研屋町は刀研ぎ師の職人町として時の掛川城主山内一豊公によって設けられた13町の一つと云われ、以来四百十数年にわたり面々と受け継がれ現在に至る。 現存する屋台は明治15年(1882年)に町内に住む建具職人の手によって建造されたもので、掛川祭加盟の屋台の中でも喜町(嘉永2年=1849年)、中町(江戸末期から明治初期)に次いで3番目の古参屋台である。 (掛川祭パンフレットからほぼ100%抜粋) 【余 興】 青 年 木遣りくずし・かっぽれ 子 供 紙人形・一合まいた 【だ し】 と 組 【天 幕】 洽威徳・照萬國 徳威洽萬國照:徳(道徳・人徳)は光のように強く広く国中を照らす。何物にも替えがたい力という意味。 【豆知識・補足等】 @彫刻は「幕末の左甚五郎」と謳われた諏訪の名工「立川和四郎」の流れを汲む高村他之介(号:権江茂師政)(当時は仁藤町に在住)と高村金治師光の手によって建造から何年か後に入れられたと言われている。 正面欄間が「鍾馗の鬼退治」、後面欄間が「子角(ねずみ)の大根曳き」であり、側面と後面の欄間三面で「十二支」と言われていたが実際は八支しかいなかった。 そして平成6年に持ち送り(その3年後に隅木が付いたことにより木鼻ではなく持ち送りと呼ぶのが正しい)の4箇所に四支(丑・寅・辰・亥)を入れ「十二支」となった。 A昭和54年の大祭に土台を取り替え、出囃子を設けた。 B昭和60年に出囃子の欄干と土台の漆塗りを行った。 C平成元年には110年余り経過した車輪を新調。 D平成6年に車輪の漆塗りを行った。 E平成9年に天幕を新調した。 F平成12年に屋台本体と車輪の漆塗り替えを行った。 (長野県木曽郡楢川村:中國漆器店)