陶磁器 産地・工場
イスパノ・モレスク Hispano−moresque 15〜16世紀にスペインで作られた西洋・イスラム折衷陶器。
スペインの多くを支配していたイスラム世界から移り住んだ陶工たちがこの地で製陶に励んだのがその始まりで、12世紀頃と言われている。
キリスト教イスパニア人がスペイン全土を取り戻してからも、イスラム式陶器の生産は続けられた。ただし15世紀からすでに見られていた西洋の影響、つまりキリスト教的モチーフの十字文やブドウ文をあしらったデザインが強まり、イスラム教的デザイン、たとえばコーランの一節をあしらったものなどは駆逐された。
イスパノ・モレスクには錫釉に鳥や人物を描いたものと葡萄文様などを金属光沢のラスター彩であしらったタイプがあるが、前者の優品は市場ではほとんど見られない。
15〜16世紀のラスター彩で紋章のない葡萄文様アルバレロや大皿で3〜400万円くらいになるが、17世紀となるといっきに下がって中皿などは数十万円でも落札されないこともある。古さが足りない、というより質が良くない為で、マヨリカその他の陶器に押されて衰退したのだ。
ウィーン Vienna porcelain オーストリアの磁器窯。英語でヴィエナ。1744年までの製品にマークは無く、様式も初期マイセン風で後世の物とはまるで違う。セーブル風のロココスタイルが導入されるのは1770年頃から。それから19世紀初期までがこの窯の全盛期。以後は目立った改革は技術的にも美術的にも見られず地味な製品を作り続けていたが1864年に廃窯。
ところがアンティーク市場ではここからがウィーンの全盛時代と言っていい。
通常、たとえばマイセン風のコピーにマイセンの交差剣マークがついていれば偽物となって評価は格段に低い。ところがウィーン風コピーにウィーンのマークが付いていてもさほど評価は下がらず、出来次第では絵皿に50万円の値が付けられることもある。本物だって草花文なんかだと10万円位のこともあるのに。
本物が少ないために偽物が市民権を得てしまった、と言っていいだろう。
どうしてもオリジナルでないと気が済まない方は次の点にご注意。
まず美しい婦人の肖像や、恋人たちとか妖精なんて魅力的な題材は避けるべきだろう。オリジナルの新古典主義(ベルリンKPM陶板などに見られる写実的手法)で、甘いムードの絵付けは見た記憶がない。写実的なものは風景か群像、あるいは静物など。18世紀のロココ調なら恋人たちもあるが、ヴァトーやフラゴナールといったセーブル風で、実在感のあるKPM風ではない。セーブル風も市場で見かける大部分は後絵付けの品、つまりウィーンから白磁やシンプルな装飾で出荷された品に後で他所の窯で装飾を施された品。元々少しでも装飾されていた品なら、例えば恋人たちの絵付けの下に関係ない葉のラインが盛り上がっていたりするから判るが白磁流出品の場合は難しい。色調が地味ならオリジナルの可能性が高いが、18世紀のは結構明るいのも多いので決め手にはならない。
確実にオリジナルを狙うなら装飾の単純な、たとえば地色に金彩だけとかブドウ文だけとかの品を選ぶべきだろう。これらはオリジナルでも前述したようにそう高価な物ではないから贋物や後絵付けの可能性は低くなる。
他には良く知られていることだが蜂の巣マーク(横からの図案なので盾のようにも見える)が染付であること。それに数字の印刻があること。絵付けはもちろん金彩も手描き。ついでに高台の釉薬は切ってあり、素地と薬のかかった部分ではっきり色が分かれているのが多い。
まあオリジナル健在の頃に作られた贋物と後絵付けの半贋物を除けば鑑定は難しいものではなく、また今日出回るウィーン・タイプはほとんど19世紀末から量産されたものだからすぐに分かるようになる。あとはあなたの嗜好の問題。
豪華な新興ウィーンにするか地味で小さなオリジナルを選ぶか。
焼き物が好きなら後者、工芸品が好きなら前者をお薦めしておく。
ウェッジウッド Wedgwood 創始者はジョサイア・ウェッジウッド。
陶工としても天才的であったが商売においても同様の才能を発揮し、たとえばロシアの女帝エカテリーナからの注文を採算度外視で受け、代わりにロンドンのショールームで完成品をしばらく展示するようなことをやった。ちなみにショールームという宣伝媒体も彼の発明だ。
アメリカの奴隷解放に協力してフランクリンとも親交を深めたり、孫が進化論のダーウィンだったりで英国では伝説的人物になっている。
ジョサイアのカリスマ性もあって初期ウェッジウッドの製品は高価だが、19世紀中期以降は数も多く、優品や珍しいものでないとあまり評価されない。特にジャスパーは製造年や出来、そして色によってまるで値段が違うので注意されたい。古いジャスパー・ウェア(ストーン・ウェアの一種)のマークは Wedgwood、あるいは Wedgwood & Bentley だけ。ただし1820年以前はマークの無いことが多い。
1860年からはYORやVOPなどの製造年や陶工を表す文字が入る。(必ず入っている訳ではない。特に小物は)England
が加えられるのは他の英国窯に比べて新しく1891年のこと。MADE IN ENGLAND
は20世紀初期からとなる。なお、Wedgwood & Coのマークは別会社の模造品。ジャスパーでないが印判手の傑作マークに
VEDGWOOD というのがある。ヴェッジウッド・・・美空ひらり、石原裕太郎の先祖だ。
Wedgwood 印だけのジャスパー贋物も勿論あるが、あまり神経質になることはない。というのも、ジャスパーはすでに述べたように出来不出来で価格差が著しい。ニセモノは本物から型をおこすのでどうしても甘くなる。ウェッジウッドの中にも甘いのはあるが、それらはニセモノ並みの価格しかつかない。だから本物の優品と並品との区別がつけば贋物本物の区別はつかずともあまり問題ないという次第。
ウースター Worcester 創窯は1751年で以後半世紀近くがウースターの全盛期。
ウースターは比較的量産されたので今でも数が多く、18世紀の軟質磁器としては安く買えることが魅力だ。カップ&ソーサーで染め付けなどなら3万〜6万円で落札できる。紺地の花柄でも十数万円、質を考えればお買い得である。
18世紀ウースターのマークを付けたニセモノは少ないが、フランス・サムソン窯で同じマークの模造品を作っている。しかしこれは硬質磁器で、まるで質感が違うので実物を見れば間違えることはない。
工場は1788年からは国王の工場参観を機にロイヤルの称号を付けるなどしたが低迷が続いていた。しかし1862年に工場を再編成、実質的な今日のロイヤル・ウースターとして出発、ボーン・チャイナや硬質磁器製品を開拓して勢いを取り戻す。ロイヤル・ウースターでは製造年を記したマークを付けており、これの偽物は今のところ見たことはない。ただし表現は複雑なので(例えば王冠の横に点が3つで1894年という具合)マークの本が必要だ。
なお「グレンジャー・ウースター」とは別の窯が1889年にロイヤル・ウースターに吸収されてこう名乗っていた。だからロイヤル・ウースターの子会社とでも考えればいいのでニセモノではないし、同等の出来であれば本社製品と価格的な差はない。透かし彫りが代表作だが、風景を描いたR・ウースター本社風もある。十数年間は名前を残していたが1902年以降は完全に消えた。
オールド・ノリタケ Nippon 西洋ではないが、日本製の西洋骨董とも言えるような存在なので加えておく。
オールド・ノリタケは欧米でニッポンと呼ばれ、普通戦前まで含むが、評価が高いのは明治末から大正初期の物。注文に応じて何でも作った様で、その作風は実に多岐に渡るが盛り上げ技法や、風景を描いた深い色調の絵付けに独自のものがある。
近頃ではマーク・彩色共殆ど見分けのつかない贋物が登場している。おそらく中国製で技術も優れており、特にマークはまったく見分けがつかない。ただ幸いなことにオールド・ノリタケの人気は最近のもの、つまり贋物も新しいのでエナメルが生々しい。特に黒やピンクはいかにも中国風だ。今のところあまり手間暇をかけた品は見てないから、心配ならば、例えば盛り上げ手のようにこれでもか、と手の込んだ物を選んでおくことだ。
盛り上げは特に多いが、オールド・ノリタケにはマークのない本物も少なくないそれらは残念ながら格段に評価は落ちる。ただし買うのも安いから、自分で楽しむのだったらそんな品を選ぶのも良いかもしれない。
カポ・ディ・モンテ 伊 Capo di monte ナポリ王チャールズ三世が1743年('36年説も)に創窯、スペイン王となってマドリッドに移った1759年に閉窯(マドリッドに移設、ブエン・レティロ窯となる)した。これが正真正銘のカポ・ディ・モンテで、この時代のスタイルはマイセン風が多い。殆どが王室用の品だったから希少性は高く、1978年のオークションでは幅6センチ強の小箱が650万円ほどで落札された。これは特殊な例だが概して極めて高く取り引きされている。
なお、ナポリ市民の群像をレリーフ状に表現した、いわゆるカポ・ディ・モンテ様式というのはこの本家では製作していない。18世紀末頃にナポリやドッキアで開発された。
現在市場に出回っているのは殆どが19世紀中期以降のドッキアやドイツのルドルフスタッド製などだが、インテリアとしてアメリカ人に人気があり、40cmクラスの箱物で40万〜60万円と案外高価だ。ただし人物が人物に見えないような粗悪品では一桁以上下がる。
クラリス・クリフ Clarice Cliff 1920年代から30年代にかけて活躍した英国の陶器デザイナー。英国アール・デコ陶器の代名詞ともいえる。これからのアンティークはクラリス・クリフ、と言いたいところだが、コレクター垂涎の人気品だと100万円を越えるのもあるのでもはや手が出せない。ただしありふれたものなら20cmの絵皿で数万円から10万円未満というところ。このあたりの製品で楽しむか、しっかり勉強して相場師として活躍するか。クラリス・クリフをやるならどっちかだろう。中途半端に値上がりなど期待すると怪我の元になる。贋作者にとっても魅力ある作品でもあるから。
コペンハーゲン Copenhagen デンマークの窯。創窯年は資料によって実にまちまちで、それは前身ともいえる窯があり、実験的に磁器の製造を初めていたことによるらしい。ともあれ一応の創窯は1759年頃。王立ダンスク磁器工房(現在のロイヤル・コペンハーゲン)となったのは1779年のこと。フローラ・ダニカを作り上げた1800年過ぎ頃までが全盛期で、その後長い低迷期を迎える。
20世紀も近くなって古くからの装飾パターン、ブルー・フルーテッドをリニューアル、縁取りにもブルーを入れたハーフレースや透かし彫りのフルレースを発表するなどして復興を遂げた。コレクタブル・アイテムのクリスマス・プレートはまだアンティークではないが、いずれはそうなるだろう。ただし少なくとも孫の代までは待つ必要がある。
スージー・クーパー Susie Cooper 元グレィのデザイナー、スーザン・ベラ・クーパーが建ち上げた。グレィはスタッフォードシャーにある多くの窯の一つで、本来ならドレスデンやリモージュ同様「スタッフォードシャー」と窯群の名称で括られる程度の工場だがスーザンのお陰で名を馳せた。
1968年発行の英国陶磁百科事典にはグレィのことが数行、スージー・クーパーについては一言の解説もない。1981年のマークの本にも出ておらず、いかに最近の興隆かが伺える。しかしクラリス・クリフ同様、投機対象としてはもはや古い。
スタッフォードシャー Staffordshire 英国最大の窯業の地。日本の瀬戸や有田といった所。
16世紀後半に見られるスリップ・ウエアが初期の代表作で、18世紀から19世紀にかけてが最盛期となる。この時代に作られた陶器と塩釉ストーン・ウエアは有名だが、18世紀後期までは何処の窯もマークを使っていないので特定は難しい。
18世紀後期に現れたのはウェッジウッド、スポード、19世紀初期にはミントンがこの地から名乗りを挙げている。
セーブル Sevres セーブルはフランスのヴェルサイユとパリの中間の地。
その歴史は1738年のヴァンサンヌに溯る。シャンティリーから逃げ出した陶工を招いて研究を始めたのがきっかけで、40年に工場が作られ、45年には軟質磁器が完成された。ごく初期のはモノクロに近いような暗いトーンで花柄や神話などが描かれた。それからマイセン風のものが現れるが、50年頃には純ロココ調白磁人形が登場、壷や食器類にも後のセーブルの雰囲気を覗かせるタイプが見られる。有名なLLマークが定着したのもこの頃だ。
53年からはLとLの間にアルファベットを入れて年代を表すようになる。ちなみに53年がAでZは77年。翌78年からはダブルでAA、93年のPPで終わる。詳しくはマークの本をご覧いただきたいが、セーブルのLLマークは数ある西洋アンティークの中でウィーンと共に最も疑うべき印であるのをお忘れなく。18世紀のはLLとアルファベット以外にペインターや原型師などのマークがあるのが普通。
民間経営だった工場が潰れかかったところへ救いの手を差し伸べたのがルイ十五世の愛妾、マダム・ポンパドゥールで1753年のこと。(セーブルのスタートをこの53年にするか工場がセーブルに移った56年にするか完全に王立となった59年にするか、迷うところだが地名なのだから56年が相応しいだろう)
豪華絢爛なセーブル製品はマイセンをも凌ぎ、黄金時代を迎えたが64年にポンパドゥール夫人が亡くなってからは華やかさは次第に薄れ、ロココからルネッサンスに戻ったような絵柄が見受けられるようになる。これは衰退というよりも、事実上のオーナーがルイ15世の次の愛妾デュ・バリー夫人に代わったため。彼女の趣味に変えただけである。ところがルイ15世も亡くなり、16世と共に王妃マリー・アントワネットが登場して本当の凋落が始まる。何しろ重なる散財で工場に廻す金がなかった。そして革命。
現存するセーブルの優品は稀である。良く見るジュエルで装飾された貴婦人の描かれたカップや皿などは100パーセント偽物。ただし悲観することはない。ウィーンと同じように、それはそれでアンティークとして認められている。
デルフト Delft オランダにイタリアからマヨリカの製法が伝わったのは16世紀初頭。しばらくダッチ・マヨリカと呼ばれるマヨリカモドキであったが、17世紀初頭に中国染付風タイプが作られるようになった。同時期にデルフトが窯業の町として台頭し始め、やがて全盛期を迎える。そのためオランダの錫釉陶器すべてがデルフトと呼ばれるようになった。デルフトが中国写しを始めたのは当時人気を博していた中国磁器が高価で、その代用品としての需要による。
日産のフェアレディZというクルマは「チープ・ポルシェ」なんて呼ばれていた。この伝でいけばデルフトはさしずめ「貧乏人のチャイナ」。それでもフェアレディZですら我々には高嶺の花だったように庶民のものだった訳ではなさそうだ。デルフトは17世紀中頃に明朝の崩壊など中国混乱期を迎えて全盛期を迎えるのだが、18世紀後半に景徳鎮で大量生産が始めると零落、末になってフランス軍に町を占領されて終焉を迎えた。
19世紀になって復活し今日に至るが、復興デルフトに優れたものは少なく、アンティーク市場でもあまり評価されていない。最も優れているとされるのは1640年から1740年にかけてのものだが、18世紀後期の物でも絵付けはむしろ細かくそう悪くないと思う。
新しいデルフトと古いものの見分けはおおむね易しい。というのも新しいので出来が良いものが少ないせいだが、もちろん精巧なものもある。ただし錫釉の新しさは隠しようがなく、高く売りつけるために表面を砂で擦ったりして古びを出すなどする。この場合はルーペで見れば判明する。なお、デルフトというと白地に青絵付けのみと思われがちだが、日本の錦手を模した派手な色合いの物など他のタイプも少なくない。
ドレスデン Dresden ドイツの商業地ドレスデンはマイセンと10マイル以上も離れた街だが、サクソーニ地方の首都だったことやマイセンの仕上げ工場があったりで、英米で昔はマイセンのことをドレスデン・チャイナと呼んでいた。その為に混同されることがあるが、現在アンティーク界で言うドレスデンとは19世紀にドレスデンの地に次々と創窯された工場群を総称する。有田焼きとか景徳鎮の焼きもの、と言った感覚でそれなりに評価されてはいる。製品はマイセン・タイプが主流。多くはマークが違うし、似ているのも焼き・絵付けとも甘くて間違うこともないが、Helena
Wolfsohn などはオーガスタス・レックスのARマークをそのまま使っているので初心者が興奮して「初期マイセンを手に入れたぞ!」となる。艶の無いのが古い証だと思うようだが、マイセン製品は初期でも焼きは堅くまさしくポーセリン(タカラ貝)、ドレスデンとは艶が違う。
パリ Paris 王立だったセーブルでは磁器の製造と彩色に関する独占権が認められていた。つまりフランスではセーブル以外に磁器や豪華な陶器は作ることが出来なかったのだ。それが1780年に廃止され、それまで僅かだったパリの工場が林立するようになる。パリとは単独の窯を言うのでなく、それらの工場を総称する。英国・スタッフォードシャーやドイツ・ドレスデンと同じだ。
多くがセーブル亜流、粗悪品だが、18世紀末から19世紀初期にかけて、ごく一部で製造された中には絵付けの非常に優れた物があり、正確なデッサン、緻密な表現力においてはセーブル・ウィーンをしのいでいる。
ヘレンド Herend ヨーロッパの小国ハンガリーで生まれたヘレンドは、マイセンを始めとする巨大工場が軒並み力を落す中の1840年頃に生まれた。デザインは専ら東洋陶磁、それに例によってマイセン、セーブル、ウィーンなどを手本としている。しかしヘレンドが偉かったのはそれらの安価コピーでなく、18世紀の品質を求めたところ。やや地味ながらもしっかりした作りは本家元祖たちの製品に飽き足らなさを感じていたヨーロッパ上流階層に支持され、51年のロンドン博ではヴィクトリア女王の注文も受けている。(現在も続くヴィクトリア・パターンだが、昔のよりは色調を弱めてクドさを除いている)20年くらい前は「下手なマイセン買うよりもヘレンドにしなさいよ」と人にも薦めていたが、昨今ではアンティークは品薄で下手なマイセンより高くなっているのが難である。
ベルリンK.P.M. Berlin 1751年ドイツ・ベルリンに創窯。一旦閉鎖されるが間もなく再開。(別の窯ともされるが、少なくとも職人は引き継いでいるようだ)1763年から王立となる。従って実際はこの時からベルリンK.P.M.になるのだが、通常KPMの文字がマークに入れられ始めた1832年から第一次大戦までをKPMで呼んでいる。ちなみにK.P.M.とは王立磁器工場の略なのだからマイセンも実はマイセンK.P.M.であり、実際ごく初期には交差剣に加えてKPMと染付で入れられているのもある。
王杓マークの代わりに「丸にクロス」マークが使われたのは第一次大戦後で、質は概してやや落ちる。KPMとだけプリントで記されてのは別窯。
初期作品はマイセン風が多く、1770年頃から建物など描かれた独自の緻密で硬派な作風が見られる。(これも元はマイセン、ウィーンだがKPMのがもっとも細かく写実的)陶板が焼かれ始めたのは1830年頃からだが、初期のは宗教がらみの題材が殆ど。新古典主義などの絵画風が描かれたのは1880年以後が多い。
初期のは偽物は少ないが陶板は多く、KPMで焼かれた板に他の窯で絵付けした例もあって悩まされる。この場合は見分けるのが至難の技だが単純に考えればよろしい。陶板は絵付けがすべて。デッサンが正確でないのや色調に破綻があるのは、よしんば本物であっても評価されない。逆に驚く程見事な絵付けならばニセモノだって価値はある−(そんなシロモノは見たことがないが)。それが工芸品である陶板と絵画の違いだ。
まあ具体的なことを言えば、転写のラインが分かるようなら別窯。KPMでも大まかな輪郭は転写で下描きしたと思うのだが、よほど薄く載せたのか上手に絵具で消したのかルーぺで見てもまったくわからない。それから艶。高温で焼き付けされたのは深い艶を持つ。
板本体の見分けは、陶板を裏返して素地に貝殻のような密度があれば信用出来るし、石膏のような質感であれば低温で歪まないように焼かれたことがわかる。本物は厚く重量感があり、板に布地の跡のような目が残っていることが多い。マークが絵柄と逆さまになっている場合も多いが心配ない。
マイセン Meissen 西洋で初めて完全な磁器を作った窯。工場は1710年にドイツ・マイセンの地に創立された・・・歴史的なことはいずれ書くとしてここではマイセンの買い方。
実はマイセンの贋物は少ない。本物とそっくりな、という意味であるが。難しいのは18世紀の人形くらいで他は大体見てわかる。19世紀の人形は眼が命。笑っているのも怒っているのもあるが、どれも実にしっかり描かれている。ただしあまりぱっちりしたのはない。髪も一本一本丁寧に表現され、服の模様も均一で手抜きがない。人形以外でも大事なのは艶で、マイセンでは高温(1460度)で焼き上げるので独自の艶がある。修理した個所もこの艶に注意すればおおむね分かるが、葉や花などは小さい部分は難しい。もっとも腕や首などがつなげてあるなら価値も下がるが、葉や花それにバスケットなどの修理についてはあまりマイナス点にならないのでさほど気にすることもない。草花のついたアンティーク人形で完全な品はむしろ不自然なくらいだ。
マイセンではエナメル以外、金彩も深い艶がある。(20世紀初期のもので幾つか薄っぺらな金彩のものを見たことがあるが、これが外で金装飾されたのかマイセン自体で質を落したのか確認していない)交差剣の染付マークは濃淡、太い細い、大きい小さい等色々あるが、基本的な形に変化はない。剣の柄がUの字になっていたり、柄の片方がなかったりと形がおかしいのは全部他の窯と思っていいだろう。剣マークに染め付けの数字やアルファベットの加えられているのも同様。オリジナルに見られる付加マークは・(ドット)それに数は少ないがTとUのローマ数字と*印。これら以外ならまず疑った方がいいが、ドットや*の偽物も数多く、しかもさほど質が悪くないので注意が必要だ。
他にアルファベットのKPMやKHCWなどもあるが、市場で見かけることはまずない。
オニオン・パターン製品によく見られるMEISSENとアルファベットで入っているのも他の窯。交差剣マークに刻み線の入れられているものについては「キャンセレーション・マーク」の項を参照されたい。
マヨリカ Maiolica スペインのイスパノ・モレスクがマヨルカ島を経由してイタリアに輸入されていたことからイタリアでは錫釉陶器をマヨリカと呼んでいた。日本で陶磁器を瀬戸物と呼ぶ感覚だろう。やがてこれが転じてイタリアで作られた錫釉陶器をマヨリカと称するようになった。
名称のいわれからイスパノ・モレスクから生まれたように思われがちだが、スペインよりもイスラム本家からの影響が強いようで、いわばイスラム陶器が父、イスパノ・モレスクは兄というところだろう。13世紀末から14世紀には焼かれ始めていたようだがマヨリカ独自の色絵となるのは15世紀から。イタリア・ルネッサンスが盛期を迎える15世紀末から16世紀にはマヨリカも全盛期を迎える。有名な窯場はファエンツア、カステル・デュランテ、ウルビノなど。
明るく力強い色調は数百年を経た現在でも衰えることはない。というか、作られた当時は相当に生々しかったのではないか。だからか18世紀以降では色合いを押さえていることが多い。このマヨリカは色調が落ち着いていて良い、なんて見える品はむしろ新しさを疑うのがいいだろう。
オークションでは30センチ位のウルビノ絵皿で数百万円というところ。17〜18世紀ものは五分の一とか十分の一。19世紀なら百分の一。もっとも古い優品が少なくなった為か、19世紀ものでも忠実に16世紀を再現したような品なら数十万円になることもある。
なお、マジョリカ Majolica とはマヨリカの英語訳として解釈されており、今や一般的になっているので間違いとも言えないが、本来はミントンが1850年に開発した陶器の商標登録名。
初期にはイタリア・マヨリカ風であったが、まもなく自然を造形と釉薬で表現したフランスのパリッシーに近い作風となった。釉薬は、東洋で言えば艶のある三彩風といったところか。
リモージュ 仏 Limoges リモージュの名称は日本の有田や瀬戸などと同じ窯業地名で、1771年に最初の磁器工場が創窯されてはいるが、セーブルに買収されて白磁をセーブルに提供する下請けとなり、後に吸収されている。
現在リモージュとして市場に出回っているのは19世紀に建てられた小さな窯の製品が殆ど。中にはアビランドの様に大手に成り上がった工場もあるが。
18世紀セーブルのLLマークの殆どはこのリモージュあるいはパリで作られたコピーであると考えていいだろう。また、現在プリント・マークまで正確に模造した19世紀セーブル・コピーもアメリカで多く見られるが、一応時代はあるもので、アメリカの一流会社でこのような確信犯的贋物を作ったことは想像し難いし、19世紀の零細会社でこれだけ上手に真似た品を大量生産出来たとも思えない。これらもリモージュ製ではないかと考える。
アビランドの創設者はニューヨークの貿易商だったとかで、製品もほとんどアメリカ向け。他にも同様な窯は多かっただろう。リモージュの3流窯よりセーブルの方が高く売れるのは間違いないところで、殆どのアメリカ人は本物のセーブルなど見たことが無かっただろう。いかにも怪しい。
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