写彦(Shagen)秘蔵の写真集

 

 


写彦(Shagen)のプロフィール

  • 本名

    阿部捨彦(アベステヒコ)

  • 名前の由来

    捨彦は父立三が前厄の年の子である。昔の風習として厄年に産まれた子は親の厄をひきずらないようにするために、一度捨て子にして、あらかじめ示しあわせていた親戚の誰に拾ってもらい、改めて養子縁組し、その名前に "捨" という文字を含める、というような事が行われていたそうである。形式上捨て子とする儀式はいろいろな地方で行われている様だが、名前に "捨" という文字を含めるところまで行われるのは極めて稀であると思われる。

    この前年、兄新兵が生まれたが、2ヶ月足らずで亡くなってしまった。立三は捨彦にも同じような不幸が起きる事の無いようにするために、念には念を入れて厄払いをしたかったのだろう。あえて名前に "捨" を使ったのはそのような理由があったものと思われる。

    本人は、この名前で苦労したと想像されるが、家族にはこれは良い名前なんだと常々言っていた。自分に言い聞かせる意味もあったのだろう。

  • 生年月日

    大正9年11月14日

  • 趣味

    写真撮影

  • 家族構成


略歴

年月日

年齢

出来事

大正9年11月14日 0歳 青森県青森市大字大野長嶋県庁官舎で出生
大正11年11月10日 1歳 弟正彦、豊多摩郡大久保で出生
大正13年11月11日 3歳 弟瑞三、東磐井郡千厩町字町12番地で出生
昭和2年10月10日 6歳 弟昭八朗、岩手県盛岡市内加賀野小路12番戸で出生
昭和2年11月25日 7歳 弟昭八朗、午後11時30分盛岡市志家第6地割字内加賀野小路12番地で死亡
昭和6年9月29日 10歳 祖母りう、午後四時3分盛岡市東中野第3地割時万日55番地で死亡
    昭和大恐慌の頃、父立三は盛岡銀行の材木町支店の支店長であった。当時住居と店舗は棟続きの建物であり、学校から帰ると良く店舗の待合所の中で遊んだことを覚えている。大恐慌のために、取りつけ騒ぎが起きて、預金をおろしに来た人達でごった返したり、刃物を振り回したりした人もいた。盛岡銀行の本店の方からは預金の引きだしには応じるな、という指示があったが、父は正義感が強かったので、小さな子どもを抱えて困っている奥さん等に対しては預金の引き出しに応じていたようだ。結局、盛岡銀行は破産してしまった。当時の建物は、現在の光源社の店舗がそうでは無いか思われるが、当時の面影はほとんどなくなっている。また、場所も現在の光源社の場所ではなく、もっと北側の橋のわきにあった物をいつの頃か、建物全体を現在の場所に移動させたそうである。
昭和8年5月25日 12歳 姉光子、福島県東白川郡高域村大字飯野80番地戸主菊池友輔の弟恒と結婚
昭和14年3月 18歳 私立杉並中学校(現在の中央大学附属高等学校)卒業
昭和14年4月 18歳 東京物理学校(現在の東京理科大)入学
昭和15年6月 19歳 病気療養のため同校中退。
    南部伯爵の茅ヶ崎の別荘で病気の療養をしていたという話を聞いたことがある。
昭和16年4月 20歳 淀橋区役所入所
昭和20年2月22日 24際 母タキ、午後10時30分死亡(孝届け出)
昭和20年8月15日 24際 終戦
昭和20年10月 24歳 淀橋区役所退職
    終戦後、進駐軍で働いていたらしいが、何をしていたのかは不明。
昭和21年5月 25歳 東京アサヒミシン製造株式会社入社庶務課勤務
昭和21年11月1日 25際 兄孝、午後4時15分死亡(瑞三届出)
昭和25年8月 29歳 倒産のため東京朝日ミシン株式会社を退職。
昭和26年2月 30歳 同社にいた村松さんの紹介で村松さんの娘が勤めていた法政大学に転職
法政大学通信教育事務局補導課勤務
昭和26年4月9日 30歳 弟瑞三、結婚
昭和28年3月18日 32歳 今関典子と結婚、目黒の自由の知人の家の1室を間借りして住む。他にも同居人がおり、典子が全員の食事を作ったりしていた。父が新大久保の土地に家を建てろと言ったので、家を建て新大久保に住み始めた。その後、父立三と姉の三喜子も同居するようになった。
昭和28年5月16日 32歳 弟正彦、結婚
昭和30年6月10日 34歳 長女広子出生
昭和32年8月15日 36歳 長男雅人出生
昭和35年4月23日 39歳 父立三死亡
昭和36年4月 40歳 長女広子、小学校入学
昭和36年11月3日 40歳 次女直子出生
昭和38年4月 42歳 長男雅人、小学校入学
昭和39年4月 43歳 法政大学女子中高等学校会計課勤務
昭和41年4月 44歳 同校施設部管財課勤務
昭和42年4月 46歳 長女広子、中学校入学。次女直子、小学校入学
昭和43年4月 47歳 法政大学学生部厚生課学生寮勤務
昭和44年4月 48歳 長男雅人、中学校入学
昭和45年4月 49歳 長女広子、高校入学
昭和47年4月 51歳 法政大学通信教育部学務課勤務
長男雅人、高校入学
昭和48年4月 52歳 長女広子、就職。次女直子、中学校入学
昭和50年4月 54歳 長男雅人、大学入学
昭和51年4月 55歳 次女直子、専門学校入学
昭和53年4月 57歳 次女直子、就職
昭和55年4月 59歳 長男雅人、就職
昭和56年11月14日 60歳 定年退職
昭和57年3月2日 60歳 11時45分、隣家より出火し、新大久保の家が焼失。幸いにも当家には犠牲者は出なかったが出火元で1名死亡。
昭和60年5月 63歳 株式会社電力時事通信社に入社
昭和63年9月 66歳 同社都合により退職

 


自画像

昔の写真なので、写っている方がどなたなのかわからないものもあります。

見覚えのある方が写っていましたらこちらまで是非御連絡下さい。

昭和20年代前半

進駐軍で働いていた時期か、アサヒミシンで働いていた頃と思われる。

法政大学通信教育部の職員仲間と

昭和20年代前半

後列は福永さん

前列左から本人、?、?、福岡さん、林さん

法政大学通信教育部の職員仲間と

昭和20年代前半

左から?、?、本人、宇賀さん

昭和20年代前半

昭和20年代前半

左から?、本人

昭和20年代前半

左から?、?、?、?、本人

箱根の新婚旅行の時

昭和28年

箱根の新婚旅行の時

昭和28年

箱根の新婚旅行の時

昭和28年

昭和20年代末から30年代

昭和20年代末から30年代

昭和20年代末から30年代

法政大学通信教育部の職員仲間との旅行と思われる

一番左が本人

昭和20年代末から30年代

法政大学通信教育部の職員仲間との旅行と思われる

後列左から?、?、本人、?

前列左から?、?、?

昭和20年代末から30年代

法政大学通信教育部の職員仲間と

後列左から?、?、?、?、?

中列左から賀川さん、本人、林さん、?

最前列左から?、?

昭和20年代末から30年代

法政大学通信教育部の職員仲間と

昭和20年代末から30年代

後列左から本人、賀川さん

中列は高橋美代子さん

前列左から林さん、福永さん

   
     

火事の記録

焼失した我が家

焼け残った玄関


ホームページに戻る