ガラス 産地・工場

アイリッシュ・グラス Irish glass アイルランドで作られた、主にカット・グラス
古くは1585年のものが幾つか確認されているが、これは例外的なもので本格的に製造が始まったのは1780年以降。英国からカット技術が伝わった。
触ると痛いくらいの鋭角に磨がれたカットが代表的特徴で、当然チップしやすく、18世紀〜19世紀初期のものでは大きな欠けでなければあまり減点対象とならない。カット・グラス全般に言えることだが日本での人気はイマイチで、10万円もだせばかなり豪華な品が買える。
現代もクリスタル・カット・グラスの名門として知られるアイリッシュ・グラスの雄、ウォーターフォードは1783年に創業した。1825年にはアイルランドの優遇税制が撤廃され、物品税まで導入されたために打撃を受けて19世紀半ばにはほとんど壊滅してしまった。

ウィーン工房 Vienna studio
1903年に反アール・ヌーボー派のヨーゼフ・ホフマンらによって設立されたガラス工房。モーゼルやロブマイヤーなど多くの工場にデザインを提供している。1932年まで続いた。

ヴェネチアン・グラス Venetian glass
ヴェネチアのガラス製造起源については定かでないが、7〜8世紀製作のガラス片が出土しており、10世紀にはガラス職人のいた記録が残っている。ガラス製造の組合など出来て大掛かりになるのは13世紀から。この時代にはすでにガラス職人立ちをムラノ島に閉じ込めてその製法が漏れないようにしていた。しかしエナメル彩の施された美術的作品が生まれるのは14世紀頃からで、15世紀に本格的になった。これから16世紀末あるいは17世紀初期くらいまでがヴェネチアン・グラス の黄金期。
この時期を過ぎると、どうやって作られたのか想像さえ許さないような奇抜なデザイン、触れただけで失われそうな繊細な作品群など、絶滅前に巨大化した恐竜にも似た華やかな、しかし断末魔の匂い漂う製品の登場となる。もっとも今日ヴェネチアン・グラスの代表とされているのはこの頃のデザインだ。18世紀になるとヴェネチアの力も薄れ、ドイツやボヘミアそして英国のガラスの台頭を許す。そして1798年ヴェネチア共和国が崩壊して間もなくガラス工場も廃れた。
歴史の彼方に消えるかと危ぶまれたヴェネチアン・グラスだが19世紀中期から末にかけて復興、数多くの古ヴェネチア・リプロダクションが生産された。多くは土産品並みだがアントニオ・サルビアティ工房などは優れた製品を生み出している。今日市場で見る古いデザインのガラスはほとんどが19世紀以降の
リプロダクションで、黄金期の優品ともなれば、まず市場には出てこない。17世紀のものでも数百万円は覚悟する必要があるだろう。ただ、装飾の少ないシンプルな品であれば、例えばボウルなどであればワイングラスよりも人気もないので数十万円で手に入ることがあるから、正統派ヴェネチアン・グラスの香を嗅いでみたいという向きにはそのようなタイプをお薦めする。これもコピーが多いからサザビー・クリスティーなど信用のおけるオークションで求められたい。
ちなみにヴェネチアン・グラスの総てがヴェネチアで製造されたものではない。16世紀以降、北ヨーロッパの各地でヴェネチアン・タイプのガラス器が作られ、ファソン・デ・ヴェニーズと呼ばれているそれらの中には、逃亡したヴェネチアの職人の手になる物もあって判別不能なほどに優れた製品も多く、だから産地よりも作りで価値は判断される。厄介なのは18世紀以降にやはり北ヨーロッパやヴェネチア自身で再現された15〜17世紀タイプ。幸か不幸か日本ではこの手すらほとんど見かけず、たいがい19世紀以降に作られた下手なニセモノである。先に挙げたアントニオ・サルビアティでは外見ではまるで区別がつかない程に仕上げられたのもあるが、贋物を作ろう意志はないからガラスがクリアで間違うことは少ない。もっとも「サルビアティの本物」も結構高価で、近頃では同工場製品を名乗るマガイ物も多い。

ガレ Galle
エミール・ガレは1846年生まれ。父親は製陶工場を営んでいたが、若い頃のエミールは文学や自然科学、そして音楽に関心を寄せていた。だが父の仕事を継がない訳にもいかない。仕事を手伝う中で彼は数々の美術品・工芸品、そして人々と出会う。
エミール・ガレが孤高の芸術家でなく理性的な美術家で有り得たのは、若いときに培った素養と父の元で商売の手ほどき、すなはち常識人としての訓練を受けたことによるものだろう。さもなくば、晩年に片鱗を見せた狂気を早くから現し、時世に受け入れられなかった鬼才として歴史に名を残していたかも知れない。
んなことはさておき。
ガレ作品は大別してエミール・ガレ本人が企画・創作したオリジナル作品と彼の監督下で製作された第一工房作品、そして彼の没後、基本的理念は受け継ぎながらも新たなデザインを起こしてに量産に励んだ第二、第三工房作品とに別けられる。オリジナルと第一工房作品の境界は曖昧だ。基本的にガラス製造は共同作業、オリジナルといえどもガレ一人で総て作った訳じゃない、と言うよりガレ自身が実際に手を入れたのは殆ど存在しない。そこで作家としてのガレの意向がストレートに表現された、わかり易くいえば博覧会出品用など手が込んだデキの良いのをオリジナルと呼び、工場主としてのガレが経営の為に製造した品、あんまり凝った作りでない量産品を工房作品(第一)としている。だから境界線は明確でなく、どっち付かずの作品も少なくない。
オリジナルにしても第一工房にしても、ガレ存命中(〜1904)の作品についてはニセモノの心配はほとんどいらない。というのも第一工房でもその質は極めて高く近年では真似しようもないからで、チェコ製のオリジナル風もあるが噴飯モノ、本物を画集で見ておくだけでも容易に見分けられるだろう。ただ
エナメル彩のに特に多いが、他工場の古い製品にサインを加えたり書き直したのがあり、これは少し厄介だ。ガレの装飾パターンとサインの型を見慣れておく必要がある。
第二、第三工房時代(1904〜1931年)ではエミール・ガレの個性に囚われず、次々と斬新なデザインを興して長く興隆を誇った。この時代でも珍しいものや大型の物、ランプ類は高価で価格的には第一工房を凌ぐ物も多い。第二、第三工房では量産化の為に作業を簡略化したからニセモノは多く、現在も続々生産中、少し前まで贋作ガレの定番だったルーマニア製と香港製に加えてチェコが参入、Tip Galle などと奥ゆかしいサインでなく「Galle」のみサインを堂々と使っている。第二、第三工房のニセモノは、近年のはガラスの質が違うので少し慣れれば容易に見分けられる。色合いが単調で薄っぺらい。同時代に他の工場でコピーされた品のサインを改竄したのもあるが、これもパターンとサインの型を見慣れておけば難しくない。
慣れろ慣れろばかりで恐縮だが、本物を見る機会が無いなら買ってしまうことだ。東京のオークションならカタログを送ってくれるし落札・輸送も頼める。予想値に少しプラスしておけばありふれた品ならだいたい落せるだろう。ライブ・オークションならガレ・
ドームでニセモノを掴む心配はいらない。ただしカメオに限る。また、くれぐれもインターネット・オークションや骨董市などで「掘出しものを探そう」とは思わないことだ。ガレを知らない業者はいないから本物を偽物価格で売ることはない。逆なら大いに有り得る。「もしかしたら本物かも」なんてナイナイ。

サン・ルイ St louis
フランス・ロレーヌ地方に1586年に建てられたガラス工場があった。しかし30年戦争で破壊されてしまっていた。1767年、この工場を復活させる提案がなされ、国王ルイ15世は認可と「サン・ルイ・ロイヤル・ガラス工場」の名称を与えた。サン・ルイはカペー朝、ルイ9世のこと。どうしてそんな古い王を持ち出したのか知らんが、かつてロレーヌ地方を奪還したとかどうたら。興味ある方は御自分で調べられたい。
サン・ルイでは初期にはボヘミア風ガラスを、少し後に英国風クリスタル・グラスを生産している。クリスタル・グラスの技術は1781年に独自に開発したので、フランス科学アカデミーによってその品質が認められたなどとどの資料にも書いてあるが、所詮は二番煎じ、そんなにエバルことではない。ただ
バカラやヴァル・サン・ランベールにその技術が伝わり、両者を始めフランス・ガラス工芸界の発展に寄与したのは誉めてやっていいだろう。
相応の技術力はあったようだが美術的独創性には乏しく、19世紀初期まではあまり見るべきものがない。1831年からはバカラと共通の販売代理店を持つようになっている。どこまで技術提携があったのか知らんが、作風をみると大いにあったと思われる。いったいどっちなんだという作品が多いのだ。まあバカラとサン・ルイそれぞれ個性を求まなくても良いのかもしれない。フランス・ガラス工場としてオリジナリティがあればいいのだろう。
19世紀中期からは
オパーリン・グラスやエッチング・グラス、グラヴィール・グラスなどに優れた製品を生み出し、ペーパーウエイトでも勿論バカラやクリシィと共に名を馳せた。

スチューベン・グラス Steuben glass
1903年に創立。プレス・グラス全盛のアメリカガラス界では数少ない高級品メーカーとしての道を歩むが、1918年にコーニング社の傘下に入り、その装飾工芸部門に成り下がった。ロールス・ロイスといい、高級専門は営業的に難しいのか。1933年には大幅な組織改革がなされ、以後は特にクリスタル・グラスに力を入れた。アンティークではテイファニー亜流の感を免れないが、現代工芸ガラスとしてはアメリカはもちろん世界でも有数。

ティファニー・グラス Tiffany glass 「ティファニーで朝食を」で有名なニューヨークの宝石商の息子に生まれたルイス・C・ティファニー(1848〜1933)がプロデュースしたガラス製品。
1889九年にパリ万博でガレの作品に触発されたルイスは、93年にガラス工場を建て
イリデッセンス・グラスの製造を始めた。翌年これに「ティファニー・ファヴリル・グラス」の商標を付けて本格的にガラス界にデビューを果たす。ちなみにこのガラスの製法特許は、彼が友人らと室内装飾会社をやっていた80年に取っているから構想は早くからあったようだ。それに火を付けたのがガレということになる。
ティファニーの虹彩ガラスは評判となり、彼は続いて
ステンド・グラスの製造に乗り出す。ステンドランプの発表年はわかってないが、トンボが1900年、藤棚が1904年に製作されていることから19世紀末には生産が開始されていたと思われる。
ティファニーの栄華は
アール・ヌーボーと共に続いたが、第一次大戦前には急落した。
機を見て多くの工房がヌーボーを見捨てて変身したが、ルイスは作風を変えなかった。当然凋落傾向に歯止めがかからない。このあたり、創業一代でのし上がった企業にありがちな悲劇といえようか。
いずれティファニー工房はルイスの没後、有能なアシスタントを勤めたジョーゼス・ブリッグスが引き継いだが挽回ならず38年、ジョーゼスの死と共に解散となった。
ところでルイスは存命中にジョーゼスに一部製品の廃棄を命じていた。こんな話を聞くと「あーあ、捨てないで取っておけばナァ」と思うのが常だ。しかし心配いらない。ジョーゼスは英国人だったのだ。物持ちの良いこと、彼らに優る国民はいない。彼は故郷のランカシャーにそれらの製品を送って大事に保存していたのだ。ケチんぼみたいに言ってしまったが、この時代に壊れ易いガラス製品を海を越えて送る費用は現在の比ではない。よほど丹精込めた製品を処分するのが惜しかったのだろう。
1960年代にアールヌーボーが再評価されるようになると、そのコレクションの価値も見直され、やがて同地にティファニー博物館が建てられることになるのである。

ドーム Daum フランスのガラス工場。ドームは兄弟で父親が経営していた日常雑器のガラス工場に入った。パリ万博でのガレの成功を見て美術ガラスへ転身。数々の優れた製品を世に送り出している。
ドーム兄弟は技術的にはエミール・
ガレの水準に達しているが、美術的には妖しい香さえ漂わすガレ作品と違って健康的、やや迫力に欠ける。また初期にはほとんどガレ・モドキであった為に工芸史的評価もワンランク下に見られる。ただ量産品ではガレ工房以上に作品に柔軟性があり多様で、アール・デコ以後も生き残って現在もクリスタルパート・ド・ヴェール製品を作り続けている。

バカラ Baccarat
その源を辿れば1764年に国王ルイ15世の認可プロジェクトでロレーヌ地方、バカラの地にガラス工場が築かれたことに始まる。工場を始めることを王に進言したのは意外にも司祭。失業者対策だったというが、丁度宮廷でも新たなガラス工場の必要性を感じておりグットタイミングだった。この時代、鏡や窓ガラスでヴェネチアを出し抜いたフランスが工芸ガラスでは新参者のボヘミアや英国に侵入を許しており、その巻き返しを図っていたのだ。だが鏡のような劇的発展もなく、なかなか思惑通りに運ばなかった。
バカラが頭角を現すのは19世紀に入ってからだ。それまで工場主も工場名も幾度も代わっていたが1823年に「バカラ・クリスタル会社」として工場もリニューアル、設備を調えて新たに出直した。バカラの本当の歴史はここからと言っていいだろう。
少し溯るが1819年にはクリスタル・カットグラスの製造が始まっており、これはやがてそれまでシャンデリアなど
カットグラスを独占していた英国を脅かす存在となる。1823年にはアゲイトやオパーリングラスが好評を博し、1846年からのミレフィオリ・グラスやペーパー・ウェイトで名声を高めた。1851年より後にカラーグラス、1867年以後にはグラヴィールによる製品も出しており、後にエミール・ガレにヘッドハンティングされた彫刻師もいる。
バカラは近年の製品でもマークが入れられてないことも多く、また他の工場で似たような製品を作っているので混乱の元になっている。マークはないが優れモノ、というのは個人的に信じるしかないだろう。一部の特徴的な品を除いてバカラと特定することは難しい。
現在も続く丸にボトルとグラス・マークは1860年以降。
ペーパー・ウェイトでは1846年以後からBのイニシャルと年代の数字が入っていることがある。これはエッチング・マークでなく金太郎飴スタイルで花の中に埋もれて表現されている。ラベルは20世紀以降のこと。

ハンデル Handel
フィリップ・ハンデルが1885年、アメリカ・コネチカットに創立したガラス会社。主にティファニー・タイプの様々なランプを作っているが、高い評価を受けているのはシェードの裏側からエナメル画を焼き付けた、リヴァース・ペインティングと呼ばれるタイプ。この手法は近年作の安物も多いが、ハンデルの古いタイプは表から見たときが幻想的だ。シェードのサインはどれも親しみのある文字で・・・はっきり言えば下手な字なのでニセモノかと思ってしまうが心配いらない。
長らくティファニー亜流扱いだったが近年人気が高まり、エナメル彩画のシェードで60センチほどの優品なら100万円から150万円程にもなる。1936年に閉鎖。

ポートランドの壷 Portland vase
欧米ではあまりにも有名でガラス界のモナリザと言って良い。
カメオ・グラスの一つで紀元前30年〜20年頃にローマで作られたといわれる。深いブルーのガラスに白いガラスを被せ、白ガラスを削り出して人物達の彫刻が施されている。元は下が伸びているアンフォラ・スタイルだったらしいが、いつの頃か(ローマ時代末期と言われているが定かでない)同様のカメオを施した底が付けられた。
英国に招来された時にジョサイア・
ウェッジウッドがジャスパー手で複製品を作ったり、その後大英博物館展示中に壊されたり、更にジョン・ノースウッドがガラスでの複製に挑戦してそこにも様々な逸話があったりで壷は伝説になった。
現在は修復されて大英博物館の目玉の一つとなっている。
ちなみにウェッジウッド社が一部商品に使っているマークはこの壷である。

ボヘミアン・グラス Bohemian glass
ボヘミアは現在のチェコ西部あたり。14世紀には最初の工場が確認されており、15世紀には少なくとも20の工場があったという。
1526年からはオーストリア系ハプスブルグ家がパトロンとなり、16世紀後期には
グラヴィール技法が試されるなどしたが、この時代の製品は主にヴェネチアン・グラスの亜流であった。1612年にルドルフU世没後、王の擁護が無くなり30年戦争以降に廃れてしまう。間もなく復興した工場ではライムグラスや独自のエナメルやグラヴィール製品を開発し、17世紀後期には全盛期を迎える。しかし興隆もつかの間、度重なる戦乱や他国が高い関税をかけて自国のガラス産業を保護したために再び衰退した。
次の興隆を迎えるのは1815年にナポレオン台風が過ぎ去り、ハプスブルグ家につかの間の平穏が訪れてから。様々な色ガラスが開発され、それを二重にした被せガラスのカット・グラスもこの頃に作られ始めた。更にはグラヴィール製品が人気を呼ぶ。
元々18世紀から、彫りはさほど深くないものの、それまでのヴェネチアですら見られなかった精密なガラス彫刻で他国を驚かせていた。それが19世紀に入るとより深くより精密に、更に被せガラスが取り入れられたことでいっそう華やかさを増してボヘミア製品の挽回を果たしたのだ。
歴史的に見ればボヘミアン・グラスの全盛期は17世紀後期ということになる。だが19世紀物の方が見た目の迫力はあるし、だいいち17世紀の優品コレクションなんて富豪にのみ許される道楽。一般コレクターにとっては19世紀こそが黄金時代と言っていい。

モーゼル Moser
モーゼルは二人いてややこしいが、一人はモーゼル工場創始者として有名、一人はガラス・デザイナーとして名を馳せた。
モーゼル・ガラス工場の創始者はルドウィッヒ・モーゼル。1857年にボヘミアのカールスバートに工場を設立、初期には一般的なグラヴィール製品を作っていたが、ヌーボー期には透明なガラス器に深く草花模様を彫り込んで金彩装飾を施した製品を得意としていた。色ガラスはアメジストやペール・グリーンが良く使われている。
アメリカではルビー・グラスに鹿などの
グラヴィールを施してある製品を何でもかんでもモーゼル作とする傾向が強く、初期のはサインが無いので判別は難しいが、ルビー・ステイン(表面着色)の製品などはまずモーゼルとは思えない。
もう一人はコーロマン・モーゼル。アールヌーボー全盛の1900年初期に反ヌーボー派のウィーン工房に参加してナメル彩色の
カメオ・グラス(エッチングで彫りは浅い)を始めとするアートグラスを数多く製作。1902年にはロッツ工場の為にイリデッセンス(虹彩)グラスも作っている。

ロッツ Lotz
ロッツ・ロェツ・ラッツ・レッツ。翻訳者によって違うし、発音もいずれにも聞こえる。まあお好きなのを選んでいただくということで。
1840年にヨハン・ロッツがボヘミアにて創業。
イリデッセンス・グラスが有名で、アメリカに大量輸出、安価なことと工夫を凝らした(2つの製法特許を収得している)デザインで先達テイファニーを喰った。量産した割には質は高く、良くティファニーのイリデッセンスと混同されるが、概してティファニー製品は上品、ロッツは少し技巧に走り過ぎの感がある。またティファニーには殆どサインがあり、ロッツにはあまり入れられてない。

ローマン・グラス Roman glass
ローマ帝国時代に製造されたガラス器。ローマの支配下にあったシリア、アレキサンドリア、英国等で作られたガラスを含める。時代的には帝政の始まるより少し前、紀元前100年頃からとしている。終焉は帝国分裂の400年頃まで。
ローマ時代はガラスの製造技術が爆発的に進歩した。中でも特筆すべきは宙吹き技法で、シリアで紀元前50年以降に発明されたと言われているが、まもなく全ローマに広がり1世紀にはガラス器がありふれた品になった。
ローマン・グラスというと銀化した小さく単純な形の器を思い浮かべるかも知れないが、実は多種多様、しかも技術的に極めて高度な品も少なくない。カメオの
ポートランドの壷などは19世紀末になってようやく複製品を作ることが叶った。ケージ・カップと呼ばれる器の周囲を網目模様で囲ったガラス器(ガラス塊から掘り出している)などは今だに、というより未来永劫再現できない技である。
科学技術こそ人間の歴史と共に進歩しているが、工芸技術は必ずしもそうでない、どころか退化しているようにも思える。支配者に食わせてもらえればそれだけで幸せだった時代、と社会構造が違うから無理もないのだが。


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