| 2巻 |
P118 |
初登場
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・・・軍情報部のバグダッシュ中佐が、ハイネセンを脱出して、シャトルでヤンのもとに至ったのは、シャンプールが陥落したその日だった。(中略)シェーンコップはにやついた――そういう状況のところへバグダッシュ中佐が現れたのだ。
彼は身元を確認されると、即座に旗艦ヒューベリオンの艦橋に案内された。誰もが首都の情報に飢えていた。だが、最初に質問する資格は最上席のヤンにある。
全員が注目するなかでヤンが訊ねたのは、誰が粛正されたのか、ということだった。
「現在のところ、拘禁された人はいますが、粛正された人はいません。この先はわかりませんが」
「そうか・・・」
「それよりも、重大な報告があります。大1艦隊がクーデターに加担し、こちらへ向かっています」
一同は息をのんだ。ヤンは黙ったまま目でつづきをうながした。
「司令官ルグランジュ中将は、正面から堂々と決戦を希み、小細工はしないようです」
「そいつはありがたいな」
べつに皮肉を言うふうでもなく、ヤンはそうつぶやくと、後の質問を部下たちにゆずった。
フィッシャー、ムライなどから質問の雨を浴びながら、バグダッシュは誰かを探すように視線を動かしていたが、何気なさそうにヤンに訊ねた。
「副官のグリーンヒル大尉がいないようですが・・・」
「彼女は立場が立場なのでね、イゼルローンに残してある」
ヤンがそう答えたとき、「あっ」という叫び声がして、一同はひとしくそちらを見やった。シェーンコップが胸元にコーヒーをこぼしたのだ。
「やれやれ、せっかくのキスマークが・・・ちょっと失礼」
(中略)
「ヤン提督としては、きなくささを感じたんだろう。いまどき脱出者なんてタイミングもよすぎる。提督がそう言ったとき、おれがわざわざコーヒーをこぼして声をあげたりしたから、皆の意外そうな顔をバグダッシュは見ていないはずだが、この名に心当たりがあるかね」
「バグダッシュ中佐には、一度だけお会いしたことがあります。五年前、父の書斎で。現在の政治体制に対する不満を述べておいででしたわ」
フレデリカの記憶力には定評がある。
「なるほど。グリーンヒル大尉、お前さんのことを気にしたはずだ。奴はクーデター派の工作員だということだな」
(中略)シェーンコップはあっさりとある決心をした・・・。
「バグダッシュ中佐はどうした?」
ヤンが訊ねたのは夕食の前である。
「寝ていますよ」
「なにかやったのか」
予測しているかのようなヤンの口調だ。
シェーンコップは片目をつぶってみせた。
「特殊な睡眠薬を使いました。二週間は目をさまさないはずです。情報部員などという奴は、たとえ監禁しても起きているかぎり油断できませんからな。この一戦が終わるまでは眠っていてもらうのが最上です」
「ご苦労さま」
ヤンの謝辞は苦笑混じりだった。
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P139 |
翻身
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睡眠薬で眠らされていたバグダッシュが、ようやく目をさました。事情を知らされた彼は、しばらく唖然としていたが、何を思ったか、ヤンに面会を求めてきた。
ヤンは食後の野菜ジュースをしぶしぶ飲み終えたところだった。紅茶と異なり、野菜ジュースにブランデーをたらすわけにもいかない。そこへシェーンコップにともなわれて現れたバグダッシュは、自分の任務が最終的にはヤンの暗殺にあったことをあっさり認め、さらに語をついだ。
「私がくーでたーにさんかしたのはも、勝算ありと思ったからです。とんでもない誤りだった、とは言えないでしょう。あなたの知略が、我々全員の予測を超えていたのですから、これはしかたない」
ヤンは黙って紙コップの底を見ていた。
「まったく、あなたさえいなければ万事うまくいったのです。よけいなことをしてくださった」
心からくやしそうに言う姿を見て、ヤンは苦笑せずにはいられなかった。
「で、貴官が面会を求めてきたのは、私に不平を言うためか」
「違います」
「ではなんのためにだ」
「転向します。あなたの下でつかっていただきたいので・・・」
空になった紙コップを、ヤンは手のなかで意味もなくくるくるまわした。
「そう簡単に主義主張を捨てて転向できるものかね」
「主義主張なんてものは・・・」
臆面もなく言い放つ。
「生きるための方便です。それが生きるために邪魔なら捨て去るだけのことで」
こうしてバグダッシュは投降者として遇されることになり、旗艦ヒューベリオンの一室に軟禁されたが、その態度は大きなもので、食事にワインがつかないと文句をつけたり、その食事を運ぶ兵士を女性、それもとびきりの美人にして欲しいと希望したりした。監視役の士官が腹を立て、その態度をヤンに訴えたが、「けしからん」とは黒髪の若い司令官は言わなかった。
「まあ、いいさ。女性兵はともかく、ワインぐらいつけてやってもかまわんだろう」
悪びれない、ずうずうしい男に対する寛大さは、どうやらラインハルトとヤンの、奇妙な共通点であるらしかった。
二、三日たって、バグダッシュは、また、ヤンの前に現れた。ヤンはプライベート・ルームで、会戦の事後処理や今後の作戦、部隊の再編など、デスクワークに忙殺されていた。
「正直なところ、私も無為徒食にあきましたのでね。仕事をしたくなったのです。何か任務を、私に与えてくださいませんか」
「あわてることもないだろう。そのうち役に立ってもらうさ」
ヤンはデスクの抽斗から銃を取り出した。
「私の銃だ。貴官に預けておこう。私が持っていても役に立たないんでね」
ヤンの射撃がまずいことには定評があるのだった。
「これはどうも・・・」
つぶやいて銃を受けとったバグダッシュは、エネルギー・カプセルが装填されているのを確認すると、書類に視線を落としているヤンに目をすえて、静かに銃口を向けた。
「ヤン提督!」
その声に顔を上げたヤンは、自分に向けられた銃口を見ても、別に表情を変えるでもなく、また目を書類に向けた。
「銃を貴官に貸したということは内密だ。ムライ少将などが口やかましいからな。それだけ心得ておいてくれればいい。いずれ貴官の身分が内定したら正式に銃を供与する」
バグダッシュは短く笑うと、銃を胸の内ポケットに目立たないようにしまった。ヤンに敬礼して、ドアのほうに向き直る。そこで、はじめて表情を硬化させた。
ユリアン・ミンツ少年が鋭い視線をバグダッシュの顔に射込んでいる。手には銃があって、正確に彼の心臓を狙っていた。
バグダッシュは大きく咳払いすると両手を振ってみせた。
「おいおい、そんな怖い顔をしないでくれ。見ていたなら分かるだろう。冗談だよ。おれがヤン提督を撃つわけがない。恩人をな」
「一瞬でも、本気にならなかったと言えますか」
「なに?」
「ヤン提督を殺せば歴史に名が残る――たとえ悪名であっても。その誘惑に駆られなかったと言えますか」
「おい・・・」
バグダッシュはうめいた。ユリアンの構えに隙がないので、指一本も動かすことができず、立ちすくんだままである。
「ヤン提督、なんとか言ってくださいよ」
ついに彼は救いを求めた。ヤンが答えないうちに、ユリアンが叫んだ。
「提督、僕はこの男を信用していません。いまは忠誠を誓っているとしても、将来はどうか、わかったものじゃありませんよ」
ヤンは書類を放り出すと、両脚をデスクの上に投げ出し、腕を組んだ。
「将来の危惧など、今殺す理由にならないぞ、ユリアン」
「わかっています。ちゃんと理由はあります」
「どんな?」
「捕虜の身でありながら、ヤン・ウェンリー提督の銃を奪い、それで提督を暗殺しようとしました。死に値します。
容赦のないユリアンの表情を見つめるバグダッシュの顔に、汗の粒が浮かんだ。ユリアンの主張は、万人を納得させるだろう。自分が、想像もしなかった窮地に立たされたことをバグダッシュはさとった。
ヤンが笑い声を上げた。
「もういい、それくらいで許してやれ。バグダッシュも充分、肝が冷えただろう。気の毒に、この横着な男が汗をかいているじゃないか」
「でも、提督・・・」
「いいんだ、ユリアン。それじゃ、中佐、もうさがってよろしい」
ユリアンは銃をおろしたが、バグダッシュを見つめる瞳は、相変わらず厳しく鋭いものだった。中佐は肩で息をした。
「やれやれ、顔に似合わずこわい坊やだ。君の目がいつでもおれの背中に光っていることを忘れないようにするよ」
言い捨ててバグダッシュが出ていくと、ユリアンはいささか不満そうに保護者のほうに向き直った。
「提督、ご命令いただいたら、あの男をでていかせはしませんでしたのに」
「あれでいいんだよ。バグダッシュはきちんとした計算の出来る男だ。私がかちつづけているかぎり、裏切ったりはしないさ。それに・・・」
デスクにあげていた脚をヤンは下におろした。
「なるべく、お前に人殺しはさせたくないよ」
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P181 |
偽りの証言を
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呼びだされたバグダッシュ中佐は、足取りも軽くヤンの部屋へやってきた。副官のフレデリカに座をはずさせて、ヤンは切り出した。
「貴官にやってもらいたいことがある」
「なんなりと」
答えながら、バグダッシュは室内を見わたし、ユリアンがいないことを確認して安心した。あの美しい少年に、どうにも苦手意識を覚えるというのは、本人にとってもばかばかしいことだが、一度機先を制されると、その記憶は尾をひくものらしい。
「「で、なにをすればいいのです?ご命令とあらばハイネセンへの潜入でも・・・」
「そして、グリーンヒル大将のところへ駆け込むか」
「や、これは心外なことを」
「冗談だ。じつは証人になってほしい」
「証人?なんの?」
「今回の救国軍事会議のクーデターが、銀河帝国のローエングラム候ラインハルトにしそうされたものだ、ということの証人にだ」
何度目か、バグダッシュはまばたきした。ヤンの言う意味を理解したとき、口が大きく開いた。別人を見るような目で、バグダッシュは若い司令官を注視した。
「とほうもないことを考えつかれましたな・・・」
クーデターの正当性を、完全に叩きつぶすための宣伝工作――バグダッシュはそう受け取った。たしかにそうにはちがいないのだが。
「事実だ。物的証拠はいまのところない。だが事実なんだ、それは」
ヤンは言ったが、バグダッシュの表情からは驚きと疑惑の色が消えなかった。更に言おうとして、ヤンは相手に納得させるのをあきらめた。(中略)
「とにかく、証言はしてもらう。くわしい台本や物的証拠が必要なら、つくってやってもいい。アンフェアなことは承知の上だ。どうだ、やれるか」
ヤンの表情も声も、とくに冷厳になったわけではない。だが、バグダッシュは、抵抗しがたいものを相手のなかに感じた。
「わかりました。私は転向者だ。なんでもお役に立ちますよ」
すくなくとも、当面、バグダッシュの運命はヤンにゆだねるしかないのである。
バグダッシュをさがらせると、ヤンは、軽い自己嫌悪を感じながら、フレデリカ・グリーンヒル大尉を呼んだ。
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P183 |
ブロードキャスト
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通信スクリーンにバグダッシュ中佐が現れたのは、窮地に立った救国軍事会議のメンバーたちにとって、不快きわまる驚きだった。彼は、ヤン・ウェンリーを暗殺するという重要な任務に失敗し、味方を危地に追い込んだあげく、いま、クーデターがローエングラム候ラインハルトの策謀によって引き起こされた、と、とほうもない証言をし、彼らの大儀を全面的に否定してのけたのだ。
「バグダッシュ、恥知らずの裏切り者、よくも人前に顔をだせたものだな」
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P249 |
下馬評
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「いや、そうじゃない。最初から私をだます気なら、家族を帝国に残しているとは言わないだろうよ。監視役をかねて、偽の家族がついてくる、というあたりかな」
幕僚のひとりに、ヤンは視線を向けた。
「情報部がもし工作するとしたら、そんなところじゃないか、バグダッシュ」
「まあ、そんなところだと思います」
ヤンの暗殺に失敗して転向し、いつのまにか彼の部下におさまった男はそう答えた。
「メルカッツ提督という人は純粋の武人で、諜報活動とか破壊工作とかには無縁でしょう。信用していいと思いますが」
「お前さんより、はるかにな」
「きつい冗談ですな、シェーンコップ准将」
「冗談ではないさ」
すました表情でシェーンコップが言い、バグダッシュはいやな表情をした。対照的なふたりを見ながら、ヤンは断を下した。
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