平成16年8月3日(火)

中山恭子という人

内閣参与で北朝鮮拉致事件の担当官でもある中山恭子氏の講演会があり、たまたま時間がとれて講演に参加してきました。地元の法人会主催で幹事の方たちは一ヶ月前から予約して忙しい本人との約束を取り付けるのは大変だったろうと思います、ご苦労さんですと言いたいですね、
中山参与という人は東大を出て外務省の役人を経て大使になっていた人で、我々一般人とはかけ離れたキャリアの持ち主なのに物腰の柔らかさは天下一品、近頃ひんぱんにTVに出てくるので広く知られていると思いますので、皆さんも同感だと思いますが小柄で笑顔のかわいい素敵なおばさまという感じです。
講演の中で彼女が大使であった頃、ウズベキスタンに赴任をしていてそのころのエピソードを語ってました。ウズベキスタンの人々はとても日本びいきで生活や性格も似ているらしく、例えば家にはコタツがあって中に火を入れ布団を掛けて家族で4角に囲んで暖まったり、布団を敷いて寝るし布団は3つに折りにして押入れにしまうとか、靴は脱いで家に入る、箒も日本の箒と同じものがあるなど生活上の共通点や、とても奥ゆかしく遠慮気味に暮らしていて謙遜する態度なども日本的だそうで、聞いている私たちも親近感を覚えました。
日本のシベリア抑留者が戦後のウズベキスタン復興に強制労働という形で入ってきたそうですが、その抑留者たちが劇場を建て発電所を造りしたものがいまでも残存していてそれもしっかりした状態で使われているそうです、旧ソ連時代は劇場の壁に「この建物は日本人捕虜に造らせた建物」と看板が掛けられていたそうですが独立してからウズベク人の大統領が(ウズベキスタンとはウズベク人の国という意味だそうだ)掛け代えさせて「この建物は日本人が造ってくれた建物」となったそうで彼らの気持ちの表れだろうといってました、日本人の造った建物は何十年建ったいまでもしっかりしていて、発電所などいまでもちゃんと動いているそうです、そんな実績から日本人に対する彼らの気持ちは仕事がちゃんと出来る日本人、捕虜であっても仕事はきちんとやって残業までして竣工させた日本人という半ば敬虔の念をもって見ているそうです。
当然そんなシベリア抑留捕虜の中には命を落とした人もいるわけで、遠い異国の土に眠る肉親を掘り起こして帰国させたいと最近になってある日本の人が訪ねてきたとき、日本人墓地が地元のウズベク人らの手で手厚く管理されていることを知り満足してそのまま帰った人もいると聞きました。なんと墓守までしてくれていて、毎朝日本の箒と同じ箒ではき清め掃除してくれているときき、なんだか私たちが忘れてきた何かを見せられているようで胸が熱くなって帰ってきました。
中山さんの話は拉致問題が主でこのウズベキスタンの話は付けたし程度だったのだけれどもとても良い話を聞いてなんだか得をしたような感じでした。


平成16年3月23日

自然フォーラム

最近ふと縁があって加藤登紀子のコンサートに行く機会があった そろそろ還暦に近い彼女は、旦那に死に別れてから千葉県民 になったという。旦那が半別居的に鴨川に買って自然農園を営んでいた山林を 受け継いで自然フォーラムとしてやっている、それまでは旦那のやることと 芸能人として活動する世界があまりにかけ離れていて接点が見つからなかったのだろう 、今は彼女の旦那の方に軍配を揚げたいが先見の明というか 時代を先取りしすぎたというか、先を見すぎて夭折してしまったのか知らないけれども 加藤登紀子本人は別居結婚と言っていた。
それが人生は分からないもので最近の自然ブームにも乗って 歌手加藤登紀子のイメ−ジ作りにも一役2役かっている。この3月27、28日両日は近くの長生高校の校庭を借り切って 人力だけで作った電気を蓄電池に貯めて、翌日それを使ってコンサートをやる、RAKKAも行きたいと思っているが 折からの年度末の繁忙期、うまく時間が作れるか。
それにしてもコンサートが終わってからあと、その雰囲気に暫くは 浸っていたい気分だった、コンサートの終わりに観客大勢で知床旅情を立ち上がって歌ったとき、最初はRAKKAも ちょっと抵抗があったが、気持ちよかったなあ、一堂に大勢の人を前にしてありのままの自分を精一杯表現して 感動を与える仕事、世の中にこんな仕事もあったのかと思った一日だった。


平成16年2月9日

TITLE;最近思うこと

近頃私は幸せと思う。どうして幸せなのか自分で考えても良くわからない。良いことが重なったわけでもない、願い続けていた事が叶った訳でもない、ただ何となくなのかも。ただおめでたいのかも。こんなのが幸せなのかなと自己満足している。

私がファンの元日本テレビのアナウンサーで今はフリーの永井美奈子と言う人がいる。今彼女は結婚して出産、育児と人生のまっただ中にいる、テレビやラジオでしばらく声を聞かないなあと思っていたら、やはり何かをやっていた、子育て中に慶應義塾の修士課程に通っていた、恐ろしいバイタリティー、感動した。

人の幸せは頭の中にある、大金を持っていようが地位や名誉を得ようが人は不幸を感じる、同様に貧乏だろうが幸せはやってくる。

要は考え方、じぶんで決めればそれできまってしまうごく単純な事柄、彼女永井に子育て論を聞いたとしたらおそらくこんな答え「学生、人妻、母、アナウンサー、この中で最も大切なのは人の生命に関われる仕事、つまり子育て」・・・

取り方によっては所帯じみた、平凡な、こぢんまりしと受け取れるが、私はなんと純粋な答えをと賞賛した、このごろこの国の世相は正反対の方向へと思う、今一度純粋に思い起こせば・・・

答えはいとも簡単に導き出せる、彼女は目立たない内向的なおとなしい子だったそうだ、いじめも経験した、そこで転校する、それを機会に自分改革を決心する・・・

新天地で最初から明るく振る舞い積極的に何でも首を突っ込む、とにかく笑うと決めたそうだ、私は過去何度かTVで彼女の笑顔を見た、いい顔をしていた、美しい笑顔ではないが好感が持てた、本当に楽しいと顔をくしゃくしゃにする、そんな笑顔の彼女が好きだ。



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