「遠雷」
「何故…私を助けた?」

目を合わせようともせずに問う男。女は苦笑しながら

「何度もお答えしたはずですよ?時が来たのです。」

貴方の目覚めの時が。
女はグラスに注がれたアルコールを飲む。

「お前は…何者だ?」
「その問にもお答えしたはずですよ。」

女はあの時“悪魔”と名乗った。
無論鵜呑みにするわけもないが…
私は本当に悪魔に魂を売ってしまったのだろうか。
絶望の淵で幾度と無く考えていたように…。
だとすれば…私はとんでもない人間だ。
己の苦しみを他人に転嫁することで、生きる希望を得ようとしている。
未だ戻れるのだ。遅くはない…

「その刃は誰に向けられているのですか?」
「他でもない…お前だ。お前が本当に悪魔なのならば…お前を倒す!」

女は笑った。己の心臓を狙う刃など存在しないかの様に、落ち着いていた。

「殺したければ殺して構いませんわ。私の勤めは貴方を呼び覚ますこと。役目を果たした以上、命など持て余すだけで惜しむ必要もありません。」

刃先との隙間はもう数センチというところまで、彼女は迫っていた。

「さあ殺すのです。そして思い出しなさい。三十年前のことを…!!」
「…三十年前、だと?」

男は呻いた。
この女は全てを知っている?
何故?

「何故…その事を知っている?」

一言一言、絞り出すように問う。

「私は知っています。貴方の受けた裏切り、心の傷、三十年もの間砂漠に閉じこめられた貴方の苦しみ…全て知っています。」

カタン、と音を立てて剣が床に落ちる。
頭を抱え、その場にうずくまる男。
全身はがたがた震え、声にならない叫びをあげながら…。

「さあ…その剣を向けるべき相手は誰ですか?」

知っている…
この剣を向けるべき相手は誰かを確実に私は知っている…
だが認めることなど出来はしない。
首を横に振った。
そんなこと出来は…

「さあ…その剣を向けるべき相手は…。」
「言うな!!」

咄嗟に剣を抜き払い、斬りかかっていた。
気が付いたときには、男の剣は目の前の女を袈裟懸けに斬り下ろし、返り血でその全身は真紅に染まった。
立ち尽くす男に満足げな笑みを向け、女は自らの血をその顔に塗りつけた。

「さあ…その剣を向けるべき相手を…殺すのです…。」


遠くで微かに…雷鳴が聞こえた。
やがてこの地に降り注ぐ雨を予言するように…。

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