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中村哲(Nakamura Akira)

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Essay

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1912年(明治45年)2月〜2003年8月。
東京に生まれた。父は技術畑の陸軍士官で砲兵工廠等を歴任。祖父は岡山(池田)藩の祐筆。祖父母は脱俗の文人画家、浦上玉堂の娘。父の勤務地の関係で小学校は5校を転校、東京府立三中に入学するが、一年後自由教育の成城学園に転じた。昭和6年、東京帝大法学部政治学科に入学、東大法学部田中奨学金懸賞論文に「ファシズムの政治理論」で入選、これによって南原繁に知られ、政治学専攻の助手として残る。その後、台北帝大憲法講座助教授として赴任。戦後丸山眞男らと「青年文化会議」や「三島庶民大学」などに関与、「戦後民主主義」の運動の旗手として活躍した。法政大学には1946年(昭和21年)予科講師、同年6月から法学部教授、そして「大学紛争」が激化した1968年5月から総長に就任。1972年、法政大学沖縄文化研究所を設置、初代所長。1983年6月、新学部設置申請をめぐる理事会内の対立に嫌気がさして総長を辞任、折りからの参議院比例代表選挙実施にあたっての社会党からの要請に応じ、参議院議員に転出し一期勤める。

 画歴

小学校3年、自由画運動の影響下に油絵を始む、父祖玉堂のブロンズ「文星」を父よりもらう。中学、高校(成城学園)の美術の授業は正宗得三郎先生に習う。1970年8月31日〜9月6日、浦上玉堂百周年忌に文芸春秋画廊にて油絵、水彩、日本画個展。1971年1月30日〜2月5日、芝野信一郎氏の企画により静岡の松坂屋百貨店にて日本画個展。1975年、中村正義、井上長三郎氏らと反官展の在野連合展として東京展を都美術館に実現、その初代議長。1976年、野口弥太郎先生を失う。戦後、パリ・長崎等各地のスケッチ旅行に随行す。1979年、日中友好修復記念として、日本テレビ社企画する杭州西冷印社の呉昌碩像(西常雄氏作)の撰文を綴る。1982年10月11日〜16日、法政大学主催、沖縄国際シンポジウムの一環として銀座・十字屋ギャラリーにて中村哲展(沖縄を中心に)を開催。1992年3月2日〜19日、始弘画廊(青山)にて油絵展、同4月ギャラリー下北沢にて水彩画展。2002年3月ギャラリー下北沢にて卆寿展を開催。



 著書

「植民地統治法の基本問題」
「国法学の史的研究」
「日本国憲法の構造」
「政治史(日本現代史大系)」
「知的階級の政治的立場」
「新憲法ノート」
「新柳田国男の思想」
「わが学芸の先人たち」
「宇宙神話と君主権力の起源」

Housei

Aera

新聞掲載記事 (2004)

9/13(土) 読売新聞夕刊に展覧会&絵についての記事が掲載

9/22(月) 朝日新聞夕刊に掲載

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