「 マリアへのレクイエム 」 戻る
まだ外は暗い。
しかし、朝が近いことを村上は寝室のカーテンを透して感じた。
そしてうつろな頭で、ついさっき見た夢を思い出そうとしていた。
「そうだ、あれは学校だった。中学校のような気がする。友達がいた。
誰だったのか思い出せない。だが、自分が何か悪い事をしてしまったようで、
気まずい雰囲気だった。そして、何か言おうとして目が覚めてしまった」
村上は、ぼんやりと天井を見ながら考えていたが、それ以上何も思い出せ
なかった。そして、こういう夢を見たことも忘れてしまうのである。
人の記憶や心の中は、宇宙の神秘にも増して不思議なものである。
忘れてしまったはずの記憶や経験が本人の知らない間に心の奥深く降り積もって、
本人が気がつかないまま運命の道を導くのである。
午前五時、寝室の電話が鳴った。
刑事である村上にとっては、よくある事とはいえ気分の良くない朝である。
「村上さん、事件です。すぐ来て下さい。あの有名な映画監督の稲森 薫が
殺されました」
警察署からの電話であった。
村上がホテルの駐車場に着いた時には、すでに北刑事や鑑識課員らが現場検証を
していた。
「村上さん、被害者は胸を銃で撃たれています。ホテルの従業員が午前四時頃、
銃声らしきものを聞いて、警備員と一緒にこの駐車場に来たそうです。そして、
車の中で血を流して死んでいる被害者を発見したとの事です」
北刑事は、興奮した様子で一気にまくしたてた。
「で、だれか、目撃者は?」
村上は、この凄惨な場面を目に焼き付けながら、北刑事に尋ねた。
北刑事は得意げな顔で、
「まだ見つかっていません。今、聞き込みに行ってもらっています。それに、
凶器の銃もまだ発見されていません」
「そうか。犯人に繋がる手掛かりは、どうだ?」
村上はそう言いながら、車の下に何かを見つけてかがみこんだ。
現場検証のためにつけられた灯光器に照らされてダイヤのような石が光っている。
村上は、それを白いハンカチに包んだ。
【被害者】稲森 薫(52歳) 映画監督
【死因】胸部に三十八口径の銃弾を受け、出血多量にて死亡
【死亡推定時刻】午前四時頃
【殺人現場】Pホテル地下駐車場 ベンツ(被害者所有)の運転席
現場の状況から強盗の仕業とは考えにくく、警察は怨恨と見て捜査を始めた。
殺人現場からは小さな石以外に何も手掛かりとなる物は見つけられず、
そしてその石はダイヤモンドではあるが、それほど高価ではないらしい。
ブローチ、またはイヤリング等にはめ込まれていた物らしい事がわかった。
被害者の稲森氏は事件のあった早朝、ホテルをチェックアウト。その後空港に
向かう予定であった。荷物を持ち、車に乗り込んだところで待ち伏せていた犯人に
狙われたようである。それも、稲森氏が警戒心を抱かない相手か、顔見知りの
犯行である。なぜなら彼は運転席に乗り込み、車の窓を開けている。犯人と何か
会話を交している可能性がある。そして、至近距離から銃撃された。
警察は稲森氏のその日の予定を知る者、恨みを抱いている者をリストアップした。
村上刑事と北刑事は、稲森氏の友人関係、映画のスタッフに聞き込みを始めた。
それによると、映画監督としての才能はすぐれているが、金銭感覚がなく、
女性関係もルーズであったらしい。それに以前、他人の弱みなどにつけ込んで、
金を脅し取ったというトラブルもあったようだ。
村上 辰彦、45歳。
刑事になって二十年になる。それ以前はライフル射撃の腕を認められて、
狙撃班にいた。しかし、何度も出動したことはあるが人を撃ったことはない。
十年前に妻と離婚。現在、アパートで一人暮しである。
北 賢太郎、28歳。
刑事としては新人ではある。
正義感が強く、いろんな事に興味を持っている。剣道三段。独身。
映画監督殺人事件の捜査のため、村上と北刑事は沢木 理絵に会いにいった。
彼女は今、最も注目されている新人女優である。この春、上映されて
大ヒットした『ミステリー・イン・ダーク』でヒロインを演じていた。
村上は沢木 理絵のマンションのチャイムを鳴らした。
「私たちは警察の者ですが、この前殺された稲森さんについて少しお聞き
したいんですが・・・」
北刑事が弾んだ声で言った。
「はい、こちらへお入りください」
理絵は村上達を居間に通した。
二十二歳にしては落ち着いた、はっきりとした言い方である。
部屋の中はモノトーンに統一され、すわり心地の良いソファーが置かれていた。
本棚にはベストセラーの推理小説や、エッセイ集、詩集などが並べられていた。
村上は、その中に一冊だけ古びた詩集があるのに気がついた。
「稲森監督があんな事になったなんて、とても驚きました」
理絵の言葉に、村上はハッと振り向いた。
「さっそくですが沢木さん。あなたは事件のあった日の午前四時ごろ、どちらに
おられましたか?」
北刑事はいつも厳しい声で言っている同じセリフを、優しい声で言った。
「その時間、寝室で眠っていました。もちろん一人で。だから、アリバイはない
って事ですね、刑事さん」
理絵はいたずらっぽく言った。
「ところで、あの日の早朝、稲森監督がPホテルをチェックアウトするって
ご存じでしたか?」
と村上が尋ねると、
「そのことは、事件の起こる日の前日に開かれたパーティーで監督から
聞きました。その場にいたスタッフの人達も聞いていると思います」
理絵の声は映画のセリフのように、村上の耳に響いた。
「稲森監督を恨んでいた人物に心当たりありませんか?」
「いいえ・・よく知りませんが、監督は自己中心的なところがあったので
あまり他人に好かれてはいないようでした」
理絵は村上の目を見てハッキリと答えた。
「どうも有難うございました」
村上と北刑事は、理絵に礼を告げてマンションを出た。
「すごくいい女性ですね。彼女は絶対に容疑者じゃないですよね」
北刑事は村上に言った。
「そうだなぁ。嘘を言ってるようには見えなかった。『ランボオ』・・・何か
心にひっかかるなぁ・・・」
村上は独り言のようにつぶやいた。
「何ですか。『ランボー』がどうかしましたか。シルベスター・スタローンでしょ」
北刑事が言った。
「いや、いいんだ」
村上は以前にした経験に再び出会ったような気がしていた。
警察署に帰った二人に大きなニュースが待っていた。それは、殺された稲森監督の
体から摘出された銃弾である。鑑識で調べた結果、その弾は金と銀の合金で出来て
いて、形も非常に珍しい物であった。そして、その特殊な弾をアメリカ合衆国に
調査を依頼したところ、返事がすぐに来た。
『スミス社製 リボルバー(回転式) 三十八口径 六連発
会社創立百周年アニバーサリーモデル AT38S』
拳銃のにぎり部分に象の彫刻を飾りとしている。
その象の目の部分には美しく輝くダイヤモンドがはめ込まれている。
弾はゴールド、シルバー合金製、五発をセットしてシカ皮のケースに入れられて
ある。全世界で百セット限定販売。
このアニバーサリーモデルが売り出されたのは三十年も以前のことである。
ちなみに、日本ではこの銃は販売されていない。
それがこの殺人に使われたのである。
「村上さん、これが例の事件で使われたのと同じです」
そう言いながら、北刑事は拳銃の写真を村上に手渡した。
村上は、その写真をジッと見つめた。
(見た事がある。確かに、これと同じ拳銃を見た)
村上は、時間の塵に埋もれたある人を、過去の中で探していた。
そこは、石油コンビナートのある港町であった。
時々外国船が入って来るのでその小さな町は、特異な雰囲気を持っていた。
村上が15才の時である。
町はずれに漁港があり、そして、桐葉マリアの家があった。
家というよりは、「隠れ家」と言った感じである。元々漁船の倉庫であったらしい。
暗い階段を上がるとかなり広い部屋になっていて、壁際には生活に必要な物が
並べられていた。
村上とマリアは同級生だったので、一度だけ家に行ったことがあった。
マリアは母親と二人暮しだと聞いたことがある。それに、近所の噂では
マリアの父親は外国人らしい。確かに、マリアの顔だちは少し日本人ばなれ
していた。美しい瞳はどこかミステリアスなものが感じられた。
「今日は母さんが用があって出かけているの。村上君、こっちへ入って」
「ああ・・・」
村上は戸惑いながら部屋に入った。
いつも見慣れているセーラー服が壁のハンガーに架かっている。本棚がある。
いろんなジャンルの本がある。童話、ミステリー、詩集。
「村上君、面白い物があるんだけど、見る?」突然、マリアが言ったので
村上は戸惑いながらも興味を示した。
「これ・・・父からのプレゼントなの。変な物くれる人でしょう。」
マリアは菓子箱くらいの皮製のケースを村上の前に置いた。
そして、ゆっくりと丁寧に、それを開いた。
「ピ、ピストルじゃないか!!」初めて見るその物が、破壊力と威圧感と
芸術性の塊となって村上の目に飛び込んできた。
あれから、どれくらいの時が過ぎただろうか。
桐葉マリアはどうしているだろうか。
あの拳銃が、今度の事件に関わっているんだろうか。
沢木理絵とマリアの関係は?
つづく
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