聖と俗?!


性善説と性悪説
 いきなり、何を思ったか、”聖と俗”なんて大仰なタイトルをつけてしまいました(^^;。もっと身近な言葉で”善と悪”でも、”+と−(プラスとマイナス)”でも、ついになる言葉なら何でも良かったんですけどね。

 性善説、性悪説、って聞いたことがありますよね?!。人間の本性が善であるか、悪であるか・・・。皆さんはどっちだと思います?!私は基本的には性善説派ですがね。

 しかし、善悪って何でしょうね。性善説・性悪説を語るような根っこの部分で考えればその善悪っていうのは、絶対的なものだと思うんですよ。善い事はよい、悪いことはわるい。まず、この判断基準は何なんでしょう?!
 
絶対的な善と悪
 ”善と悪”っていうテーマは、大昔から哲学者がいろんなことを考えてたみたいで・・・。ただ、そこで絶対的な”善と悪”を考えるときには、どうしても”神の存在”がつきまとっているような気がします。

 神という絶対的存在があって、神の世の秩序をもとに、人間の世に及ぼす・・・・。善悪の判断は、神の視点での判断基準という・・・・そういうものだったのではないか、と・・・・。
 もっと身近なところに話を移すと、かつて、一家の長という絶対的存在があって、家庭の秩序を保つために、家庭のルールに及ぼす。善悪の判断基準は、家庭の中で刷り込まれていく・・・・そういうものではなかったのかと。

 善悪について、絶対的な(?!)存在を軸に、戒律的に定義されるということは、(良くも悪くも)今も昔も変わっていないような気がします。そして、その戒律的状況下でそれらの戒律を守っていくことが、”善いこと”とされ、それに反することをすることが”悪いこと”とされるわけですよね。

 判断基準を外に求めることは、ある意味では危険も伴います。狂信的になってしまっては目も当てられません。しかし、おそらくその中に”ほんまもん(本物)”も多く含まれているのでしょうし、そういう判断基準を持っていることは、非常に大事なことだと思います。

相対的な善と悪
 でも、世の中、生きてると、”これは善いこと”、”これは悪いこと”とスッパリ割り切れることばかりじゃありませんよね。実生活の中では、白黒はっきりしたものよりも、グレーゾーンのものが結構多い。

 これもよく言われることだけど、嘘をつくことが善いことか悪いことか・・・。

 たとえば、とあるカップルが交通事故おこして、彼氏が死亡、彼女が重症となったとしましょう。意識を取り戻した彼女が”彼氏は?!”って聞いたとき、”死んだよぉ〜!”なんて・・・言えないですよね。普通なら”重症だけど、別の病室で治療してるから、安心しておやすみなさい”って言うでしょぉ?!。そこでその嘘を責められるでしょうか?!
 一方・・・最近、主婦の方で”旦那と恋人は別!浮気することで家庭も円満にやっていける”なんていう方がいらっしゃるようですが・・・。旦那を欺いて外で恋人とセックスしながら家庭を円満に運転していく主婦・・・・これは果たして善なのか、悪なのか・・・。

 ここで挙げた例は単純なものだけど、日々の生活の中で考えなくちゃいけないことって、単純なものは少なくていろんな複合的な要素で成り立ってるんですよね・・・・。だから、絶対的な善悪の判断だけじゃ割り切れない・・・。だから、人は悩むのかなぁ。
聖と俗のハザマで・・・・
 善と悪について考えてみたわけですが・・・はっきり言って世の中そんな単純なもんじゃないんですよね。おまけに社会状況も混沌としてきてるし、人間関係も希薄になり、殺伐としていっているような気もします。
 社会全体が悪い方向に向かっていると感じている人も多くいるでしょう。そこであなたはどうしますか?!

 最近の私の判断基準のひとつに”プラス要素とマイナス要素の足し算”っていうのがあります。何かを生み出すために、多少のマイナス要素を振りまいたとしても、それを十分にカバーし得るプラスを生み出せれば、それは結果としてプラスではないか、と(これって、”痛みを伴う・・・”の小泉首相に通じるかもしれないけど、それ以前から考えてたことなので・・・・受け売りじゃないですよぉ)。以前は、”これはいいこと”、”これは悪いこと”とデジタル的に判断してた頃と比べると、結構な進歩です(^^;;;。

 ってなことで、基本的には”善いことはよい。悪いことはわるい”と、善悪の基準を明確に持っているつもりなのですが、一方では内部的に結構俗なものを内包してるんですよねぇ。人に言えないくらい・・・(^^;;;。

 理想と現実とでも申しましょうか。聖と俗のハザマでバランスよく生きて生きたいと思ってるe郎です。

注:筆者は特定の宗教・思想団体にはまったく属しておりませんし、属す気もありません。勧誘しないでください!(^^;;;