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シモチュウ  の連載エッセイ
2002年



31.『いっぺんいうてみたかった』 (200212月)
30..『霜月の朝』 (2002年11月)
29.『嗅覚喪失』 (2002年10月)
28.『「単線社会」に憶う」』 (2002年9月)
27.『伝承』 (2002年8月)
26.『驕(おご)り』 (2002年7月)
 25.『慇懃(いんぎん)と傲慢』(2002年6月)
 24.『春暁とトンビ先生』 (2002年5月)
 23.『甘え』 (2002年4月)
22.『影』 (2002年3月)
21.『孫』 (2002年2月) 
20.『”ひと”へのこだわり』(2002年1月) 






  31.いっぺんいうてみたかった      
 いや、そんな大仰なことではありません。
でも、いつかは一度、物申したくと思っていました。
また例によって頑固爺いの、厄介なこだわりかも知れませんが…。

 かなり以前から気になっていた物言いの一つに、
「〜じゃないですか…」という話し方。
私にはどうにも耳障りで仕様がないんです。マスコミなどで
著名な紳士・淑女までが、会話の中で矢鱈(やたら)と
頻発していらっしゃる。おそらく、何の気なしに
口癖のような感じで語っておられますね。テレビの前で堂々と! 
電波映像は百万人(チョット大袈裟かな?)大衆の目・耳に届きます。
だからなおさらのこと、気になるんです。

 何の気なしにという辺りもすごく気になります。
ましてや口癖なんていうことになると、
只事ではないぞっていう気にさえなります。

 まぁ、例によっての頑固親爺の屁理屈を聞いて下さい。
屁理屈なんて、私の気分では少々へりくだった言い方で、
本当はかなりムズムズしながらの正論だと思っているんです。

 「〜じゃないですか…」という話し方は、
「〜じゃないですか?」と私には届きます。
その意味は、「?」を付けたように、問いかけの疑問詞でしょうか。
考えてみて下さいと思考を促す言葉ですか。それとも
「?」を付けない、単なる確認を求める意思表示なんですかね。
確認を求めるものとすれば、ちょっと押しつけがましい感じがして、
それこそイヤーな感じ。
事ほど左様にその時の口調次第では、如何ようにも受け取れます。
実に曖昧でいい加減な言葉です。

 天下の著名な紳士・淑女諸賢が、今やこれまた天下の公器にさえ
なっているテレビなどで、百万大衆(やはり大袈裟かな?)に向かって、
このような曖昧な言葉使いをするなんてこと、断じてヤメて欲しい、
いや、ヤメナサイ!と言いたい思いです。

 事の次第が分からなくて判断・評価がし難いのなら、
率直に謙虚に質問すればよい。
考えてみて下さいの思いならば、これも曖昧さを避けて、
ハッキリと考えてみて下さいと促せば事済むはず。
意思確認したい時には、「〜だと思います」と率直に発言して欲しい。
姑息な言い回しはすべきでない。卑怯な言い方です。

 古臭い老爺の例え話ですから、つい黴(かび)臭くなりますが、
孟子は自反而縮、雖千万人、吾往矣(自ら反〈かえり〉みて
縮〈なおく〉んば、千万人と雖〈いえど〉も、吾れ往かん)と、
孟子公孫丑上編で説きました。
自分でよく考えて正しいと思うなら、たとえ千万人の敵がいようとも、
私は断じて突き進む、という意味だと教わったんです。
自分を信ずるなら、何ら怖れることはない、
堂々と胸を張って行動しなさい、です。
それであってこそ天下の著名な紳士・淑女でしょう。
天下の公器であるテレビの前に立つ資格があると思います。
それをいい加減な、曖昧な言い方で誤魔化そうとするなんて、
絶対に許せない、と独り意気込んでいる男がいます
(こんな他愛もないことで、ムヤミに意気込むから、
血圧が上がると老妻はうそぶきます)。

 でも、そう確信するんです。だって考えてもみて下さい。
彼・彼女達の発言は時によっては、百万大衆
(もう一度言いたくなった)の動向をも左右しかねない。
そんなことすら敢えて出てくるかも知れません。
これはもう不作為の罪に当たります。
大上段に振りかぶっていうと、そんな感じがするんです。

 さて少々頭を冷やして考えてみましょう。これからは
血の気の多さを反省しながらの、私の独り言として聞いて下さい。

 カウンセリングの中でのClとCoのヤリトリで、
私達はいささか異常と思うほど、Coの対応発言に注意します。
一言一句の大切さを感じるからなんです。
とりわけ、ある一つの言葉が気になります。
気軽にと言おうか、何気なく発している簡単な対応ですが、
「あぁ、そうですか」」と無雑作に出している発言。
全く何気ない無雑作な言葉ですが、よくよく考えてみると、
気軽さや何気なさなんて単純に表現しているが、
いやとんでもない底意のあることに、ハタと行き着くんです。

 そんなこと、単なる口癖だと軽く流してしまいそうになる。
些細なことにこだわるなという声も聞こえないわけではない。
と自慰的に肯定したくなるのが、このところ無闇に怖い気がします。
つまりとんでもない底意とは、先にも述べた著名な紳士・淑女達の
「〜じゃないですか…」と五十歩百歩、意味するところはまるで同じだ、
の感じなんです。ハッキリ言えば自信のなさの表れだと思います。

 Clの発言に曖昧さのあることは当たり前。
でもCoはできるだけ曖昧さを排して対応しなくっちゃ、
と昨今しみじみ思っているんです。

 揚げ足をとるようでつまらんことを、と思いつつも、
溜まっていたことをいっぺんいうてみて、あぁスッキリしました。

 頑固爺いの屁理屈で固めたこだわりも、
存外、他愛もない単細胞的発想だったかも知れませんが…。

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  30.霜月の朝       

 今朝の寝醒めは首筋に感じたひんやりとした冷気。
流石(さすが)に今日はもう霜月の初めなんだ。
寝床の温みから今しばし離れがたい思いで過ごす。
今年も11月、年月の流れは本当に早いなぁとしみじみ実感する。
年齢(とし)の故(せい)かとやや自嘲気味に皺首を撫でてみた。

 こんな早朝の一刻(ひととき)に全く相応しくないのだが、
ふと霜月なんて風流な言葉にどうして惹かれたのだろう、と思った。
柄にもない風情の年寄りが、寝床の温みに未練を持ちながらの
雰囲気の中では、何とも似つかわしくない。

 ところがこの爺さん、持って生まれた妙なこだわり・凝り性。
霜月という言葉に触発されてヒョコンと出てきた二十四節気が、
どうにもこうにも気になって仕様がない。
寝巻のままのダラシない姿もものかは、歳時記や大辞林などに
取りついてしまった。
もうこうなると全く始末に終えない頑固爺に変身する。
階下からは「ご飯ですよ」と矢の催促の声が飛ぶ。
「ハイ」の返事も上の空の状況が二、三度続くと、
悪い癖を百も承知のカミさん、「勝手にしなさい」で一巻の終わり。
さぁこうなるとこだわりは止まるところを知らない。
天下御免の勝手さになる。

 さて二十四節気とは、“太陰・太陽暦で季節を正しく示すために
設定した暦上の点。一太陽年を二十四等分し、立春から
節気・中気を設け、それぞれに名称する”ということだそうな。
そしてこの区分は、天文学上の太陽系に係る黄経度の位置でもあるという。
首筋に冷気を感じたこの秋は、立秋−8月8日−節気・処暑−8月23日
・白露−9月8日・秋分−9月23日−中気・寒露−10月8日
・霜降−10月23日・立冬−11月7日−節気の間にあり、
それぞれに季節感に満ちた名称で6等分されている。
立春に始まる一太陽年というから太陰暦による等分である。
当然に体感する季節とはほぼ1ヶ月程度ずれる。
それにしても、霜月−11月といい、二十四節気それぞれの名称といい、
現用太陽暦から1ヶ月ほどのずれありというものの、
実に見事な名付けである。季節感と生活感がピッタリと
合ったその上に、とても風流な言葉使いである。
(その意味で、二十四節気はすべて音読みとしているし、
しなければならない。その訳は…。
風流とは程遠い朴念仁のこの老爺でも、例えば“霜降”を
「そうこう」と音読みし、「しもふり」とは読みたくない。
「しもふり」と読むと、何やら涎(よだれ)が出そうになる。
○○肉がすぐまぶたに浮かぶからだ。お育ちの程が
一度に露われてお恥ずかしい。風流の世界からかけ離れすぎ、
現実的とは誰も言うまい。ぜひ音読みを。念のため。…閑話休題。)

 道草を食って申し訳ないが…。私達は何と素敵な先人・
先輩を持ったことか。季節の移り変わりの中で、
巧みに生活を取り入れて一体化し、しかも逆らわずに
ゆとりを持って楽しんだ様子を、ありありと偲ぶことができる。

 加えてその上に風流さ・優雅さがある。
行雲流水というが、悠々と自然に触れて楽しみ、溶け合って生きた。
時に自然のもたらす招かざる暴力もあったであろう。
しかしそれすら天の摂理と心得、ムリに抗(あらが)わず、
やり過ごしたに違いない。そしてその命を絶やすことなく、
現在の我々に綿々と伝えてくれた。実に素敵で素晴らしい。
有難いと心から素朴に思う。

 そんな素晴らしい先人の命の灯を受け継いだ私が今ここに在る。
だらしない寝巻姿のままで、歯も磨かなきゃ顔も洗わず、
こだわりという虫に取りつかれて早や二刻(とき)。
カミさんから「勝手になさい」と放り出されて食事も取らず。
凝り性・こだわりもここまでくれば、我ながら呆れ返るばかりだ。
ゆとりとか風流さなどとは全く無縁の状態である。
有難いと偲び感謝する先人には、後人(こんな言葉があるとしたら…)の
端にも置けない、とんだ頑固親父だ。いやはや大変申し訳ない。

 そして明日に2002年度初級産業カウンセラー養成講座閉講式を
控えてしみじみ思う。かねて受講生に対しては、
ほとんど口癖のように「カウンセラーは、とらわれてはならぬ・
こだわるなかれ・偏るな」と説いていた。
自己の枠組みで聴くと、こだわる惧れあり。
「もっと柔軟に!」とも伝えてきた。
持って生まれた妙なこだわり・凝り性と前述した私は、
当然に自認する性格の傾向である。
それだけに受講生に伝えてきた言葉は、己に対する自戒の意を込めた
強い赤信号でもあったのだ。

 でもここでホンのわずか自己弁護をさせてもらうと、
過度の好奇心=こだわり・執着、という等式が成立するなら、
私の場合、時に度を越す異常性を示すことがある、ということだ。
だが奇人・変人といわれるほどには決してなるまいと自重している。
いや反省これ努めている。少なくともカウンセリングの場では、
極力自制し自戒している心算(つもり)だ。
このコントロールを失ったとき、必ずやクライエントの拒絶に遭い、
忽(たちま)ちにしてカウンセリングの関係は破れる。
今朝感じた皺首のひやりとした感覚が、現実のカウンセリングの場で
出るとしたら、大げさにいえばまさに命取りとなる。
おー恐(こわ)や、恐やだ。

 結論→ほどほどの好奇心に留(とど)め、カミさん曰くの
「勝手にしなさい」にも、本気で従っていこう。

 霜月は素晴らしい気づきを与えてくれた。マジで有難うと言いたい。
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 29.嗅覚喪失       

 嗅覚を失ったと気づいたのは一昨年、2000年9月頃だった。
頃だったというのは、秋の味覚を代表する秋刀魚(さんま)を
焼く臭いを全く感じなかったからだ。
あの食欲をそそる臭いが狭い家中一杯に充満しているのに、
全然その刺激を受けていない。当然変だと家内から指摘された。
嗅覚喪失なんて痛くもかゆくもない症状だから、
まるで気づかなかったのだ。これは実に鈍感といおうか、
お粗末というべきか、何ともダラシのない話である。
異常さを指摘されるまでの日常生活では、
何らの支障も不便も感じなかったからだろう。

 五感のうちの大事な嗅覚機能を何時(いつ)しか失ったのだから、
これは大変とばかり専門医を訪れた。
ところが医師より意外な宣告。
この症状についての的確な治療法はないとのことで、
大げさにいえば“まさか”の驚きであった。
でも今ただちに命に関わる病ではないことにひと安心したものの、
さてさて、昨今の医学界の進歩は目ざましい、随分と我々は
その恩恵を受けてきた、と思い込んでいるのに何故?と不思議でならなかった。
痛くもかゆくもないし、日常の生活にはほとんど差し障りがない。
したがって嗅覚の回復治療など、現在の医学をもってすれば
何程のこともないはずと、独り勝手な思い込みをしていたのである。

 説明によれば、嗅覚神経の中枢は前頭葉の下部、
目と目の中間くらいのところにある由
(今朝の新聞に「記憶の在庫は前頭葉下部で管理する」と、
東大チームがアメリカの専門誌に発表したと報じた)。
そういえば、このところ“ウッ、知っているのに思い出せない…”
“ド忘れ!”という呆けの現象は、嗅覚異常と関係があるのかなァ。

 とにかく早速嗅覚の検査だ。感覚器官の検査だけに、
微妙な臭いの差を試すいろんなテストをした。
そしてその結果、「何が原因かは判りません。
とりあえず機能回復のため、当面しばらくの間、
メチコバールというビタミン剤を服用して様子を見ましょう。
それにしても嗅覚に異常を生じた場合、
まず食欲が後退するものなんですがね」と不審な面持ちであった。
女医さんらしい、親切で優しく丁寧な診察でもあっただけに、印象に残った。

 それ以来実に丸2年間、延々としかも真面目に服用し続け、
今日に至っている。
でも正直なところ、“心なしか”ホンの少々臭いを
感じるようになったのかなァ…程度の回復?ぶりで、
いささか心許(こころもと)ない。

 ところで既に学んだ発達心理学では、感覚・知覚機能として
視・聴・嗅・味・触の5感覚に痛覚を加えた6機能を論じている。
そしてこれら6機能は生後6〜8ヶ月の間で、
ほぼ成人に近い発達を示すという。
つまりかなり早い段階で経験的に学習し、基本的な機能を持つようだ。
経験的に学習して感覚・知覚の機能が発達するという説明は、
経験の重要性を強く感じる。

 先に女医さんは、嗅覚は食欲にも影響するはず、と言ったが、
食物の出す臭いを経験的に感知して、食欲にも大きく関係するとの
説明と理解し、なるほどと合点できる。
嗅覚の異常を生じても、経験的学習の積み重ねで、
味覚や触覚などはある程度補われるのであろう。

 感性とは感覚・知覚の両機能を統合したものだとすると、
豊かな感性とか鋭い感性というのは、いささか短絡的で
強弁に過ぎるかも知れないが、経験の量に比例すると言いたい。
我々はカウンセリングを学ぶ中で、豊かな鋭い感性を
受容器官として、共感的に情緒の動きを理解しようと努力する。
カウンセラーの自らの経験による対応は、できるだけ避けたいと心がける。

 でも経験が感性を磨く大切な学習だとするならば、
往々にして勝手に振り回す年寄りたちの体験論的人生観のお説教は、
時に有り難迷惑となるので論外として、
「経験はあるに越したことはない」という言葉もそれなりに理解できる。
そこで、私もまだ78歳にしか過ぎない、と思うと、
体験の積み重ねで潰(つぶ)れたという話を聞いたことがないから、
今からでも遅くはない…さてもう少し体験を求める道を歩むとするか
(チョイとばかりしんどい感じだが…)。

 最近とみにチンマリと小さくなった思いのする老妻が、
今晩のメインディッシュは秋刀魚とのたまうた。
もうもうと焼き上がる煙の中で、嗅覚は喪失しても
経験の中に培われた秋の味覚は失っていない。
秋刀魚の煙は食欲をこの上なく刺激してくれるだろう。
二人っきりのささやかな夕餉(ゆうげ)だが、
その食卓がこよなく待ち遠しい。秋刀魚万歳だ。

 そして、ハイ!女医さん。
食後にメチコバールをキチンと服用します!
…と私は言うに違いない。

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 28.「単線社会」に憶う 

 長生きさせてもらったお陰で、このところかなり時間的にゆとりを得た。
有難いことだ。
古風な言い方をすれば隠居に近い佇まいで、率直に申せば、
食う寝るところに事欠かぬ有難い境涯というところか。
分相応に過ごす限りこんな楽なことはない。

 ただほんのチョッピリ欲を言えば、わずかでもいいから
“今少し”生かして下さい、とささやかに祈っている。
というのも9年来の宿痾である脳循環障害とその後遺症、
そして当然のことながら老化現象の進行などなどは、
生理的にやむを得ないと思うものの、“今少し”ね…!

 だからといって無為に日々を送っているわけではない。
かなりの頑固者を自認しつつも、30年来の主治医の忠告を殊勝に、
そして大事に守っている(素直に言えば守っている心算(つもり)。
その一っ。できるだけ体を動かせ!
 …半分嫌々ながら散歩しようと努めている。
その二。できるだけ頭を使え!
 …新聞を読む・本を読む。そしてカウンセリングを生涯学習としている。
大した事ではないから、それほど大仰にいう代物(しろもの)でも
ないのだが、“今”の私にしてはなかなかの努力である。

 さて8月20日。ある著名な新聞の朝刊社説で、
「単線社会は折れやすい」と題して主張していた。
新聞社説のことだから殊更に刺激的な造語で、
「単線社会…」と表現したのであろう。
その造語につい惹(ひ)かれて活字を追い拾い続けた。
要旨は以下の通りだ。

 1.働き盛りのサラリーマン・自営業者の自殺者数約3万人。
98年頃から急増し、一向に減る傾向にない。
 2.40代、50代の男性が急増の主因で、失業や倒産の深刻化と
並行して急増中。
 3.ただし、自殺者の心の闇に迫るのは困難。統計数字だけで、
不況と自殺の関連を談じることはできない。
 4.世相や会社組織など日々変化している。でも生き方は
急に変えられない。そんなもどかしさを共有する人々は少なくあるまい。
 5.バブル経済の崩壊という時代の激変が、自殺者増加の主因と推定する。
 6.1950年代半ばに自殺者が高まり、若者の自殺が目立った。
最近は中高年が悲劇の主役。戦後10年とバブル崩壊後10年、
共通項がありそうだ。
 7.戦争もバブルも、国民が単一目標に向かって突き進んだという
意味ではよく似ている。そんな時代の崩壊後、その時を懸命に生きた人が
落差に耐えられなくなり、自らを死に追い込むのかもしれない。
 8.同質性の強いのが日本社会の特徴だ。一つの価値観で生きる
「単線社会」は、ぽっきりと折れやすい。自殺者はその社会の
犠牲者でもある。
 9.自殺防止には、カウンセリング・精神科医・通院しやすい
職場・地域の連携など、システム作りが重要だ。
 10.でもそれだけでは不十分。一つに失敗しても別の路線が
用意されている社会。多様な価値観共存の社会。
「単線社会」を「複線社会」に変えるしかないのではないか。
 11.右肩上がり経済の時代はもう来ない。甘い夢は捨て、
身の丈に合った生き方をしていくしかあるまい。
 12.「人命尊重」の理想は、戦後の民主主義の輝く成果である。
そこには戦争犠牲者への哀悼の念も含まれている。
 13.いま中高年の自殺多発という新事態は、人命尊重の意味を
考え直す必要がある。

 2000字に近い社説を極力短くまとめた心算だが、
さすがに文筆を専門とする論説委員の論文には無駄がない。
やっとの思いで要約してみた。

 でもここまでまとめてきて、ハタと気づいた。
この社説の主張するところは、理路整然としており
全く異論を差しはさむ余地はない。

 だが“全くその通り”と納得し合点するだけでは、
あまりにも空虚に過ぎると思い始めた。

 「単線社会はぽっきり折れやすい」と題したこの社説。
「単線社会」「複線社会」という用語と概念は、さすがだなぁと
感心するものの、私には「単線社会」=単細胞的発想社会、
いや短絡的発想で一方向に猪突猛進の傾向の強い社会、と響いてくる。
そしてそれが同質性の高い日本社会の特徴とし、
中高年に多発している自殺者はそんな社会の犠牲者だと説く。
その故に「複線社会」に変えようと主張する。
しかし多様価値観共存が「複線社会」だとするなら、
その社会のもたらすストレスもますます多様となり、
多様でありながらしかも同質性の濃い日本社会となってしまう。
価値観の閉塞性によるストレスを自殺年慮の主因と信ずる私には、
新しい発想の用語でひと括りとする自殺論に、にわかに
共感しがたい空虚さを感じる。

 老化現象の進行は生理的に、そして天の命ずるままに
自己受容しつつ、でも“今少し”いかして下さいと
凡人の欲をムキ出しにしている「私」を思う。
生涯学習のカウンセリングは人間尊重即人命尊重でもあると
するならば、“今少し”生かして欲しい「私」を
自殺多発の単線式日本社会から、必ずしもにわかに共感しがたい
複線社会であるが、その変容のためにわずかでもいいから
役立たせてもらえれば、“今少し”に通ずるかも…。

 普段かなりいい加減な言動をしている私だが、
今この稿を起こしている限りでは殊勝な思いでいる
(もう一人の私が、ヘェーホントにソウカイと、ちょっと心配そうに…)。

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  27.伝承      

 その日、7月18日(木)の昼下がりは、台風一過とやらで
殊のほか暑かった。銀座はまるで蒸し風呂同然で、
忙しげに往き交う人々のゲンナリした顔・顔・顔。
ヒートアイランドとはよく言ったもんだ。

 その銀座の一角、とあるレストランに屯(たむろ)している老人達7人。
称して福中五九童会という面々で、意地悪い眼(まなこ)で
ゲンナリ面(づら)を見ている。「暑いのに御苦労さん」と。

 7人衆の幹事役がこのレストランを予約した時、
福中五九童会を福中極道(ごくどう)会と勘違いされ、
マスターから当初断られたそうだ。
いたずらっぽい口ぶりで説明する幹事役に、
一同、いかにも満足そうにうなずきながら、
よく冷えた部屋からゲンナリ面をしげしげと見ている。
ホントに意地の悪い年寄り達だ。

 旧制福井県立福井中学校(現福井県立藤島高等学校)第59回卒業・
東京在住同窓会を称して、福中五九“童”会といたずらした。
昭和18年の卒業(私は昭和17年、4年修了で進学上京したので、
18年卒業組に編入された)の悪ガキ連中である。
年を経る毎に人数は減るが、60年前の紅顔の美少年?達の集いである。
かつての美少年達であるが、少々遠慮して“童”と名付けたものだ。

 前置きが長くて恐縮だが今しばらく我慢願いたい。
我が母校旧制福井県立福井中学校は、その昔、安政2年(1855年)
3月15日・越前藩主・源中将松平慶永(春嶽と号す)の
創設に係る由緒ある藩校である。
したがって遡ると、現在創立満148年を数えることになる。
途中明治5年の学制改革を経過するが、
五九童の面々は創立満89回生となる勘定だ。
誇り高き“童”を自負するガキ共でもある。

 毎年この時期銀座に集うのは、かつてのガキ時代の夏休み直前、
2週間にわたる水泳訓練に由来する。正規の課程であった。
九頭竜(くずりゅう)川の上流で水府流太田派という古式泳法を学んだ。
青褌(あおふん)・赤褌(あかふん) (泳法の資格)を狙って、
真っ黒に陽焼けしながらお互いに競い合ったものだ。
1学年からの3年間の訓練で、金槌を恥じたガキ連中が、
苦しみながらも一様にみんな100メートルは泳げるようになった。

 火ぶくれに近い焼けた肌は本当に辛い思い出として未だに忘れない。
でもそれにもまして泳げる自信を与えてくれたことは、
尽きぬ話の種として、この時期必ずといってよいほど
我々の脳裏に浮かんでくる。遠慮なく照りつける真夏の陽光は、
陽焼け止めなどというシャレたもののなかった当時、
天幕一つない石ころだらけの川原で、まともに肌で受け止めた。

 梅雨明けの暑さ到来は五九童七人衆にとっても
決して心地よいものでなく、素直に言えば招かざる客である。
みんな一様に程なく傘寿(さんじゅ)を迎えようとしている。
口だけは達者、だが必ずしも言行は一致していない。
有態(ありてい)に申すなら、今日、ここ銀座に集った時の様子は
「暑い、暑い」の連発。ヤレヤレ、ドッコイショと
ようやく椅子に辿り着いたというのが本音である。
60年前の紅顔の美少年の面影などまるでなし。
一口冷たいものを啜(すす)って砂漠での水一滴を実感している。

 照り返す舗道の銀座は、「暑いのに御苦労さん」と意地悪く
うそぶく年寄り達の、ほのかなノスタルジーをそそる場所。
長いながーい前置きは、実のところこのことを言いたかったのだ
(大層な前触れでゴメンナサイ!)。

 由緒と伝統に培われた我が母校旧制福井中学校で、
60数年前悪ガキ共はニキビ面で学んだ。
蛮(ばん)カラにあこがれ、弊衣破帽(へいいはぼう)、
朴歯(ほおば)の高下駄は当時のこれまた伝統風俗であった。
その数多い伝統の中で今に至るまで忘れ得ない思い出が、
古式泳法、水府流太田派を学んだ、あの炎天下、
九頭竜川河畔2週間に及ぶ猛特訓である。

 五九童会当初の集いの目的は単なる懐旧の思いだった。
それがいつしか母校の由緒を語り、伝統を誇っている中に、
単純素朴なエピソードである辛くて苦しい、
でもどこかで悪ガキの心を犇(ひし)と捕らえた水練に凝縮した。

 三井物産の部長だったOは「伝統は力だ」と言う。
川崎製鉄で部長で退職したIと、中学以来身長の伸びていない
東大名誉教授のTは異口同音に「そうだ。その通り」と。
大手紙問屋の経理部長まで勤めた慶應ボーイのKも、
ワンテンポ遅れて「そうだよな」と応ずる。
海軍兵学校卒のA、陸軍士官学校卒の私。奇しくもそれぞれ
アメリカ資本の外資系企業で数少ない日本人役員として苦労した。
そして会う度に言う。
「五九童会のメンバーも残り少なになってしまった。
でも我々は何かを語り継がないとなぁ」。
幹事役で唯一の現役社長、独自の技術で開発した製品をもって
ユニークな経営をしているHは、「俺の技術は赤褌を勝ち取った、
あの粘りのお陰サ」としみじみ語る。
七人衆の主張は、事前の打ち合わせもないのに期せずして、
「福中五九童会は伝統を誇りとして、後輩に伝承する責務あり」と、
いつしか黙示の了解になってしまった。
おそらくそれは、常識的にそして生理的な自覚として、
己(おの)が余生に限りあることに気づいているからだろう。
「暑いのに御苦労さん」と意地悪くうそぶく五九童爺(じじい)の思いは、
何かを伝承したいとのメッセージと受け止めてほしい。

 20年間近くカウンセラー養成の仕事に携わってきた。
そして昨今つくづく思う。
“傾聴はすべての心理療法の基本である”という概念を、
甚だ心細いエネルギーではあるが、何としても伝承してゆきたい。
いやおこがましいかも知れないが、その“伝承人”の一人と
ならねばならぬとひそかに言い聞かせている、ということ。

 明後日は初級養成講座の研修日だ。
暑いのに御苦労さんと真面目に思いながら…。
伝承人とは辛くて苦しいものだよね。ホントに。

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  26.驕(おご)り
      
 “勲一等を授かりしどの政治家も、分(ぶん)に過ぐるという顔をせず。”
――竹山 広

 81歳の老歌人の作で、長崎の深い切支丹信仰の家の子孫と聞く。
老いてなお全く衰えぬ曇りない眼で現実を眺め、
鋭い風刺を人間の演ずる喜劇に投げかけている。
ホントにそうだ! 同感することしきりで情けないながら、
身につまされる思いをこめつつ、今一度読み直した。
分に過ぐるという顔をせず…とはまさに痛烈だ。
永田町に屯(たむろ)する各々方、お前さん達こそ二度・三度、
よくよく味わって読み直せと快哉(かいさい)を叫んだ。

 と快哉を叫びつつ独り溜飲を下げながら、
でも、ちょっと待てよと瞬間感じた。

 一つには、余りにも図々しく過ぎる。
有難いならすなおに“有難うございます”と心から言いなさい。
率直に嬉しさを表現したらどうですか。勿体(もったい)ぶらないで!

 二つには、図々しさを通り越して、授かるのは当然だという
思いを、皮肉りながら分を過ぎると表現された中に、
何と傲慢な!と作者は怒っているのが分かるか。
…と作者の意中に共鳴した。
つまり呆れ果てた厚顔の輩(やから)ども奴(め)との憤りに
満ちた思いだ。とりわけその傲慢さ加減は全く腹立たしい限りだ。

 快哉を叫んだ中身をここまで分析して、
実に気持ちよく溜飲を下げた。
が、さてさて、またもやちょっと待てよが顔を出した。

 作者の意中を単純に共鳴している私は、
素朴で率直といえばそれまでだが、なに、考えてみると、
いかにも老人特有と自称する単細胞的発想・瞬間湯沸器型自噴で、
まさに“ごまめの歯ぎしり”にしか過ぎないのではなかろうか。
単細胞・瞬間湯沸器と自称するのは、
あながち交流分析的なディスカウントでない。

 残念ながら正札であって、淋しいけれどすなおに認めざるを得ない。
ごまめの歯ぎしりも増幅装置を持たないからには、
庭の樹の葉擦れの音みたいなもの。
所詮他愛もないマスターベーション的な私憤なのかな?

 いやはや、書き出しは何とも勇ましい一刀両断型。
実に心地よい批判指向のペンの走りであった。
だが二度目のちょっと待てよ辺りから、
少々トーンダウンしてガス欠に近い。
かすれがかったペンの動きになってしまった。
三度目のちょっと待てよになりそうだ。

 実は二度目のちょっと待てよで、
考えながら書いている最中にヒョイと閃いたものがあった。
妙な話だが、自憤の勢いに任せてというか、
自嘲めいている自分に気付いていた。

 傲慢と書いた文字にこだわっている私が気になって仕様がない。
永田町界隈に屯するオッサン達を嫌悪して、
厚顔無恥・傲慢な輩と書いた。
確かにその傲慢さは鼻持ちならない。実に腹立たしい。
しかしどうなんだいお前さん自身は?と問いかけている神妙な私。
自憤のエネルギーのうち、相当部分、お前さんは?に
向けられたエネルギーと感じたからだ。
何となくなどというと神妙さが足りないぞと
譏(そし)りをも受けそうだが、トーンダウンして
ガス欠近くなったのは、前述のエネルギーの故(せい)だと思われる。
三度目のちょっと待てよは、私自身に内在している、
いや顕在化している傲慢さに目を向けよ、
との厳しいシグナルと気付いた。

 その思いで自分を見つめてみた。
そして思いつくままに書き出してみる。
なんだか自虐めいた作り話のように受け止められるのでは?と
かなり鼻白むような気もするが…。

 1.すでに長くなり過ぎた実技指導者という肩書き
   (もう16年にもなろうか。いや、たったの16年程度でもある)。
 2.養成講座の理論講師も3年間連続した。
 3.旧関東部会の研修副部長
   (実質的には部長だったという驕り)を務めた。
 4.協会理事・試験委員会専門委員・初・中級試験官・
   試験問題作成と採点担当などの役職(今にして思えば
   入会してわずか4・5年の若輩が。歴年齢ではない)。
 5.チヤホヤされて、のこのこと地方にまで出張(でば)って
   指導の任に応じたこと。
 6.ヤマト運輸(株)のカウンセラー制度発足に、
   少しばかり寄与したとの自負。
 7.その他旧PALの事業にも関与した。
 8.最大の驕りは、以上のことなどから、いつしか“先生”と
   呼ばれ、そしてその呼称の上にあぐらをかいていた。etc.

 受講者の方達の前では、もっともらしく、
COとCLの立場関係は対等である…と講釈していた。
にも不拘(かかわらず)その実、優越感を味わっていた。
人間尊重と強調しながらだ。

 確かにかなり自虐めいた傲慢さへの経緯やら、
由来――反省の種は尽きない。
でもこの思いは、まさに真剣であり率直そのものである。
もともと、肩書きや経歴はすべて過去の産物で、
およそ意味も価値もない代物(しろもの)だ。
あの世で閻魔大王裁きの庭では、多少弁護の足しにもなれば、
これはまさにめっけ物だろう。

 永田町界隈に住むというおエラさん方、
とんだ反省材料をタダで出してくれて有難う。
謙虚という特効薬を、おエラさん方と一緒に飲もうと
呼びかける光栄!?を、是非共感し、自己一致して、
本気で飲もうじゃないか。ホントだよ!

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  25.慇懃(いんぎん)と傲慢      

 「そんなに“お嫌”なら、どうぞ“ご遠慮なく”…」。
ガッチャン。かなりの激しい音が耳に響く。
「なんだって…!」と強く返す暇(いとま)もなく
一方的に通話を打ち切られ、憤懣やるかたなし。
カッカッと血が上り、ひょっとしたら血圧180ぐらいかな。
恐(こわ)や恐やの一幕だった。

 やりとりの詳細や、その雰囲気を細かく表現できる
筆力を持ち合わせるなら、と口惜しく思いながら…。
でも考えてみると、そんなに事・重大な内容とも思われない。
ひとしきり間(ま)を取ってみると、何とも大人なげない話で
カッカッとしたことがおぞましい。
脳内疾患前科者の自分自身のことを思うとゾッとする。

 されどである。その瞬間の数分は、おそらく薄い眉も吊り上がり、
怒髪天を衝(つ)くとまではいかなくとも、大変な形相だったであろう。
鏡のなかったことがホンに幸いだった。

 とにかくやりとりの中身はさておいて、どうもこだわっているのは、
前出の「…お嫌…」「…ご遠慮なく…」という言葉使いにあるようだ。
日頃、当の御仁(ごじん)は教養高い人でひそかな尊敬の対象であった。
もちろん人品(じんぴん)・骨柄(こつがら)、卑しからぬ
風格の持ち主、羨望の的でもあった。
したがって人柄が自然と滲み出るような言葉使いをする人と
思いたいのだが…。

 さあ。…と思いたい私の思い入れもあるのだけれど、
実は日頃の言動の中に、時にどうも場違いの違和感を
拭い切れないものがある。いやあった。
この御仁と接している時、何やら妙な思いになってしまうのだ。

 率直に言ってしまおう。
“糞ていねい”な言葉。大変失礼だがズバリ申すなら、
場違いの糞ていねいな言葉使いは、甚(はなは)だ居心地よろしくない。
相手の人格を尊重しての物言いで、正しい敬語使いによる会話なのであろう。
けれども私は、何となく変で妙な思いにさせられてしまう。
尊敬の対象・羨望の的に対する下司(げす)なやっかみも
あるのであろうか。
しかしながら、何となく変で妙な思いになるのは、
“慇懃無礼”さを感じるからだとしたら、
それこそ大変失礼な物言いである。
場違い感の根っこはこんなところにあるのかなァ。

 名は体を表すというから“スナオ”に負けぬように、
今一度“糞ていねい”について素直に考えてみよう。
糞なんて汚い表現で誠に申し訳ない。失礼の限りとも思う。
そして“スナオ”に率直にと言い聞かせているものの、
でもやはり場違いの感は否めない。
“糞ていねい”さは無性に居心地を悪くさせてならない。
場違い感からくる居心地の悪さというものなのだろう。

 私の独り勝手な解釈だとは思うが、
どうやら糞と慇懃には何か関連がありそうだ。
辞書によると、糞というのは、俗にののしる時に勢いをつける
言葉とあり、慇懃とは、親切で礼儀正しいこととあるが、
度を越すと、礼儀正しくてていねいなようであっても、
実は無礼なことになる。
つまりやたら慇懃であることは、時により“糞!失礼な”にも相通ずる。
度を越すとか、時によりという場合、場違い・居心地を
悪くさせてしまうということだ。
いやもっと厳しく言うならば、場合によっては、
相手を見下す無意識の思いが、慇懃を装った傲慢さとなり、
糞!と言いたくなるような思いにさせ、失礼ナ!とばかり、
血圧を180ぐらいにしてしまうのだ…と言いたくなる。
「…お嫌…」「…ご遠慮なく…」というていねいな言葉使いも、
TPOにふさわしい使い分けをしないと、本来の慇懃さを失って、
糞!と言いたくなるものだ、としみじみ思う。

 ところで日頃、ご依頼に応じできるだけお話を伺うことにしている。
拙(つたな)いが懸命にカウンセラーとしての経験をしている。
その際には当然の義務として、我(カウンセラー)も人の子、
彼(クライエント)も人の子。人間同士の関係だから
お互いは同等の立場にあり、尊重すべき間柄である。
上下の意識など毛頭ないと、何らの疑いや意識も持たずに
接している心算(つもり)である。いや信念のもとに対応している。

 でもある日ふと気になった。私は拙くとも懸命に心を込めて
対応していると思っているのだが、「先生」などと言われ、
頼りにされると、ついどこかで、無意識の中に優越感に似た
驕(おご)りの思いに浸っていて、言いようのない自己嫌悪に
陥ることがある。
おそらくはその時には、言葉ではいともていねいに
(いやその実、TPOにふさわしくない“慇懃”さで)、
やりとりしたに違いない。
情けないことだがこれはホントの話であり、ホンネの反省でもある。
この自己嫌悪感はとても後味が悪く、尾を引きずり、
しばらくの間、おぞましさにさいなまれる。

 と思うと、前述の血圧180の話。いやはや人事(ひとごと)ではない。
ひょっとすると、絶えず恐や恐やの一幕を演じている主役は私に在り、
であるかもしれない。オー恐や恐やである。

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 24.春暁とトンビ先生      

 “つい”先日、春のうららに“つい”誘われて多摩川の土堤に足を運んだ。なんとも例えようのない、
とても気持ちのよい散策だった。

 帰途これまた“つい”ふらふらと立ち寄った本屋。春の陽気はうらら、ふらふらの気分にさせる。
そこでまた“つい”なんとなく、『漢詩歳時記』という名に吸い込まれて、1冊を買ってしまった。
例によって例のごとくで全くの衝動買いだ。おそらくつまみ喰い式の読み方でいずれ本箱行きだろう。

 でもこの度は一寸違った。いずれ本箱行きの積ン読ではなかった。
漢詩を俳句並みに扱って歳時記的に並べたところに、なんとなくといいながら実は惹かれたのだろう。

 早速春の部に取りついた。
遠い昔の記憶を辿って「春夜」―宋・蘇軾(そしょく)の項を読む。ちなみに全文を写す。
 春宵一刻値千金 花有清香月有陰 歌管楼台声細細 秋千院落夜沈沈。
意訳すると、
春の宵の一刻は千金の値打ちがある。
花は清らかな香りを放ち、月はおぼろにかすむ。
つい先ほどまで歌や笛の音で賑やかであった高殿も、
今はかすかな調べに変わり、中庭にはブランコがひっそり掛かる中で、
夜は静かに更けてゆく…となる。
作者の蘇軾は北宋の詩人で、眉山(四川省)の人。22歳で進士(科挙試験の資格)に合格したエリートであったが、
不運にも時流に合わず、左遷されてあちこち流浪した。最後は海南島に流刑。ようやく大赦にあい晴れて帰途についた旅宿で
哀れにもその生涯を閉じた。時に65歳であった由だが、唐宋八大家と呼ばれる文才に長(た)けた人の一生は実に悲しい。

 次はこれも有名な五言絶句で人口に膾炙(かいしゃ)された詩。
全文を記す。
 春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少。
「春暁」と題する唐時代の詩人、孟浩然の作であることは
ご承知のことと思う。敢えて解釈するまでもないだろうが、
春のうつらうつらとした心地よい眠りに、
夜の明けたのも気づかなかった。
外ではあちこちで小鳥がさえずり合って、その鳴き声が聞こえる。
そういえば昨夜風雨の音がしていた。
さて花はいったいどれくらい散っただろうか…の意。
かの有名な詩人土岐善麿は、
春あけぼのの、うすねむり。まくらにかよう、鳥の声。
風まじりなる、夜べの雨。花ちりせんか、庭もせに…と訳し、
彼の詩集『鶯の卵』に“春あけぼの”と題して載せている。
本当に美しい日本語訳である。
孟浩然は先に記した蘇軾と異なり、科挙の試験に何回も挑戦したが、残念ながらことごとく果たさず、失意の中で諸処を放浪した。
40歳の時、都長安に上り、王維、張九令ら著名な詩家と親交を結んだという。
晩年背中に腫れものができて苦しんでいる折、訪ねて来た友人と酒を呑んだことから容態悪化、
51歳の若さで不遇の裡(うち)にこの世を終えたという。

 さて『漢詩歳時記』(渡部英喜氏著・新潮選書)から得た知識を基に、春のおぼろを、遠い昔の思い出にさかのぼって記している中で、
ふと旧友、今は亡き恩師の面影が浮かんできた。その頃(今を去ること65年くらい前になろうか)…、
当時北陸越前の福井は雪深く、日本海から吹き寄せる寒風に凍え、おぼろの春は殊更に待ち遠しい季節であった。
巣立ち・新学期・さくらなどと相まって、とにかく嬉しい四季の始まりである。
旧制中学2年生の私(当時は5年制。ちなみにわが母校は、旧越後藩の藩校を母体とする由緒ある県立校であった)、
ニキビはなやかな、そしてバンカラ志向の悪たれ坊主であった。男子校で色気など全くなく、専(もっぱら)ら食い気ばかりのいたずら集団。
先生もすべて男子で個性の強い人が多かった。先生には几帳面に必ずアダ名がついており、
申し訳ないが姓名は未だに思い出せないほどで、どうしても記憶の外にある。

 ともかく「トンビ」とアダ名する漢文の先生がいた。
色あせたヨレヨレの背広に、年がら年中たった1本のネクタイの…たしか30歳を少し過ぎたばかりだったのではないか。
やけに野太い声で、「子、曰(のたまわ)く…云々」と論語や漢詩を読み上げ、フケを撒き散らしながら教壇をうろちょろしていた(失礼!)。

 蘇軾の「春夜」、孟浩然の「春暁」を習ったのはトンビ先生。福井なまりの方言で田舎の中学教師が唾を飛ばしつつの講義は、
未だに印象に残る名調子だった。

 昨春、故里で久しぶりに福中五九童(ごくどう)会
(明治5年文部省令による中学校設立以来、59回目の卒業生の同窓会)に参加した。喜寿を過ぎた当時の悪ガキ連中も、かなり数が減った。
でもニキビ面の面影はどこかに残っており、懐かしさ一杯だった。しかし毎回招待する恩師の中から、この度はトンビ先生の姿が消えた。
そしてひとしきり、春眠暁を覚えずの名調子ぶりだったトンビ先生の講義を偲んだ。
ある悪ガキは言った。
「トンビ先生、今ごろあの世で春眠暁を覚えず…春のおぼろをどうしているかなァ」と。ポツリ一言。

 純情・多感なりし少年時代の私(疑うことなかれ)や旧友、トンビ先生から受けた諸々(もろもろ)の感化は
65年を経た今日、なおその印影を残している。そのことを思うと、実に感慨無量である。
私の人格形成にもかなり影響しているに違いない。

 冒頭、春うららに誘われて“つい”ふらふらと買った1冊の本と書いた。
衝動買いとはいうものの、生育過程で心に強く印刷されたものは、決して“つい”ふらふらではなさそうである。
そんな思いがあったかどうか、今朝も春暁を惰眠の中でだらしなくむさぼった。

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 23.甘え      

 「私も、もう78歳になります」と、何気なく話していることがある。
そう何気なくである。他意を含んで話しているつもりは毛頭ない。
他愛もないことを世間話のついでに、チョイと洩らした程度に過ぎない。
…と思っていたが、でもつらつら考えてみると、いや、いや、この何気なくというのが、われながら存外に曲者(くせもの)で
あることを、最近になって気付いた。何気なくと称しているが、実はかなり計算されたというか、ある底意を巧みに隠すモノ言いに
なっているようだ。相当にズルイ話し方である。悪がしこい爺(じじい)だ。

 何気なくなんて素っ呆けた書き方をしたが、これも強(したた)かな計算の中に入っているかも知れないから、
読者諸賢! 十分ご要心召され。

 話を本筋に戻そう。まじめに言うと、何気なくとは、十分に思慮を重ねたうえでの思いから出たものではなく、
無意識とまでは言わないがごく軽い気持ちの中で…と理解する。
これがまあ一般的というか常識的なところだろう。何気なくはさり気なくにも感覚的に通ずる表現のように思う。
つまり聞いている人にはほとんど気付かれないような、さり気なさがあるということだ。

 さてこれからが本論である。“もう”78歳になる…の“もう”に実は隠された底意がある。
それは78年間を生き抜いてきた人生の皺の中に、言い知れぬ辛酸や苦労が刻まれている。
…幾度となく上り下りした喜怒哀楽の山や谷を経てきている。という今にしては、誇りにしたい自分史を書き溜めた蔵がある。
“もう”の中にその蔵の重さを知ってほしい、感じ取って下さいという意図を言外に示している。
そして同時に、そのような老人だから大事にして、労(いた)わって、優しくしてとの思いを含んでいる。
“もう”という、たった2(ふた)文字にしか過ぎないが、いやはや呆れるほどの望外な底意を秘めている。

 何だそれくらいのことか。それならもっとスナオに、そしてザックバランに言えばいいじゃないか。
持って回った言い方なんかしないで。…と恐らく人は思うだろう。
そこがソレ、巧みな隠れた底意のモノ言いであり、相当にズルイ話し方、計算された“何気なく”の話法である。
誠に強かで悪がしこい爺だと、われながら思う。煮ても焼いても食えぬ爺とはまさに私のことかもしれぬ。

 ところで話はコロリと変わって恐縮だが…。今を去ること、たぶん20数年前になろうか。
当時、東京大学医学部教授・医学博士・精神医学精神分析の権威という、厳(いか)めしい肩書きの学者・土居健郎(たけお)氏は、
『甘えの構造』とか『甘えと社会科学』『甘え雑考』など、日本人特有の甘えという心理について、実に分かりやすい著書を
多数出された。未だに記憶に残っている例話として、“済みません”という用語を日本人は何気なく多用する。
でも“済みません=I am sorry”と同義ではない、というのだ。

 例えば、店頭で買い物などする際、「済みません、これ下さい」と頼む。買い物をする自分は主人公だから、I am sorryと同義の
申し訳ないなどと、店の人に謝る必要はまるでない。強いて言えば、忙しいところを…という店の人に対する労わりの優しさを含むと解せば、
まあ一応筋が通る。だが、一般に慣用語として使っている“済みません”に、そんな理屈なんかいちいち考えているだろうか。
“済みません”と一言告げれば、いとも気楽に愛想よく対応してくれるだろう。それに違いないと思い込んでいる。
それは正しく甘えそのもので、日本人の心理構造としていつの間にやら自然に刷り込まれた、社会心理的な伝統である。
彼は象徴的な具体事例としてこのように説明する。私はナルホドと素朴に納得した。

 トンだ道草を食ってしまって“済みません=I am sorry(同義語)”。これは陳謝! 
退屈至極な文章で本当に済みません。

 ここで言いたい結論とは実はこれである。
つまり“もう”に秘めたわが思いを、何気なく、あえてサラリと淡白に話した。が実は、“もう”の中に含む底意を、
巧みに隠したモノ言い(かなり計算したと自画自賛する)と表現した、このズルさ。そのように仕組んだ悪がしこさ。嫌ーな爺。

 思うにこれこそまさしく土居先生の説く、日本人特有の甘えである。
つまりそれは“もう”78年間に蓄積した自分史の蔵に対する、尊重の称賛と苦労への労わりを、言外に求めている甘えそのもの、
のような気がする。何気なく、さり気なく言っている底意には、どうやら甘えを秘めているようだ。そして敢えて自分を悪者に仕立てて
強調したのも甘えの上塗りみたいなもの。

 土居先生は甘えとは依存であるという。日本人は古来よりかなり悪知恵に長けた依存の持ち主だったのであろう。

 カウンセラーを訪れるクライエントは、当然に依存性が高い。
甘えが強い人だとも言える。私のように底意地の悪い甘えの持ち主はそう多くはないだろうが、率直なところ、「甘ったれるな」と
怒鳴りたくなるようなクライエントも、時には訪れて来る。それでもわれわれカウンセラーは、その甘えの訴えを敢えて甘受して、
素直に傾聴しなければならぬ。

 読者諸賢よ。何と因果な商売に魅入られたことか。諸賢にお供して一路同行する私自身、底意地の悪い甘えの
持ち主とあっては、諸賢は最早、救い難い存在かも知らんぞえ。観念してすべからく成仏することですナ。

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 22. 影     

 お天道様はホンマに平等で嬉しい。わが書斎と自称する狭い6畳間にも、万遍なく陽射しを送ってくれる。
今日は殊のほか明るくて優しい。春も程近いと思わせる光は柔らかい。

 2階の窓から見下ろす猫の額ほどの庭。ほぼその中央に真冬の厳しさを耐え凌いで、割と大ぶりのつげ(黄楊)が、
縮かんだ手足を精一杯伸ばすように、春を待つ枝葉を広げている。何かいとおしく、可憐な感じだ。

 午(ひる)下がりの陽射しはつげの影を平たく楕円状に画く。

 徒然なる午後のひと時は、温かい空気の淀みとともに、いと安らかな憩いの眠りを誘う。いつしかまどろみ、
やがてぐっすり昼寝の1時間余り、だらしなく流れ出た涎(よだれ)にふと気づいて目覚めた。

 陽射しはさすがに彼岸待ちか、さほど衰えていない。でも意外な発見! つげの影は平たい楕円からかなり円みを呈している。
当たり前といえばそれまでだが何か事新しい感じだ。

 時の移ろいとともに変化する影の形に異様さを感じた。何だろう。つげの影はつげそのものであるはずだ。
影は本体そのもの(ここではつげ)の写り絵の一種みたいなもの。…だからくどいようだが本体そのものに違いない。
つまり本体=影ということだ。時の移ろいとは光源の角度の変化と理解すれば、影の形に変化を生むことも分かろうというものか。

 やけに理屈っぽくなってしまった。でも今しばらくお付き合い願いたい。恐縮だが…。

 こだわることはよくないと教わり、私の悪い癖はこだわりにあり、といつも指摘された。よくないこととは重々分かりながら、
ここまでくると影について理解したいが故に、今さらこだわらないわけにはいかない。

 影についてモノの本を少しばかり調べてみた。小学館刊『故事俗信ことわざ大辞典』なるモノ。4,000ページに
近い大冊である。影・陰・蔭・翳という文字を使ったことわざの部分を見た。それぞれの文字が持つ意味は別として、“陰で糸を引く”
“陰にいて枝を折る”に始まり、“陰・形と相依らず”“陰の形に添うが如し”“影も無いのに犬は吠えぬ”等々、36例が示されている。
どのことわざを見ても、その本旨とするところは、「影(陰・蔭・翳)は本体そのもの」、前述した通り
影(陰・蔭・翳)=本体ということである。ただしここでは人には見えない影もあるということだ。
先に影とは本体そのものの写り絵のひとつと書いたが、目には見えない写り絵みたいなものもあるようだ。
“影で糸を引く”などはその典型といえよう。つまり本体に隠れている影、すなわち本体そのものの意味と理解する。

 どうやら少しばかり分かりかけてきた。具体例で見てみよう。
ロールプレイの学習法のひとつに“影をとる”という手法を学んだことがある。
話し手・聴き手それぞれにぴたりと寄り添って“影”を演ずる。その体験の中から得たものは、時により話し手・聴き手という主役より、
ワキ役の“影”の方が相互のやりとりの中身をよく理解できたということ。それは影に身を置いて主体をよりよく見つめられ、
その内容を深く感じ取り分かり得たということであろうと思う。影をとることにより、影=本体に一層近づき得たという実証であろう。
…と結論づけてみたが私独自の屁理屈かな?

 さて先に光源の角度の変化により、影の形にも変化を生ずると書いた。屁理屈にこだわったついでに、重ねて屁理屈を拡大しよう。

 光源を主観と置き換える…という実に大胆不敵な仮説である。私たちカウンセラーの傾聴の場では、極力主観を排し、
心を白紙の状態にして共感的に理解せよと学んだ。伊東博先生著『カウンセリング概論』で受容・共感いずれも
「老子」の説く“仁”と“徳”であるとし、さらには“無”であると教える。私が十数年前に受けた養成講座での唯一の教本であった。
伊東先生は、徳・仁・無と説く老子の説を、ロジャーズの「The Way to do is not to do」と全く同義であることを、
1965年ロスアンゼルスでロジャーズ自身に確かめたという。また沢庵禅師の“不動智”にも通ずる…とある。

 老い先短い私には、今、改めてさらに老子曰くの「徳・仁・無を修めよ」は所詮ムリ。
そこで無への接近の一手法として、傾聴のとき、光源の角度を変える。
…それはCOの主観排除と大いに関係がある。つまり極論かもしれないが、主観を排せよといったって到底ムリ。
無になれナンテ重ねて言うが所詮ムリ。だとすればCLに向き合う角度を少し変える。
真正面に見据えて聞くのをちょっとばかりずらして聴く(COの姿・形だけではなく、視点を変えて聴くの意)。
向き合っているCL本人は一向に変わりなく目の前に存在するが、別にライトを変えなくとも、心に映るCLの影に変化はありそうだ。
視点を変えれば主観も変わるに違いない。

 光源を変える、影も変わる。でもあくまで影=本体である。視点を変えると主観にも変化が生ずるはずだ。
CLの本体に変わりはないが、主観如何により、違う姿のCLが見えそうだ。ロールプレイの一手法、
影をとる聴き方のご利益というのは、こんなことなのかな…。

 かなり呆けかかったお頭(つむ)から出た屁理屈も、エヘン、満更でもなさそうだ。妄想に近い新理論かもしれないが、
主観を捨てて無になれなんて無茶をいわずに、ホンのちょっと視点をずらすことでことなった影が見えるとするなら、
エヘン、再び胸を張って「老子」ならぬ「老人」のたわ言も、何だか意味ありそうだ。

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 21. 孫

 たしか“孫という名の宝もの”という歌詞のある演歌が、海綿状化した脳味噌のどこかに淀んでいる。
残念ながら曲名や歌手の名前などは定かでない。なぜか孫という文字が気になっているだけ。
第一、演歌とかポップ、あるいはグループサウンズとやらは、いつしか縁遠くなっている。
上品ぶる心算(つもり)は毛頭ないが、その昔、歌謡曲といった筈のものが、どんなはずみで変わったか
知らないままに、いつしか演歌と改名した。…という程度のもの。いや、ここで演歌談義を展開しようなどとは
サラサラ思わない。とにかく“孫”が気になる。

 例によって文字にこだわった。
調べてみると、孫とは子のさらに幼(よう)なるもの。幺(よう)とは「8」の象形、そして「玄」と同系の文字だそうだ。
玄は細い糸のその先端が一線の上に、あるかなきかの形ばかりひょろりとのぞいた姿で、頼りのない様を表すというのだ。
幺は同系の文字だから、したがって頼りのない様である。幺が系になったのは誤りとのこと。
子(し)の音(おん)の表す意味は遜(そん:後から来る、したがう)である。「子(し)」の音が「遜(そん)」に変わったもので、
「子(し)」→「存(そん)」に変化したものと同系列。子(し)とは“後から来るもの”で、遜(そん)とは子の後から来るさらに幼い者、
つまり子よりさらに頼りない者、という意味だそうである。
随分と回りくどい説明で、どうやらすこーし分かったような気がした。学者・先生の研究成果の受け売りとは難儀なもの、
果たしてお分かりいただけたかどうか。

 さていつもの癖でまたもや道草を食べ過ぎた。本筋に戻そう。
そうそう気になる孫のこと。といって決して悪いことではなくて、実に他愛もない単純至極な思いである。

 “孫という名の宝もの”。もの扱いにするのは大変申し訳ないが、端的にいえば、無条件に可愛い大事な存在ということだろうか。
無条件とは無責任にも通ずるようで、孫の親、つまり私の子の立場からすれば、養育の責任がないから無条件というのは甚だ「困る」、
いや実に「迷惑だ」となる。可愛いから物心両面でいろいろと世話を焼きたくなるのだが、
時により親の意に反する行為となり、「困る」「迷惑だ」となる。
かなりきつい言葉で「余計なことしないで」と慮外の反応を見ることもある。誠に心外で理不尽な、などとつい言いたくなる。

 でもよくよく考えてみると、無条件に可愛いという中には、かつて子育てに懸命だった頃の思いが、強くにじみ出ているようだ。
我々爺婆二人は無論若かった。当然若いがゆえに望みも大きかったし、馬力もそれなりに十分あった。
でも残念ながら経済的には決して馬力並みに十分でなかった。いや当時はむしろ食べるのに精一杯といった状況。
それだけに幼い子二人、頼りない子たちには決して他人に負けない、親としての愛情を注いだつもりだが、
豊かといえる暮らしの中にいたとはいえない。現在、子どもたちはお陰で一応社会人として、
企業人として一家を成し、相応の生活を営めるに至った。我々爺婆二人、文字通り孫4人(上は高校2年、下は小学4年)の
ヂヂババも、幸いにして、年金プラス多少の収入により暮らしには事欠かない。いわばご時世で恵まれた生活と思う。
有難いことで感謝している。その感謝の思いが、かつて若かった頃子ども(孫たちの親)にしてやれなかったことを、孫たちにしてやることで
有難さを実感しているのであろう。それは同時に子ども(孫たちの親)への償いでもある。
「余計なことしないで」は心外で理不尽と愚痴りたくなるが、でも少しは和らぐかな。

 私の最も悪い性(さが)は、些細なことにこだわり、屁理屈をこね回してもっともらしく納得しようとすることにある。
どうやら無条件に可愛いという孫は、我々爺婆という古き親が、幼かった子どもたちに、貧しかったがゆえに、
してやれなかったことへの思いを、“今”償いの対象として置き換えているに過ぎない。
精神分析論で説く“補償”という防衛機制の一つであろうか。貧しさが故に子どもたちにしてやれなかったという劣等感情を、
孫たちに置き換えて克服しようとしている。補償は建設的な防衛機制だと説明されているが、そうだとすると、私の場合、
あまりにも切ない防衛機制である。それで楽になろうとする現実適応の姿は、あまりにも哀れに過ぎる。

 かなり無理にこじつけた屁理屈のように思い、われながら少々鼻白む感じだ。でもここにきて、とはいうものの
屁理屈ではあるが、素直な告白でもある。…という気がする。孫への無条件の可愛さは、子どもへの償い行為に通ずる。
それは補償という防衛機制を機能させて、現実適応を図ろうとする行為である。われながら鼻白む屁理屈とはいえ、
実に巧みにこじつけたものだ。償い行為の対象となった孫たちよ。屁理屈に満足する爺を許しておくれ。

 それにしても屁理屈抜きで孫たちは可愛い宝ものである
(何という矛盾だらけの爺という“私”なのだろうか。苦笑しながら筆を置く)。
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 20. “ひと”へのこだわり     

 他人(ひと)はこれを評して独りよがりの偏見と言うだろう。度を越した屁理屈だと歯牙にもかけてくれないかも知れない。でもこだわってみたい。

 ヒト・ひと・人。片仮名・ひら仮名・漢字の順に、“人(ヒト・ひと)”と読む文字を並べたに過ぎない。読み方や意味、アクセントなど何ら変わりはないし、並べて書いてみても、「それで何なんだ」「だからどうしようと言うんだ」と、なりそうだ。…全くその通りで何ということはない。けれど…。

 ある日、いささか埃のたまりかけた書棚にふと目が止まった。漢字に関する本が8冊ばかり並んでいる。その中の一つ、『漢字の語源』(上智大学教授〔当時〕・山田勝美著・角川書店刊・昭和51年〔1976年〕初版)がなぜか気になった。手にとりパラリとめくった何げない一頁に“人”という文字があった。事の始まりは実はここにある。

 漢字の語源から“人”の説明をそのまま引用する。曰く「人…人の身体を側面から見た象形文字。身という字の本字」と。さらに頁を追うと、「人…ひと…ひは比の草書体、人人…人が並んでいる象形文字。とは止の草書体、右または足跡を表す象形文字で、具体的には足首の形」とあり、その人の立ち居・振る舞い・姿の意だそうである。そして「ヒ」は比の省略体、「ト」は止の同じく省略体ということである。

 たまたま開いた一頁、人という文字が目に止まり、調べていくうちに事の始まり、こだわりから妙な屁理屈、偏見に類する思いが強くなった。

 私の結論(独りよがりと評されようが…)。人という文字の本当の意味を表すものは、ひら仮名で書く“ひと”にある。

 理由
@:「ひ」は比の草書体→比は人人→人が並んでいる姿→人人とは2人の人→人とは決して個では成り立たない。他の人がいて人は個として主張でき、並んでいる意味を持つ(この部分は私の独自説)。
A:「と」は止の草書体→止は人の立ち居・振る舞いであり、その人の姿、つまりあり様(よう)・足跡を表す。
B:したがって“ひと”とは多くの人の中で個である自分を常に主張し、己のあり様・足跡を残す存在である。
C:片仮名の“ヒト”はいずれも「比止」の省略体であって、文字そのものに特段の意味を持たない(かなり自説に近く強引かな)。
D:漢字の“人”は語源解説の通り、身の本字であって人の身体の具象化に過ぎない。
E:よって人本来の意味は“ひと”が最適。

 この結論に辿りつくまでに、私独特の解釈があるかも知れない。でもそれほどかけ離れたこじつけとも思わない、という自負はある。しかるべき専門家の語源解説に根拠を置くからだ。ただ多少牽強付会に近い部分があったとするならば、それは私のこだわりの強さであろう(度を越したこだわり→年のせいだから?)。

 さて前置きが長くなり過ぎていささかくたびれ加減だが、ロジャーズは人間尊重を強調した。彼の説く人間尊重とは、(またもや私なりの理解と認識が入る)“ひと”の尊重ということだと受け止める。人と人との間の関係を持つ人、つまりそれは、人は一人では生きていけない存在であって、その故に人間と称する。だから人間と書いても実は個々の人存在そのものである。個人の存在は、多くの人の中にあって、己のあり様を主張し、その主張が足跡となって残る。その人の人格そのものであると私は確信する。人・すべてが個有の人格を有し、その人だけの足跡なのだから貴重だ。
何者といえど不可侵の聖域といっても過言ではなかろう。それくらい尊重に値する存在、それが人間、つまり“ひと”なのだ。

 すでに何年か前の秋、鬼籍に入られた女性のカウンセラー。私が教えを乞うた先輩の方である。彼女は常々このように話された。傾聴とは、「その人の全人格をうかがわせていただく場である」と。未だに心に沁みる教えの言葉。「クライエントの一言一句、一挙一投足、これらすべてはその人の全人格を表現されており、だからこそ貴重であって、私はうかがわせていただくのだ(敬語)」と説かれた。まさにロジャーズの言う人間尊重そのものである。“ひと”尊重そのものだ。“ひと”尊重だからカウンセラー・クライエント相互の間に、上下を画する人間関係など生ずる訳がない。援助の関係というのも全く説明を要しない道理である。

 独りよがりの偏見、度を越したこだわり、どうやら他人が何と評しようとも、程なく78歳の老境に達する偏屈男(ヘンな靴なんていう靴は、どこにも売っていないそうだが…)、“ひと”にあくまでこだわっていきたい。

 私も“ひと”だから。

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