宝飾・服飾品
アイボリー ivory
象牙を言うことが多いが、他にカバ、セイウチ、一角獣(イルカの種)などの牙もアイボリーの範疇に入る。区別は紫外線を当てて色で見分ける。一角獣の牙(角みたいだが、歯が進化したものと聞いている)は希少品なので当たればメッケものだが、どんな色が出るのかは知らない。
象牙はそのまま彫刻して各種装身具にするほか、薄く削ってミニアチュール(細密画)のキャンバスに使ったりする。普通古くなると黄色から茶ばんでくるが、中国製ヨーロッパ風人形などでは着色して古色を付けているのもある。
アラバスター alabaster
日本語で「雪花石膏」。大理石に似ているが、ずっと柔らかい。染め易いらしく、デパートなどでよく緑や赤の趣味のよろしい彫像を見かける。ただし古代エジプトのは大理石の一種で堅牢。
インタリオ intaglio
陰刻。カメオと逆に面を回転盤等によって削り抜く装飾技法。ガラスのグラヴィールとほぼ同じ技法で、同技法のことをインタリオ・エングレーヴィングとも言うが、インタリオとだけ言う場合は貴石、サンゴ、水晶などを彫った宝飾品を示す場合が多い。
映画でローマの支配者などが手紙の封をしてから蝋をたらし、指輪で押し付けている場面が見られるが、あの指輪はインタリオになっているのだ。だから押された蝋の方は広義の意味でのカメオになる。もちろんシールばかりでなく装身具のブローチやボタンなどにも使われた。
ヴィクトリアン・ジュエリー Victorian jewerly
ヴィクトリア女王在位中(1837-1901)に製作された宝飾品。期間が長いだけに品質もピンからキリまで、デザイン的にもルネッサンスから東洋風までと広範囲に渡る。だから「ヴィクトリアン」という言葉自体に価値があるとは思わない方がよろしいかと。
ウィッグ・スタンド wig stand
かつら置き。通常ベットの脇に洗面器や水差しと共に置かれていた。球に台をつけた形状で木製か陶器製、デルフト製品を良く見かける。
ちなみにカツラが一般にまで普及したのはルイ14世が付けたことが大きいが、よく言われるように彼自身は禿げではなかったらしい。ハゲをカツラで隠したのは父13世。それを万事おしゃれな14世がファッション化したということだ。
エマイユ email
七宝。すなはち銅板にエナメルを焼き付けて図案を表現したもの。
ただしエマイユとはフランス語でエナメルのことであり、エナメルとは陶磁器ガラス金属などすべての上絵に使われる顔料を示す英語なので、七宝を特定する用語としては不向き。
日本でこそエマイユと呼んで区別することも可能だが、ヨーロッパではそうもいかない。そこで主産地であるリモージュの名を冠して七宝を示すことも多い。だからLimoges enamel と言われても必ずしもリモージュ産とは限らない。
他に七宝を示す言葉としては直接的にenamel on copper なんて言う場合もある。
日本や中国でお馴染み、またロシアで多く見られる有線七宝はクロワゾネ・エナメル
cloisonne enamel。クロワゾネはフランス語で「仕切られた」との意味で、文字通り銀や銅線で囲んだ中にエナメルを溶かし込む。こちらの方が絵画的エマイユよりも歴史は古くサンプルは古代から見られるが、技術が確立したのは中世以降。
リモージュでのエマイユ製造開始は12世紀後期から13世紀頃だが、写実的な絵を描いたり大きな物が作られるようになったのは15世紀からで、現在市場に出回るのは殆ど19世紀以降の製品。
カメオ cameo
元来は異なる色層の原石を用い、各色のコントラストを見せるようにレリーフ状に削り出したもの。近年では単なるレリーフに使われることも多く、たとえば銀貨の肖像をカメオと呼んだりする。
カメオの元祖はエジプトだかメソポタミアらしいが、現代のようなタイプは2千年前のローマ時代に作られ始めた。シェル・カメオがいつ頃から作られたか正確には分かっていないが、少なくとも15世紀以前には作例が見られていない。
ラーバ・カメオは19世紀に安価で立体的な造形が可能な為に開発された。イタリア、ヴェスビアス山の溶岩が使われている。
カボッション cabochon
表面を丸くドーム状に磨いた石。古代から15世紀にカット技法に取って代われるまで主流で、ルビーやエメラルドもこのカットだった。以後あまり使われなかったが、アールヌーボー期に復活した。現在では半透明や不透明の宝石に使われている。
カラット carat
キャラットと発音するのは米語訛りで同じ意味。二つの用途があり、一つはダイヤモンドを始めとする宝石の度量単位で一カラットは0,2グラム・・・ずいぶん少ないな。これでは20カラットあっても「4グラムもある大きなサファイア」ということになって有り難みがない。宝石屋にとっては度量衡統一なんてとんでもない話だろう。
カラットのもう一つは金の純度を表す単位。最初から宝石と金を違う単位にすれば混乱もないのにと思うが、元々はアラビア語で金の重さを計る単位qiratから来た言葉で、これがやはり貴重品の宝石にも使われるようになったらしい。
で、その元の意味から来ている方だが、100%の純度を24カラットとし、重さに占める割合で18K、14K、9Kなどと表す。カラットの表示がCでなくKなのはアメリカで宝石の度量単位と区別する為にkaratと綴ったため。
英国製品ではKは使わず750(18K、純度75%)、585(14K、純度58、5%)、375(9K、純度37、5%)と純度比の数字で表示される。数字以外に銀同様ホールマークも付けられているらしいが、大きな金製品は扱った事が無いので実際には見ていない。小さな品は数字だけがほとんど。現代物装身具で多く使われるのは18Kと14Kだが、古いのは9Kも多く、カメオブローチの縁金具などに良く見かけるが、表示のない場合が多い。純金24Kの装身具はアンティークでは殆ど見られない。
クロス cross
十字架。本のベストセラーが聖書なら装身具のベストセラーはクロスだろう。クロスにも様々な形があるが、我々に馴染みの縦長のはラテン・クロス。このクロスにビーズ(数珠)が付くとロザリオrosary
で、こちらは装身具というより祈祷の小道具。
なお時々クロスに見かけるINRIとはラテン語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」(Iesus Nazarenus,Rex Iudacorum)の意味。
グロ・ポワン gros point
1650年頃からヴェネチアで作られ始めたバロック風の豪華かつ大胆な柄のレース。麻かウールの糸を束ね、それをボタンホール・ステッチでまとめて太いラインを作って立体的にし、平坦部分も同ステッチとその他あらゆる技法を駆使して装飾された。家具にレリーフ彫刻を施すように、服に彫刻をあしらったと言える。
男性的なデザインに思えるが女性にも人気で、1630年頃から50年頃まで女性がレースを付けることは男性よりも少なくなっていたのが、グロ・ポワンの登場で再び流行り始めた。そして子供にまでこの極めて高価なレースを付けさせたのが肖像画にも残されている。
ヴェネチアン・レースの最高峰とも言えるグロ・ポワンはフランス市場をも席巻、その輸入量は国家財政規模となった。為に1660年頃にはすでにフランスで盛んに模造品が作られ始めている。
鯨 whale
まっこう鯨の歯や髭クジラのヒゲなどがアンティークに見られる。歯はそのまま風景や名前を刻んで記念にした物が多い。アメリカで良く見られ、中には数百万円に達する物もあるが、アンティーク・マーケットなどに並んでいるのはほとんど合成樹脂製。
髭はコルセットや傘の骨、おもちゃのゼンマイなどに使われた。
ケミカル・レース chemical lace
19世紀末から製造された、機械によるニードル風レース。絹の下布地にミシンで麻や木綿糸を縫い込み、すべて終ったところで下地の絹を酸で溶かす。勿体ないようだが、それでも本物のニードル・レースよりは遥かに安上がりだったのだ。
近年でも水溶性の布地にナイロン等の化繊を使って同様の製品が作られている。
コスチューム・ジュエリー costume jewelry
元の意味は色々な服装に合わせてデザインされた装身具のことだったが、今では比較的安価なジュエリーの代名詞となっている。
多くは各種宝石の代わりに貴石やガラスなどを代用し、台の金具も銀かピンチベックなどが使用される。経済的理由が主だが、シャネルやクリスチャン・ディオールといったメーカーに見られるような流行を追ったデザイン、つまり一時的に楽しむ目的で安価に作られる場合もあって、今ではこちらの方が専門店も見られるくらいにポピュラーになっている。
コスチューム・ジュエリー の類が作られ始めたのは18世紀からということだが、盛んになるのは19世紀に入ってからである。
昔聞いた話では、混雑しそうなパーティーで本物を落しては大変だというので同じデザインの安物を作らせた。本物は大事に仕舞っておいてコピーを付けて会場に出かけたのがコスチューム・ジュエリーの始まりだという。本物を所有していることが条件で、会場では皆暗黙の了解で模造品を付けていたと言うのだが、ホントかどうかわからない。
シャンティイ・レース Chantilly lace
17世紀中期からフランス・シャンテリィで生産され始めたボビン・レース。シルクを黒く染めたタイプが主流。
シャンティイでは19世紀半ばに生産をやめており、今日流通するボビン・レースはそれ以降にバイユーかベルギーで生産された品が殆ど。ただしこれらも市場に占める割合は僅かで、19世紀末からの機械レースがシャンティイ・レースと呼ばれている大半を占める。
オリジナルのシャンティイ・レースが殆ど残されてないのはシルクのモロさ所以で、百年も経つとシルクはボロボロになることが多い。ところがバイユーなどのを見ると案外しっかりしている。これは黒染料がシルクを守ったのだと思っていたのだが、むしろ化学変化して糸を痛めることが多いとか。ある時期を過ぎるといきなり疲労がくるのかも知れない。
運良くボビンのシャンティイ・レースを手に入れることがあったら、絶対に外光に晒さないことである。
ジェット jet
流木が化石化したもので、石炭の一種らしいがより黒く、磨くと美しい光沢が出る。主にモーニング・ジュエリーとして使われ、他にはボタンにも良く見られる。
古代から使われているが、ヴィクトリア女王がアルバート公の死後身に着けたことから英国で特に流行った。
シマメノウ agate
縞のないメノウはカルセドニーchalcedony だが宝飾品にはあまり使われない。縞のあるアゲートの中で紅白のはサードニクス。カメオの上級品に良く使われている。ただし現在では殆ど産出せず染めたのが大半だとか。
オニキスonyx はアンティークでは白黒を言うことが多いが、元々は宝石の縞目の意味。現在では黒一色のが多い。メノウの中で不透明なのをジャスパーと言い、これをウェッジウッドがストーン・ウェアでカメオ風に再現したのがジャスパー・ウェア。
ティファニー宝石店 Tiffany & Co.
チャールズ・ルイス・ティファニーがニューヨークに安物雑貨の店をオープンしたのは1837年のこと。41年にはヨーロッパへ宝飾品の買い付けに赴き、時計や宝飾の店へ転身。48年以降には宝飾品の製作も始めた。50年からは英国銀器の販売も開始、そして1853年には正式にTiffany
& Coとなった。
ティファニーといえば時計も有名だが、こちらは外注による。近年の陶磁器ガラスも同様で、ティファニー・デザインというより名前を貸しただけ、と見られるのも多い。
チャールズの息子コンフォートが設立した、ステンドグラスのランプ等で有名なティファニー・スタジオは1938年に解散しており、それらの陶磁器ガラスとは関係ない。
ニードル・レース needle lace
以前はニードル・ポイント・レースと呼んでいた。1983年頃からはポイントを省いたニードル・レースの言葉が定着している。
1540年代にヴェネチアで作られ始めたと言われているこのレースをいささか極端に説明すれば、刺繍したハンカチからハンカチ本体を除いて刺繍だけを残した、と言えばお分かりいただけようか。
実際に、初期に人気を博したニードル・レースであるレティセラなどは元の生地をほぐして抜く手法で作られている。ただしこの方法では馬鹿馬鹿しく手間がかかる。手間がかかるのはどのアンティーク・レースも同じなのだが、後ろ向きに手間がかかるのは精神衛生上よろしくない。そこで布全面に縫い付けるのではなく、支えとして一部を布や厚紙に縫い付け、後でそこだけを切り取る方法が取られるようになった。
この技法による最初のレースはプント・イン・アリア、イタリア語で「空中ステッチ」と呼ばれている。その名の通り、一本の糸を支柱に他の糸を縫い付けていき、網目やモチーフを形成する。
このプント・イン・アリアやレティセラでは同様のデザインでボビンでも作られているが、ボビンは基本的な構造は組み紐だからニットの編み物的な柔らかさがある。対してニードルは刺繍的、糸と糸の隙間が密集して硬質だ。同じ時代の製品でもボビンで作られたのはやや評価は低い。
マーカサイト marcasite
白鉄鉱石。これを小さく、ダイヤモンドのように六面体にカットして輝きを求めた。18世紀から、特にフランスで人気を博して多く生産された。現在出回っているのは20世紀初期に英国で作られたのが多い。最近は香港だか台湾だかで大量生産されている。
程度の良いのは銀などの台に爪で一つ一つ留めてあるが、安物は接着しているので剥離し易い。
ペースト paste
宝石の代用品に使われるガラスのこと。一般的にカットしたダイヤモンドのような輝きのあるガラスを言う。古くはガラスの裏側に銀箔を張っていたが、近年では屈折率の高いクリスタル・グラスが多い。
バックル buckle
ベルト等の止め具、あるいは飾り。
ナポレオン時代の小説で、主人公の海軍将校が靴のバックルが純金でなく金メッキなのを見破られないか心配するシーンがあった。おしゃれというより身分の証し、でもあったようだ。
ハットピン hatpin
帽子を留めるための長いピン。通常15センチから20センチ程度。
トップ部分に様々な飾りがついていて、欧米ではコレクターも多いが日本ではあまり見かけない。
パラソル parasol
日傘。その歴史は古くペルシャやエジプトから見られる。ローマ時代には既に現在と殆ど同じ構造のが登場していたらしい。
いずれ古い時代のパラソルは極めて高貴の身分専用で、そこそこの富裕層が使うようになったのは18世紀のこと。当時はおしゃれの小道具としての意味合いが大きかったようだ。
雨傘umbrella の方は良くわからないのだが、構造的には変わらないのだし、布地に油やパラフィンを塗るくらいの知恵はいつでも思いつくだろうから同様の歴史を辿ったと思われる。
これも18世紀には富裕層が、こちらは純然たる実用品として使われた。もっとも後にジェントルマンに欠かせぬおしゃれ小道具になったが。細く巻き込む専門の職人がいて、案外料金が高かったので少々の雨では傘を差さなかったそうだ。
パール pearl
天然ものと養殖、それに半円、淡水、人工真珠がある。
人類との付き合いは長いが、宝飾工芸に多く使われ始めたのはルネッサンス期から。この時代、のちにバロック・パールと呼ばれる歪んだ形のパールが主流。20世紀初期まで真珠は高価で入手し難かったらしく、ダイヤは本物だがパールは模造というブローチも見かける。
模造品の作り方は様々であるが、太刀魚と呼ばれる魚の皮膚だか粘膜だかの銀色質を塗ったりもしていた。天然真珠質である。
ジュエリー・デザイナーの方に教わった真珠の見分け方。
前歯にあてて軽く擦る。つるつるするのが天然か養殖。ざらついたら模造品。数例しか試してないがいずれも当たった。後でうがいをお忘れなく。
バロック・パール Baroque pearl
歪んだ形のパール。現代ではこのような形のものはほとんど使われないが、ルネッサンス時代には好まれたようで、大きいものは人物・動物の胴、小さいものは周囲の飾りに使われたりしている。ちなみに最大の物は約157グラムだそうで、現物は見てないが、握りこぶし位の大きさはあるだろう。
子供の頃に読んだ「海底2万里」ではヤシの実ほどの真珠が出てくるが、さすがにそこまでは無理か。
ピンチベック pinchbeck
銅と亜鉛の合金。1720年頃にクリストファー・ピンチベックが開発した。金の代用品だが、金より軽く色調も浅い。少し慣れれば金と見間違うことはない。
ファヴェルジェ Faberge
ロシアの宝飾工房。
ヨーロッパ各国で修行したカール・ファヴェルジェは1842年から父親の工房で仕事を開始、70年に父親がリタイアしてからは兄弟と共に業績を伸ばした。80年頃からはロシア皇帝御用達の栄誉を賜り、更に1900年パリ博の出品を機にヨーロッパ王侯貴族までの注文を得るようになった。
全盛期には500人を超える職人がいたが、1918年の革命でカール・ファヴェルジェはスイスに逃亡、工房は消滅した。彼はその2年後に没している。
007映画にも登場したファヴェルジェの代表作イースター・エッグは皇帝から皇后へのプレゼントとして1884年に最初に作られ、その後も製作されたが現在残されているのは57個。精巧な作りの卵型容器の中に更に精緻の限りを尽くした建物や馬車、動植物が納められている。
ジェームズ・ボンド君はこれで悪漢を殴り倒してバラバラに壊してしまったが、十数年前にオークションに出された一点は2億円以上の価格で落札された。
むろんファヴェルジェの全部が全部そんな恐ろしい代物ばかりではないが、例えば高さ15cm、魚型の銀製花瓶が80万円程と、なかなか庶民には縁遠い。
フレーズ fraise
仏語。英語でラフruff。沢山のひだのある、車輪のようなドーナッツのような型の襟。オランダ・カピタンが歴代将軍に謁見する際につけていた、あれである。
家康の頃は確かにオランダ初め欧州の正装であったが、半世紀後にはほとんど見られなくなった。それでも慣例で付けなければならなかったというから、現代日本人がちょん髷羽織袴でアメリカ大統領に謁見するような気分ではなかったか。
フレミッシュ・レース Flemish lace
フランドル地方で作られたレースの総称。フランドルはフランスやオランダの一部も入るが、ほぼ現在のベルギーと考えていいだろう。だからブリュッセル・レースやブリュージュ・レースもフレミッシュ・レースの範疇に入るといえば入るが、通常は17世紀の、まだ個性がはっきりしない(産地の不確かな)レースを言う。
ただし骨董屋がこの名称を使う場合は18、19世紀の、田舎で作られたボビン・レースでデザインもあまり洗練されていない製品が多い。
ヘアー・ジュエリー hair jewelry
モーニング・ジュエリーによく使われた人間の髪の毛を利用した装身具。ロケットの裏にひっそり仕舞い込んでるものもあれば、ブローチの表に花模様など描いてるもの、中には時計の鎖代わりに編んでるものある。
「きっと可愛がっていた犬の毛ですよ」なんてことを言って売っている骨董屋がいたが、古いジュエリーにペットの毛を入れた例は聞いたことがない。しかしそんな口上が嘘に聞こえないような派手目デザインも少なくない。
ボタン buttom
古代ギリシャ・ローマにすでに存在していたが、一般的に使われるようになったのは13世紀の南欧。そして14世紀には装飾性が考慮されるようになり、16〜17世紀には宝石をあしらったものや細密画を施したものなど、現在のボタンからはとても考えれられないような豪華な品々が作られている。
ボビン・レース bobbin lace
ボビン・レースの製法は、まず台になる枕にピンをデザインにそって刺す。ボビンは短い鉛筆のような棒で、これに糸を巻いたのをピンにかけて編んでいく。組み紐を作る要領だ。だから単純で細いデザインならシロウトにも難しくはない。そのためヨーロッパ中に普及し、家庭で作られることもあった。
ボビン・レースは1520年代にヴェネチアで作られ始めたと言われるがフランドル起源説もあって定かでない。ヴェネチアからフランドル地方ではアルプスを越え、ラインを渡りで、直線距離にしても千キロ近く離れている。それが起源説が分かれるような近い時期にスタートしたことは、ボビン・レースがかなり短期間にヨーロッパ中に広まったことの証だろう。
ただし製法自体は易しくても、貴族用豪奢製品となるとその製作は容易ではない。
ボビンも10本や20本くらいなら無骨な男でも出来そうだ。しかしそれではテープにもならない。大きなレースは10cm幅ほどのレースを接合して作るのだが、その10cm幅にも数百本のボビンを必要とした。18世紀のベルギーでは実に800本のボビンを使ったという。
800本の中でコンスタントに使うのは数十本、というならわかる。しかし絵具じゃないから全部を使わなければレースが片寄ってしまう。1番のボビンから始まり800番のボビンを使ったらまた1番、というふうに順序が決まっているならこれもわかり易い。ただしこれでは模様が描けない。800本ものボビンを順不同ですべて使い切り、次にはまた順序を変えて全部使い切る。
果てしなくその動作を繰り返してようやく10cm幅レースが出来上がるのだ。そして他に作られた10cmレースと合わせてみる。もしもデザインがズレていたら・・・。
ポワン・ド・ガーズ point de gaze
ブリュッセルのニードル・レース。元はフランス・アランソンの模倣だが、アランソン本家が早くからネットを簡素化してパターンも単純な製品を多くしたのに対し、ポワン・ド・ガーズはどれを見ても一級アランソン並に凝った作りとなっている。
多くは19世紀の製品であり、アランソンなど古いフランス・レースと比べて入手しやすかったが近年では少なくなってしまった。ただしケミカル・レース製品も多く、こちらはアンティーク・マーケットなどでも見かける。
ポワン・ド・フランス point de France
フランスで作られた最高峰レース。
ヴェネチアの人気レース、グロ・ポワンもポワン・ド・ネージュも見事に真似したフランスだが、最終的にヴェネチアを超えるにはフランス独自のレースを生み出すしかない、と重商主義で有名な財務大臣コルベールは考えていた。
そこでまずヴェネチア・レース職人を引き抜いた。彼らは地元では貴族待遇。だが逃亡は死罪という条件下にあり、どういう手を使ったかは想像外のことである。いずれ彼等の実地指導の下、一流の画家・デザイナーを総動員し、更に国中の腕扱き女工達をアメとムチを使って集めた。そして出来上がったのがポワン・ド・フランスである。
このレース最大の特徴は、網目部分がボタンホール・ステッチでかがられていること。1ミリ内に8から10のステッチが施されている。ただし肉眼ではその仕事内容は殆ど見えない。着物の裏地に凝るのが粋な江戸っ子、らしいが似たようなものなのか。
もっとも贅沢さ加減で言えば江戸っ子も尻尾を巻いて退散するしかない。いくら人件費がタダみたいな時代とはいえ、一枚製作するのに延べ数千時間とか数万時間では馬鹿馬鹿しく高価にもなる。
ルイ14世は一ヶ月で1万8千リーブルのポワン・ド・フランスを王立製作所から購入したと記録されている。年収が百リーブルあれば何とか生活していける時代である。もしもフランスで製作していなければ王はこの金をヴェネチアン・レースにつぎ込んだ訳で、コルベールも満足したことだろう。
レース・コレクターなら誰しも入手を夢見るレースだが、殆ど博物館に収まっている。
マシン・レース machine lace
登場したのは19世紀初期だからアンティーク・レースにも多い。
というよりマシン・レースが無ければアンティーク・レース市場も一部好事家だけのもので、それを新しいドレスに流用しようとか人形に着せようなんて発想は浮かばなかっただろう。
初期の機械ではチュール、すなはちレースの土台となる編み目のような簡単な物しか作れなかった。模様部分、モチーフまでも機械での製造が可能になったのは1830年頃のことだが、19世紀中期頃までの製品は、完全な機械編みよりは機械チュールに手編み(主にボビン)でモチーフを加えたものが多い。
中期以降には博覧会用などに改良され、19世紀末になるとケミカル・レースなども登場して殆どのボビンやニードル・レースの一部とデザイン上は似たものが作れるようになった。
ただしポワン・ド・ネージュやポワン・ド・フランスのような第一級レースは真似出来ておらず、グロ・ポワンも試作品が作られているが、採算ベースには乗らなかったと見えて現存するのは僅かだ。 だから18世紀以前の凝ったニードル・レースは機械編みを疑わないで済む。
19世紀物の場合は、例えばブラッセルならモチーフの裏側に余分なチュールが残っていたりと特徴がないでもないが、基本はモチーフ部分の糸の流れ。ルーペで見ると手編みは糸が素直に編まれているが機械のはやや強引に引っ張られていることが多い。もっとも機械レースでも出来の良いものは楽しめるし、そうでなくても価格的にお手軽なので実用目的であれば大いに活用すべきだろう。
19世紀末のマシン・レースを一巻き所有しているが、何故かあちこちに糸くず(切断糸の端でなくまったくのクズ糸)があって商品化するには全部取り除いてやらなければならない。ドレスを作るつもりもないのでほったらかしにしているが、現代のコンピューター制御マシンのようにはいかなかったと思われる。
ミニアチュール miniature
同じスペルだがミニチュアというと縮小されたもの全般。ミニアチュールと発音すると細密画で、ブローチなど装身具にも使われる。昔の紙では画面が荒れる為に磨いた薄い象牙板に描かれた物が多い。
近年のまがい物は樹脂板に転写し、上から筆跡を付けている。ミニアチュールのコレクターは欧米に多く、専門のオークションも開かれるが日本では品物も愛好者も少ない。
モザイク mosaic
古代からある、様々な材料の細片で絵を描く装飾技法だが、アンティーク関連ではブローチなど小さな物に使われるマイクロ・モザイクが主となる。これは1775年に開発された技法で色ガラスを麺のように延ばして濃淡に変化のある色ガラスを得、これを敷き詰めて絵画表現する。
製作現場を覗いたことはないが、話しによると思ったほどには大変な作業ではないという。それでも優品は高価、メノウ・カメオとショーケースの中で0の数を競っている。
モーニング・ジュエリー mourning jewelry
「おはよう、今日も元気にアクセサリーを付けて・・・」とはちょっと違う。いやずいぶん違う。発音は同じだがmourning
は忌中、服喪期間。すなはちモーニング・ジュエリーとは追悼の為の装身具で、17世紀後期くらいからよく見られる。
髪の毛を利用したのが多いが追憶の言葉、それを具象化したもの(壊れた柱など)を黒い素材に彫り込んだ物も見られる。ヴィクトリア女王の旦那、アルバート公の死後、女王が長い間喪に服してからは黒いジェットが流行った。→ヘアー・ジュエリー
養殖パール cultured pearl
貝に色々なモノを突っ込んで強制的に作らせた真珠。13世紀の中国で最初に作られた。これは鉛の小さな仏像などであったというから貝もさぞ迷惑だったろう。だから貝も非協力的で、仏様単体など望むすべもなく殻についたいわゆる半円真珠のタグイだった。たぶん、良く見れば仏様かなあという程度の代物だったのだろう。その後18世紀後期のスェーデンでも試されたがこれも半円真珠だった。
完全な球形の養殖に成功するのはご存知御木本翁。明治38年、1915年のこと。
ライン・ストーン rhinestone
元々はダイヤの模造品として使われた水晶を呼んだ。今ではペーストの中で、薄く玉虫色に輝く銀化ガラス(イリデセンス・グラス)を言う。
レース lace
現代では女性の物という印象が強いが、初期には男女の区別なく身に付けた。男女の差別は無かったが、しばしば貴族以外のレース着用が禁止されたり、着用出来るレースの種類が限られたりした。
一部特権階級の富と権力の象徴だったのである。
ヨーロッパでレース産業の起るきっかけは15世紀のイタリアにあった。当時マヨリカ陶器やヴェネチアングラスの輸出で全イタリアが潤っていたが、それに飽き足らず新しい物産を探していた。そこで目をつけたのがペルシャ絨毯。壊れないので搬送が容易、しかも原価はタダ同然なのに高い付加価値が付けられる。人件費を差し引いても十分な利益が見込めると、製作を試みようとした。ところが原材料のラクダの毛が手に入らない。そこで麻糸を使ったが、絨毯としては強度不足だった。
そのため棚飾りとしての用途に活路を探した。当時の黒い家具に白い麻は映えただろう。しかしどこか物足りないと、糸を寄せたり、あるいは編んだ後で糸を抜いて透かし模様を描いた。こうした経緯を経てその後レースの黄金時代を築くボビン・レースとニードル・レースが生まれる。
化粧台などの飾りとしての用途は18世紀まで続いており、これは形を変えて服に転用されることもあった。また逆に服に付けていたレースを家具の飾りにしたこともあったという。もちろん服から服へは当然のこと。貴重品だったレースは服の一部というよりは装身具的な感覚で使われていたのだ。下着などに使われるのは18世紀も末のことである。それまでのレースは階級の象徴でもあった。だから肖像画に描かれているレースは驚くほど克明で殆どの場合、正確に種別を見分けることが出来る。それを描き分けられない画家は肖像画家として失格だったのである。
18世紀はレースの価格も落ち着きを見せていた時代であるが、それでも長さ120cm(幅は不明。ただし袖飾りだけで4枚必要だったというからせいぜい30cm位か))のボビン・レースで100リーブル程度、上質のニードル・レースともなると500リーブル近くになった。ゴージャスに着飾るには数十枚は必要になっただろうから、一財産を身にまとっていた訳だ。ちなみにレース職人の年収は150リーブルであった。当時の女工としては良い方だと思われるが、早ければ5才、遅くても7、8才には雑用をこなしながら手習いを始め、来る日も来る日も気の遠くなるような緻密な作業を強いられる条件下では果たして労働に見合う賃金であったかどうか。
30才くらいになると眼を悪くする者、腰を痛める者、果ては気が触れる者まで出たという。
そんな犠牲の上に成り立っていたレースを、ヨーロッパ中の貴族達が欲しがっていた。
香辛料を求めて危険な航海を厭わなかったように、当時は高級嗜好品が重要な物産になり得たのである。
だから各国で、17世紀半ばまでは高級レースの生産を独占していたヴェネチアの技術を狙っており、また敵わないまでも模倣していた。成功したのはフランスだった。ヴェネチアン・レース職人を引き抜き、改良を加えて17世紀後半には本家ヴェネチアを出し抜いた。
しばらく全盛期にあったフランス・レースも100余年後の革命で壊滅する。その後登場したナポレオンはどういう次第かフランス・レースよりもブリュッセルなどベルギー・レースの方に興味を抱いたようで、ブルージュの台頭などもあって19世紀はベルギー・レースの時代になった。とはいえ、すでにレースは富と権力の象徴から一介のファッション・アイテムに成り下がっており、かつての熱気は失われていた。
更に世紀も後半に入ると安価な機械レースに押され、細々残るボビンやニードルも連続糸から容易な切断糸へ変えたり、麻より安い木綿を使ったりと相対的に見て質の劣化は避けられなかった。
19世紀末にルネッサンス・ブームが起きて古いレースが再現された。しかしこれは採算度外視、いわば伝統技術の再発見で全体的な盛り上がりとはならなかった。
現在ではボビンにしてもニードルにしても、高度なレースの技は完全に滅んでしまったと言っていい。
なお、19世紀末に再現された18世紀以前のボビンやニードル・レースのコピーはおおむね糸で見分けることが出来る。19世紀末のレースに使われている糸は機械紡ぎで、太さが一定で機械による縒り(ねじれ)がある。対して18世紀以前のは手で紡いでいるので太さにバラツキがあり、縒りもない。
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