太平洋戦争について
太平洋戦争というのは大変な戦争だったと考えています。日本の暮らしにくさのルーツは皆ここにあるといっても過言ではない。鎖国のおかげでてんでばらばらに、せいぜい余所の藩の様子くらいを気にしながら生きてきたのほほんなお江戸の時代から突然国と国とがしのぎを削る国際時代のど真ん中に放り込まれたお子ちゃま日本。虎と狼が喰らい合っているような非常にえげつない国際時代を目の当たりにして、日本は、ともかく占領されないように国としての体裁を整えるので精一杯だったことでしょう。で、たぶんこの頃に日本が邂逅した国というのは遙かなる東の国まではるばる外交官をよこしてくるほど国際的なスケベ根性に満ち満ちた元気な国ばかりだった。だもんで、国というものは国境を堅守し内政を充実し国民の生活を向上させるだけのものだとは思えなかった。お手本が悪かったといえばそうなのだが、親しく開国を迫ってきた国々に習い、国としての体裁が整ったところで次に為すべきは他国の侵略、よくいえば帰属化だと考えた。というわけで日本は手近なところから喧嘩をふっかけ始め、それと同時にわけのわからぬ俄国民を法でがんじがらめにし、人もモノもとにかく使えるだけ使って行けるところまで行こうと考えていたわけですが、まぁちょっと前までは太平洋越した場所に何があるのかもよくわかっていなかったような人たちのことだから世界観からして無理がある。人にもモノにも気力にも歪みがきて結局負けてしまったわけですが、そんな無理に無理を重ねた挙げ句に倒れたような国のこと、よっぽど上手にやらなければその後も長く後遺症が続くことは予測できます。で、私達の日常がどうもやりにくいのは、日本という国が始まった、国際的に始まった、そのときからの様々な方策、そして太平洋戦争での無茶に極めつけの源があるのではないかと、私は考えているのです。
私達の戦後処理は終わっているのか?
戦後処理というのは何も戦争がらみで実害を受けた人だけのものではないと私は考えます。太平洋戦争に絡んでたくさんの無理な法がまかり通ってきた。その法はどうなったのか?たくさんの無理な法を通したのは政府の官僚連だった。その人々はどうなったのか?たくさんの無理な法を道理と思いこみ遵守しようとした無心にして罪深い人々がいた。その人々の心はどうなったのか?結論からいえば、この三つに関して、極めて戦争色の強い部分を除いてはそのままになっているのではないでしょうか。黒塗り教科書のように、明らかに太平洋戦争の匂いのするものだけを慌てて黒く塗りつぶしてなかったことにして、後は今に至るまで変わっていないのではないでしょうか。まじかよ?戦争なんて遠い昔のことじゃん。どのへんに残ってるっての?という方のために、個人的に思い当たる節を箇条書きにしてみましたので、ご参考まで。
1、一つのことを頑張るために他のことを全てほっぽらかってもいいという気構え
受験が戦争だとか、会社は戦場だとか、ちょっと前までは大変よく聞いた言葉でございます。で、こういう風に言うときには、その目的を遂行するためには全てを犠牲にしてもいい、いやすべきだ、しなくてはならない、周りもそれにとことん協力すべきであるというのが定説でございます。が、全てをなげうたねばならぬほど無理して合格したならば、その後の生活に相当無理が来ることは目に見えていますし、仕事というのは本来生活を営み楽しむためにするもので、仕事のためにそれらをなげうたねばならないとすればそれは結構な主客転倒でしょう。大体人生なんて畢竟ながらなものです。食べながら、糞ひりながら、呼吸しながら、汚いものをみながら、美しいものをみながら、誰かのために営みながら、誰かに営まれながら、希望と絶望と共に老いてゆくものです。それを一目的があるからその他全てのものに背を向けて生きていこうだなんて、そしてそれを奨励しようだなんて、こんな奇妙な風潮は戦時下以外にありえるものでしょうか。
2、男は仕事をしていればよろし、女は家庭を護っていればよろしという風潮
ちょっと江戸時代のことを思い出してみて下さい。開国前の日本のイメージしやすいサンプルなんですが、あの頃のおかみさんと旦那さんはどんな風に暮らしてたんでしょうか。旦那は一日中働きおかみさんが子供の養育と家庭の維持とを一手に引き受けていたんでしょうか。そんな堅苦しい分業はなかったような感じが致します。緩やかな分業はあったにせよ、そうきちきち領域が決まって等いなかった。何よりもっとお父さんがおうちにいたようなイメージがございます。男は仕事にかり出され、女は男が安心して仕事に打ち込めるように子供の養育と家庭の維持とを一手に引き受けるというのは、あれです、戦時下軍部が喧伝してた「兵隊さんが戦地で安心して戦えるように女は銃後を守り抜きましょう、そして天皇の赤子を立派に育て上げましょう」というのの戦争色の塗りつぶされた焼き直しです。
3、町内会
別にあったっていいじゃんとか思われそうですが、なくたっていいと思います。これの始まりが戦時下の隣組にあると知ったとき、私の印象は急降下しました。それまではなかったわけですね。で、戦時中には互いを監視し合って時世に沿わない人を非国民呼ばわりして戦争気分を高めるのに非常に貢献してくれたわけですね。今だって入ると息苦しいし入らなくても息苦しいでしょ。キライですな。
この項目は以下続きます。私の歴史観もそうとう危ういので、ご意見情報ご指摘お待ちしております。