人形・ドールハウス

 

 アーモンド・マルセル Armand Marseille 
 ドイツで最も大きなドール・メーカーの一つ。1865年に磁器工場として発足したらしいが、人形ではなく食器など作っていたようだ。
ビスクドール・ヘッドは1890年代から作り始めた。
 フランス勢に比べて人気の劣るドイツ人形、更には製造数が多いこともあってあまり高値を呼ぶメーカーではない。人形は主観で値段が大きく変わってしまうので言いづらいが、ごく大雑把に言って60cmクラスのほぼオリジナル状態でも普通8万〜12万、珍しいタイプでも20万円を超えることはあまりない。ただし
グーグリー・アイキャラクター・ドールは別。

 エス・エフ・ビー・ジェイ S.F.B.J.
 societe Francaise de fabrication de bebes & jouets (フランス玩具人形製作協会)の略。国が保護していたドイツのビスク・ドール産業に太刀打ち出来なくなったフランスでは、1899年に主要メーカーが統合してS.F.B.J.を設立した。
 メーカーの中には
ジュモウブリュも含まれる。一部では古いジュモウの鋳型をそのまま使っていたので、ジュモウ・ヘッド・タイプのS.F.B.J.もある。また、確認できていないがジュモウのマークを入れた製品も継続生産していたということも聞いている(ブリュは完全に途絶えている)。
ついでに言えば、初期S.F.B.J.では一部のビスク・ヘッドをドイツ(シモン・ハルビックと思われる)に注文していた。DEP(登録済の意味)の刻印のあるそのヘッドがたまにジュモウ・マークのあるボディについているのだが、数多く見られるので後世の継接ぎというよりS.F.B.J.時代のジュモウ工場で古い在庫ボディに付けられていたのではないかと思われる。
粗製濫造みたいに言われるS.F.B.J.だが
キャラクター・ドールの品質は高い。

 
オートマタ automata
 自動人形。水や空気を使って人形を動かした例は紀元前から存在していたようだ。
 広義にはそれらもオートマタの範疇にはいるが、一般的には16世紀、時計技術が進歩していたニュールンベルクで最初に開発された機械仕掛け人形のようなタイプを呼んでいる。
 半ば趣味で作られていたオートマタに市販品が登場して本格的になるのは18世紀から。ただし消耗が激しく現存する最古の品でも200年程前の物。普通に市場で見られるのは19世紀末以降が殆どだ。マジックをする人形や鳥かごの中でさえずる小鳥など見ているだけでも楽しい。アンティークのは気軽にネジも巻けないが、戦後生産の鳥かご複製品なら4、5万円から見つかる。現代中国製もあるが、これは音も動きも格段に悪い。

 キッド・ボディ kid body
 子ヤギの皮を使った人形のボディ。19世紀から20世紀初めまでの
ワックス・ドール、チャイナ・ドールビスク・ドールなどに使われていた。木に張ったり、あるいは中に詰め物をする。
 関節はブラブラさせるのがやっとでコンポジションを使ったソケット、ボール式ジョイントのように自在にはならない。それでも
コンポジション・ボディが普及してからも細々とは作られていたというから当時も愛好家はいたのだろう。今ではコレクター垂涎、特にブリュのキッド・ボディなどは憧れの的になっている。

キャビネット・ハウスcabinet house
 オランダで17世紀に作られたドールハウス。外見は普通のキャビネット(小物ディスプレィ用家具)なのだが、扉を開くとドールハウスの世界が広がる。
 キャビネットは最高の木工技術を駆使し、中のミニチュア調度品も職人が丹精込めたこのドールハウスは当時でも恐ろしく高価だった。
 ロシアのピョートル大帝がオランダに滞在したとき、このキャビネット・ハウスに関心をもって注文したところ、法外な請求書に驚いてキャンセルしたとの逸話が残されている。
 この話、日本の小説でも紹介されたほどに有名なのだが、実は19世紀に流布された作り話らしい。あるいは誰か別人と混同したのだろうか。
 それはともかく高額だったのは確かで、一つの例を挙げれば約2万フローリンしたとある。17世紀の長崎の記録では小判1枚が23フローリンに相当したから2万フローリンで869枚。当時流通していた元文小判金は純度65度で重さ13グラム。869枚なら金だけで7343グラム。今の金相場でも1千万円を越えるが、含まれる銀や当時の金の価値を考慮すれば少なくともその数倍にはなるだろう。ピョートルならずとも尻込みするのも無理はない。もちろん現在市場に出ることがあればその数十倍、天井知らずの価格になるのは間違いないが。
 なお、キャビネットは本来ガラス窓の扉で、中の見えない木製扉はカボードなのだが、カボードでは民芸品的匂いが抜けないので高級品は木製扉でもキャビネットと呼ばれることが多い。

 
キャラクター・ドール character doll
 可愛らしいだけの人形に飽き足らなくなって、19世紀末になると表情をリアルに捉えた人形が作られるようになった。20世紀に入ると泣いたり笑ったり怒ったり・・・最後のは少ないと思うが、ともかく一瞬の微妙な表情を表現した人形が人気を呼んだ。そのようなスナップ写真的人形をキャラクター・ドールと呼んでいる。
 キャラクター・ドールの中には芸術家に原型を依頼して限定生産されたものもあり、
マルクの人形などはオートクチュールの店からの注文だったという。
キャラクター・ドールの流れは現代の、怖いばかりに写実的だったりするアーティスト・ドールへと続く。

 クィーン・メアリーのドールハウス Queen Mary's dolls'house 
 1921年に着手され、1924年に完成した精巧緻密極まりない
ドールハウス。時の王妃メアリーに英国各界の有志がシンジケートを作ってプレゼントしたもので、内部の調度品は限りなく実物に近い。
 たとえば図書館には革装のミニチュア本と英国を代表する画家達の作品が収められ、ワインセラーには本物のヴィンテージワインの入ったボトルやジン、ウィスキーが並んでいる。12分の1サイズの蓄音機はレコードをかけることが出来るし、エレベーターも微小なボタンを押して上下する。錠はシリンダー数こそ3枚と、実物8枚の実現はサイズ的に不可能だったがちゃんと廻して開閉する。蛇口を廻せばお湯も出る。
 現在はウィンザー城で保存の為の特殊な照明の元で公開されている。ただし混んでいることが多いし、それでなくとも細かい部分は見えないので興味ある方は売店のビデオをお勧めしておく。ビデオ方式は英国仕様でなくアメリカ仕様のこと。

 
グーグリー・アイ googlie eye
 良く見るタイプなのだがドール辞典には出ていなかった。俗称なのだろうか。ともあれグーグリー・アイ、キューピーのような大きな瞳を横にした眼つきで
アーモンド・マルセルケストナーのが有名。
 辞典にもない項目をわざわざ取り上げたのはその人気のため。愛くるしさに我を忘れるのか、あまり大きなサイズは見たこと無いが20cmクラスでも同じ工場の60cmラージサイズ人形よりも高い。少し前のオークションでは40cmケストナー製グーグリー・アイ人形に60万〜80万円の予想値が付けられていた。これが普通のタイプなら10分の1以下だろう。

 
ケストナー Kestner 1805年からのドイツの人形メーカーだが、ビスクやチャイナを作り始めたのは1860年。1893年のシカゴ博に出品してからアメリカ市場を拡大、1906年には千人近い従業員を抱えるに至った。

コンポジション composition 
 おがくずなどをニカワ等で固めたもの。鋳型生産が利くので量産に向く。
 ソケット式の自在な関節は、原理は木製ボディですでにあった。しかしそれで
べべの手足の曲線を再現すると極めて高価になってしまう。その問題をコンポジション・ボディにすることで解決、べべ・ドールの人気が飛躍的に高まった。

コンポジション・ドール composition doll
 コンポジションは
ビスク・ドールのボディにも多く使われているが、コンポジション・ドールといえばヘッドが同素材のものを言う。またパピエ・マッシェ papier-mache(紙パルプを固めたもの)もコンポジションの一種であるが、普通は別にパピエ・マッシェ・ドールとして扱われる。

シュタイフ Steiff
 
テディ・ベアの原型となる熊のぬいぐるみを作り、現在に至るまでトップの地位を譲ったことのないドイツのメーカー。
 1880年にマルガレーテ・シュタイフが義妹へのプレゼントに縫った象の針刺しが近所で評判となり、市販を始めたのがシュタイフ社の発端。1904年にはテディ・ベアの販売も軌道に乗り始めていたが、同時に粗悪な類似品に悩まされることになった。そこで翌年からぬいぐるみに商標ボタンを付けた。ただしこれで問題が解決されたわけでなく、その後も新しいデザインと類似品のイタチゴッコは続く。

ジュモウ Jumeau 
 1842年以前には人形の製造を開始していたと言われている。当初は人形よりも着せていたドレスが評価されていたようで、ワックスやチャイナのヘッドは他所の会社から仕入れていた。それでも1859年にはポーセリン(磁器)・へッドの広告を出している。これは磁器でも釉薬をかけたチャイナ・ヘッドだったようだ。
 ビスク・へッドの生産を始めたのは1873年。ただしボディはまだ
キッド・ボディとウッド・ボディ、現在多く見られるコンポジション・ボディのは2代目が工場を継いでからだ。
ビスク・へッドに自在な関節を持つコンポジション・ボディをつけた今日多く見られるべべ・タイプの人形は1876年に製造が開始された。ただし1879年までの人形にはマークが無い。
 いずれこの完成されたべべ・ジュモウは78年の万国博で金メダルを得、ジュモウの躍進が始まる。もっとも栄華は長くは続かなかったが。
 「べべ・ジュモウ」を商標登録した1886年、'89年の万国博辺りがジュモウ社の頂点だった。
 口を開いたオープン・マウスのべべが作られ始めたのもこの万博頃と思われるが、1892年からはドイツ勢の攻勢に折れて品質を落とし、価格勝負に出た。しかしそれも長くは続かず1899年にはS.F.B.J.に併合。
 オープン・マウスが口を閉じたクローズ・マウスに比べて安価なのはより概ね新しい(オープンより後に作られたクローズもある)のと、品質を落としたものが混同される為である(マークさえ無いのもある)。歯が見えているのは怖いという意見もあるが、ブラッシー(古い!)みたいな人形もある中でジュモウのは大人しい。ともあれ、オープンの方がクローズドより手間もかかるし全てが劣るということもないのだが、一度ついた評価は覆らない。
 価格は多岐に渡り細かい分類はよく知らないが一般的な、オークションに頻繁に出てくる中でのピンは100万円から150万円というところ。1880年頃、60cmクラスでドレスもオリジナル、状態もとても良いといった具合。キリは難しいが、同じサイズで末期、出来の悪いのはオリジナルでも数十万円のもある。

 
チャイナ・ドール China head doll
 
ビスク・ドールが素焼磁器のヘッドなのに対してこちらは釉薬のかかった磁器「チャイナ」をヘッドに使っている。肩まで一体成型のショルダーヘッドで首は動かず眼もはめ込みでなく描かれている。またボディはおがくずなど詰めた布製が多く、手足がチャイナ製のもある。木製ボディもたまに見かける。
 ショルダーヘッドは1840年から20世紀過ぎまで主にドイツで生産された。ただし製品の大半はアメリカ輸出向け。ボディはアメリカでも作った。今でも欧米の骨董屋でよくこのチャイナ・ドールのヘッドだけ売られているのを見かける。初期のを除いては高いものではない。

 テディ・ベア Teddy bear
 テディはアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの愛称。彼が狩りに出かけた時、目的の熊は仕留められなかった。それで取り巻き達が小熊を用意したのだが、彼は撃つのを拒否したという。この逸話が新聞に政治を絡めた風刺漫画として紹介された。
 その話を知ったロシアの亡命者が、妻の作っていた熊のぬいぐるみに「テディ」の名前をつけたところ、飛ぶように売れたという。ロシア人モリス・ミットムはスポンサーを得、1903年にアメリカで最初のテディ・ベア・メーカーであるアイディアル社が発足した。
 一方ドイツでは
シュタイフ社が可動ジョイントのぬいぐるみベアを1902年に開発していたが、あまり人気がなかった。それが1903年、アメリカのブームで注文を受けて波に乗る。
 この頃のシュタイフ製品に特定の名称はなかったが、1906年にアメリカの玩具業界誌が「テディのベア」という名称を使ってからテディ・ベアの名前が定着した。
 いわばアイディアル社がテディ・ベアの元祖、シュタイフが本家、といったところだろうか。
ルーズベルトの人気なのか愛らしいぬいぐるみが時代にマッチしたのか、テディ・ベアはその後の5年間に更なるブームを呼んでシュタイフ社では1903年には1万2千体だった生産高が1908年には97万5千体まで跳ね上がった。
 これほど大量生産されたにもかかわらず、第一次大戦前のベアはあまり現存しておらず、ぬいぐるみとしては極めて高価、状態が良ければ100万円に近づくものさえある。第一次大戦以後の品となると比較的入手しやすくなるが例外はある。
 「ハッピー」と名づけられたベアはシュタイフ1926年製だが1100万円で落札された。普通なら高くても10分の1程度の相場だが、これは愛くるしい特徴的な表情がコレクターを狂わせたようだ。
 ついでにオークション・レコードを挙げておくと、伊豆のテディ・ベア・ミュージアムにある「テディ・ガール」は1760万円という価格で落札されている。シュタイフ社で1904年製。その希少性もさることながら、これはテディ・ベアを福祉運動にしたほどの愛好家ボブ・ヘンダーソン大佐が、ノルマンジー上陸作戦にも連れていた程に愛したベアであることの付加価値が大きい。いわばテディ・ベア界のモナリザ、象徴的存在だ。
 あまりにもバブリーな例を挙げてしまったが、もちろん状態やメーカーによってまるで値段は違ってくるので、たとえば第一次大戦前でも数万円で落札されるベアもある。
 取引の多い1920年代の英国またはドイツ製ベア、メーカー不定20〜30cmサイズで5万円から15万円といったところが代表的なところだろう。
 製造年やメーカー、保存状態だけでなく、テディ・ベアは前の所有者によっても価格が変わることがある。先のヘンダーソン大佐のような著名人の場合はもちろん、所有者であった少女がそのベアを抱えている写真付き、なんて場合も高くなる。
 他に近年では限定品にも人気が集まっているようだ。
 
ドールハウス dollhouse
 ドールハウスは米語で、英語ではドールズハウス(こんな発音はしないが)とSがつく。いずれにしても直訳すれば「人形の家」。このことから人形がいなければドールハウスと言えないのでは?との疑問を聞くが、この「人形」はヒトガタというより小さいことの比喩であり、人形はいてもいなくても構わない。またハウスというからには家全体を再現したものかといえばそうでもない。一部屋でもドールハウス。ただしドールス・ルームという言い方をする場合もある。
 またドールハウスは工芸品であるが同時に玩具でもある。もちろん国宝級など触れないドールハウスも数多いが、あくまで触れて楽しめる作りでなければならない。だから建築模型や映画のミニチュア・セットなどはドールハウスの範疇には入らない。商店を縮小したのを宣伝用に店の軒先に置いたり、あるいは家具屋がサンプルのミニチュア家具を入れて見せる容器として作られた実用的なミニチュア・ハウスやルームをどう評価するか難しいところだが、これらは当初こそ実用だったが後に玩具として作られており、通常ドールハウスとして扱われる。
 原始的なドールハウスは古代エジプトに存在するが、現在見られるような形になったのは16世紀始め頃と言われている。はっきり記録に残っているのはババリア(南ドイツ)の公爵が1558年に作らせたハウス。娘にプレゼントしたのが当人の方が夢中になったと言われており、住んでいた屋敷から始め、仕舞いには城郭都市みたいなものまでに至ったとのこと。残念ながら火事で消失した。
 現存する最古のハウスは1611年製で、ドイツ・ニュールンベルクの国立博物館で公開されている。
 17世紀にはオランダで一部特権階級の為にキャビネット・ハウスが作られた。
 英国には17世紀後半になって伝わり、アメリカでも1744年製のドールハウスが確認されている。ただしこれはアメリカン・カントリークラフト的で、本格的なのは19世紀を待たなければならない。
 ドールハウスの現在の規格サイズは12分の1。近頃は24分の1サイズも登場しているが、調度品製作が難しいのか部屋の狭い日本でもあまり普及していない。
 アンティークでは大きさはまちまちだが、現在より大きめが多い。
 大きさが統一されたのは20世紀初期。
クィーン・メアリーのドールハウス製作にあたり各製作者が相談して規格サイズを12分の1と決めてからのことだ。数字が半端なのは1フィートを1インチに縮めたため。英国12進法の名残りである。
 もちろん個人で作って楽しむ分には関係ない。ただしあまり極端に縮尺の違う場合は、少なくともドールハウスとは言い辛い


 ドールハウス・キッチンdollhouse's kitchen
 ドールハウスから台所だけを独立させたドールス・ルーム。
 ドールハウスが商品化され始めた18世紀後期からニュールンベルクで作られ始めた。
 商品化といっても特注品と手間賃は変わらないし、高価な銅や錫の鍋・フライパンをふんだんにそろえたキッチンは安くなかった筈。とても庶民の手には届かなかっただろう。購入層は富裕階層。
 貴族や豪商たちが娘の教育玩具として求めたのだ。鍋を磨いたり壷の水を薬缶に移したりして台所仕事を遊びながら学んだ・・・・学ぶのは良いが、そのようなやんごとなき子女がいずれ台所に立つことがあったのだろうか。零落でもしない限り、普通はまずない。せいぜい監督する立場だろう。
彼女らにとって台所仕事はあくまで教養だった。役に立たない知識だからこそ教養なのだ。本当にキッチンで遊ぶことが身になる筈の庶民層の娘たちはといえば、幼少から本物の台所に立たされて重い水桶に悪戦苦闘していたのだった。

 ビスク・ドール bisque doll
 ビスクは釉薬をかけない素焼き磁器のこと。 このヘッドに、木や詰め物をした皮や布、あるいは部分的に磁器で作られたボディをつけた人形をビスク・ドールと呼んでいる。
 初期のヘッドはショルダーヘッドと呼ばれる肩と一体成型されるタイプだったが、1858年に独立して作られるようになり、1861年にはその後の主流となるスウィベルネック、首が自由に廻せる構造が開発された。ビスクヘッドが製品化された確実な記録は1872年のブリュ、翌年のジュモウに残されている。
 眼は
ファッション・ドールには描いたのもあるがべべ・タイプではほとんどガラス製。高級品になると瞳と虹彩の上にドーム状にガラスを被せたペーパーウェイトグラス・アイになっている(製法がガラスの文鎮と同じなのでこう呼ばれている)。
 グラス・アイの中で眼が固定されているのは「ステーショナリ・アイ」、つぶるのは「スリーピング・アイ」、横に動くのは「フラーティング・アイ」とそれぞれ呼ばれる。フラーティング・アイがビスクドールに使われるようになったのは20世紀の始め、スリーピング・アイは19世紀末。ただし後者は「一般的になった」のがであり、古いのがあってもおかしくはない。
 ピアス用に穴の開いたのはフランス製に多いが、ドイツでもフランス輸出用に作られたのには穴開きもあるので決め手にはならない。
 ビスク・ドールが大ブームとなる切っ掛けは大人のプペ・タイプから子供をモデルにした
べべ・タイプに移行したことと、手足を自在に動かし固定することもできるジョイント(関節)の発明による。開発はフランスのステネル社(ドイツのスタイナーとは違う)だが、それで大成功を収めたのはジュモウだった。
 1880年頃から栄華を極めたビスク・ドールも20世紀を前にやや乱造、べべからキャラクター・ドールへと移行していく。


ファッション・ドール fashion doll
 元々は近世貴族達が贈答用などに華麗な衣装を着けて作らせた人形だったが、今では1860年代から70年代にかけて全盛を誇った、ビスク・ドールの初期タイプを言うことが多い。これら細身の人形をフランスではプペ・マヌカンと言うことから通称プペと呼んでいる。
 プペの後に登場した
べべ・タイプに比べて顔が小さく衣装も大人っぽい。またボディはキッドや布製が多く、ジョイントも無いかあっても簡易で、ソケット式に組み込まれたコンポジションのように自在に動かし固定することができない。

 べべ bebe
 フランス語のbaby、赤ん坊の意味だが人形としてはだいたい6才から7才くらいの子供をイメージしている。ビスク・ドールではもう少し上の気もするが、欧米人の子供は大人びているのでそんなものかもしれない。フランス製ばかりでなくドイツ製にも使われる。

 ベビー・ハウス baby house
 英国では17世紀後半にイタリア・ルネッサンスの影響を受けた美しい建物が作られていた。そんな折に欧州本土からドールハウスが伝わり、イタリア風家屋のミニチュアを作ることが流行った。そんな時代のドールハウスを英国ではべビー・ハウスと呼んでいた。まだドールという言葉が無かった為らしいが、現在でもこの時代のハウスを特定してベビー・ハウスの名称を付けている。現存する最古のは1691年生まれのアン・シャープの為に作られたハウス。このアン・シャープという女性のことは何ら判ってないが、所有していたドールハウスのお陰で歴史に名を残した。あなたも後世に残るようなドールハウスを所有すればあるいは・・・。

 マルク Marque
 英国の電話帳ほどもあるドール辞典にも6行しか解説されていない幻の人形。20世紀初期に彫刻家アルベール・マルクが仲間とアルバイト的に作った(らしい)人形で、身長はどれも55cm、眼は手描きの瞳と虹彩の上にドーム状にガラスを被せたペーパーウェイトグラス・アイ。
 写実的なキャラクタードールだが表情はどこか寂しげ。そんなところが受けたのかあるいは50体を超えないと言われる希少性か、価格面ではブリュやジュモウも足元にも及ばない。1997年のオークションでは6万〜8万ポンドの予想値が付いているが、これは人形バブルも沈静化した時で、最盛期には5000万円近くにもなったという。ただし人形愛好家によると「さほど出来は良くない」とのこと。
 これに次ぐ希少性ドールがA.T.(アーテー)ドール。こちらは日本にも数体入っているという。


 ノアの箱舟 Noah's ark 
 箱舟の模型は中世から作られていた。しかし中に多くの動物を入れるようになったのは18世紀後期からで、ドイツで主に作られるようになった。
 当時木製の動物おもちゃが人気を博していた。しかし数が増えるとバラバラでは始末が悪いから箱を用意しなければならない。そこで考えられたのがノアの箱舟に結びつけること。そのように考えている。
 これだと箱舟がそのまま動物の容器になる。更にはおもちゃで遊ぶことが禁じられていた日曜日でも、その宗教性から咎められることがなかったと良いこと尽くめ。19世紀末の全盛期には4、500組の動物が収められた巨大な箱舟も登場した。ここまでのは珍しいが100組くらいのは良くオークションで見かける。
 20世紀始めの大恐慌のあと、大きな玩具に輸出関税が掛けられるようになって衰退した。

 パンチ&ジュディ Punch&Judy 
 英国では三百年続く、とてもポピュラーな人形劇に使われる人形。有名な製作者の場合もあるが多くはパンチ・マンと呼ばれる上演者が作る。簡単な小屋と共にリゾート地などを巡って上演された。
 1992年に廃刊した英国の風刺雑誌「Punch」の誌名もこの劇から採ったものだ。そのストーリーはと言えばこんな具合。
 ・・・・観客の声にパンチ登場。彼は妻ジュディを呼んで踊り、熱い抱擁、熱烈なキスを交わす。ジュディは赤ん坊を預けてしばし退場。一人おもりするパンチ。だがむずがる赤ん坊に業を煮やし、観客の方に投げ捨ててしまう。そこへジュディが帰ってくる。ごまかそうとする彼だが観客の「君がやったのさ、パンチ君」の声に露見する。怒った彼女はパンチを棍棒でぶん殴るが、彼は棒を奪ってジュディを打ち殺してしまう。そして次々にやってくる警官やワニ(?)さえもひたすらぶん殴り、追っ払いあるいは殺してしまう。そして最後の悪魔との対決にも勝利し、悪漢パンチは観客に別れを告げてゆうゆう舞台を去るのである・・・。
 シェークスピア劇を見たことは無くても「パンチ&ジュディ」を見てない英国人はいないだろうと言われている。案外こんな芝居が却って紳士を作り上げるのか・・・どうか?


 ブリュ Bru 
 1867年設立。ジュモウと双璧の人気を誇るフランスのドール・メーカー。
 A.T.やマルクといった希少品ハンターを除けばドール・コレクターの最終目標と言えるだろう。
 創始者のブリュとその息子が活躍していたのは1883年まで。その少し前から作られ始めた「ブリュ・ジュン」マークのべべが評判を得、その後新オーナーの経営手腕もあって多くの博覧会で金メダルを得た。
ライバル、ジュモウと比べて眼光鋭く気品溢れる、しかしどこか暗い表情のブリュを当時の少女達はどんな気持ちで抱いていたのか不思議な気はする。
 ちなみに当時でも高価でよほど裕福な家庭のお嬢様でもなければ持てなかったとか。


 メルクリン Marklin
 現在では鉄道模型マニア垂涎のメーカーだが、元はといえば1859年のドールハウス・キッチン用のブリキ製品作りから始まった。しばらく零細から脱却できなかったが1881年の見本市にゼンマイ仕掛けの機関車を発表したことで躍進を遂げる。
 鉄道模型以外ではブリキのおもちゃ、キッチン・ストーブ、蒸気機関模型などがある。これらの分野はライバル社ビングと同じく第一次大戦以後低迷、ビングはそのまま消えてしまったが、鉄道模型の分野で傑出していたメルクリンは生き残り、今日まで続いている。
 アンティークでは百万円を超える品はザラで、数百万円のブリキのおもちゃ、なんて驚かされるのがこのメルクリン製の代物だ。知っている中で過去最高額はブリキのメリーゴーランドで1千万円を超えている。


 ワックス・ドール wax doll
ルネッサンスの頃からワックスで人形を作ることはあったが、盛んになったのは18世紀に入ってから。当時流行の(オリジナルの意味での)ファッション・ドールのヘッドとして良く使われた・・・らしい。何しろ当時の人形で現存するのは僅かだ。
 英国の田舎オークションで顔に幾本ものヒビの入ったワックス・ドールを見かけたことがある。気味が悪く、タダでも貰い手があるのかと思っていたら6万円ほどで落札されて驚いた。コンポジションの上にワックスをかけた品はヒズミでヒビが入るのは仕方ないとかで、それほど価格に影響しないようだ。
 ただし欧米でもコレクターはあまり多くないようで、古い品や珍しいのを除けばさほど高いものではない。

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