私はいかにしてアルコール依存症となりしか
アルコール依存症というのは気づくのが大変な病気です。私も雑誌などの「問題飲酒者度チェック」などを行って結構な高得点を記録していたものの、何というか、自分が依存症であるとか、いっそ治療が必要なのではないかとか親身に考えたことはありませんでした。これは奇妙な回避です。チェックをしようと思い立つ時点で、自分の飲酒態度にいくばくかの危機感があることは明らかなわけです。そして「アルコールのせいで知人友人をなくしかけたことがある」だの、「酒を飲まないと眠れない」だのの項目に思い当たる節があること、さらに「何日飲むのを辞められるから依存症ではないというわけではありません。」等の記述に、背中から正体をばらされるようなキモチになっているというのは事実です。が、私はそのチェックと、問題飲酒者並びにアルコール依存症という概念とに、多分通常よりもよほど丁寧に足を止め、丹念に検討したあげく、立ち去ってしまいました。自分はそうではないと言い張る虚勢もなく、そうであると認める勇気もなく、ただ、立ち去ってしまったのです。
しかし既にそのころから、夜からの酔いを醒まさぬために朝杯を重ねる(二日酔いをなだめるためではない!)という依存症ぶりが明らかになっておりました。
私の飲み方というのは、まぁ、ろくなモノではなかった。何でも一般の人は場を楽しむために飲むのだそうですが、私は酔うために飲んでいるわけで。何というか、ドライブがかかるまでひたすら杯を重ねる。味なんかどうでもいい、まぁ好みかそうじゃないか位は判るけれども、未だに洋酒の入ったケーキを何とも思わず食べてしまう始末。アルコールに鈍いのではないかと思います。これは体質なのか、それとも過度の飲酒のなせる技かはわかりませんけれども。
そんな感じですから、飲み会には最後まで残るし、その癖他の人が酔っている姿というのを見た覚えがない。これひとえに、他の人が酔う前に自分が酔ってしまっているからで。よく友人が容れてくれていたものだと思いますが、若さと思って苦くも笑って容れてくれていたのか、それともこんなもんだと思っていたのか。
そんな学生時代で、よたよたしながらも卒業し、一応賃仕事ながら就職、これもまた今だから白状しますが面接もまともに受ける勇気なく酒臭く挑み、面接主の元クラブのママに(そのときは事務所の事務員の募集だったが)「このこクラブにどうかしら」などと言われ、一応採用されたもののトイレに酒を隠したりして心広い上司にそれとなく「以前雇っていた男がね、職場に酒を持ち込むもんだからやめてもらったよ、いくらこういう事務所とはいえ当たり前だからね」と釘をさされ、反省して職場での飲酒はやめたものの二日飲みでのずる休みは月に一度程、遅刻は二週間に一度ほど、よく解雇されなかったものです。こんな私ですが一応見初めてくれる人などありまして、寿退職。
件の相手とは学生時代からつき合っておりまして、おまけに向こうから言ってくれたもんですから、相当甘えがありました。結婚当初から昼間から飲んで夕食を作れないことがあり。出来ちゃった結婚でお腹に赤子がいようがかまわず飲んでいた。ろくに食べずに飲んでばかりいて急に立ち上がれなくなり電話で呼びつけたことなどありました。よく我慢していたものだと思います。人ごとのようにしか言えないのですが、本当なら、私には語る資格もないのですが。彼はおおらかな家庭に育ったため、それでも私が喜ぶので何かのお祝いにはワインを買ってくれたりしました。強くたしなめられたこともない、というのは記憶の偽証でしょうか。後から聞いたところでは、「強く禁止したりするとかえってよくないと思って、上手に飲めるようになるのを待っていた」と。寛大な処置ですが、私も彼もアルコール依存症の本質を未だ知らず、そして本質を知った今は、それは全く誤りであったことをわかっています。
あれほど飲んだにも関わらず、健康な子供に恵まれ、子育てが始まりました。やはり夫よりもアルコールと二人三脚でした。母乳育児であったにも関わらず、酒瓶を手放さず、・・・実はよく思い出せないのです。半ば酔っていたからに違いありません。第一子が生まれて三ヶ月は自分の実家にいたのですが、まぁ色々あって毎晩飲んでおり(勿論母親にはきつく止められていましたが、酒飲みが本気で酒を手に入れたいと思ったとき、まぁ縛り上げでもしないかぎり止めることはできませんやね)、私が寝こけてしまい夜中に泣きわめく赤子を母が抱き添い寝してやるというのが毎晩のようにありました。こんな有様でも実家は私を病院に連れて行こうなどとは思いつかず、赤子の夜が落ち着いた頃に私は再び夫婦の暮らしに戻りました。
それから第二子妊娠・出産までは、低空飛行ながら何とか主婦を営んでいました。が、主人は仕事が忙しく、私はお荷物タイプの奥さんで、子供がいるんだからかまって欲しいという気持ちがやまず、大変な負担となっていたに違いありません。引っ越しをし、近所づきあいが楽しくなり、朝から飲むことも少なくなりました。とはいえ夜になれば毎晩杯を手にし、主人が帰る頃にはたいていできあがっているようになってしまいました。たまに飲まずに待っていると大変遅かったり、今日は遅いだろうと思って飲んでしまうと却って早かったり、詰まらぬ、情けない形でのすれ違いが続きました。何かをまともに話し合うことも少なくなりました。私が男なら、家事はまぁなんとかこなしているものの、稼いだ金を飲み干してしまうような妻の所行に深く静かな怒りを溜めるだろうと思われます。彼もそうだったのではないでしょうか。怖くて聞けないのですが。
二人目を宿し、月満ちはじめ、体が利かなくなるにつれ、私はいらだちを募らせました。一人目の時はもっと親切だったように思われた彼が、二人目で、小さい子供がいるところにもってきて妊婦やってさらに大変であるというのに、親切度が低下していました。彼も結婚から少し経って取り繕いや気遣いを通常値に戻しており、何というか、様々なものの始末の悪さに私は非常にピリピリしていました。小さい子供の始末だけでも大変なのに、どうしてもう一人、健康な大人の始末までやらなくてはいけないの。彼はスポーツを愛しており、うんと体を動かした後は獣のように寝てしまうという休日を時に過ごしたのだけれど、私にはそれが許せなかったのです。スポーツをすることがじゃありません。後に寝てしまうことで、子供をお風呂に入れるという約束を破ることが。平日は子供の養育は私一人がかかりきりでした。休日くらい、子供をお風呂に入れて欲しいというのが願いでした。が、その祈るような願いも、獣のように眠る彼の前にたやすく砕かれた。どうして。また明日には一週間が始まってしまう。普段忙しいんだから、土曜だって出勤してしまうことが多いんだから、一週間に一度くらい、子供をお風呂に入れてよ。
彼は眠ると起こすのはまず不可能でした。スポーツをしてくると、「絶対に寝ないでよ」といおうが約束をしようが必ず寝てしまい、そしてその睡眠時間が丁度子供の食事とお風呂と寝かし付けの時間にかかるのです。平日一番苦労しており、休日一番助けて欲しい時間でした。そのまま朝まで寝こけてしまうのなら「起きられない位疲れていたんだなぁ」と諦めもつくのですが、大変な時間が終わり、深いあきらめの中、癒しを求めてテレビをつけたりするそのころに目覚めて何事もなかったように一緒にテレビの前に座られたりすると、深い悔しさと口惜しさがこみ上げ、なじったりすることがありました。
私も彼のようになりたかった。獣のように何も気にせず、始末のことも子供のことも忘れて、食べたいときに食べ、眠りたいときに眠り、それを人にも赦したかった。だがそれでは家を維持できないのがわかっていた。神経が切り立った。こどもの些細にもいらだち、それを自責する日が続いた。尖鋭な神経を鈍くするには、獣のようになるには、飲むしかなかった。アルコールで神経を鈍らせ、ようやく落ち着いた。寝入った後のこどもの様子に殺されそうなほど息を潜め聞き耳を立ててしまう、そこから赦されるには、アルコールしかなかった。
二人目を出産してから、私は坂を転げ落ちるように依存症を深く病んでゆきました。
一週間が続く。繰り返し続く。頼みの休日は余りに早く過ぎ去って。そのころの私にはこどもは永遠にこどものままのように思え、いつまでも手が掛かるままのように思え、いつか成長して自分で服を着られご飯を食べられお風呂に入れ片時を目を離してはならない頃が来るなどとはとても思えず、今のままの一週間がいつまでもいつまでも続くように思われて。私は酒瓶の底に沈んでゆきました。
赤ちゃんと、幼児と、二人のいとし子を抱え、私は地獄にいました。ほんとうに、片時も休まることがなかった。眠りはたやすく破られ、家事を手抜きすることもできず、手抜きしなかったのに食事は貧しいように思われ。買い物すら難儀でした。図書館に自由に行けなくなり、好きな読書を遮られたのも狂おしかった。アルコールでカロリーを補充する日が重なりました。部屋を閉め切り、子供にビデオを見せながら私は飲みながら赤子に乳をやり、子供の求めに応じてもう片方のおっぱいをくわえさせたこともあります。もう乳離れは当然済んでいたというのに。荒廃する家庭に嫌気がさしたのでしょう、彼の帰りは遅くなり、いよいよ私は一人になりました。自分の実家に頼って問題を先送りしたり、でも結局帰ってくれば同じ先の見えなさに絶望し、何日も飲み続け、そしてとうとう主人に泣きつきました。このままではみんな駄目になる。助けて。
彼は書類の束を差し出しました。アルコール依存症についての書類でした。ネットで調べた、と彼は言いました。君は多分アルコール依存症だよ。そうして、自分から治したいって思わないと、人に強制されても多分駄目だから、とも。一緒に治そう、と言ってくれました。私は夢かと思いました。私はこれほど酷いことをしたというのに、彼は優しさをもって私に対峙してくれている。本当に、彼が神のように思われました。
こうして、私はアルコール依存症と自覚したのです。