その頃の私の夢はいつも決まりきったものだった。

焦燥感と罪悪感が私に毎夜同じ夢を見せたのだろう。
私は常に誰か・・・いや、何かに追われていた。
私を攻め立てる何かは、私を威圧する勢いで追いかけてくるのだ。

逃げ切れるはずの私は、いつも何かの存在を感じた途端に妙な重圧を感じるのだった。

重力がのしかかるような感覚で、私は上手く身動きがとれなくなってしまうのだ。

見慣れた街には人一人おらず、私は助けを求めても無駄なことを知っている。

途方もない圧迫は私に恐怖よりも重い焦燥感と罪悪感を与える。

・・・一体私が何をしたというのだ・・・・・

 

安住はふと目を覚ました。

悪夢は明確な姿を脳裏に残したままで、閑とした部屋が気味悪いほどだった。

“また悪夢を・・・”自分を追いかけたものが何なのか、夢の中にすら答えはなかった。
はっきりとした記憶を残す夢は、安住にとって不快なものが多かった。
とくにその時期は同じような夢を繰り返し見ていた。

しかし、よく本であるように、目が覚めても息が切れていることもなければ、
妙に汗をかいていることもなかった。

ただ胸の中に焦燥感と罪悪感が残っているだけであった。

 

焦燥感はともかく、罪悪感には心当たりすらない。

夢の理由を日常に見つけようと思考を廻らすが、妙に冴えた意識と闇に浮かんだ部屋に答えは無かった。

繰り返す夜の緊張は安住に迫りつづけるにも関わらず、答えは一向に見つからない。

安住はそうして、徐々に眠ることを諦めていった。

世界は朦朧と霞むどころか明確さを増し、白熱灯の下よりはっきりと冴え渡っていた。

そうして、安住はある夜、泥を見た。

 

泥、最初は確かにそう認識したのである。

しかし、泥というにはあまりにおぞましいものであった。

それは驚くべきことに自分の中から出てきたのである。

泥のように黒い、粘土のようにぐねぐねとしたそれは、
殺された安住の腸から流れ落ちるように姿を現したのだ。

安住は死んだはずの自分をどこからか客観視していた。

そして恐ろしいほどの恐怖を感じたのだった。

 

血脈が流れているはずの自分は、得体のしれない穢れに満ちていたのだ。

自分の中の全てがそれに帰属するような恐怖に、安住は震えを堪えることができなかった。

自分はこれほどまでに膿んでいたのだろうか。

自分の本当の姿を曝け出されたような気分になった。

どくどくと流れ出る血液は赤ではなかったのだ。

流れ出た泥は留まることをせず、やがて小さな蟲を生み出す。

涌いて出た数多の蟲は、羽も持たず、気味の悪い肢を怠慢に動かす。

生まれ出た蟲は、生まれた安住の泥の中で必死にもがいていた。

飲み込まれては涌く蟲は、泥芥を流す自分と比べれば可愛らしい感じさえした。

安住は自分を直視することができなかった。

 

泥芥を出し切れば、私はまともな人間になれるだろうか。

 

安住はそろりと自分の屍に近付いた。

自分の泥で自分を汚さぬように細心の注意を払う自分が滑稽だった。

 

裂けた腸に手を伸ばす。

指先から泥芥に恐る恐る突っ込む。

手に触れる生暖かい感触が気味悪かった。

しかし、残っている泥を掻き出さねばならないという感情が安住を急かすのだった。

一度塗れてしまった泥芥は、安住の中の理性を掻き消した。

安住は堰を切ったように、必死に自分の腸の泥芥を掻き出した。

 

そうしてすっかり綺麗に泥を掻き出してしまうと、安住は丁寧に中身を拭った。

屍はただの物と化した。

安住は焦燥感から解放され、横たわる自分に泥のないことを確認して安堵した。

そうして、泥芥に塗れた自分の手を見つめ、今度は徐に自分本体を裂いた。

腹部に激痛が走る。

苦痛にもがくはずの安住は、自分の奇行よりも、自分から流れ出るものに驚いた。

紛れも無い自分から流れ出たのは、常人の如き鮮血であった。

 

長く続いた、冴え渡った闇は消え、安住は朦朧とする意識の中で久方ぶりの安息をついたのだった。

遠くで呼ぶ声が、安住にはやけに煩く感じた。