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2001年度 2000年度 1999年度
19.こだわりの道 11.平成13年3月に思う 2.自己受容(後編)
18.病院待合室から 10.ごまめの歯ぎしり 1.自己受容
17.あけびとへちま 9.新しい年に祈りをこめて
16.カウンセリングと川柳 8.”いいかげん”を楽しみたい
15.とにかく暑いヨ 7.嗚呼!実技指導者の悩み
14.「無題」 6.春のあさ
13.奇人変人 5.Y2Kに思う
12.折々に憶(おも)う 4.雑 感



2001年度
  19.こだわりの道     

 30年間、ひたすらに歩んだ通い慣れた道、というと少々大袈裟な書き方になる。でもそれこそ大袈裟ついでにいえば、目をつむっても歩けるくらい、慣れ親しんだ道である。
 それは我が家から最寄りの私鉄の駅に至る道で、くだらんことに拘(こだわ)る私が車のメーターで測ったらちょうど460メートル。健常なりし頃、普通に歩いて約5分間の距離だったが、今は、不自由な右足を大事に引きずりながら辿るから約8分間かかる。
 都内の名古刹(こさつ)にからみつくようにできた、いわば静かなお邸街(やしきまち)。
(もっとも拙宅はそのお邸街の片隅にへばりついているような、物置小屋同然の、だがちゃんとした一戸建て。)
 道はかなり広い。両側のそれこそ立派なお邸は、手入れの行き届いた庭木いっぱいで、車もあまり通らぬ、心地よい道と思っている。
 今年もすでに木枯らしが吹き、道すがらの紅葉の盛りも過ぎようとしている。庭木いっぱいの風情の中に、
四季の移ろいをいみじくも写し出している。いくらか感傷めいて、晩秋とはこれだと一人納得して、今日もそのたたずまいの中の道を、
ひたすらに歩いている。
 と最近、その道の片側にポカッと白けた空間が生じた。つい10日ほど前のことだろうか。大谷石三段積みのお邸、
100坪くらいの割と広いお邸が、実に慌しく取り毀(こわ)されたのだ。
 どこへ運ばれたのか、たくさんあった庭木は? 大仰にいえば突然湧いて出たお邸街の中の砂漠という感じである。
殊にこの2、3日続いた小春日和の晩秋の空は、突き抜けるように澄んで、…だからなおさらのこと砂漠と写る白茶けた空間は異様な感じである。
緑の多い、どちらかというと名古刹にふさわしい、古い家並のお邸街は、ひっそりと落ち着いた、そう、それだけに多少暗い雰囲気である。
その中に突然開いたポカッとした空間は、何ともいいようのないミスマッチ風景を醸し出す。
思わず足が止まり、しげしげと辺りを見渡しつつこのミスマッチを味わってしまう。おそらく往き交う人たちは、私の姿にこそ異様さを感じることだろう。

 ところで突如!話題転換。恐縮千万。
 私の極めて悪い癖は、本屋でヒョイと目につく書籍を、実に簡単に衝動買いで購入してしまうことだ。いい年して思慮分別もなく、そんなことすら考える暇(いとま)なく、無雑作に買ってしまう。もっとも懐中は年中木枯らしが吹いているから、文庫本が主体だ。手軽に買うから読み方もしたがってお手軽。興味のあるところだけサッと目を通して一巻の終わりという次第である。だから乱読もいいところ、それが重なるから「積ン読」になるのは理の当然である。
 つい先日、積ン読群の一隅が気になった。1990年8月出版の岩波新書(新赤版)。金子隆芳著「色彩の心理学」である。ゲーテの色彩論は反ニュートン論に始まる。ニュートンを光の色彩論とすれば、象徴的にゲーテは闇の色彩論となろうか。もう少し正確にいえば、光と闇の色彩論、明と暗の対立にあり、その意味で実に両者の接点は、明るさの変化から色彩が発生する、と著者は説く。
 文豪ゲーテ(1749〜1832)と、万有引力で著名な大物理学者ニュートン(1642〜1727)との取り合わせが変竹林(へんちくりん)なら、変竹林同士の色彩論といのも妙竹林だ。変・妙竹林の対立という点を単細胞的に捉えて、衝動買いしたのが11年前で、例によって例のごとく、チョコチョコとつまみ食いの乱読は、ほどなく飽きてやがて積ン読となった。
 ところが何と奇縁か、ふと積ン読群の中から発見したこの一冊は、色彩の現象に心が表れるとし、そしてそれがやがてゲシュタルト心理学に連なり、カラー心理テストにまで及ぶというのである。

 サァこれは一大事! 積ン読わけにはいかないから、早速埃(ほこり)をはたいて、今度は心を入れ換え、少しは精読しなければなるまい。
せめて衝動買いではあっても、11年前の投資・本代680円のモトを回収するために。
 さもしい貧乏人根性が積ン読反省のモチベーションとは、いささか情けないが、とにかく大発奮して埃をはたいた。
ゲシュタルト心理学というのは恐ろしく理屈っぽい。多少は知っている心算だったが、創始者の一人、ウェルトハイマー(1880〜1943)がドイツ人だから、推して知るべしで、この男はまさに頭から先に生まれたに違いない。加えて著者の金子先生がウェルトハイマーに輪をかけての理論家である。狂牛病ではないが、かなり空洞化の進行しつつある我が脳味噌では、なかなかに理解しにくい。
大発奮した手前と、いまさらに惜しくなってきた680円への執念。からみ合わせて懸命に頑張ってはいるが、どうやらこのペースで進むと、
年を越すこと、ほぼ確実の見通しである。

 ひょうたんから駒ではないが、今日も未だ手のついていない白茶け砂漠の邸跡。妙にそこは明るく、辺りの家並と樹々はやけに落ち着きはらって雰囲気は暗い。その対照はどうしてもミスマッチの色彩である。そしてそれがゲーテ・ニュートン・ウェルトハイマー(ゲシュタルト心理学)・カラー心理テストにまで拡がってしまった。乱読・積ン読、はては680円投資の回収論(実は貧乏人根性)の変テコリンモチベーション・狂牛病脳味噌論のオマケまで。さあこれは一体全体、どうなったのであろう。ミスマッチの色彩論がひょうたんなら、この先の駒はどうなることやら。駄文をひねくっているうちに、私のお頭(つむ)のミスマッチになりそうで…このままで越年かな?
 それにしても甚だ勝手だが、白茶け砂漠邸跡は早く何とかしてくれ。
私の好きなこの道は、ミスマッチ感で落ち着かないことおびただしい。
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   18.病院待合室から  

 事、改めて「なるほどなぁ」と思いを新たにした。実に老人が多い。まるで老人サロンの態だ。その中にいる私もまさに老人。

 ここはある総合病院外来内科の患者待合室である。大企業の健保組合が経営するかなり規模の大きい病院で、素人の目にも立派な病院のように思える。ずっと以前から、一定の限度内で組合員のみでなく、一般市民の診療にも応じていると聞く。

 その故(せい)でもあろうか、近年、見た目にも訪れる患者の数は確かに増えてきている。傘下に国内有数の医療機器メーカーを抱えているので、設備や施設も実に立派であるとのこと。その評判に加えて、最近耳にタコができるほど言われる高齢化社会であるから、老人外来患者の多いのも宜(むべ)なるかな、至極当然の現象であろう。それにしても実に多い。

 患者の診療は急患を除きすべて予約制。徹底したコンピュータ管理をしているから、患者の受付から、診察・治療・検査・投薬・支払い・次回予約に至るまで、一貫した流れはとても合理的で効率的だ。一見したところ…。

 予約制とはいえ、すべてがベルトコンベア式の流れ生産のように、“処理”されるとまではいかないから、待合室に患者は溜まってくる。もっとも患者を物品生産のように、無機物扱いの“処理”をされたのでは、とても堪ったものではない。だから一見したところ…と敢えて書いた次第である。

 医療技術の世界は超最先端科学の一分野と聞く。短絡的に物申すつもりでは決してないが、超先端を行く科学の分野だからといって、すべて無機物の世界ではなかろう。尊厳ある人間の生命に関わる医療技術であればこそ、ことさらに合理主義・能率至上一辺倒には、絶対与(くみ)したくない。

 そのような思いで、私が今現在体験している医療サービスについて、とにかく一言物申したい。患者待合室の老人サロン化の風景と雰囲気にふれながら…。

 超最先端科学の一分野だからとて、現に“今”生きている私の命を、絶対無機物扱いにしてくれるな、というのは、前述した通り、極めて当然の主張である。研究のためのモルモット代わりにされるのも、大袈裟にいえば死んでもイヤ!
(ただし、命を全うした後の医学研究用献体は、家族の同意を前提に考えている)
有機体という用語すら使いたくない私の命は、今まで77年有余、大事に大事に育んできた唯一つのものだ。そう思うと、文字通りかけがえのないたった一つの、宇宙の中で誇りある実に尊い、愛おしいもの。であればこそなおさら、限られた時間内に多くの患者の診療に当たらねばならぬという建て前で、合理的・能率至上主義の流れの中に、私の命を託することは到底できない。

 いささかもヒネクレた主張ではないと信ずる。私は思う。「老人サロン化、大いに結構だ」と。検査・投薬のみとシンボリックに表現される近代医療を、さらに効率化しようとする流れの中で、いかに加齢老齢下、患者増加に対応するためのシステム診療とはいえ、そんなにたやすく、時間計算通りに患者を“処理”することはできない。したがって順送りに患者は溜まる。体を病む老人は心も病むだろう。病む者同士、見ず知らずの他人であろうと自ずから口を開き、心も開くというものだ。愚痴をこぼすことで心を癒しているのかもしれない。巧まずしての治療に通ずるだろう。

 3分間診療の3時間待ちはひど過ぎる。でも30分待ち程度なら、心の癒しの場としてのサロン化現象、あってもいいなぁとしみじみ思う。そういえば馴染みの看護婦より、最近若い医師から極力問診を多くしているとの声があると聞いた。古き時代の医師は、問診・触診・打診・聴診を基本として、患者と触れ合い、関わり合うことを治療の第一義としたとも聞く。決して懐古趣味に浸りたい思いではない。無機物に近い扱いで“処理”されていなかった思いが、とても嬉しいのだ。

 かれこれ9年も前になろうか、突然の発症でこの病院に入院した。幸いにして、お陰で寝たきりは免れた。現在、右半身不自由の後遺症は残るものの仕事に恵まれ、なお続けている。その当時、実によく介護してくれる看護婦さんがいた。今でも感謝している。彼女はたびたびこう言った。
「今の時代だからこそ、医療に従事する者、医師はもちろん、看護婦・薬剤師・検査技師・X線技師や、リハビリ治療士・栄養士から事務職に至るまで、カウンセリングを学ぶべきだ。最低限でもリスナー訓練は必須だ」
と。心をこめて懸命に話していた。印象に残っている。彼女をはじめ、当院から看護婦・薬剤師等3人が翌年養成講座を経て見事初級に合格した。

 老齢化加速→病院外来患者待合室→老人サロン化→現代医療に関する老人(私自身)の愚見→無機物扱い“処理”への怒り→問診の大切さ→老人サロン化歓迎。話題は思いもかけない方向にまで飛んだ。これも年寄りの“ごまめの歯ぎしり”の類いかな。
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   17.あけびとへちま     

 ふと目にとまった八百屋の店頭、通い慣れた駅前商店街のありふれた店先だが、今日は妙に気になった。さしてあまり気にしたこともなくただ通り過ぎて行くだけなのに、今宵は珍しいモノが台の端に並んでいる。夕方の買い物に忙しい女の人の後ろから、少々照れながらそっと遠慮がちに覗き込んだ。あけび(通草・木通・野木瓜とも書く)とへちま(糸瓜)が二つずつ、ちょこんと置いてある。何か場違いの感じで淋しげだ。お忙しい買い物女性軍にはまるで目にとまらない様子。威勢よく店先を仕切っていたこの家(や)の主人らしい男の人が、目ざとく、それこそ場違いの感のある私に気づいて、「旦那、珍しいでしょう」と声をかけてきた。思わずこれっとやや素っ頓狂な声で衝動買いし、そそくさと立ち去った夕暮れの一光景であった。

 「どうしてこんなものを」と大蔵大臣・女房閣下のお叱りはほぼ間違いない。…半ば覚悟し、半ば諦めつつ、そっと差し出してみた。寸秒の間を置かず、「あら、これは珍しいものを」の声。いやはやとにかく意外な反応である。ささやかな夕食後のデザートはこれに決まり、ホッとした思いで古女房の顔を見た。

 長さ6〜7cmの赤紫に染まった楕円形のあけびの実は、肉質の厚い皮はわりとたやすく縦に裂ける。そして黒い種を包んだ薄い白色の果肉は上品な甘さを蓄え、実においしい。開け実(あけび)そのものですんなりと割れた。

 70歳の半ばを過ぎた老夫婦は、共に北陸の小さな都市、それも程近くに山があり、幼い頃、秋のおやつとして慣れ親しんだ果物であった。期せずして自然の中で獲れた山野の味に話題が移り、思わず懐旧談に花が咲いた。ついでにあけびの木部は利尿・鎮痛の漢方薬と曰(のたも)うた女房殿の知識に一驚。負けじとにわか仕込みの故人の一句、“あけびの実 餅なり 種のある実なり”(山口誓子)を披露してようやく面目を保った。

 次いでへちまの事。あけびの実のことで意外な反応を示した女房殿にひと安心して、やおら話題を転じてみた。衝動買いを非難されるに違いない。その防衛策の一端にとの思いでこれまたにわか仕込みの知識を…。へちまとは「糸瓜(いとうり)」と書く。しかしやがて「いとうり」は「とうり」に転訛。江戸っ子はユーモアたっぷりに次の通りさらに変化させたという。「いとうり」→「とうり」の「と」は「いろはにほへとちりぬるを」の中で、「へ」と「ち」の間にあるから、これ「へち間」。かなりのこじつけであるが、江戸っ子らしい洒落である。「かなり強引な洒落だね」と説明した。言ってみるモンだ…案ずるより産むが安し…とは将にこのことで、本当にこの強引な洒落が通じたのであろうか、ウッフフと軽く一笑して彼女は終わり。全く思い込みの危惧は難なく通り過ぎた。

 むしろその後、へちまコロンという糸瓜産出の化粧水、垢すりに使った思い出、スポンジよりへちまの方が汚れはよく落ちる、などなど他愛もない話題で一件落着。あけびもへちまも衝動買いを追及する惧れから、恙(つつが)なく無事脱出でき、まずは祝着至極と相成った。

 ところで最近、少子高齢化の時代。お年寄りの話に付き合うことが多い。特に独居老人の多いということはかねて知っていたつもりだが、殊のほか現実にその多さを実感して驚く。都会ほど独り暮らしの老人が多いことに、今更ながら驚きを強くする。

 そのお年寄りの話を伺うと、まず「一人暮らしは気楽でいいですよ」と、ほとんど異口同音に語る。そしてその直後、これまた一様に淋しげな風情となる。同世代に近いという安心感もあってか、意外とよく話を聴かせてくださる。でも淋しげな風情というのはどうしても気になる。一般論化するのは決してよくないが、何の気兼ねもいらないから気楽と言われる。たしかに人間関係の煩わしさからは多少逃れ得ても、心身共に忍び寄る老いの衰えからは逃れきれない不安。これは隠しようもない。世相にうとくなり、置いてゆかれる不安も決しておろそかにできない。ハビーガーストの説く老年期の心理がしみじみとよく分かる。そしてほとんどが自閉的である。なかなか今ある殻の中に閉じこもりがちで、いわゆる自己開示までに時間を要する。ごまめの歯ぎしり同然の愚痴はわりと早く出るが、本音まではなかなかに出ない。

 そこで私は最近よくこの手法を利用する。同世代の誼(よしみ)もあってか、変化の少なかったかつての幼少期の思い出は、共通して同感できる。前述のあけびの実のおいしかったこと、へちまコロンの話、垢すりのこと、やや押し付けがましい江戸っ子の洒落。鰊(にしん)やカニがたやすく食膳に上った思い出などなど。

 自閉的になりがちな独居の環境、老人特有の不安心理の中から這い出す切り口として、昔語りの共有は私なりにかなり有効と信じている。カウンセリングに年齢、経験は関係なしとするも、あればそれに越したことはない。

 八百屋のご主人。古きを思い起こす品物を時には衝動買いさせておくれ。
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  16. カウンセリングと川柳    

 「ドットコム どこが混むのと 聞く上司」。作者・ネット不安。
現実にありそうな、いやきっとあると思う職場風景に、ニンマリ微苦笑しているIT音痴の私がいる。

 第14回(平成12年度)第一生命主催サラリーマン川柳コンクール、応募総数18,313首の中から選ばれた名誉ある?第1位の秀句である。読めば読むほど、面白くて皮肉たっぷりで、もう少し上品に表現すれば、胸底にひそむ情念のひとひらを17文字に刻む一句である。決して評論家ぶっていうわけではないが、いまの17文字から、笑い・怒り・不安・悲しさ、そして現代をグサリと突き刺す、熱くて深い人生ドラマの1ページを、そこはかとないおかしみを引きずりながら垣間見る思いである(チョッと大袈裟かな!?)。

 実は第一生命OBである知人から、上記サラリーマン川柳コンクール傑作300選の、第5回(平成3年度)版の供与を受けたのが始まりで、今年は10年目、10冊になる。

 緑爽やかな風薫る5月は、例年この冊子が到来する一寸(ちょっと)した期待の月である。そして特に因果関係はないが、初級産業カウンセラー養成講座研修過程本格化の頃でもある。

 ところでこの10年間の第1位に選ばれた秀句を並べてみて、面白い流れに気付いた。
●平成12年度・第1位
「ドットコム どこが混むのと 聞く上司」。作者・ネット不安。
●平成11年度・第1位
「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」。作者・恐妻男。
●平成8年度・第1位
「早くやれ そういうことは 早く言え」。作者・新舞(新米の意?)
●平成3年度・第1位
「まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる」。作者・遠くの我が家

 時系列に抜粋したのを眺めながら、思わずも“ヘェー”とため息混じりに唸った。わずか10年間ではあるが、時の流れと共に当時の世相を反映したサラリーマンの、思い・感触・時代観を見事に描写しているではないか。いつ、どこでも、普通に見られる職場のオジサン・オバサン、そしてオニイサンやオネエサンたちの、こんなに冴えた、いや醒めた、しかも率直で皮肉たっぷりの、同時に多少自虐めいたペーソスを含んだ…書き並べると際限のないくらい…鋭く豊かな感性にはトコトン驚くばかり。そしてその感性をたった17文字の中に表現する巧みさ。私はただただ唸りを重ねるのみである。

 蛇足でいささかしつこいようだが、ついでに平成12・11年度の第2位・第3位の作もぜひ高覧に供したい。
●平成12年度・第2位と第3位
第2位「赤い糸 やがて夫婦は コードレス」。作者・チャーシューマン
第3位「仕事やれ 人に言わずに お前やれ」。作者・ピカチュウ
●平成11年度・第2位と第3位
第2位「ハイ!できます 上司は言うが やるのオレ」。作者・しがらみ
第3位「出来ちゃった 結婚しちゃった 飽きちゃった」。作者・三日茶髪

 いや実にご立派で全く言うこと無し。ストレートでユーモアたっぷり(時には駄洒落もあるが)言い得て妙!とはこのことだろう。第1位作と比べても決して遜色がない。

 さて、話題はガラリと変わるが、かつて私たちは養成講座の冒頭、「カウンセリングの概念」というテーマについて菅沼憲治教授(当時千葉商科大学)の講義を受けた(かなり古い話なので記憶の薄れた方がいるかもしれない)。その中で教授は、「カウンセリングとは、CoとCl相互の本音のキャッチボールのことである」と極めて端的に示された。まだら呆けの私ではあるが、年々薄れゆく記憶の中で何故かこの言葉だけは、記銘の奥底にハッキリと止まっている。そして教授はタテマエとホンネを巧みに交えるClの話の中で、Coはホンネに共感すべきと教えられた(そろそろ結論に近づいたかな)。

 川柳とは俳句のようなテクニックは二の次。季語なんて難儀なものは不要である。実に庶民的でホンネそのものと私は思っている。

 先に第一生命OBから頂くサラリーマン川柳の冊子は、養成講座本格化の春5月の頃。それは特に因果関係ないと書いたが、何か私はホンネと川柳という部分で精一杯こだわりたいのである。ムダな説明は省いて如何かな?と直感をうかがえれば、とても有難い。

 私の好きな川柳作家・時実新子氏。彼女の著書「川柳新子座」の中で、“川柳は人間をうたう。人の心を存分に披瀝する
(私はこれをホンネと理解する)17文字の文藝。”と述べておられる。私は川柳とはホンネの世界と明確にされるから、時実新子氏を心から好きになる。嬉しい人だ。
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  15. とにかく暑いヨ

 見るからに涼ろげな絵柄の暑中見舞状、律儀な方から頂いた丁寧なごあいさつを机上に置く。そこでやおらペンを執り、近況報告方々ご返事をと思うのだが、とにかく今日も朝からのこの暑さ。午前11時、柱の温度計はエアコンがんがんにしてなお28度を示している。恐らくごみごみした街なか路上では、とっくに30度を越しているに違いない。窓を開けてお天道(てんと)様にごあいさつなんて殊勝な気持ちは毛頭起きてこない。あーあー暑いなぁと独り言をこぼしつつ、ガラス窓を無断!?で通り越してくる陽光を恨めし気に見つめる。そして鼻筋に滲み出る脂汗をティッシュ・ペーパーで
「邪魔者奴(じゃまものめ)」、と言わんばかりに心をこめて!邪険に拭い去る。

 午前11時15分。お勤めの方には内心少なからず申し訳ないと思う。でもエアコンがんがんの部屋の中でだらしない格好の自分を感じ、さて返信のペンをと一応机の前に向かうが一向にヤル気は湧いてこない。

 「私もかなりの年令(とし)になったんだから、この暑さじゃムリもないな」と、極めて都合のよい独り勝手な理屈をこねる。「この言い訳でどうだ」。誰もいないのにもっともらしく背筋を伸ばした態度で、“どうだ!”と内心うそぶく。働いている人への申し訳なさに対する防衛機制…合理化…でラクになろうとしているな。うすうす気づきながらニヤリの笑みはどう考えてもうとましい。

 私にとっては決してムダな時間ではないのだが、ニヤリとしている間に午前11時30分。思わず急いでTVのスイッチを入れる。株式情報の画面に、今度は将に真剣な顔つきでヤル気満々、対する。過去ほぼ35年間、ホンの手なぐさみ程度で僅かな軍資金を投じての一喜一憂。未だに古ぼけた茅屋(ぼうおく)住まいだから推して知るべし、通産損益はマイナス間違いなしである。にもかかわらずこの株式情報のTV画面に真剣そのもの、ヤル気一杯で暇さえあれば必ず対面する。ボケ防止には最適と自認している。古い馴染みのカミさんは、「結構なご趣味ですこと」と皮肉たっぷりだが、「何を言う。これでも懸命に頭を使っているんだヨ」と、ボケ防止の有効さを力説している。いつの間にか“合理化”の適応規制論を曰(のたも)うている。そして実に不思議なことに、この間30分程は全く暑さを感じていない。心頭滅却すれば…なのだろうか。

 「ご飯ですヨ」。時に12時10分。今日は大好物の冷たい素麺なのである。「落ち着いて!」。子供じゃあるまいし、妙にしつけがましく言うなとカミさんに噛みつきながら、「あぁ、うまかった。ご馳走さん」。少し浮き出た汗を拭き終わって、実は全く暑くない。

 お陰様で今日も美味しく昼食を楽しめた。自室に戻り、ささやかな満足感に浸って時計を見ると、午後1時を少しばかり過ぎている。机上には絵柄も美しいサラの暑中見舞の葉書が、人待ち顔のように私のペンよ、どうぞと促している。しかし暑さもこれからが本番の昼下がりで、往来では多分35度に達しているであろう。室温はいま27度だが、外を気にしただけで首廻りは、はやベタつく感じの不快さそのもの。「どうだい。日は長い。お腹(なか)は満ちたしそして暑さは本番。ここらあたりで一服した後、今日中に返信を書けばいいだろう」と妙に自分だけの納得、変な理屈をこじつけて、英気?を養う昼寝とするか。ムリヤリに自分を安心させてゴロリ横になる。いい加減といえば本当にいい加減だが、これでラクになったと早くもうつらうつらに入った私は、逃避と合理化をミックスした防衛機制の見事なサンプルだ。

 オッとこれは少々寝過ぎた。階下の人声で目が覚めた。恐らくカミさんの友達の来訪であろう。この暑いさ中に、どんなご用かは知らないがご苦労千万。ふと皮肉めいた言葉が浮かぶ。それにしても熟睡2時間、現在午後3時ちょっと過ぎだが、少しばかりかったるい感じである。ぜいたくだなと思う。

 “さぁ”とばかり気をとり直して机に向かう。冷たいお茶を呑んで、TVニュースを見て、そして改めて思い入れを…と。途端にニュースは報じた。日本と同様、猛暑の欧州は英国で、8月8日に満101歳を迎えるというエリザベス皇太后が、暑気疲れで入院中のところ無事退院したという。大変だネ、ご老体。続いて又見てしまった、株式情報を。終わって振り向けば時計は容赦なく午後4時だ。どうやらエリザベス皇太后、この暑さの中でご老体大変ネと、私は畏れ多くも安直に同一視の防衛機制で、少しばかりラクにしていたのかな。

 ざっと暑い一日を時系列に振り返ってみて、なんとマァ、よくもこんなに適当な時間潰しをしていたことか。そして言い訳がましく屁理屈を並べ立て、尤(もっと)もらしい私に仕立て上げていた。防衛機制とはより現実的な適応規制だというが、私の場合、ちょいとインチキ臭い代物(しろもの)かなという感じ。
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    14. 「無題」

 不粋で武骨、頑固で色気なし(本人が納得して言っているのだから間違いない)。しかも枯木同然、たそがれ人生を歩む77老の男が、いきなり音楽を話題にしようとするのだから、これはもう電撃的ショックを与えること間違いない。近来にない一大珍事といってよいであろう。

 実は頼んでおいたINOCENCIA(イノセンシア)と題するCDが届いた。アルパ(インディアン・ハープ)という、スペイン人がラテンアメリカに持ち込んだハープを原型とする楽器を、上松美香さんが弾いた曲集である。彼女のプロフィールを書くと長くなるから、直近のことを端的に記そう。2000年5月、メキシコで開催された第4回ラテン・アメリカ・アルパ・フェスティバルに出演して大人気を博し、ベラクルス芸術大学よりマエストラの称号を贈られた。

 彼女は言う。アルパはクラシックのグランド・ハープよりも小型でペダルのない36弦立琴。クラシックのグランド・ハープやアイリッシュ・ハープに近い音色と響きを持つとのこと。そしてさらに「爪で奏でるから、きらびやかで、きらきら光る繊細な音色が特長」の素晴らしい楽器であるというのである。

 私は大体週に1回程度CDプレーヤーと親しむ。深夜族でほぼ12時頃から2〜3時間程度、周囲は森閑としており、まさに私一人の時間である。
プレーヤーは「源」という1988年頃、ソニーが限定販売品として出したもので、当時たしか30万円くらい。清水の舞台から飛び降りる思いで衝動買いし、後日カミさんの大目玉を食らった由緒?ある名器である。実に美しい音色でCDを再生してくれる私の宝物だ。

 特に音楽を友とするほどの優雅で高尚な趣味の持ち主…とは決して言えない。ただ一人で音を聞きながら、単純にイイナーと楽しんでいるだけ。したがって音楽の知識などまるでないと自慢することを誇りとしている。弦楽器が殊のほか好きである。音色が冴えていて繊細だからという実に単純な理由。その意味でハープや胡弓なども好みのうちだ。フルートやオカリナは同類項でその音色に惚れる。この程度の音の愛好家?が書く音楽談義だから、まぁ高は知れている。

 でも父(1890年生まれ、1946年没)は尺八を愛し、都山流を学び、一応“山”号を受けた。母(1897年生まれ、1947年没)も生田流の琴を学んで、
師範としてごく僅かながら弟子をとり教えたそうである。そういえば年に何回か、思い出したように夫婦で合奏して楽しんでいた光景が浮かぶ。六殷の調べとか千鳥の曲、宮城道雄の「春の海」などの音律がウロ覚えながら、耳の底に残っている感じだ。仰々しく書くほどのこともないのだが、そんな家庭環境の中で丸17年間(私が満17歳、1941年)過ごしたのだから、多少は両親の音感的遺伝子を貰い受けていても不思議ではないはず。ところがこの親不孝息子は、てんでその気配なしの有り様である。音譜は読めない。楽器は丸っきり駄目。カラオケ、見事な音痴で防腐剤は必需品という次第である。そして今流行(はやり)のロックやジャズは騒々しくて聴くに耐えず、百年一日(いちじつ)のような歌詞と節回しの演歌も耳の邪魔、年に何回か誘われてゆくクラシックの演奏会、どうもあのヤケに上品で高尚ぶった雰囲気はヤリきれない。と書いてくると、遺伝子などというものはプッツンの無関係理論のようだ。

 ところが実に不思議なことに、「G線上のアリア」「ツゴイネルワイゼン」「ビバルディの四季」などが、私のお好みとなるとこれは珍妙だ。

 そして宗次郎が奏でるオカリナの名曲(自称)大黄河や、楊興新(ヤンシンシン)の切々たる胡弓の調べに、何故か心安らぐ私がいるのである。その道の評論家の解説などは、率直にいって私には全く無縁で、とにかく“あぁ、イイナー”なのである。

 何故か心安らぐと前述した。そう言えば、心安らぐとは将に“いやし”そのものである。未だに娑婆っ気(しゃばっけ)の抜け切らぬ77老だから、時に“いやし”を求めて、深夜独りCDの音色に浸っている。少々不気味かもしれないが…。

 余談で恐縮だが私の遺言の一つ。臨終の時、枕辺(まくらべ)で宗次郎のオカリナ曲大黄河を流してくれとカミさんに頼んだら、「気障ねぇ」とのたもうた。三途の川を溺れずに渡るおまじないにしたいのだが、ワカランかな!

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  13.奇人・変人
      
 このところ、奇人・変人という言葉がやけに刺激的だ。著名な人が殊更に誇張して自称する。マスコミが野次馬的に煽り立てる。だから面白く、興味深く、その刺激を楽しんでいる私がいる。2001年度流行語として必ずや話題になるだろう、とひそかに期待している。マスコミの野次馬の尻を追う駄馬一匹を自認してニンマリ。だがこの奇人・変人なる人、何かやってくれそうな気がする。閉塞感でそれこそ閉息しそうになっているから、とにかく何でもいい、変わったことをしてくれという淡い期待がある。年甲斐もなく、いい年をして胸ときめかすから妙だ。そしてこの言葉に、風薫る五月の爽やかさを感じるからなおさら妙だ。

とたんに思い出した。何とかの三奇人。直接の係わり合いのないのにふと出てきた三奇人。そういえばかつて学んだ中学生時代(カビの生えた古臭い話で恐縮ながら、たしか旧制中学2年の頃の歴史授業)。寛政の三奇人というのを習った。高山参九郎・蒲生君平、そして林子平の三人だ。
とりわけ六無斉と称した林子平という蘭学者は印象深い。

思い出を辿って少しばかり調べてみた。“親も無く、妻無し子無し、板木なし。金も無ければ、死にたくも無し”と詠んだので(であるかどうか定かではないが)、六無斉と号するという。仙台藩に仕えた学者で、1700年代後半に「三国通覧図説」とか、「海国兵談」などを著わし、海外事情を伝えた。つまり当時としてはかなり先進的な開国論者である。だからお上に睨まれ、禁固刑に処され、著書(すなわち「板木」)も没収された。

当然厳しいお仕置きのあることを予期しつつの行為であるから、勇気などという思いを通り越した、むしろ無茶に近い所業であったに違いない。
にもかかわらず幽閉されている中で、悠々とそして飄々と六無を詠んだ。何か清々しく爽やかな薫風を覚える。越後の良寛さんを思い浮かべた。

現代の奇人・変人は勝敗を度外視した改革論をぶち、意外ともいえる勝利をもたらした。寛政の奇人は処刑を恐れず開国を唱え、飄々として六無を自認した。そして共に私見ではあるが、五月の風のように爽やかでありながら、何かをもたらし、もたらそうとするときめきを感ずる。さらに付け加えると、ある一つのことには強い“こだわり”を持ちつつ、他のことについては無欲恬淡(てんたん)さを表している。“こだわり”…よく言えば“信念”。時により“頑固”にも通ずるから少々厄介だが…。

でも、何か一つ強い“こだわり”を持って押し通す。とても爽やかさを覚えるのは、私が“頑固”のせいであろうか。呵々痛快至極。

そういえば旧制中学時代の歴史の先生は“あわさん”と綽名(あだな)された。山奥のお爺さん風で、背広ヨレヨレ・ネクタイヨレヨレ・無精ひげ…ときたら“ダサイ”のモデルみたいな人だった。当時50歳初めくらいのお年だったかな? とにかく、なかなか話し方は上手で、ユーモアを交え、我々ヤンチャ中学生の人気高かりし人。講義に熱中すると、口角にカニのような白い泡がたまってくる。その泡を飛ばしながらの漫談調日本歴史は面白かった。教卓間近着席の生徒は、かなり環境破壊の泡公害に悩んだ由。その“あわ”先生の口癖は福井の方言で「だんない、だんない」=(訳すると)…「構わぬ・気にしない」。実におおらかさに満ちた言葉であった。米寿の年に亡くなられたと聞く。印象深い、忘れ難い奇人・変人先生だった。

結論! この頃、奇人・変人、大好き。私もさらに頑張って奇人・変人にあやかり、精一杯“老害”を撒き散らそう。エッヘン!

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 12.折々に憶(おも)う

 …にはなりたくないと念じていた老化危険信号第1弾(自称)。“またしても、同じ咄(はなし)に孫誉める、達者自慢に人を侮(あなど)る”の段階は口惜(くや)しいけれど、実はかなり前に過ぎ去った。本当に口惜しいが正直に認めざるを得ない。敢えて(自称)と書いたのも口惜しさの程を示すものなのかもしれない。
 
 …になることはできるだけ遅らせたいと精一杯努力してきた老化危険信号第2弾(自・他称)。“くどくなる、気短になる、愚痴になる、心はひがむ、身は古うなる”の段階は精一杯努力した心算(つもり)だったのに嗚呼無情!通り過ぎつつある。いやもう既に通り過ぎたのかもしれない。残念だが日常のたたずまいはどうやら正にその通りと、渋々だが肯くことばかり。情けない。ここに到ると(自称)と強がってはおれない。(自称)プラス(他称)となることが実に口惜しい。仕様がないのかなぁ。
 
 …となる現実の生理現象は何とかして最小限にと、ひたすら神仏にすがる思いの老化危険信号第3弾(自他確認)。“手は震う(今、この稿を書いていて…)、足はひょろつく(ヤセ我慢で杖はできるだけ使わないでいるが…)、歯は抜ける(自慢じゃないが総入れ歯)、耳は聞こえず(何が因果か、余計なことは耳に入ってくる。トホホホ)、目はうとくなる(遠近両用レンズは本当にウットーシイ)”の段階は、神様・仏様目下海外出張中でご不在とか、お聞き届けなし。これが悲しい哉、現状といってよいだろう。どうやらお賽銭をケチった祟(たた)りらしい。今さら手遅れかもしれないが、早急に補正予算を組んで機密費を増額しておこう。

 さてここまで随分と暗い話ばかり書き連ね、さぞかしお目障りであったことだろう。でもこれが素直な自己開示による現状認識の一端で、私としては極めてサバサバとした気分になっている。決して強がりの弁でもなく、強要された現状認識でもさらさらない。だから実に清々しいのである。
自己受容とはこれか。 時にこんな短歌を目にした。
“七十年 生きて気付けば形なき 蓄えとして言葉ありけり”
〜山岡響(ひびき)〜平成百人一首展。
“言葉”それが空気や水、家族や友人と共に、最も大切なものとしてなにげなく傍らにある。そしてノーベル物理学賞の湯川秀樹は、
“逝く水の 流れの底の美しき 小石に似たる思い出もあり”〜秀樹著作集〜
深山木(みやまぎ)、と詠んだ。孔子は川のほとりに立って
「逝く者は かくの如きか 昼夜をおかず」と呟いた。
川水とは生と死の両岸を洗うものと説いたのである。
老子の無の思想に通じ、それを中間子の予言者・秀樹が美しく短歌の“言葉”に託したことを、意味深く思う。

 この稿は4月20日夜に書き上げた。程なく5月10日。私の満77歳の日。永らく生きて気付けば、私にも多少形なき蓄えとしての言葉を得たのであろうか。老化危険信号の狂歌、湯川詠む老子の無の思想(ロジャーズは老子を信奉した由)、何れも“言葉ありけり”と折々に卯月の爽やかな風に触れて、実は明るく憶う私なのである。

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2000年 

  11.平成13年3月に思う (2001.3)

3月は年度末・区切りの月、と未だにすぐ念頭を過(よ)ぎるのは、長年企業人として馴染んできた人間の性なのだろうか。哀れとさえ思うほど画一的で単細胞的な発想、それは悲しい哉(かな)、習い性となるの典型のように思う。

  その年度末、平成13年3月3日でPALはひと区切りを告げ、新年度4月から関東支部参入のた め発展的解散をした。

 憶(おも)えば私がPALという組織を初めて知ったのは、去る平成8年10月12日、高田馬場の某喫茶店で会長八巻さんと会ったとき
(ナンと手帳に克明に記録してあった。午後3時にと…)。
たしか発足間もない頃であった。メンバーも僅か10名 前後とのこと。でもとにかく若々しい印象に満ちたグループで、それだけに多少心細 い(ゴメンナサイ)感じはするものの、やる気も十分に感じたことを思い出す。そして参加せよとの会長ご命令も!  

以来まる5年間の月日の流れの中で、役員・幹部各位のたゆまぬご努力により、PAL独自の研修は毎月欠かさず続けられた。地味でそれほど目立たない活動であったが、そして逐次会員は増加したとはいえ、未だ小さな組織、でも山椒は小粒ながらピリッとしたのか、協会内部でもやがてキチッと知られる存在となった。多少心細い( 再びゴメンナサイ)感じの発足であったが、やはり若々しいエネルギーを発揮したのであろう、見事に成長したものである。私も枯木も山の賑わいとやら、ほとんど皆勤 で勉強させていただく中から若いエネルギーのお裾分けに与(あずか)った。  

 さて春は3月「弥生」の候。物の本によれば、「風雨改たまり草木いよいよ生(お )うるゆえに、いやおい月というを誤まれり」(奥儀抄)とあって、「弥生」は いやおい月から転化したものとのことである。草木が冬の厳しさに耐え忍び、 さぁこれからと生い茂りゆくさまを意味するのだという。

PALも来し方5年間にひと 区切りをつけ、新生関東支部に若々しい息吹をもたらそうとする。つまり中級対策研 修の新橋地区拠点として、新年度4月から活動を始めることになるという。 区切りとはけじめをつけるの意。けじめとはしきりをつけるの意。しきりとは始末 をはっきりさせるの意と辞書にあった。つまり、始めあれば必ず末がある。末は始め のシグナルでもある。

 3月は末であるが、生い茂りゆく弥生から卯の花盛り咲く卯月 4月へのけじめ、始末の時でもあるのだ。 もう心細くないPALなのだから、枯木もさぁひと踏ん張りして花一輪をつけようかな。
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  10.ごまめの歯ぎしり (2001.3)

 東京は八重洲地下街の小ぢんまりとしたサロン風の集会所。満80歳を越したかつて 商社マンをはじめ、万年少女の雰囲気を漂わす60代半ばのおっとり女史などなど、 集まった面々男女合わせて7人。 平均年齢はざっと73歳くらいだろうか。期せずしてできたスモール老人クラブといった感じの集いである。

特に定まった議題とか、テーマは掲げない。堅苦しいのはご免蒙(こうむ)る。 強いて言えば、幸いにして当面食うに困らぬささやかなゆとりと、戦前戦後を生きてきたしたたかさを併せ持つ、いわば一寸扱い難い一言居士(いちげんこじ)の集団だけに勝手気まま・自由奔放な物言いをする。共通の関心事が自然と話題にのぼるのも不思議でない。そんな集まりだけに全く気のおけない雰囲気の中で、寿司などを軽く摘(つま)み、茶を喫して
2〜3時 間駄弁(だべ)って別れる。

従って毎回の話題も当今の世相や他愛もない家庭内・近隣の出来事中心に話の花が咲く。でも花が咲けば必ず種が生まれるのは自然の営み。だから次々と話の種は尽きない。そしてやがて自称まだ呆けていない連中だから、一言居士の本領発揮・誰憚(はばか)ることなく言いたい放題を言い散らし、お互い損得のないところで一区切りとなる。

しかしいざ会合お開きの頃になると誰からともなく「うん、今日も秋晴れの話となったネ」と締め括(くく)り、お互いに納得して終わる。話の中身はほとんど世相の 批判や、老人特有の愚痴めいたお小言の類いだが、自称痛烈な批判も真っ当なお小言も多少自己満足的で、やや独善に過ぎる部分もあるような気がする。それでも話し終わると皆、清々して秋晴れなのである。時流に添えない年寄りのひがみとか、古き時代のカビ臭いアナクロニズム的な思い出の引きずりに気がついていない。いや例え気 づいていてもそれを認めたくない老人特有の頑固さもある。でも話の筋としては決し 間違っていないとそれぞれが自負している。

 そのようなやりとりをしていたある日 メンバーの某が「こんな話ってまるで ”ごまめの歯ぎしり”みたい」と口走った。瞬鼻白んだが、皆一様に苦笑し大笑いしたものだ。

 さてこれからが本論。 先ずごまめの歯ぎしりという古い諺(ことわざ)の引用に誰一人異論はなかった。それは全員がこの諺の意味を正しく理解したという事。 だから言いえて妙と同感、いや共感したのであろう。それで発言者共々苦笑し大笑いして「 そうだよね」と共感しきりだったのである。

 ところでこの文章はこれで終わりとしたら読者各位、異口同音に消化不良というに違いない、行を改めて少々解説を…。

  知ったかぶりで大変恐縮だが、ごまめとは片口鰯(いわし)の干物。まめ(健康) の意味の連想から、祝儀・正月の料理などに用いる。ごまめの歯ぎしりとは、か弱いの歯ぎしり…誰にもよく聞こえない…つまり力の足りない者がいたずらにいきり立て物言いするものの、周りにはほとんど届いていないという事。鴨(あひる)の木登り 同義で、かなり無意味・無用の努力で汗水垂らす努力空しさを皮肉る意味をも含む。そんなにいきり立ってみても無駄だよということかな?

八重洲地下街に集う老人クラブ7人衆よ、年寄りのあがきに近い愚痴言は無意味・ 無用の努力だよとの声も聞こえるようだ。

 それでも7人衆は「うん、今日も秋晴れの となったね」と、清々とするのである。そしてささやかに満足し納得して、無用と知りながら明日のエネルギー源とするのである。               
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  9.新しい年に祈りをこめて (2001.2) 
 新世紀はスタートした。今年も恙(つつが)なく佳き年でありたいとほのかな願いをこめてみた。年を経るごとに新年を迎える思いの中に、段々と新鮮さを失ってゆく ようで淋しい。この一文の届くのは、おそらく正月も過ぎる頃だろう。ますます新鮮 さに欠けるので恐縮に思う。

 でも大伴家持は「新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け寿詞( よごと)」(万葉集・巻20)と祝ったという。今年こそは日本が、世界が、我が家も、そしてどのように変化するのかPALについても、 ”いや重け寿詞” の年にしたい ものと素朴に祈るものだ。

 ところで家持の祝った 今日降る雪 云々に心惹かれて、柄にもなく愛読の一冊に挙げている講談社刊・日本大歳事記のページをめくってみた。 ”御降(おさが)り”とあった。正月に降る雨または雪のことで、元日だけでなく三ヶ日の間に雨または雪が降ると、今年は豊年であるという。 ”御降り” というのは” あまさがる”の転語で”富(とみ)正月” の異名でもあるとのこと。いずれにしても目出度い言葉なのだ 。

 一茶は” 御降りの祝儀に雪もちらりかな”と、家持と同様、素直に初春を祝った。 もっとも”御降りのまっくらがりを濡らしけり ”(岸田雅魚)とか、” 御降りや老 のなげきは唄かとも ”(小鷹ふさ子)などのように多少暗いのもある。目出度いと心の底からいえぬ、何か引っ掛かりでもあったのであろうか。人、それぞれの思いと受け止めよう。

 そういえば新年早々縁起でもないとお叱りを受けそうだが、 ”門松は冥土の旅の一 里塚 めでたくもあり めでたくもなし” (一休)と皮肉っぽく聞こえる一句もある 。一休和尚の作というから、ただ単に皮肉っぽく感じるのはそれこそ皮相というもので、人生の意味を問う道歌なのであろう。

 ついでに門松の項も調べてみた。俵松・長押(なげし)松・飾松・門(かど)の松 ともいい、年神を門や茶の間の長押で祭るもの。松は本来、正月を迎える神の依代 (よりしろ)の意味を持ち、長寿を願う思いが加わっている、…とのことである。徒然草に「大路のさま 松立てわたして 花やかにうれしげなるこそ またあわれなれ」 (19段)とある。軒並みに門松の立つ都大路、その賑々しい新年の寿(ことお)ぎを描いているのも嬉しいものだ。

 さて私は今年満77歳を迎える。年々歳々正月は間違いなく訪れてくる。新世紀の 今年、 御降り はなかったが、家持や一茶と同様、素直(私の名前も忠<すなお> )に ”いや重け寿詞”” 御降り祝儀”の年でありたいと祈りをこめるものである。

人 、それぞれに新年に思う心は違うであろう。一休の説く門松は一年一年を己の歩んで来た自分史としての区切りと心得、縁起でもないどころでなく、責任ある自分成長史 の証しと位置づけたい…と願う。77歳は喜寿とか、名実ともに” いや重け寿詞” 自分成長史たるべく、PAL同学の皆さんと共に歩ませて頂きたい。
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   8.”いいかげん”を楽しみたい (2000.11)


「働き続けるには向上心だけでなく、ある種のいいかげんさも必要です。それがあってこそ、“この先何とかなるさ”と結論を先に延ばしながら、長い目で自分の成長や組織の変化を見つつ、働いて行きたい」。
 看護婦泣き笑いの話という某病院病棟勤務10余年のベテランのエッセイを、単行本にしたその中の一節をお借りした。ついでに書くと彼女のお年は…(女性の年齢をあまりハッキリいうのはマナー違反とか)…だから30代半ばとしておこう。

驚いたことにこの女(ひと)、看護婦兼人妻兼作家兼某美術大学通信教育課程学生、そして兼GPZ1000RX・カワサキというオートバイを乗りこなビッグドライバー。いやはや恐れ入りましたのマルチ人間である。不規則勤務の病棟看護婦、したがって休日も不規則というのにこのひと、兼・兼・兼を連ねる御仁(ごじん)でありながら、ほとんど休んでいないようなまれに見るタフなお方。
 ところで主たる職業の病棟勤務10余年の中で、幾多の人間の生と死を看取り、そしてそれに絡まる複雑な人間模様や社会現象、特に現代世相を、まるでドラマで見るような体験を重ねたとのこと。それもどちらかというと苦渋に満ちた人間絵巻であって、当然ながら家庭や職場、社会を舞台とする入り組んだ悲喜劇を目の当たりにする。だからこんな職場環境の中では、さぞや暗い悲しい苦しいイメージの充満する経験という感じがしてならないのに、意外にも彼女の多くの作品にはほとんどそれが出ていない。「私はノーテンキ」と自嘲でなく本気で自称している。それは彼女独自の哲学で自己理解であろう。決してイイ加減なものではないと思う。そしてそんな中から生まれた名科白(せりふ)が、“いいかげんを楽しもう”“この先何とかなるさ”である。なるほどこの名科白がマルチ人間の彼女のエネルギー源なのであろう、と単細胞的に思ってしまう。

 さて、カウンセラーの職場?環境の中での体験では、彼女の体験と相似する印象がとても強い。クライエントの話は、やはり辛い苦しい暗い悲しいことが多い。カウンセラーである私は当然同調・同感・同情してはならない。傾聴も真剣そのもの。でも懸命に対応した後でクライエントを送り出しつつ、“この先何とかなるさ”と思うのも率直な気持ちである。決してチャランポランではない。いい意味での楽観主義である。表現としての“いいかげん”には少々抵抗感もあるものの、“ある種のいいかげんさ”はまさにいい意味での楽観主義と思う。ご都合主義の楽観主義でそれこそ“いいかげん”なのかな? 

さて如何ですかな?
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   7.嗚呼!実技指導者の悩み (200.7)
 本年度の産業カウンセラー養成講座もいよいよ中盤を迎えた。毎年この時期になると情けないことだが、妙に落ち込んで一人悩んでしまう。ジメジメした梅雨の故(せい)ではない。誕生日が来て「ああ、また一つ年をとるのか」という嘆きでもない。
 実はこの中盤過程では面接実習も本格的になり、傾聴の初歩的技法(カール・ロジャーズの技法)の体験学習に熱を入れる。そこではカウンセリングとコンサルテーション・身の上相談との本質的な相違を、体験を通して理解させるのだが、さてそこで、例年異口同音のように出る受講生の素朴な疑問。つまりいずれも相談であるから来談者は当然回答を求める。具体的には解決のための助言や指導を要求する。であるにも拘らず、カウンセリングとは本質的に助言や指導をすることでないと教えられる。
「本質的に」という言葉の意味として、甚だ抽象的で曖昧な表現ではあるが、“必ずしも”ということであって、“絶対に”ということではないと説明する。“必ずしも”という用語は大変便利に使えるが、率直に言って使っている当事者も曖昧と感じているくらいだから、受講生にとっては迷惑至極であろう。したがって分かったとも分からないとも言えないから、一応分かったフリをして一段落する。

 初歩的面接技法の段階だから原則として助言しないと教えなければならないということから、このような曖昧表現とならざるを得ない。
 15年間も実技指導者をやっていながら、未熟の故でこんな些細なことに毎年悩み落ち込むとは実に情けない。でもやがて体験的に理解してくれるものと信じつつも、実はこの季節は梅雨のように“嗚呼”と湿っぽくなってしまう。

“嗚呼”である。 
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  6.春のあさ (2000.4)
 「春は曙。ようよう白くなりゆく。山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」とは有名な“枕草子”の春暁の一節である。春の朝ぼらけは目覚めてみると、すでに枕辺(まくらべ)の窓にはうらうらの朝日。「春眠曉を覚えず」でよく眠れた今朝は殊のほか心地よい。大きなあくびを一つ。布団の中の温(ぬく)みをひとしお懐かしみしみつつ、ホラ!今朝もまた囀(さえず)る小庭の雀どもに早く起きろと催促される。少々うるさい雀どもだが何羽来ているのだろう。のそりと床を離れて窓を開けると思わぬ冷気が頬を撫でる。日頃見馴れた我が小庭だが、ほのかな赤味を帯びた椿の蕾は、小粒ながらシャッキリと朝日に向かって立っている。そのたたずまいは実に新鮮だ。うるさい雀どもとシャッキリ蕾に見とれている中で、思わずも“弥生三月・春”と口ずさんだ。
 今朝ほど我が家の小庭に春の訪れがだしぬけにあった訳ではないが、つつましいこの世の営みにもそれぞれささやかな歓びを秘めているように感じた。春の朝ぼらけはひんやりと、そしてうらうらに、生きていることの素晴らしさを実感させる。
 そう言えば昨晩、老妻はいつになく予告した。「あしたの朝は、お粥に味噌汁、春菊のおひたしと白魚」と。なに気ないご託宣であったが、そうだ今朝は「白粥に梅干おとす春のあさ」--伊藤月草--にしよう。老妻と私とのささやかな朝食だが、この春に生きている幸せを味わいながら。(3月15日の朝)
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   5.Y2Kに思う(2000.2)

 少しは気の利いた新年の祝辞を、と昨年末から考えていたのだが、やはり能の足りなさは残念ながらやむを得ない。月並みというか、誠に平凡“PALの皆さん、明けましておめでとうございます”で2000年の言初めとなった。
 でもあれほど大騒ぎをしたY2Kも先ずは無難というか、少なくとも我々庶民の生活にはお陰で何ら差し障りがなかった。最も心配されたライフラインについては恙(つつが)なきを得た。大袈裟に言えば地球ぐるみの関心事であったライフラインの確保、核の暴発・テロの発生防止などなど本当に良かったと思う。明けて見回せば至極当然のことのように2000年の初めは時を刻んでいる。
 月並み・平凡と言ったが、この平凡さを味わった新年を心からおめでとうと祝いたい。勿論その陰には膨大な費用と時間、そしてそのため苦労された多くの関係者の方々のあることを思い、しみじみと感謝する。
 それにしてもY2Kの問題はこれですべて終わりではない由。我々は日々、コンピューターに囲まれ埋まって暮らしている。便利重宝この上ない暮らしに慣れ親しみ過ぎている。Y2Kの問題は万事終わりではないというのも、閏(うるう)月や会計年度末対策など、これから遭遇する問題もあろうが、それよりむしろ、管理しているはずのコンピューターに縛られて、思考も行動もコンピューター主導になっているかも知れぬ。それが我々の日常であるという現状だ。
 旧約聖書に「世代は去り、世代は来たる。だが地は永遠に立ち尽くす。日は昇り、日は沈む」とあるそうだ大地・太陽・空気・緑・川・海、そして人・鳥・魚に犬や猫。自然は悠然としている。己の時間によって従っている。“巡り巡って風は吹く。風は巡り続けてまた戻る”と詩人は謳う。時はものすごい勢いで、情報化だ・遺伝子操作だ・金融はテクニックだと突き進み果てしない。Y2Kのこれからを象徴する言葉で、旧約聖書とは見事な対比である。
 時代の趨勢に乗り遅れた敗残者の挽歌と思わずに、詩人・茨木のり子さんの『時代遅れ』の一節に目を通してみたい。「車がない。ワープロがない。ビデオデッキがない。ファックスがない。パソコン・インターネット見たことない。けれど格別支障もない。そんなに情報集めてどうするの。そんなに急いで何するの。頭はからっぽのまま」。そう、許されるのなら私は茨木のり子さんの詩に続けたい。「コンピューターはものすごく便利だ。まるで神様みたい。だから便利に使わせてもらおう。でも人間ではなくて人間の作ったモノ」と。まるで神様みたいで人間ではない。当たり前!!
 私はこのY2Kを、コンピューターを、大切にしつつ、時代遅れも時に佳し。ゆったりと生きたい。
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   4.雑 感(2000.11)

 この季節、どうしてもつい足の向いてしまう店に河豚(ふぐ)料理屋がある。なけなしの小遣銭をはたいてもついフラフラとのれんをくぐる。そしてその都度「河豚を食う馬鹿・食わぬ馬鹿」を思い出す。でもやはり食い意地がまさってしまい、河豚食う馬鹿を思う存分演じている。殊更に風流ぶる思いなど毛頭ないが、「あら何ともなや、きのうは過ぎてふぐと汁」という芭蕉の句をチラと口ずさむのである。調理法(内臓に含まれるテトロドドキシンという猛毒の除去法)がよく分かっていなかった頃は、毒コワイされど味ウマイを両天秤(てんびん)にかけて、一夜明けて“あゝ生きていてよかった”“ウマかった”の実感がまさにピタリの芭蕉の句だ。
 こじつけがましい気もするが、河豚食う馬鹿はホンネで食わぬ馬鹿はタテマエであろうか。「君子危ふきに近寄らず」と孔子様はおっしゃったとか聞いているが、危ふきに近いところに天下の美味、河豚がおわしますのである。ちょいと馬鹿馬鹿しい話で不謹慎かな!
 でも振り返ってみるにこの一年間、私はホンネとタテマエの両天秤に自ら仕掛けてふらついていたように思う。具体的には中級対策講座と銘打って続けて来た勉強会のことである。逐語記録の検討と理論学習。誰がこんなシンドイことを考え出したのか知らないけれど、生まれつき怠け者の私にはいやはや本当にシンドかった。これホンネ。発表者・担当者・企画進行の方、皆それぞれにシンドかっただろうとお察しする。生意気にそして先輩面(づら)で一言モノ申した、いやモノ申さなければいけないと思い込んだ私もシンドかった。
 この一年間の理論学習の資料(それ以前の分も含めて)を整理した。立派な資料の集積だ。ファイル3册分にも及ぶシンドさの結晶である。
かつて芭蕉は命がけのシンドさを味わいながら、河豚に舌鼓を打った。今、私達は中級という河豚をシンドさの集積の中から味わうべく苦労し努力している。どうやらホンネ(中級であり河豚である)というのは、シンドさ・命がけの中から生まれるのであろうか。そう言えば、カウンセリングとはホンネのやりとりであると教えられた。ホンネ、つまり自己開示というのは辛いもの、シンドいものである。「来年もまた続行」と猛烈研修部長は尻引っぱたく。ヤレヤレシンドいなあ。でも来年のこの季節には皆と一緒に河豚食う馬鹿になりませうか。呵々大笑!
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1999年度

 2.自己受容(後編)(1999.11)

 「つまりあるがままの自分を素直に受け入れることだ」と言い聞かせるように努めてはいるのだが。…でも仲々に難しいものだとつくづく思う。先輩は言った。カウンセリングはまず自己受容から始まると。
 今年も大好きな金木犀の薫り漂う秋がまた廻って来た。殊の外、季節を一入(ひとしお)感じる秋の気配だ。今年もまた秋を迎えたとの思いを深める。何とも安手なおセンチのようだが、この数年とりわけ思いの深まる秋の薫りである。そして年々“とりわけ”という思い入れは強くなる感じ。
でも実のところ「やっぱりこれも年令(とし)のせいか」にはしたくない、と強がりを見せている。秋のたたずまい・移ろいゆく秋の趣を味わう余裕が増して来ただけだとしている(少々ムリな言い訳かな)。
 ところで、年々歳々四季は廻って秋が来る。でも私は、人それぞれ春夏秋冬について好き・不好きを感じるだろうが、何としても秋を好む。
うだるような夏をやっとの思いで凌いだ後の爽やかさは、まるで命の洗濯に似た秋の感触である。中でも、紅葉・豊かな味覚もさることながら、たとえホンのひと時の薫りかも知れないが、金木犀の爽やかさは秋の凝縮のようだ。とにかくこのような秋が理屈抜きに好きなのである。
そしてとりわけこの数年は秋への思い入れ、格別な気がする。
 人は秋を稔りの季節(とき)と言う。豊かさを讃える。たしかにその通り。でも私は思う。紅葉は盛りを過ぎやがて終焉を迎える。その過程での一瞬の輝きであると。

 秋とは稔りの豊かさを讃えると共に、全盛の時を経て遂に終末を迎える感傷の宴でもある。しかし私は、何故かその両者を避け、敢えて薫りにこだわっている。意味づけとして爽やかさに引かれる。
 どうやら私はもともと秋の風情をこよなく好んでいるが、それとは別に来し方75年の人生と、移ろう四季への思いとを重ね合わせているようだ。お蔭で四分の三世紀を曲がりなりにも生きて来た。生理的にも脳力的(能力的ではない)にも、やがて終末を迎えるは必然。
でもその厳然たる事実を認めたくない私がいる。少々ムリと承知しながら、秋のたたずまいや風情を味わう余裕と言寄せ(ことよせ)しつつ、今、秋に在る我が人生に強がりを見せている。仲々にあるがままの自分を素直に受け入れられない自分を、金木犀のふくよかな薫りの中に感じている。
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  1.自己受容 (1999.9)

 濡れた傘を右手に、左手に鞄を持った私は、揺れる電車の中で少しばかりよろめいた。と、その時、前に座っていた中年の女性がさり気なく、「どうぞ」と席を譲ろうとして声をかけてくれた。「ハイどうも。でももうすぐですので」少々照れながらお礼を。立ちかけた彼女はバツが悪そうにそっと座った。
 たしかにもうすぐの二駅目で「どうも」と軽く会釈をして私は下車した。でもその時の彼女の何ともいえない淋し気な表情は…。もうすぐだからと遠慮の思いもあって、そして失礼があってはいけないと丁寧にお礼をいった心算(つもり)であった。それにしてもふと浮かんだ彼女の表情の中にある“淋しさ”は。
 この道の先輩の言葉が閃いた。カウンセリングとは先ず自己受容からだと。自分のあるがままを素直に認めることから始まるの意。私は年相応の老人だ。しかも右半身不自由な体だ。当然のことなのにそのまま率直に受け入れていない私がいる。
 車中での二言三言のヤリトリの中で素直でない私に、彼女は何ともいえない淋しさを覚えたのだろう。折角の好意を無にされた思いもさることながら、私の自己受容の乏しさを感じていたのかも知れない。降りた途端何でもないのにつまづいていた。
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