クリムトの人生は、芸術家として常に、愛とエロスと死を扱ったものでした。
そして、彼の周辺には常に多くの愛人が存在しましたが、生涯の恋人は、エミーリエ・フレーゲただ一人といわれています。

1862/7/16 ウィーンに生まれる。父親は貧しい彫金術士。
1876 奨学金でウィーンの工芸美術学校に入学
1879 弟のエルンスト、友人フランツ・マッチュとともに、オーストリア皇帝夫妻の成婚25周年記念式典の
装飾に参加。
1883 弟エルンスト、フランツ・マッチュと共に「芸術家商会」設立。多くの共同制作を行う。
1885 后妃エリザベートの別荘、ヴィラ・ヘルメスの内装を手がける。
1886 エルンスト、フランツと共にブルク劇場階段室の天井画を描く。
1888 芸術的功績により、皇帝フランツ・ヨーゼフより黄金功労十字賞を授けられる。
1890 ウィーン美術史美術館の階段ホールの内装を手がける。
水彩画「旧ブルク劇場の観覧席」で、皇帝賞受賞。
1891 ウィーン造形芸術化協会加入。
1892 父と、弟エルンスト死去。
1894 ウィーン大学講堂の天井画を委嘱される。
1895 ウィーン造形芸術家協会を脱退。
1897 「分離派」設立。会長に選ばれる。
1900 「分離派」展で抗議を受けた絵画「哲学」がパリ万国博覧会で金メダルを受賞。
1901 「分離派」展に「医学」出品。
 前年の「哲学」に続き、スキャンダラスな事件の様相を帯びる。
1901 JUDITH T
1902 第14回分離派展でベートーベンフリーズを発表。 1902  エミーリエ・フレーゲの肖像
1903 分離派会館で、クリムトの作品80点のクリムト回顧展。
1905 クリムトとその仲間は分離派を去る。 1905 人生の三世代
1908 第1回ウィーン総合芸術店に出品。
第2回同展にて、「接吻」など16点を出品。「接吻」はすぐにオーストリア政府に買い取られた。
1907 アデーレブロッホバウアー
の肖像
1909 ダナエ
1918 脳卒中で倒れ、死去 1907~8花嫁(未完)