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田淵行男 略歴と彼の周辺

 (2005.9.16現在)

1905(明治38)

 0歳

6月4日、鳥取県日野郡黒坂村(現・日野町)大字黒坂宿191番地に生まれる。>Mapion
父・吉弥(きちや)、母・阿又(おゆう)の2男3女の次男。吉弥は警察官であった。日野川が流れ、大山を望む美しい山村であった。

1909(明治42)

4歳

母・阿又が逝去

1911(明治44)

6歳

父・吉弥が再婚

1912(明治45)

7歳

日野郡溝口尋常小学校に入学。>Mapion
ジャコウアゲハの幼虫等と出会う。父の転勤に伴い、転校を重ねる。

1918(大正7)

13歳

岩美郡岩井尋常小学校卒業 >Mapion
父・吉弥が逝去。継母が実家に帰り、台湾台北市に住む実母の親戚一家に預けられる。

1919(大正8)

14歳

親戚一家が帰国。東京滝野川。>Mapion
神田の錦城中学校に編入入学

1922(大正11)

17歳

親戚一家から離れ、兄・行實(ゆきみ)一家と同居。行實は学習院中等科助教授であった。

1923(大正12)

18歳

この頃からチョウの細密画「写蝶」に取り組む。

1924(大正13)

19歳

錦城中学校卒業
東京高等師範学校(後の東京教育大学、現筑波大学)博物科(理科第3部)に入学。特待生となる。

1927(昭和2)

22歳

夏休みにギフチョウの研究のため、名和昆虫研究所を訪ねる。

1928(昭和3)

23歳

東京高等師範学校(理科第3部)卒業
富山県新湊町の県立射水中学校(現県立新湊高校)に赴任 >Mapion
預けられていた親戚一家の娘であった山本日出子と結婚

1930(昭和5)

25歳

長女早苗誕生
東京府立第2高等女学校と東京府立女子師範学校(後の東京学芸大学)兼務の教諭となる。
在任中は、北アルプスや近郊の山へ生徒を引率し、集団登山を指導。また、この頃から山岳写真の撮影を積極的に行い、写真と文による山の卒業アルバムの制作に生徒と励む。

1937(昭和12)

32歳

教壇を去る。

1938(昭和13)

33歳

東京本郷に「日本学術写真社」を起こす。

1939(昭和14)

34歳

独逸学協会中学校(独協中学)の博物学教師となる。
生物部と写真部の指導、また山岳部の発足にたずさわる。

1943(昭和18)

38歳

日本映画社(教育映画部)に勤務

1945(昭和20)

40歳

長野県南安曇郡西穂高村大字牧(現・穂高町大字牧)に疎開 >Mapion
高山蝶の生態研究に取り組み始める。

1946(昭和21)

41歳

常念乗越にて、タカネヒカゲの幼虫を発見

1951(昭和26)

46歳

初めての著作「田淵行男 山岳写真傑作集」(アサヒカメラ臨時増刊)が刊行される。

1957(昭和32)

52歳

日本昆虫学会創立40周年記念展に、チョウの生態写真、写生画が展示される。
昭和天皇が興味深くご覧になり、以後、著作を献上する。

1959(昭和34)

54歳

高山蝶」が出版される。国内外から高い評価を受ける。

1960(昭和35)

55歳

独自の設計による「黄色いテント」ができる。

1961(昭和36)

56歳

日本写真批評家協会特別賞受賞
終のすみ家である、豊科町岳町へ転居 >Mapion

1967(昭和42)

62歳

日本写真批評家協会作家賞(JPCA賞)受賞
豊科町公民館が落成。同館のホールの緞帳には、氏のデザインによる「常念山脈とライチョウ」が設置された。

1971(昭和46)

66歳

北海道の高山蝶の調査を開始。以後1977(昭和52)まで、大雪山・羅臼へ20回の調査を行う。
松本市芸術文化賞を受賞

1975(昭和50)

70歳

氏をモデルとしたNHK連続テレビドラマ「水色の時」放映(4月〜9月)

1976(昭和51)

71歳

環境庁「自然保護思想普及功労賞」を受賞(環境庁長官表彰第1号)

1978(昭和53)

73歳

この頃パーキンソン病が判明
大腸の潰瘍も発見され、翌年まで信州大学病院に手術入院

1979(昭和54)

74歳

長野県知事表彰(芸術部門)を受賞
「高山蝶田淵行男写真展」開催(豊科町郷土博物館、7月14日〜8月31日)また、同館に「田淵行男室」が設けられる。
上高地から常念岳へ登山。最後の登山となる。

1983(昭和58)

78歳

日本写真協会功労賞を受賞

1984(昭和59)

79歳

豊科町名誉町民(第1号)となる。推戴式で中原健二作曲の合唱組曲「山の季節」が演奏される。

1987(昭和62)

82歳

永年の蝶学会における功績に対し、日本鱗翅学会から表彰
10月、脳梗塞の発作。入院(豊科赤十字病院)

1988(昭和63)

83歳

「自然への賛歌/田淵行男展」開催(豊科町郷土博物館、3月26日〜4月6日)
豊科町へ地元団体から田淵行男記念館の建設の資金として多額の寄付の申出があり、町は記念館の建設を決意する。

1989(平成元)

83歳

「田淵行男記念館の建設を進める会」が結成発足(5月28日)全国に資金協力を求めた結果、絶大な声援とともに3300名を超える賛同者から多額の芳志が寄せられた。
5月30日、豊科赤十字病院で逝去
6月11日、豊科町民葬、豊科町名誉霊園に葬られる。

1990(平成2)

 

田淵行男記念館が開館(豊科町、7月7日)

2000(平成12)

 

7月6日、田淵行男記念館、開館10周年記念式を「レスト・チロル」で開催。
田淵行男記念館が、開館10周年を記念して「田淵行男賞」を公募(7月7日〜翌2月28日)

2004(平成16)

 

田淵行男記念館が、生誕100年と開館15周年を記念して「第2回田淵行男賞」を公募(11月〜翌2月28日)
 →「第2回田淵行男賞」概要

2005(平成17)

 

6月4日、田淵行男生誕百年記念事業実行委員会、田淵行男記念館が、「田淵行男生誕百年記念式典」を開催。
第2回田淵行男賞」受賞者を発表・表彰


【参考】
平木収・山崎文麿編「略年譜」(田淵「山は魔術師」、実業之日本社、1995年、pp.218)
財津達弥編「略年譜」(「田淵行男(日本の写真家11)」岩波書店、1998年、pp.68)
「田淵行男記念館パンフレット」ほか

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