留学してた時の体験や表具屋での発見や思った事を書いていきますので、覗いてみてください。

留学体験記9
BAコースの授業であるが、我がチェルシーに関しては休みが多かった。というより授業の日が少ない。週二日、授業があり、一日に講義が入っている。でも、二日以外は遊んで暮らせると言うわけではない。課題の制作を自宅でやるのである。僕の場合は、家でやると落ち着かないので、学校の空いている教室で制作をやった。図書室もあるので分らないことがあったら、すぐに調べに行けるので、このスタイルは卒業まで続けた。図書室のおばちゃんとも顔なじみになって、よく話をした。また、キャンパス内には小さな画材屋もあって、色々、買いに行ったが、店員のお婆ちゃんは無愛想で何もしていないのにいつも怒り口調だった。
 食堂のおばちゃんもとても陽気な人で、色々、笑わせてくれた。ロンドンにいた頃はイングランドの人は無愛想で冷たいと思っていたが、こう書いてみるとそうでもない事に気がつく。
2003年07月06日 15時18分46秒

留学体験記8
留学すると一番、悩むのはホームシックである。それも友達が出来れば日本を恋しくなる事も減るのであるが、渡英して暫くは、発作を起こしたように泣く事があった。多分、ホームシックとこれからの生活が不安だったのだろうと思う。ホームシックの対処方は、泣くのを我慢せずに思いっきり泣く事だと思う。まぁ、ロンドンの場合、ピカデリーサーカスに出れば日本の本や食糧を売る店があって、ホームシックには対処が出来た。しかし、食料や本を買うと高くつくので、そんなには買えない。僕が一番、頼ったのは音楽であった。日本のポップスをよく聴いた。B'z、サザンなど。特にサザンの「稲村ジェーン」のサントラは、僕が生まれ育った鎌倉を舞台にしているので、よく聴いた。
 不思議な事であるが、B'zの曲を聴くとロンドンにいた時の頃を思い出すという困った癖がついてしまった。
 留学する時は自分の好きなアーティスト(日本人)のCDを持っていくと良いだろうと思う。
2003年06月30日 23時29分27秒

留学体験記7
BAの授業は週に三回ほどであった。というのも、BAの教室が狭い為、入学した学生を一度に教える事は不可能だからだ。BAの教室は二回にあって、工作室も完備されていた。この工作室を使うには安全面の講習を受けなければいけなく、すぐに使えるような物ではないが、
結構、本格的な木工の機械が置いてあった。これは模型を作る為には不可欠な設備であり、なかなか、重宝した。
 さて、授業はインテリアデザインの学科なのであるが、建築の分野から入っていった。最初の課題は、建築家の名前が書いてある紙をくじで引き、その建築家について分析して、そのスタイルを使って独自の作品を作ると言うものだった。僕は、運が良いのか、悪いのか。
安藤忠雄に決まってしまった。はるばる日本から来て、日本の建築家について勉強しなくてはいけないとは、ちょっと情けない気持ちになったが、仕方がない。教授からは、同じ日本人なんだから楽勝だろう?と言われ、結構、プレッシャーになったが、これも、勉強だ。何か得る事があるのは、他の建築家も同じだ。と思っていたが、以後、僕のデザインは、どこか安藤忠雄テイストを持つものとなった。
 僕の入ったインテリアデザイン学科は建築色の強いコースでこのように建築からアプローチして、インテリアに入っていくようなカリキュラムになっている。だから、BAを終えて、
建築学科に進む学生も少なくない。
2003年06月11日 09時20分53秒

留学体験記6
ここで、僕のBAに進んだときの体験について書こうと思う。入学試験は面接がメインである。入学試験には学部長と教授がペアで行い、色々と質問される。僕の場合、前の章で書いたとおり、ロンドンインスティチュートの入試を受け、見事に落ちてしまい、また、正規の入学試験でも落ちてしまった。その時点で一年間のBAの一つしたのコースに入る事を決めていたのであるが、BAに在籍していた日本人の友人から学部長に頼み込んで、もう一度、試験を受けさせてもらったらとアドバイスを受けたのである。その人も、学部長に頼み込んでポートフォリオ無しで入学させてもらったらしい。
 そこで学部長にお願いして再入試をお願いしたのである。しかし、試験日が夏休みの為に日本に帰るちょうど、その日の午前中だった。学部長も、三回も試験を受けて来た僕の熱意に負けて、その場で入学を許可する書類を書いてくれて、事務室に提出するように言われた。
 ちょうどその頃のBAの学生は学校に来ない学生が多かったらしく、サボらないように監視していると学部長から言われてしまった。BAの授業は週三日程度だったので、二日は来なくても良かったのであるが、毎日、学校に来て制作やリサーチをした。そのお陰で、BAに入って来た一年生に学部長が僕の話をするそうで、
 僕をまるで伝説の人物のように見る一年生が結構いた。毎日、学校に来ていたのは家でやるより作業がはかどるのと、制作の為の相談相手が必ず見つかるからである。
2003年06月04日 11時37分17秒

留学体験記5
さて、ここで、もうちょっとチェルシー美術大学(以後、チェルシー)について説明しておこうと思う。チェルシーはロンドンインスティチュート(London institute。以後LI)という連合を構成する一校である。チェルシーの他には、セントラル セイントマーチンズ、カンバーウェル、ロンドン カレッジ オブ プリンティング そして、ロンドン カレッジ オブ ファッションがある。
 LIは世界で一番でかい美術大学だそうである。(LIの学校案内書によると。)
 LIに加盟している学校に入ると少し特典がある。各学校には図書館があるのだが、どの図書館にも、学生証でアクセスが出来、また、本を借りる事が出来る。
また、LIの他の学校の学部に移りたいと思ったら、新たに授業料を払わなくても、移る事が可能である。ただ、その移りたいコースに空きがある場合に限るようである。
 LIには専用の語学学校があって、英語を母国語としない学生に無料の英語の授業を提供している。もちろん、英語だけでなく、様々な言語を教えているそうで、ある英語の授業で日本人の生徒が日本語で「この授業、つまらないなぁ。」と言う話をしていて、偶々、日本語を教えているイギリス人の先生が英語を教えていたので、「私の授業がつまらなくてすいません。」と日本語で言って驚かせたという話を聞いた事がある。
 チェルシーにいた時、週に一回、この語学学校から先生が派遣されて、教えてもらった。
 論文の時などは色々とチェックしてくれて大いに役に立った。サボる奴もいるのだが、これは出ておいた方が良いと思う。内容もアートやデザインの分野の事を使っての授業なので面白い事、間違いない。
もう一つ特典があり、それは、正規の入学試験は一回なのだが、LI内試験があって、まず、LIの学校で学んだ学生が優先的に入試を受ける事が出来るのである。だから、LIの入試で落ちても、正規の入試で受けなおす事が出来るので、二度、受けるチャンスがあるのである。
2003年06月04日 00時09分40秒

留学体験記4
普通の大学だと学期末には試験があるのだが、美大は違う。試験の代わりに、面接がある。
教授が学生の作品を見て、採点するのである。
入学試験は全て作品を郵送して行ったので、BAに行く為のちょうど良い予行演習となった。
面接は20分程度だったと記憶している。
この面接が終われば、楽しみのお休みが待っているのである。
 その面接では、自分の作品について説明をし、教授の質問に答えるだけのシンプルなものである。ファウンデーションコースでは経験しなかったが、レベルに達していないと見なされるとやり直しを言い渡される。休みの間にやり直して、再提出しないといけないのである。
 
2003年06月01日 01時46分46秒

留学体験記3
ファウンデーションコースにはファインアート、デザイン、そして、マルチディシプリナリーとクラスが分かれると書いたが、一学期を終える時点で自分が行きたい分野を決めるのである。マルチの授業で受けたインテリアデザインで制作した作品がインテリアの教授に認められ、インテリアデザインを選択した。
 教室は工場みたいなキャンパスから20分ほど歩いたところにある小学校を改装したキャンパスの食堂の中からでないと教室に入れない奇妙な教室であった。腹が減ったら扉を開ければ良いので、便利であった。
 授業は殆ど制作で始まり制作で終わると言う感じだった。午前と午後と教授のアドバイスを受け、自分のアイデアを形にしていく。制作期間は、大体、二週間から三週間あり、制作期間の終わりには、講評があり、生徒一人ずつ、自分の作品について説明をして教授の批評を聞く。また、インテリアデザインの場合、制作の最初にやる事は実際の現場を見て印象を掴んでおくことから始まる。それから、必要な情報を図書室でリサーチし、自分のアイデアを膨らませていく。ちなみに与えられた現場は想定された用途を与えられて、それを元にデザインを進めていくのである。想定なので実際に形にはならないが、とても面白い。
 授業は実技が主体で、講義は週に一回程度であった。
 
2003年05月24日 18時41分35秒

留学体験記2
渡英して4週間は、語学学校に通ったのでポーランド人の家族の家にホームステイした。なかなか、居心地が良かったのであるが、学校が変わる以上、出て行かないといけない。しかし、不慣れな地での生活であるから、最初からフラットを借りるのは、怖いので学生寮に入る事にした。寮はロンドンに二ヶ所あって、一ヶ所はテニスで有名なウインブルドンの近くあるファーズダウンホール。もう一つはチェルシー美術大学のファインアートのキャンパスの近くにあるラルフウェストホールである。前者は自炊で、後者は食事付であった。お世話になったコンサルタントのアドバイスでファーズダウンに入居が決まり、部屋を見に出かけた。ロンドンの中心から地下鉄で30分くらい掛かるところに学生寮があった。後に知るのであるが、夏目漱石も一時期、学生寮の近辺に住んでた事があるそうだ。この寮は、一番、奇妙な寮である。というのも、寮が高校の敷地内にあるからである。風邪をひいたら最後、学校のチャイムで、寝れたものではない。 しかも、自炊で、各階の台所の冷蔵庫には鍵が付いていた。食料を盗む不届き者がいるのである。しかし、生活自体は楽しかったというのも、この寮にはチェルシーだけでなく、ロンドンインスティチュートに加盟する学校の生徒も住んでいるからである。
 色々な分野で学ぶ学生と仲良くなり、色々と勉強になった。そこに一年くらい生活したが、滞在できるのは一年だけなので、二年目からは、フラットに移った。と言っても、一人で住むのは、相当、家賃を払わないと住めないので、フラットをシェアーする事が、一番、ポピュラーな住み方である。日本でも広がりつつある。一人暮らしをしようと思うと、危険な南の地区に住むか、すごく遠い所でないと無理である。フラットシェアーは、自分の他に人がいて楽しいのであるが、掃除などを当番制にして、また、光熱費や電話代などを割り勘でやらないといけないなど大変な事もある。海外に住むということはとても大変な事なのである。
2003年05月23日 22時45分49秒

留学体験記1
僕の留学生活は記憶している限りでは平成8年の9月から始まった。
渡英する前、すでに母校となるチェルシー美術大学から入学許可のオファーを貰っていたのであるが、滑り止めにともう一校、受け、合格していたので、語学学校に4週間、通って決める事にした。
 一応、両方のキャンパスを見ておこうと、言ってみたのであるが、後者の学校の方がすんなりと見つかって、チェルシーの方が大変だったので、チェルシーを蹴るつもりでいた。が、留学を手伝ってくれたコンサルタントに相談して、結局、チェルシーに行く事になった。
 後から気が付いたのであるが、チェルシーのキャンパスに近い地下鉄の駅で降りなかったのが大変な思いをしたせいだったのである。
といっても、キャンパスは大学と言えるようなものではなかった。どちらかと言うと工場と言った感じの場所でチェルシー地区からも外れていた。キャンパスを一歩出れば、住宅地であった。チェルシーはロンドンの四箇所にキャンパスを構え、僕が通うキャンパスともう一つのキャンパスは近くにあったので、両方のキャンパスを行き来する事になった。僕が入学したコースはファウンデーションコースである。名前のとおり、基礎を学ぶコースで、三つのコースに分かれていた。ファインアートコース、デザインコース、そして僕が入ったマルチディシプリナリーコースである。ファインアートとデザインはその分野の事だけ教えるがマルチは両方を教えるのである。つまり、入学する前に自分の志す道を決めなくても良いのである。僕の場合、最初はプロダクトデザインを勉強したいと思っていたのであるが、ファウンデーションコースでインテリアに変更した。日本の美大にも見習って欲しい部分である。
2003年05月19日 00時06分44秒

イサムノグチ庭園美術館。
ゴールデンウィークを利用してイサムノグチ庭園美術館に行った。高松郊外の牟礼という庵治石という石が産出される町にそれはある。
 そこは、ただ、行けば見れるというものではなく、往復葉書による応募が必要である。僕も何でそんな面倒な事をしなくてはいけないのか不思議であったが、応募した。
 庭園美術館はイサムノグチが実際に彫刻を制作し、生活した場所がそのまま美術館になっていて、今にも今は亡きイサムノグチが制作していそうな感じに亡くなった時からそのままの形で開放されている。見学は一日、三回と少なく、また、時間も指定されているのである。
 庭園内のイサムノグチの作品の中には未完成のものも沢山あり、それが、まるで美術館の展示のように置かれている。イサムノグチは最初から美術館として公開する為に、配置を緻密に考え、また、制作した。葉書で応募するのも、また、見学時間が指定されているのも、そのためなのである。つまり、一回の見学が済むと、庭園内の地面は足跡でグチャグチャになり、次に見に来る人たちの新鮮さを失ってしまうので、次の見学の時間までに綺麗にしておく必要があり、その為に見学は一日、三回と決められているのである。イサムノグチは、庭園美術館の自ら設計した瀬戸内海を望む丘の上に建つ自然石の中で眠っている。
2003年05月06日 14時44分17秒

ロンドンの天気。
まぁ、改めて書くまでもないが、ロンドンの天気は曇りと雨が基本である。
それでも、夏は晴れが多い。曇りの日に慣れると晴れた時のロンドンの街並みが新鮮に見える。よく「霧のロンドン」というイメージでロンドンをとらえられているが、ロンドンにいた間、そういう体験は一度もしなかった。
 
 冬のロンドンは非常に寒い。まぁ、北極圏に近いのであるから当たり前の事である。
しかし、スコットランドあたりは、更に寒いのでロンドンはましな方である。
 
 ロンドンの曇りと雨の中での生活になれたせいか、雲、一つない晴天の日は落ち着かない。
それに、午前中、晴れていても、午後から雨が降ることも多く、テレビの天気予報も日本の程、当たらない。外れるほうが多いので、参考程度に見ることにして、折りたたみの傘をいつも鞄の中に入れて出かけていた。
2003年04月02日 15時04分47秒

長崎と原爆。
1945年8月9日の原爆の悪夢があったとは思えない美しい街、長崎。
この美しい街、長崎がある限り、戦争はあってはならないと思う。
また、核を使う事もあってはならないと思う。

 長崎で被爆して亡くなった人は日本人だけではない。捕虜として長崎の収容所にいた連合軍のイギリス人とオーストラリア人の兵士がいたという事実も忘れてはならない。

 ボタン一つで何万もの命を失う事の出来る
原爆。何万人もの人々の人生をボタン一つで狂わせてしまうというのは、本当に恐ろしい事である。そのボタンには、それだけの重みがあるのである。だからこそ、原爆を無くし、少しでも、平和に貢献する事が大事である。 そんなバーチャルな世の中だからこそ、命の大切さをもう一度、見つめ直す必要があるのではないだろうか?

 長崎には今も、原爆の傷跡が残っている場所がある。
原爆が落ちていなかったら、もっと美しい街になるがずだと思いつつも、原爆が落とされたという事実がある以上、それを伝えていかないといけないのではないかと思う。
2002年11月28日 23時01分33秒


ロンドン、Chelseaの好きな通り百選 パート3 コベントガーデン編2
コベントガーデンにはもう一つの見所がある。コベントガーデンへ行く道と交差するようにロングエイカー(Long Acre)が通っている。その反対側には、小さな区域ではあるが、お店が並んでいる。アロマセラピーとかに興味がある方は二ールズヤードレメディースはよく知っているブランドであると思う。ブランドの名前であるニールズヤードはどこか夏目漱石がいたころのロンドンを思わせる面影を残している。また、色々と変わった店が目立つ。特にベルギー料理を出すベルゴセントラルというレストランは、ロンドンに来たら、絶対。行って欲しいレストランである。店内に入るには荷物を運ぶためのようなエレベーターに乗り地下に降りる。内装は、モダンな中にも何か修道院を思わせるような感じになっており、ウェイターやウイトレスは修道服のような服をまとっている。だからといって宗教的な儀式が行われるわけではないが。テーブルは大体、5,6メートルはあろうかという長いテーブルが何個か置いてあり、そこに何組かのグループが座るのである。お勧めはムール貝の料理とオリジナルのビールである。
2002年10月28日 22時31分07秒

ロンドン、Chelseaの好きな通り百選 パート3 コベントガーデン編1
コベントガーデンは昔、市場があった場所である。今は、ヴォクスホールという地域に移されている。コベントガーデンの特徴は市場の名残であるピアザ(piazza)があり、沢山の店があったり、露天が出てたりしている。最大の特徴は、いつでも大道芸人が芸をしているということである。芸をしているところには、必ず人だかりが出来ていて、ただ、それを見に行くのも楽しい。また、コベントガーデンには、ロンドン交通博物館がある。ここは鉄道マニアでなくても楽しめるはずである。特にショップには、実際にロンドンバスや地下鉄で使われていたシートの生地を使ったクッションや地下鉄の職員が使っているドクターマーチンの靴などが売られていて、面白い。僕はよくここに通った。見ているだけで飽きないし、また、ロンドンの美大生御用達の画材屋があったからである。露店も毎日、同じ店が出るのではなく日によって変わるので何時行っても面白いはずである。コベントガーデンへのアクセスであるが、地下鉄のピカデリー線(ヒースロー空港から中心に出るときに使う線)のコベントガーデンで降りるとよい。ただ、下車する客や乗車する客が多すぎると一時閉鎖されてしまうので手前の駅、レスタースクエアーから降りて歩くことをお勧めする。
2002年10月22日 19時43分35秒

可笑しい現象。
イギリスにも沢山の日本人が留学している。また、アジアからの留学生も沢山いる。だから、最初から誰が日本人で誰が違うかなんて、全然、分らない。だから、最初の挨拶は英語である。それで、「君はどこから来たの?」という質問になる。中国とかタイだったら大丈夫なのであるが、もし、日本人だったりすると無性に恥ずかしいのである。二、三年、住むと大体、日本人か、じゃないか分ってきたが、最初は本当に手探りという感じである。
 また、ある時はこんな事があった。僕の名前は向こうの人からすれば呼びづらい名前であったので、短くして「サト」と呼んでもらうようにしていた。すると、途中から親しくなった日本人の友人がやたらと「佐藤」さんと呼ぶようになった。どうも、苗字で呼んでいるものと勘違いされたらしい。日本で初対面の時は少なからず失礼のないように警戒しているものであるが、イギリスに行くと倍、警戒しなくてはいけないので疲れるし、日本人だと分った時の落胆が大きい。その反面、自分とは違う地方に住む友人が出来て、楽しくなる。
2002年10月22日 19時25分19秒

ロンドン、Chelseaの好きな通り百選 番外編 バタシーパーク
ロンドンといえば、ハイドパークか、セントジェームスパークが上げられるが、私が好きな公園はバタシーパーク(Battersea park)である。チェルシー地区からテームズ河を隔てたバタシー地区にある公園で東京ドームがすっぽり入るくらいの広さはある。スポーツ施設が充実しており、陸上用のトラックやテニスコートがあり、また、日本の仏教集団が建立したといわれる、ポゴタがある。大きな声では言えないが、イギリスの公園では巨大な建造物は建ててはいけないという法律があるそうで、思いっきり違法建築なのである。しかも、それが、テームズ河沿いにあるのでどこからでも、見ることが出来る。違法建築でもいっこうに取り壊されることがないのはバタシー区役所の寛大さなのか、それとも、財政難からそのままにしてあるのかは分からないが、見事な建築物である。
2002年10月16日 16時24分38秒

ロンドン、Chelseaの好きな通り百選 パート2 キングスロード編
ピカデリーサーカスからバス、22番か19番に乗って10分くらい乗るとスローンスクエア−(Sloane squar)という広場に着く。キングスロード(King's road)の出発点である。余談であるが、スローンは、人の名前である。ハンス スローン(Hans Sloane)といい、様々な植物をイギリスに紹介したことで知られ、また、チョコレートをイギリスに二日酔いの特効薬として、紹介した人物である。

 キングスロードは、僕にとっては生活の為の通りであった。というのも、僕の通った美術学校のファインアートのキャンパスがキングスロードの近くにあり、週一回の講義を受けに通っていた。また、二年間、キングスロードの終わりに近い地域に住み、また、最終学年の時は近くの学生寮に暮らしていた。 キングスロードは十分、歩いて端から端まで歩ける長さである。 通りには数多くのトレンディーなお店が建ち並び、あの有名なイギリスのデザイナーコンラン卿が創めた生活用品店とレストランが三店、存在し、週末は大賑わいである。僕はキングスロードを、ただ、ブラブラするのが好きだった。必ず新しい発見があり、また、インスピレーションを与えてくれた。また、歩いている人も様々で、よく見かけたのは、近くにある老兵院に暮らす退役兵士のおじいちゃんたちである。外出する時は礼式用の軍服を着ていて、杖をついているのが、とても可愛く映る。
 チェルシーの街を突っ切るキングスロードの唯一の交通手段はバスである。スローンスクエアには地下鉄の駅があるが、キングスロード沿いには一つも無い。そのお陰で、良い運動になったと思う。多分、バスが時間通りに来なかったから歩いたわけでなく、歩くのが気持ち良い通りだから、自然にそうさせていたのかもしれない。
2002年10月14日 00時40分20秒

ロンドン、Chelseaの好きな通り百選 パート1 ピカデリー編
イギリスに渡って最初にお世話になった英語学校がピカデリーにあった。因みにピカデリーサーカスからナイツブリッジに続く道がピカデリーである。だから、ピカデリーは、僕にとってはとても馴染みのある通りである。また、映画「ノッティングヒルの恋人」でジュリア ロバーツ扮するアナ スコットが泊まっていたホテルリッツがある通りといえば映画を見た人は誰でも分かるだろう。日本大使館もこの通りにあって、非常に立派な建物であり、なんと、僕が通った英語学校の隣ということで、パスポート無くしたら、迷わずにいけるなと安心したものだ。(そのような経験は、結局、無かった。)日本大使館や英語学校の裏手はロンドン屈指の高級住宅地の一つ、メイフェアーである。そこには隠れ家的な小さな店が多数あってそこをウィンドウショッピングするというのも面白いかもしれない。日本大使館からピカデリーを挟んで反対側には、グリーンパークという公園がバッキンガム宮殿まで広がっている。奇しくも僕がロンドンに来た年は、猛暑でグリーンパークの芝が枯れて、黄色くなっていたので、英語の講師が「グリーンパークじゃなくて、イエローパークですね。」とジョークを言ったのを思い出す。また、ピカデリーにはロイヤルアカデミーという美術館もあって、よく大学の友人と特設展を見に行ったものである。この僕の留学生活の出発点といっても過言ではないこのピカデリーをChelseaの好きな通り百選、第一号にしたい。
2002年10月10日 18時02分38秒

ロンドンの街
東京とロンドンは、同じ大都会でも、随分と様子が違う。そもそも、違う国にあるのだから当たり前である。ロンドンは非常によく考えられた都市である。都市の中心だというのに、ハイドパーク、グリーンパーク、セントジェームスパークという広大な公園が存在し、ロンドン市民の重要な憩いの場になっている。建物にしても、エドワード朝様式、ジョージアン朝様式、ビクトリア朝様式といった、様々な様式の建築があり、また、モダンな建築もいろいろなところに点在している。それらの建築様式は、とても刺激的である、インテリアの観点から見ても、非常に興味深いものがある。外見はビクトリア朝様式でも、中は、今風のモダンな店が入っている。そのギャップが面白いのである。日本にも見られるが、イギリスの建物のように寿命が長いわけでなく、また、用途が少しでも、変わると平気で取り壊してしまう。これは、非常に残念なことだと思う。東京駅を戦争前の姿に復元するといううれしいニュースも耳にするが、それだけでは足りないような気がする。イギリス人は古いものを大事にする風習があり、それを学ばないといけないと思う。もちろん、新しい技術も大事である。が、それは、また、古い習慣を消し去ってしまっているということでもあるのだ。 それを第一に考え、私たちは生きていかないといけないような気がする。
2002年10月02日 20時49分16秒

2002年09月25日 00時13分47秒
デザインの大事な所。
この連休に丸ビルに行ってきた。やはりオープンしてから二週間くらいしか経っていないのと、連休がぶつかって、偉い人の数だった。エスカレーターにはこれでもかというほど、人々が殺到していて、真っ直ぐは、絶対、歩けないくらいだ。しかも、設計のミスとも言えるべきことが見つかった。トイレである。商業スペースはタップリあるのに、トイレの大きさは小規模のビル並みである。丸ビル自体はとても大規模なものである。なのに、一度にトイレにありつけるのは三人程度。男子のトイレでも、長い列が出来たのは言うまでもない。デザインは素晴らしいものであるが、そればかりを追い求め、機能の方を疎かにするのはいかがなものかと思う。 丸ビルの場合、ちゃんとしたトイレの数の検討がなされていない感じがする。 デザインは細部まで、細かな配慮が必要である。トイレも必要な大きさというものがある。そういう部分を解決できないと、いくらかっこいいデザインでも、不評を呼ぶものになってしまう。そうならない為にも、実際の設計をする前に、検討、研究することが大事だと思う。

2002年07月16日 23時51分43秒
留学の先輩。
某放送局で夏目漱石のロンドン留学の足跡を追う番組を放送していた。 ロンドンが題材だとどうしても見てしまうのである。 それにしても驚いた事に、僕が渡英して最初に住んだ街にも、漱石の足跡を残していた。漱石が住んでた頃と今とでは、随分と違うが、漱石が住んでて不快に思っていた事には、分かるような気がする。何故なら、その街の治安はさほど良くなかったからである。

 とは言っても、今と漱石が暮らしたロンドンは、まったくの別世界である。今では、日本人向けの本屋が点在し、郊外には、ヤオハンの遺産であるオリエンタルシティーなるショッピングセンターがあり、日本の教育機関も多数、存在する。単身、一人でロンドンに行った漱石は心細かったと想像出来る。それに比べ、僕は、結構、恵まれた環境で留学したんだなぁと思う。

2002年05月12日 00時10分05秒
日本人のマナーの無さ。
表具屋での修業以外にコンビニでバイトをしている僕は、一つだけ我慢の出来ない事がある。それは、日本人のマナーの無さである。店内で平気で携帯で話し、レジでお金を払う時も、切らずに話す輩がいる。それは若い人だけには限らない。「最近の若い人は・・・」というおばさん達もいるが、そういうおばさんのマナーもひどいものである。 最近、マナーの悪さが気になって仕方がない。特に携帯のマナーは目をおおいたくなるくらいである。iモードは便利であるがマナーの著しい低下を招いていると思う。イギリスはiモードが普及していないせいもあるが、あまり、街中で大声で話す人は見掛けない。携帯に関しては、日本は退化する必要があるのではないかと思う。

2002年03月14日 21時09分42秒
価値観。
日本ではグルメ、グルメと色々なメディアで騒いでいるが、それが本当の幸せなのであろうか。日本人の間では、イギリスの食べ物は不味いという。果たしてそうだろうか。僕は、そう思わない。イギリスのファーストフード的な食べ物であるフィッシュ&チップスは美味しいと思ったし、寮で食べた夕飯はまわりの噂に反して美味しかった。、まぁ、食べ物にあまりこだわりがないからかもしれない。 でも、逆に寿司などを食べても、あまり有り難いとか嬉しいとか感じない。 美味しいと感じる事は大事であるが、一人で食べる時はさておき、人と食べる時は、食べ物よりその時間を大事にする事が一番大事であると思う。イギリス人はそういう事を大事にする人である。 パブに行くとそれがよく分かる。日本の居酒屋のようにドンチャン騒ぎをしている連中は皆無に近い。逆に喫茶店のような感じさえするように、仲の良い友人と世間話をしたり、冗談を言い合ったりと飲むということより、その時間を大事にしている。それが、今の日本に大事なのではないだろうかと思う。

2002年02月02日 11時33分10秒
インテリアデザインはリサイクル不可能?
最近、よく復元された椅子や家具などが、雑誌の表紙を飾っていたりする。物によってはこのように復元する事が出来る。しかし、僕の専門分野であるインテリアデザインは、そうはいかない。 デザインした空間が老朽化や新しいニーズに適応する為に取り壊されれば、御役御免になるのである。だから、全く同じように復元する事は容易ではないのである。逆に言えば、復元できないものだからこそ面白いのだと思う。 その分、細部まで慎重に検討を重ねなければいけないが。 インテリアデザインとは、人間の生き方の提案をするデザインだと考えている。空間を使うのは人間なのであるから当然であろう。 

 インテリアデザインが最も重視されている都市はロンドンだと思う。というのも、ロンドンには空襲から逃れ、今も建っている建築物が多く存在し、景観からすれば、昔も今も、あまり変っていないと思われる。 ロンドンのショッピング街、オックスフォード通りから、少し外れた通りには、昔、発電所で、現在では、変電所として使われている電気会社のビクトリア王朝様式の建物が今も、残っていたりするからである。そんな、感じの街でも、店のインテリアは、斬新なデザインになっている。それに負けないくらい、ショップウィンドウのデザインも凄い。特にハービーニコルズとセルフリッジというデパートのショップウィンドウは注目する価値はある。この間も、テレビで、ショップウィンドウで実際に女性の人が住むという奇抜なアイデアのものがセルフリッジのショップウィンドウに採用されたと報道されていた。 一見、古臭そうなロンドンの街もデザインの視点から見ると常に斬新なのである。 一昨年、卒業式に出席する為に半年ぶりに渡英した時も、ロンドンは、随分と変貌していて、迷子になりそうになったくらいであった。

2002年01月30日 10時40分48秒
障子が教えてくれる事。
去年の年末は、障子の紙を剥がす作業ばかりやっていた。障子紙のさんにくっついている部分を水で濡らし、ヘラで取り除いて行く作業なのであるが、紙を剥がした後の障子はちょっと力を入れただけで、壊れそうなくらいやわなものになってしまう。まぁ、障子は全て、使い古したものなので一概には言えないが、紙の力とは凄いものである。紙がなければ、強度は半減してしまう。それは、人間関係にも見られるなぁとつくづく実感する。友人等の自分と関係する人々がいるからこそ、強く生きていけるんだなぁと思う。そういう関係がなくなれば、人はとても弱いものだ。 そういう意味で、表具は技術以外でも勉強になるものであると思う。

2002年01月28日 11時53分28秒
ロンドンで留学生活。
留学生活と聞いて、皆様は、どう想像するのであろうか。 確かに異国に住むという事は魅力的な事であると思う。でも、行くと行かないでは印象も随分と違う。留学は持ったより大変というのが本音である。というのも、留学するには留学ビザというのを申請しなければいけないのであるが、イギリスでは飛行場で申請する方法と法務局に出向く方法がある。 一番、簡単なのは飛行場で申請する方法である。入国審査の時に申請すのである。必要な書類は入学許可書と資金を証明する書類、又は、カード。 そして、パスポートである。それを審査官に見せるだけなのである。まぁ、場合によっては半年しかくれない事もある。 法務局での申請は、はっきり言って大変である。 というのも、法務局の庁舎は、ロンドンの中心から離れた所にあって、いつも申請する人でごった返している上、審査は、飛行場のそれより、非常に時間がかかる。お陰で半日、庁舎にいるという事は当たり前である。 

 現在では廃止されているのであるが、僕がいた頃は、グリーンカードと呼ばれる証明書を持つ事を義務づけられていて、転居の際には新住所を申告しなければいけないという面倒臭いものだった。 

 留学の大変な所はビザのみならず、生活にも現れる。 アルバイトの場合でも、ビザの記述によっては、アルバイトが出来ない。 今では改善され、そのような事はないようである。

 ちょっと顔を背けたくなるような事ばかり書いてしまったが、悪い事ばかりではない。まぁ、留学生だけに限られた事ではないが、ロンドンのバラ(区)によっては、区税免除や、割引があり、学生には嬉しい学割(?)である。

 それに、日本の大学より、留学生が多い様なので、様々な国の人々と仲良くなれるのも、留学の楽しみだろうと思う。

2002年01月25日 08時08分46秒
表具屋の仕事。
表具屋の仕事というのは、簡単に言えば、内装の専門家だと思う。僕は襖と障子しか作り方を学んでいないが、壁紙を壁に張るのも表具屋の仕事なのである。去年から今年に掛けて、現場に何度か足を運び、親方の仕事を手伝っているが、それは大変な作業である。壁のみならず、天井にも壁紙を張るので、どんな大変な作業か想像できると思う。壁紙の大きさは、現場の大きさによるが、僕の身長はゆうに越える長さがある。

 今、僕はマイ襖を親方から頂き、少しづつであるが紙を貼る練習をやっている。張り方は、デッサン用の紙を木の板に張る要領と似ているので簡単なのであるが、大体、A3サイズの紙を袋張りという方法で半紙の端の部分の約2ミリの所に糊を塗り、張っていく。すると中心はふっくらとした感じになり、クッションのような感じになるのである。多分、自宅にある襖の表面をちょっと押してみると分かると思う。12枚ほど、貼っていくのであるが、それを隙間なく張っていくのは、そう簡単なものではない。これは、上張りといって、初期の段階であり、次に下手張りというのをやるのであるが、それは、袋張りではやらず、紙全面に糊を塗って張っていく。 去年から始めて、やっとここまでやったのであるが、なかなか面白い作業である。 

2002年01月24日 22時30分13秒
表具屋で修業を始めた訳。
4年間、イギリスで留学生活を送っていると不思議と日本の文化に興味が湧くもので、そんなの日本で学べば良いやん。と思うものだが、何故だか、イギリスで湧いたのだから仕方がない。 
 
 表具屋で修業をしようとしたのは、襖や障子をイギリスに持ち込んだら面白いものが出来るのではないかという事をふと思い立ったからである。伝統というと何となく、前進でもなく後退でもなくという、そこに留まっているというような感じを受ける。今の襖や障子は、新素材を多用したりして、素材からの観点からは進化をしているが、外見的なデザインは、昔と変らない。それではいけないのではないかと思う。伝統も進化しなければいけないのだと思う。それが表具屋で修業を始める最大の理由だ。
 


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