのお墓参りに行きたいんだけど もし、そのつもりがあるんなら連れて行ってあげるよ。歩ける?」と聞くと ぜひ行きたいという。今までにも叔父さんが誘ってくれたりしたのだそうだが 体調が悪かったり、お天気がよくなかったりで行きそびれていたそうだ。(2年ぶり) 車の中で母ととりとめもない話しをする。 母 「このあいだM子(兄の長女、小6)が私に言うのよ。『ヒデおばさんって うちのママより年上なの?』って。だから『そうよ、3つ上だわね。』って言ったら 『え〜〜〜〜!!ショックーーー!!うちのママのほうが年上だと思ってた!』だって!」(笑) ヒデ「そうねえ。M子のママにとっては私は(義)妹だから、当然年下だと思うでしょうねえ。」 母 「そうじゃなくて、あなたのほうが若く見えるってことらしいわよ。それを聞いていた お嫁さんも『ママもショックーーー!』って言ってたもの。」 ヒデ「あははは、それはちょっとうれしいかも、、、。」(ホントはすごくうれしい、わはは) 鎌倉霊園というのは山を削って作られた巨大な公園のような霊園で 明るく開放感があるので(日当たりがいい)私は好きである。 霊園内の売店でお花(ちょっと奮発して高価な方)とお線香と買い、 目的のお墓の近く、車が入れるギリギリまで行って車をとめた。 そこから数十メートル、杖をつく母に合わせて牛歩の歩みでお墓にたどりつく。 すでに叔父一家がお参りしたあとらしく、きれいに掃除されてお花があがっていた。 私達もまた形だけ掃除してお花をあげる。たくさんになったお花をみて 「おじいちゃんおばあちゃんも喜んでるわねえ。あなたが来てくれてママも ひさしぶりにお墓参りができてうれしいわ。」 と涙ぐむ母を見て、日頃の親不孝を反省。 *****御盆の宴会***** その夜は叔父のところで迎え火を焚いて、そのあとは宴会のはじまり。 練馬に住むもうひとりの叔父夫婦もやってきていてにぎやかだった。 この近くに住む叔父が(元銀行マン、定年後はボランティア活動など悠々自適の生活)、 外出もままならない母の2週間に1度の病院通いに 車で送り迎えをしてくれているとのこと。 この間日帰りで行った時は時間がなくて会いに行けずお礼も言えなかったので 今回はそのお礼をぜひ言いたかった。ホントに感謝。 途中仕事を終えた兄が会社から直行してきて参加。 久しぶりに会う従兄弟達も元気そう。(上の叔父さんの子達→31を頭に女、男、女、みんな独身) 彼等、長女は170cm、長男が173cm、次女はなんと175cmという大柄兄妹。 2年前に会った時、末の次女は(過去10年に渡る)まさに関取級の巨漢 (たぶん100キロを裕に超える)だったのだが今回会ってびっくり! 当然背は相変わらず高いが、ほっそりスマートになっており 私より痩せて見える。(私と比べちゃイカンが、、わはは) 1年半で40キロ近くの減量でもしわひとつなく、きれいに痩せている。 食事でダイエットしたそうだが、さすがにこれは若さの勝利だと感心。 もともと目鼻立ちのハッキリした子だったので、かなりの美人に変身していた。 人間、やればできるもんである。 母方の姉弟はとても仲がよく、なにかにつけ集まっては飲み会を開いているのだが(←酒好き) いつも話題が楽しい。今回、激論が飛び交った話題のひとつは「ハゲ」。 彼等の父(私の祖父)は私が記憶する限り見事なつるっぱげで、 長女であるうちの母親が物心付いた時もすでにきれいなハゲ頭だったそうだ。 それで、2人の叔父達も当然「自分達は若いうちからハゲる。」と覚悟を決めていて 「どうせハゲるならきれいにハゲたい。もし後ろだけのカッパハゲになったら 潔く丸坊主にしよう。」と心に決めていたそうだ。 「バーコードもダメだよなあ。あれはみみっちくて、、。風が吹いたら悲惨だし。」 「カッパハゲになって、自分には見えないのにほかのやつらによく見えるハゲも悲しい。」 「やっぱりハゲたら丸坊主だ。これしかないよな。」 「ともかくおでこからきれいにハゲてほしいと思ってたんだ。カッパは嫌だってね。わはは」 でもだれもハゲていない。加齢によって若干薄くはなってきているが 白髪にはなっていても、人からハゲと思われる程ではないのだ。 「ほんと、これは三大不思議と言えるよなあ。おれたちがハゲないなんて。うひひ。」 その原因は不明だが、たぶんおばあちゃんのほうの血が濃かったのだろうという結論に達した。 その他にも新暦と旧暦の成り立ちだの(御盆の由来から) はたまた宇宙の生い立ち(太陽暦からビッグバンにいたり)まで話しは進み 時折、趣味でオヤジバンドを組んでいる下の叔父の歌も入るという なんだかわけのわからない宴会(←いつものこと)は盛り上がったのである。 10時半を回った頃、父親から「今、家に帰り着いたが、時間が遅いので今日はこれで失礼する。」と 電話が入ったのをきっかけに散会となった。 アルコールを嗜まない叔母達の車に分乗して実家に送り届けてもらう。 実家では父親が独りビールを片手に晩酌。 残り物を肴に出して、ちょっと話しをしていたら無性に眠くなってきた。 (天気の悪いロングドライブでちょっと疲れたかなあ。) 子供達ももうまぶたが下がってきている。それであわててふとんを敷いた。 みんながお風呂に順番に入る間、父親の後片付けをしようと待っていると 「パパは自分で後片付けできるから、あなたはもう寝ていいわよ。ママも寝るから。」と母。 片付け物もほんのわずかなので言葉に甘えて就寝。ぐっすり。 *****14日***** 翌朝、夢うつつにガサゴソ音がしていたがハッキリ目が覚めて時計を見たら8時を回っている。 ありゃー、寝過ごしたか。目覚まし借りときゃよかったなあ。 兄もう出社したあとだった。ひとりで朝食を用意し、食べて出て行ったのである。 可哀想なことしたなあと思っていたら母が「大丈夫よ。おにいちゃんは慣れてるから。」 聞くと、しょっちゅう兄のほうがお嫁さんより先に起きて、 自分で食事をし、出かける頃にお嫁さんが起きてくるそう。 うひゃー、羽柴家ではありえないよなあ。絶対。 「でも、いいのよ、彼女も持病(不整脈)があるでしょ?あんまり無理できないの お兄ちゃん知ってるから自分でできる事はみんなやってるの。 お夕飯の後片付けもいるときはお兄ちゃんがやってるのよ。」 まあ、いいよね。お互いがそれで納得してるってんだから。それが実家スタイル。 私は嫁に行った身だから余計な口ははさまない。自分の健康に感謝。 みんなが起きだして来る前にシャワーを浴び、お風呂場の掃除。 その後はリビングダイニングの掃除。(ハタキと掃除機かけ) 羽柴のうちよりはずっと狭いのであっという間に終わる。 朝食(ブランチ)のあと、お天気が良ければ子供達は八景島シーパラダイス(シーパラ)に 置いてくる予定だったけど、豪雨のため中止。 父親が文房具屋にお使いに行くというので運転手になることに。(なんせ豪雨) ついでに買い物をしてあげるというと母が食品をリストアップ。 で、近くのダイエーに行く事にしたが、子供達はパソコンゲームに夢中。 結局、父と2人で出かけた。 早夕飯して6時には実家を出るつもりだったので、夕飯の食材と、 兄嫁が帰ってくる(日曜)までの父でも簡単にできるメニューの材料を購入。 私が台所で夕飯の支度をしている間に父が長男を残そうと説得していた。 父 「この雨じゃ、原付きで帰れないよな。天気が良くなるまで、Y男(長男)だけでも 泊まっていって、後から帰れば?」 長男「いやあ、明日友達と会う約束あるんだよね。でも原付きはないと困るし、、、。」 父 「じゃあ、ここに原付きは置いていって、また後日取りに来るってのはどうだい?」 長男「さすがにこの雨で乗って帰るのはきついけど、、、それにまた何時間も帰る気力もないしなあ。 ホント無謀だったよ。オレ。原付き、運送してもらえないかなあ。」 (タウンページで運送屋を探すが、どこも御盆休みで配送は週明けになると言う。) 父 「やっぱりここに置いていきなさい。また取りにくればいいよ。(←すっごくうれしそう)」 しぶしぶ長男も承諾。あの土砂降りの雨ではあきらめるしかないでしょう。 それに行きに散々迷ったので、帰り道もよくわからないらしい。わはは。 5時過ぎに早い夕飯を取り、後片付けもすまし、いよいよ帰る時間。 この時がいつもイヤなんだ。父も母も寂しそう。でもしょうがない。 松戸でも義母がひとりで待っている。(隣に義姉はいるけどね) 母も「体に負担がかかるからいい」と言うのにわざわざ土砂降りの中 父と表まで見送りに出てきた。 後ろ髪を引かれつつ、実家を後にする。6時出発。 帰りも行きと同じ道を通ったが、雨風が激しいので高速ではスピードを落として 車を走らせる。(途中追突事故現場の横を通り過ぎたからだ) ゆっくり走ったおかげで本来は1時間半のところを2時間かかって自宅に到着。 無事に着いてよかったが、夜の豪雨の高速走行はさすがにちょっと疲れた。 義母へ実家近況報告と(帰省させてくれた)お礼を言う。 義母は機嫌が良かったのでホッとした。マメに連絡を入れていたからだろう。 金太郎の世話をしたあと、シャワーを浴びて自室へあがったらまた眠くなった。 掲示板のチェックをするも睡魔には勝てず、ダウン。 こうして1泊2日の帰省は無事に終了したのだ。ヤレヤレ。 |
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2003年8月15日
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ここ2〜3日バタバタ忙しかったのでちょっと古いが一昨日の事。 夕飯のしたくをして旦那さんの帰りを待っていた。 彼は自宅で夕食を取る時は「帰るコール」をしてくれる。 その時も「これから帰る。」と電話があったので 30分後到着を見越して干物を焼きはじめた。 ところが1時間たっても帰ってこない。道路が混んでいるにしても遅すぎる。 焼き上がった干物もすっかり冷めてしまった。 もう遅くなるので先に食事を始めようとした時電話が鳴った。旦那さんから。 「遅いじゃない。どうしたの?道路混んでるの?」 「う〜ん。ちょっとね、寄り道しちゃったからさ。 それよりもう少しで5ヶ月の男の子連れて帰るから名前考えといて。 じゃね!ブツッ、ツーツーツー、、、、、。」 「え?何?5ヶ月?名前?もしもーし!もしもーーーしっ!!」 それから30分後。 旦那さんに抱えられてやってきたのは、なんと「フレンチブルドッグ」。 近所のペットショップで買ってきたという。旦那さん曰く 「目が合っちゃったんだよ。もうどうしようもないんだ。」とのこと。 いわゆるテレビCMの「どうする?アイフル!」のチワワ状態になったらしい。 以前からフレンチブルドッグを欲しがっていたのは知っているが 私が犬を飼うことに頑強に反対していたので、 お伺いを立てても無駄だと強硬手段に出たのだ。 「んもうっ!うちにはネコが2匹もいるし、みんな面倒見るの最初だけで 結局、私が、、、、、、、、(絶句)」←どうする?アイフル状態。 かあいいいい〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ! すっごく不細工なのに、可愛いすぎる! こんな変な顔に馴染みはないが、妙に可愛い!! 旦那さんとそのペットショップには2ヶ月前行ったことがあるが その時いたのがまだ売れずに残っていたらしい。 フレンチブルドックはもともと不細工だが、その子は特にウマ面で不細工なのだ。 それに5ヶ月とだいぶ大きくなっているので余計客からは敬遠されていたのだろう。 その子にうちの旦那さんが一目惚れ。 というわけで、その子犬は我が家の一員になった。 始めはおっかなびっくりうちの中を探検して歩いていたその子犬も すぐに馴染んで、今はこんな格好で過ごしている。(もちろんわたしが磨いた床の上。) その姿を見た旦那さんがポツリ。 「ヒデにそっくり。」 (ちなみに名前は「金太郎」と命名。) |
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2003年8月6日
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昨日に引き続き、床磨きの私。ともかく端から順に磨いている。 やっぱり天井に比べれば天国と地獄。 それに私には床拭き専用の装備があり、それもピッチを上げる要因だ。 それは「ひざあて」。バレーボールの選手が使う「ニープロテクター」だ。 これがあると、長時間の床拭きでも膝が痛まずどんどんこなせる。 今日はそれを装着し、5時間あまりの格闘の末ダイニングとキッチンが終わった。 これは全体の3分の1くらいだ。はぁ〜〜〜っ。 今日の義母は外出していた。いつもの日本橋をぷらぷらしてくるというやつ。 今朝の新聞で「老人の引きこもり」の記事を読んで思いたったらしい。 「この頃、あんまり出かけたいと思わないのよねえ。歳のせいかしら? このままだとボケちゃうから、老体にムチ打って出かけてくるわ。」 これはいいことである。 家にいても床磨きの手伝いをするわけではなく テレビを見ているか、私の働きぶりを眺めているだけだからだ。 そばでプレッシャーをかけられるよりはずっと開放感がある。 (それにいつも自分の部屋はきちんと掃除して行ってくれる。) 結婚当初はきれい好きの義母にあちこちの汚れを指摘され(←命令係) 仕事以外の時間はすべて家事と掃除に費やされた。 一日のうちで仕事と寝る時(午前0〜1時から5時半)以外、 椅子に座っていられるのは食事の時だけであった。 日曜日(まだ週休1日時代)、仕事が休みの日は朝から晩まで掃除。 掃除のきりがつかず、つい夕飯のしたくが遅れた時はきつく怒られた。 「のろのろしてるからよ。もっとキビキビ掃除して御飯もつくらなきゃ。 もういいわ!これから作ったら何時になるかわからないでしょう?店屋物をとるから!」 これに慣れるのに(うまく手抜きしながらこなせるようになるのに)3年かかった。 私が常勤から在宅勤務になった当時の義母は週のうち4日はお稽古ごとと 日本橋、銀ブラなどのお散歩で外出していた。 帰ってくるまでに掃除ノルマを果たしていないと、 「まだやってないの?!私がいないと思ってのんきにやってたんでしょう!」と 義母はすこぶる機嫌が悪くなるので、その間、文字どおり家の中を走り回って掃除していた。 (試しに万歩計をつけてみたら、家から一歩も外に出ないのに5000歩を回っていた) あの頃にくらべれば、今はずっとマシである。 義母も19年の間に歳を取り(序々に私の手抜きに慣らされ)諦めることを覚え、 子供達も(物理的に)手がかからなくなったし、最近は旦那さんの出張が多いので 夕飯も手抜きができる。そうして私はPCの前に座る時間が持てるのだ。わはは。 でも、、時折あの若かりし頃の義母が復活する。 今日もお出かけから帰ってきた義母がまだ床を磨いていた私を見て言った。 「あら、随分と頑張ったのねえ。きれいになったじゃない。 でも今度は磨いたところのツヤがなくなっちゃったから、これが終わったら この次はツヤ出しで磨くといいわねえ。納戸にあるでしょう?ツヤ出し。」 ひーん。また頭の中で言葉がグルグルふたたび。 「千里の道も一歩から。」「ちりも積もれば山となる。」 「なせばなる。なさねばならぬ、何事も。ならぬは人のなさぬなりけり。」 神様、私はいつまで鍛えられるんでしょうか、、、?。(涙) |
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2003年7月29日
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2日かけて一生懸命磨いたおかげで、天井は見違えるほど白くなった。 (全身ひどい筋肉痛ももれなく付いてきたが、、、。) なにはともあれ、ずっと気になっていた天井がきれいになったので 気分もすっきり爽やかな感じ。やり遂げたという達成感もひとしお、、 だったのだ、、、、。(過去形) やっと天井磨きが終わり、脚立を片付け自室の掃除もすませて あとは出張から帰ってくる旦那さんを迎えるべく夕飯のしたくに取りかかろうと 階下へ降りて行った時の事。 義母がリビングの入り口で這いつくばっている。 「ヒデさんが天井を磨いているって聞いて、私も前から気になっていた ここの床の汚れ、試しにタワシに洗剤つけて磨いてみたのよ。 そうしたら、ほら!見て御覧なさい!きれいになったでしょう〜〜〜?」と義母。 確かに黒ずんでいた床が50cm四方、きれいになっている。 義母「やっぱりきちんと掃除すればきれいになるのね〜〜〜〜〜。」 ヒデ「そうですねえ、、、いつもは水拭きだけですから、、(←私がやってる)。」 義母「こんなに落ちることがわかれば、この次はもっときれいになるわねえ。」 ヒデ「、、、、そうですねえ、、、、、。」 義母「今日はもういいわよ。夕飯のしたくがあるんでしょ? 明日やってくれれば。一度に全部は無理だから、一日半畳ずつでもやれば?」 ヒデ「、、、、、、、そ、、そうですね、、、。」 ひえ〜〜〜、、私がやるんかいな〜〜〜〜!!! 一日半畳ずつって、、、、、下のリビング&ダイニングキッチン(地続き)の床は 2階の天井の倍、いや(地続きの廊下を含めると)3倍近くはあるんだぞ〜〜〜〜〜!! これをひとりでやれってか?、、、、、、めまいがしてきた。 でもすでに義母が磨いたところとそうでないところが明らかにツートーンになっている。 それ以外にもスポット的に磨いてみたのだろう。2〜3箇所ぽっかりまだら。 このままではやっぱりみっともない。蘇る「天井磨き」の苦難。 今日は(筋肉痛を押して)一畳分だけ磨いた。銀行やらのお使いで30分しかできなかったのだ。 下を向いているぶん天井よりはハイピッチで磨けるが、総面積を考えるとやっぱりめまい。 磨いているあいだ、私の頭の中で言葉がぐるぐる回っていた。 「千里の道も一歩から。」「ちりも積もれば山となる。」 「なせばなる。なさねばならぬ、何事も。ならぬは人のなさぬなりけり。」 古人の言葉に励まされ、精進の日々は続く。(涙) |
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2003年7月28日
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旦那さんが出張の間にちょっと自室の天井を掃除しようと思いたった。 この間、子供が知らずにシェイクされたコーラを開けて 噴出したコーラを天井まで飛び散らせてしまったのだ。 その時すぐに(脚立にのって)ビニール壁紙天井の汚れたところを拭いたところ 「あれ、こんなに白かったのね〜〜〜〜。」と驚いた。 結婚して19年間、天井の水拭き掃除などしていなかったので 白かった天井はグレーになっていたのだ。(たばこのヤニもつき放題) コーラを拭いたところだけがポッカリと白くなってしまって とても気になっていたので、丁度旦那さんがいないのをいいことに 今日明日の2日間でふき掃除をしようと思い立ったのだ。 でもやってみるとこれが大変。 ちょっとでこぼこのある壁紙なので、雑巾で拭いただけでは窪みの汚れが落ちない。 それでタワシにホームクリーナーをつけてゴシゴシ擦ることに。 そのあと雑巾で水拭き。すべて脚立の上での作業。 自室は結婚する時に3つの子供部屋をぶちぬいて作った。 それなりの広さがある。朝からついさっき(午前1時半)まで ずっとやっていたのだがやっと3分の2までこぎついた。途中 「なんでこんなこと始めちゃったんだろう、、、。」 と後悔の連続。でもツートーンになってる天井を そのままにしとくわけにもいかない。 ずっと不安定な足場の上で上を向いて作業を続けていたので肩と首と腰に来た。 どこぞのだれかさんが大工見習いで天井の作業をやって 悲鳴をあげていたのを思い出した。まさにそれ。 普段やり慣れないことをやろうと、身の程知らずな暴挙に出た結果だ。 まだ3分の1残っている。明日、腕があがるだろうか? ひ〜〜ん。やらんときゃよかった〜〜〜〜!(涙) |
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2003年7月27日
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