| 夜間飛行 |
| それは、夜のことです。 躰の倍もあるような大きな羽を忙しなく動かしながら、 その鳥のような蝙蝠のようなものは飛んでいました。 毎晩、月が顔を出すと決まってこの森の上を飛んでいく小さな影は、 またいつものように同じ方向へと姿を消して行きました。 あんなに不器用に飛んでいては、それほど遠出はできないだろうと思われるような飛行を披露しながら、 それでもきちんと森の向こうに姿を消していくのです。 森の住人ははらはらしながら、 ついその姿が消えるまで目で影を追ってしまうのでした。 ですからその小さな鳥のようなものはちょっとした森の有名人でした。 セスの中では、毎晩月が出ると散歩に出るのが日課となっていました。 この森ではめったに雨がふらないので、セスは小さな躰を蝙蝠のような羽で浮かせて、 夜の飛行に出るのでした。 天気は良好、風圧、風向き共に異常なし。 いつになく真剣な顔で、セスは呟きます。 そして、寝床である木のてっぺんまで攀じ登り、 そこから思い切って宙に身を投げるのです。 あとはいつものように忙しなく羽を動かすのです。 そうすると、他の者たちでは見ることの出来ないような美しい景色を 目の当たりにすることが出来るのです。 月の光は夜の世界を明るく照らし出してくれるのです。 夜の散歩はとてもロマンチストなセスにとって、大きな楽しみの一つでした。 柔らかい光を受けた大きな森を下に、 広がる夜景はセスの特に大切な宝物でした。 寝床にある煌々とした石よりもお気に入りでした。 ですから、つい月が隠れるまで散歩してしまうのです。 セスは飛ぶのがとても上手なのです。 そして、今夜もいつものように夜の散歩に出るのです。 空気はすっかり冷めてしまって、今は涼しい風がセスの丸いおなかを滑ってゆきます。 今日の月は細くて小さくて、とても繊細な光を放っています。 暗い森は、いつになく真っ暗な感じがします。 セスはまるで冷たい風が森から吹いてくるような錯覚を覚えて、 少し恐くなってきました。 それでもやはり夜は静かで涼しくて、とっても気分がよいのです。 いつものように見渡す景色は、また微妙に全体の色合いを落として、 所々に闇が潜んでいるようです。 そして、冷たい二日月はやはりセスの心をドキドキさせるくらい綺麗でした。 いつもの決まった道筋を飛んでいきます。 すると、大きな屋敷が見えるのです。 とても風格があって、 一体どんな身分の貴族が住んでいるのかと好奇心をくすぐられます。 しかし、いつもはそれも視界の端に留めるくらいで、 わざわざ下まで降りてその屋敷を覗くようなことはしませんでした。 なぜなら、その屋敷はいつも真っ暗で、廃墟なのだと一目瞭然だったのです。 誰もいない、まさにオバケ屋敷にセスはとても入る気にはなれませんでした。 しかしセスは、 今日に限って、その屋敷の一室に明かりが灯っているのを見つけてしまいました。 誰も住んでいないはずの古い廃墟に、橙色の光が揺れているのです。 思わず、セスは高度を落としていきました。 ぺたっと窓に張り付く自分はさしずめ鼠といったところだろうか、 セスは思ってちょっと顔を顰めました。 窓に張り付く鼠を想像してしまったのです。 チーズを囮に罠をしかけられて、挟まるところまで想像して、 自分がオバケだということを思い出しました。 痛い思いはしなくて済みそうです。 思い直すと、そっと木枠の重い窓を開きました。 小さく木の軋む音がします。 中は螺旋状に階段が廻っています。 こっそりとその隙間から躰を忍ばせます。 透けている躯は思ったよりも細いようでした。 その小さな隙間を通ることが出来るのですから。 すっかり屋敷の中に入り込んでしまうと、 セスは階段に灯っている燭台の灯りを受けて、床に薄く影を揺らめかせながら上へ上がっていきました。 屋敷の中は、思っていたような廃墟とは全く違っていました。 重厚な色彩の迫力のある装飾があしらわれた階段をのぼっていると、 オバケ屋敷ではなく、自分が何処かの国の王様になったような気がしてきます。 丸いおなかに触れる 敷き詰められた絨毯のふかふかとした感触は、ちょっと堅い感じがします。 足というものを持たないセスは、 だんだんおなかを引き摺って階段を上るのがめんどくさくなってきました。 どうしようか・・・すこし迷いましたが、やはり羽を使うことにしました。 宙を飛んだほうが、上るのもうんと早いのです。 それに、階段を這っていては、あまりにも視界が低すぎて、 よく屋敷の様子がわからないのです。 ] バタバタと羽を動かすと、小さな躰は簡単に宙に浮きました。 でも、バタバタとした自分の雰囲気が、 閑静な屋敷の中ではとても騒がしく感じるのです。 セスはなんだか少しそれが気にくわなかったのですが、 先を急ぐ好奇心に負けて階上を進んで行きました。 燭台の灯りは薄いセスの躯を透して、 階段に揺ら揺らと影を揺らします。 そして、セスはついに灯りの灯る部屋へたどり着きました。 好奇心で胸が高鳴りました。 心臓の鼓動が益々セスを楽しい気分にします。 小さく開いた扉から洩れる光は燭台のような仄かな灯りではなく、 眩しいほどの明かりでした。 その中を覗くのは簡単でしたが、 眩しくて中が良く見えません。 セスは部屋に入ってしまうことにしました。 あまりの楽しさに、セスは自分が侵入者だということも忘れて、 扉を開けて部屋に入って行きました。 眩しく感じられた光は、部屋に入ってしまうとただの電灯の光になりました。 御伽の国の幻想が一気に色あせた感じがして、セスはまた少し不満を覚えました。 探検をする未知の世界は晧々と明るくてはいけないのです。 部屋の隅から隅まで全てが見えてしまう明かりは眩しすぎて、セスの存在を薄くしてしまうのです。 灯りに薄くなってしまったセスは、椅子の向こうに気配を感じました。 途端に先ほどまでの探究心がむくむくと再び湧き上がってくるのを感じます。 セスは喜んで、絨毯の上を這って行きました。 すると、セスの倍ほどの大きさの革靴があります。 そこでやっと、セスは自分の上に落ちた影に気付きました。 勇敢な探検家は、思わぬオバケ屋敷の主に先に見つけられてしまったのです。 セスはすっかり取り乱してしまいました。 自分よりも大きな靴です。 ここはもしかすると巨人の屋敷だったのかもしれません。 緊張したセスは、あまりの恐ろしさに身動きをすることができませんでした。 さっきまでの楽しい気持ちは一体どこへ行ってしまったのかと考えてしまうほどです。 すると、頭上から声が響いてきました。 「君、どこから迷い込んだの?」 まだ幼いその声に、セスは思わず顔を上げました。 しかし、その視界は伸びてくる影によって遮られています。 そしてセスは、生まれて初めて羽を使わずに宙に浮いたのです。 自分をのせた大きな手は、まさに小さな木のようでした。 セスは初めて見るその怪物が どんな顔をしているのかと恐る恐る上を見上げました。 白い幹に金色の細い枝をなびかせる柳の木のような生物がそこにはいました。 でも木でないことは確かなようです。 なぜなら、その木はセスと同じように目を持っていたからです。 どうやらその顔は怒っているわけではないようなので、 セスは少し考えてから話しかけてみることにしました。 「君は木なの?」 「違うよ。僕はここに住んでる人間だよ。」 再び頭上から声がして、その柳の木は答えます。 どうやら木ではないようです。 人間、というのは昔セスの物知りな友人から聞いたことがあります。 その友人は人間のことを、とても怖くてよく食べると言っていました。 セスは思い出してとても怖くなってしまいました。 今、自分は人間の手に乗せられているのです。 セスはこのまま消えてしまおうかと思いました。 どうやったら消えることができるのか一生懸命思い出しました。 「君はオバケなの?」 考えてると、また声をかけられました。 ここで頷くと食べられるだろうか?セスはまた考えました。 「僕を食べても美味しくないと思うんだよ。」 そう答えると、その人間は不思議そうにセスを見て、そして笑いました。 「僕はオバケは食べないよ。夕食は済ませたんだ。」 笑った人間は、とても優しそうな感じがします。セスは、また少し楽しくなってきました。 「僕はオバケなのかもしれないんだよ。」 セスは今度は正直に話すことにしました。多分食べられないと確信したからです。 さっきまでの怖い気持ちはすっかりどこかへ消えていました。 「じゃあ、オバケじゃないかもしれないんだね?」 不思議そうに首を傾げると、その人間はセスを持ったままそばにあるベッドに寝転がりました。 そして、ゆっくりセスを窓の側の枕の上に降ろしました。 「僕はオバケみたいに怖くないよ。」 セスは少し膨れっ面をしました。 セスはオバケでしたが、オバケが怖かったのです。 ですから、自分がオバケだと非常に困ってしまうのでした。 「じゃあ、オバケじゃなくてもいいよ。」 少年はセスに名前を訊ねました。 セスは少年の耳元で、こっそり名前を言いました。 「べつにオバケでも何でも、君のことをセスって呼べばいいよね。」 セスは優しい少年にすっかり楽しくなってしまいました。 それからは、セスは毎晩この少年の住む屋敷を訪れるようになりました。 月夜の散歩は少しばかり経路を変えることになったのです。 セスはお気に入りの景色を新しい友人と共に見るようになりました。 そして、森の中で見つけた煌々と光る石の話や月が隠れて夜が終わる森の話をたくさんしました。 少年は一生懸命セスの話を聞いてくれます。 森のことはよく知らない少年にセスは森の楽しい話を毎夜話して聞かせたのです。 セスは夜が終わるまで少年と遊んでいました。 そして、月が森の向こうに隠れてしまうと、 少年は手の上にセスを乗せて部屋の窓を静かに開くのです。 そうすると、長い夜は終わりを告げ、お別れの時間がやってくるのです。 いつも、この瞬間はセスにとってとても悲しいものでした。 セスは日の光が上り始めると暗い森の中へ姿を隠さなくてはならないのです。 掌の上で少年にお別れを言うと、 少年はいつもセスの大好物の名前を唱えるのでした。 「今夜のデザートはそれにしようか」と言って、 再び誘ってくれるのです。 セスは、大喜びで夜になるまで大好きなお菓子のことで頭がいっぱいになってしまうのでした。 少年は、いつもセスのことを掌に乗せて見送ってくれました。 セスはいつもお菓子と少年のことを考えて夜の冒険に出るのです。 そうして、暗い廃墟のオバケ屋敷は、 セスの中で次第に鮮やかな色を取り戻していくのでした。 |
| おまけ |