ホームページ開設口上 〜建築少女って何ですかそれ?〜
「真理が女だと仮定してみたら、どういうことになるだろうか?」(F.
W. Nietzsche)
建築というか空間表象の見方全体を、少しおもしろくして見たいと常々思っている。周知のごとく、我が国における建築を巡る言説、いわゆる建築ジャーナリズムや建築批評のつまらなさ、レヴェルの低さは目を覆わんばかりの状態である。
が、これもある意味しかたないのかもしれない。海外の優秀な論客の文章を紹介する場があまりに少なすぎるし(その観点からは、『10+1』、『批評空間』、『ICC』各誌の試みにはおおいに期待したい)、そもそも批評原論とか、その基ととなる美学・哲学書のたぐいが、およそまともな日本語で読めたためしがないのだ。
こうなると、ことは建築界だけの問題ではなくて、本邦における翻訳文化そのもののありかたを問うてみる必要がありそうだ。本当なら痙攣的に面白いはずのフーコーも、タフーリも、ロウも、読んでる途中で脳味噌が骨折しそうな日本語になってしまった。
これは過激な表現を許していただければ、「文化的犯罪」以外の何ものでもないだろう。辞書を片手に原著に直接あたった方が、はるかに脳のエネルギー消費量が少ないのではないか、そんな思いに駆られたことは一度ならずだ。だが、「とても原著にあたる時間がない」という日本人の余裕のなさ、もっと言ってしまえば"ものぐさ精神"が、「誤訳だらけでも日本語で読めるだけマシ」という意味不明のロジックを生み出し、口当たりの良いタームをそこかしこにちりばめた劣悪文章が本邦建築ジャーナリズムに氾濫する原因ともなっていることは確かだ。
近年、邦訳哲学書のあまりの難解さ、日常的日本語からの乖離に異を唱えた長谷川宏氏が、平易な言葉によるヘーゲルやフッサールの改訳を世に問うてひとしきり話題をさらったが、本来ならこうした動きはもっと早く出てきてもよかったぐらいだ。我が国の建築批評が世界的なレヴェルに追いつくためには、まずこうした基本的なところから環境を整えてゆくべきだろう。
インフラを整備すれば、おのずと良い批評が生まれるようになり、読み手のレヴェルもそれにつられて上がって行く。その意味では、抜群のリーディング力を武器とする表象文化系の人たちによる建築ジャーナリズムへの参入は大いに歓迎すべきであり、また建築の側からもどんどんアクションを起こして、閉塞した本邦建築界の現状を打破してゆくべきと考える。
いささか大仰かもしれないが、そうしたアクションのひとつとして、我々『建築少女研究会』の活動を理解していただきたい。『HP開設口上』などと謳っておきながら何やら苦言めいたことをつらつらと並べたててしまったが、これも建築を愛する日本の一建築業界人の戯れ言として、軽く受け流してければ幸甚である。
さて、建築少女である。問題は要するに、建築少女とはいったい何か、この一点につきよう。
先に本邦の建築ジャーナリズムに関して一言述べさせていただいたが、だからといってそれに代わるオルタナティヴを建築少女なるものによって体現させようという意図は、われわれには毛頭ないことを先におことわりておく。
繰り返しになるが、われわれの目標はあくまで、「建築の見方をおもしろくすること」にあるのだ。まあ本題に戻るとして、まず建築少女という言葉からは、すぐさまいくつかの連想を導き出すことができよう。いわゆるアンソロポモルフィックな建築の見方、すなわち建築を人体の問題とからめて考えていこうとする問題系がその第一のものだ。
さらに、少女という言葉から、フェミニズム論、ジェンダー論、ファッション・モード論なども当然視野に入ってくるだろう。我々はそのいずれも否定するつもりはない。実際、これらのテーマについては別項を構えて詳細に論じる予定だ。
だがここで強調しておきたいのは、当サークルが考えている"建築少女"とは、「建築"と"少女」という二項対立的シェーマにすんなりと包摂される類のものではないということだ。そうではなくて、「建築"が"少女でありうる」という、そんな一つのあり方を提示してゆきたいと思っている。
では、「建築が少女である」とはどういうことか? 何故「少女」なのか? 「少年」ではダメなのか? 必然的にわき上がってくるこれらの問いに関しては、"無責任"とのそしりを受けるかもしれないが、とりあえずは本ホームページのコンテンツを熟読玩味した上で皆さん自身に考えていただくしかない、とひとまずは言っておこう。
一つだけヒントめいたものを提供しておくとすれば、それは我々一同がこころの底から美しい建築たちを愛し、そして愛するがゆえに、今こうしている間にも世界のどこかで脆くも崩れ去っている建築に"少女の可憐な美"を見いだしている、という点だ。
少女の美は、いかなる方法を用いても、地上的存在たる我々には永続させることができない。だからこそ、古来ひとは愛らしい少女の姿に可憐さを認めると同時に、"そこはかとない"もの悲しさをも感じてきたのだろう。
我々のこうした考えは、一見すると「建築保存論」にもつながる射程を持っているかにみえるが、人工的処理によって表面を取り繕われ、コンテクストを剥ぎ落とされまでして生きながらえた建築には、もはや少女の美は宿り得ないのではないだろうか?
そんな、いかんともしがたいジレンマを抱えて、だがいたずらにペシミスティックな思考に埋没することなく、我々が気がつくと手にしていたもの、それが「建築少女」の世界であると、ごく大雑把ではあるが定義しておこう。
ここで当ホームページの各コンテンツについて概説しておくと、まずページ冒頭の『建築少女宣言1999/2000』であるが、これに関しては当サークル内でも意見の一致を見ていない。何度読み返しても、建築少女とは何かがサッパリわからないから、さし当たってはほうっておいてもいいだろう。続く『CGコーナー』では、当サークル気鋭のCG班が描いた建築少女の姿を実際に見ることができるだろう。まずこのビジュアルから入って、建築少女考を進めるのがいいかもしれない。もちろん、建築少女とは関係なく、純粋にCG
Worksとして堪能することも可能なクオリティは、最低限確保しているつもりだ。『小説コーナー』では、CGで登場した彼女たちの物語が語られるだろう。なんでも、舞台は千葉県のパルマノヴァ市で、建築少女たちは市立バウハウス女子学園に通い、同市には彼女たちを守護するパルマノヴァ防衛軍なるものが駐屯しているという。合体変形SRCロボが、主戦力だそうだ。聞いてるだけで気が滅入りそうな設定だが、まあ、鼻息の荒い小説班の活躍に期待することにしよう。次いで今この文章を書いている私ことグラディヴァが属する研究班による、建築少女論のための『論文コーナー』が設けられている。先に述べた「建築=人体論」などはここで論じられる予定だ。多少堅い話になると思うので、アカデミックな議論に興味のない方は、このコーナーは飛ばしていただいていいだろう。各コーナーがそれぞれの仕方で、建築少女とは何か?という問いに答えをだすべく、現在この瞬間も、鋭意取り組んでいることを付け加えておこう。
最後に、皆様へのごあいさつの意味も込めて当サークルについて簡単に紹介させていただき、結びとしたい。サークル『建築少女研究会』は、『永久機関研究会』という大きなサークルに属する下位サークル群の一つで、1998年の夏に「永久機関研究会学術講演大会1998-夏」において設立認可をうけて活動を開始した非営利団体である。
当サークルの他にも、『性回転研究会(旧さかさおじさん研究会)』、『UMA(遊魔)狩人隊』、『幸運量保存則推進委員会(ラック研)』、『普遍言語開発会議(バベル研)』の四つの団体が、永久機関系下位サークル群の一員として活動している。
建築少女研究会の主な活動内容は、年4回開催される「永久機関研究会学術講演大会」への参加&研究発表、ホームページやコミックマーケットにおけるCG・評論集の発表、コンペや建築プロジェクトへの取り組みなどがある。
永久機関研究会やその他の下位サークル群の活動についても、追って皆さんに報告してゆくこととしたい。
本ホームページを通じて建築の世界を少しでもおもしろくし、建築畑の人はもちろん、専門外の人々にも建築の素晴らしさを、さらには少女の可憐さを伝えることができればと願って、メンバー一同日夜邁進している。暖かい目で見守ってただければ幸甚である。
May the Architectural Girl be with you!
〜建築と少女を愛する全ての人々に〜
2000年1月28日
建築少女研究会第二代代表: 花火のグラディヴァ