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スキマ原体験 elementaly experience |
臼井敬太郎 USUI Keitaro |
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| - | 僕の家族は,新しい家に引っ越した。それは建て売り住宅で,同じハウスメーカーで作られた,白い洋風の家が肩を並べるように建っている片方である。肩を並べるくらいとはいっても,2つの家の間には背丈よりは低いもののブロック塀がある。たぶん,そこが敷地境界なのだろう。その塀から,それぞれ1.5メートルほどセットバックして両家は建っていた。向かって右側(東側)が僕の家だ。新しい家では,はじめて自分一人ための部屋が与えられたのだった。2階の部屋で南向きの大きな窓と西向きに小さな窓。素敵な部屋だと思った。しかし,気になるところがひとつ。西向きの窓ガラスは,何故かモザイクガラスになっている。だから西向きのガラスにはギザギザに偏光された風景が映し出されている。僕は,ギザギザ風景の正体を確かめたくて,エイヤと窓を開けてみた。すると,おっかなびっくり。窓の向こうに,もう手の届きそうなところにお隣の家の横っ腹が居座っていたのである。3メートル先は自分の景色ではなく,誰かの所有物である。そう思うと,何だかえもいわれぬ居心地悪さと圧迫感で頭がくらくらした。しかし,そんな居心地の悪さは,ある出来事をきっかけに急速に消えていったのだった。 |
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| - | それは,全くの偶然だった。お隣の家に住んでいたのは僕と同じ小学校に通う同級生とその家族であった。同級生の名前はゲンキ君という。翌日から,僕はゲンキ君と一緒に登校した。彼は,アメリカ帰りのフレンドリーガイで,すぐに仲良しになった。翌日にはゲンキ君の家にお邪魔することになった。彼が自分の部屋に案内してくれるというのだった。彼の部屋は,最も東側に位置していた。そして,彼の部屋の窓からは,向かいの僕の部屋の窓が,待ってましたといわんばかりに,そのフレームを主張していた。つまり僕の部屋とゲンキ君の部屋はこともあろうか3メートルほどのスキマを隔てて向かい合っていたのだった。僕は,その偶然がおかしくて,また,うれしくて,お互い,笑い合った。ゲンキ君も,やはり僕の部屋にやってきた。僕の窓からゲンキ君の窓までの距離を確かめていた。また,おかしくて,うれしくて,お互い,笑い合った。僕とゲンキ君はすっかり打ち解けたようだった。登下校だけでは足りない,おしゃべりは窓越しに,晩御飯の時間まで続けたものだった。 |
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| - | おしゃべりは,全く尽きることなく,僕の両親もゲンキ君の両親はすっかり呆れ顔であった。よくも飽きずに話が続くものだと思っていたらしい。僕たちにとっては,窓越しのおしゃべりは,特別なものであった。お互いの部屋に遊びに行かなくても,時間に縛られることなく遊べるのだから。雨が降ろうと,雪が積もろうと,僕たちの遊び場は確保されていた。調子に乗った僕たちは,窓から窓へ,鈴のついたロープを渡した。それは,両家を結ぶダイレクトなホットラインであり,ゲンキ君と僕の部屋を結ぶインターホンであった。ロープを揺さぶって鈴を鳴らすと,しばらくしてゲンキ君は出てくる。また,鈴が聞こえると,窓の向こうにゲンキ君のシルエットが揺れている,そんな具合である。ところで,窓から窓への距離は3メートル程度のものなのだが,この距離であれば,物を受け渡すことさえできるのだ。少し小柄なゲンキ君と僕が精いっぱい,腕を伸ばし合ったならば。物差しのように長い物であれば届いてしまう。 |
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受け渡しに慣れるまでは,何度か失敗し,大事な物を数メートル下の地面に落としてしまうことがあった。だいたい,落下地点はゲンキ君の家側が多かった。きっと僕の方が,身の乗りだし加減が上手だったということだろう。この窓から窓への距離は,物を介して物理的に連結されるものの握手はできない距離,スキマであった。直接,触れあうことはないが,話はできるし,物の受け渡しができる。微妙な距離感である。握手ができたり,窓から窓へと飛び移れる距離であったら,それほどおしゃべりを続けることもなかっただろう。ある意味プラトニックな関係だったのかもしれない。たぶん,プラトニックな関係には不可侵な領域としてのスキマが二人の間には必要なのだろう。ゲンキ君が素敵な女性だったとしたら,きっと僕は,越えがたいスキマに嫉妬し,嘆いたことであろう。向かいの窓の隣人に恋をしてしまうなんてことがあったら,ロマンチックではあるけれど,恋の進展となれば,それはそれは,もどかしいものであろう。
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| - | そんなスリリングでプラトニックなスキマは,二人の友情を一層深めたことは確かだ。しかし,冷蔵庫を開けて,食べたいものをつまむような気軽さで隣人に接することは,やはり礼儀なき行為。いつのころか,そのコンビニエントなスキマは,ふたたび居心地の悪いものに変わっていく。そのきっかけとなったのが,どれぞれの高校進学であった。高校生になった二人は別々の進学校に通い始めた。それぞれの高校の違いをスキマ越しに楽しく語る日々もあった。スキマ越しに好きな女の子の攻略法を考え合うこともあった。しかし,高校生の本分,すなわち受験勉強というのが進学校生徒の掟。いつしか,スキマ越しの会話はテストの点数の話に偏っていた。中間試験での英語は何点だったか,模擬試験での数学の偏差値いくらだったとか公表し合うのだ。ゲンキ君は,僕よりずっと勉強がよくできた。しかし,僕は思うようテストで好成績をおさめることが出来なかった。たまに満点の解答用紙などを見せつけられて,僕はそのまま窓から飛び降りたくなった。「なかなかやるねぇ」と,愛想笑いをしながら,羨ましさと悔しさを隠すのが精一杯だった。 |
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| - | 僕は,負けず嫌いで勉強もがんばったけど,ゲンキ君を追い越すことはなかなかできなかった。スキマ越しの点数公表会はいつしか,大きなストレスになっていた。僕とゲンキ君のテストの点数差は,いつしかスキマの距離に置換されていった。試験のたびに,スキマの距離は広がって行くような気がした。自分の成績の不甲斐なさに落胆した僕はやがて,居留守を使うこともはじめた。ゲンキ君が窓の向こうで鈴を鳴らしているが,聞こえないふりをして勉強をする。やがて,ゲンキ君はあきらめて鈴を鳴らすことをやめる。罪悪感に苛まれた。いつしか3メートルほどのスキマは津軽海峡のように超えがたい風情になってきた。夜中,スキマ越しにゲンキ君の部屋の明かりが見える。どちらが,遅くまで勉強をしているのか,どちらが先にギブアップするのか。対岸の明かりは無言の圧力となった。カーテンを閉めても漏れる明かりに,息苦しい競争心を煽られる日々であった。 |
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| - | 現在も,そんな狂おしいスキマを引きずっているのだろうか。そうではない。ゲンキ君も僕も大学生になって,それぞれ故郷を離れて暮らしている。ゲンキ君とは腐れ縁なのか,会おうと思ったらいつでも会える距離に住んでいる。それでも,普段は,お互い干渉することはほとんどない。ゲンキ君は,僕にとって,やはりモザイクガラスの向こうの人だ。だけど,スキマの向こうから鈴を鳴らしてくれたならば,もう居留守を使ったりしない。ガラリと窓を開けて,喜んで近況報告するだろう。やっぱり,3メートル程度のプラトニックなスキマを保ちつつ。この間,実家に帰ってみたら ,スキマ越しの窓は,相も変わらず対峙していた。 | - |
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