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時の運
『主義主張なんてものは、生きるための方便です。生きるために邪魔なら捨てさるだけのことで』
バグダッシュという不適な男はそう言い切り、にやりと笑った。
軍内部でも情報軍人は高級士官でもない限り、表に現れることはないらしい。個人としてではなく、組織の歯車、或いは組織に溶け込むように活動しなければならないようだ。ヤン提督が情報軍人を使っているのか、いないのかは僕にはわからない。ヤン提督が情報をなにより重視していることは、知っているのだけれども。
「中佐」という階級を持つバグダッシュと言う人は、それなりに功績のある情報軍人なのだろう。
正直言って僕が接していた軍人はみな、ヤン・ウェンリー提督に心酔している人が多かったので、ヤン提督を暗殺する目的でヒューベリオンに入り込み、失敗したあげく悪びれずに「自分を使ってくれ」という彼が、信じられなかった。
おまけに「主義主張」が「生きるための方便」だという。
その主義主張のために命をかけている人が、大勢いるのに…!
僕がそのことを言うと、ヤン提督は苦笑なさったみたいだった。
「ユリアン、彼の言葉を額面通り受け取っちゃいけないな」
そういうと、提督はぽんぽんと僕の肩を叩いた。
肩の力を抜きなさい、というように。
バグダッシュ中佐。
年は幾つくらいなんだろう。ちょっと僕には見当がつかない。
こんなに目立つ容姿で情報軍人がつとまるのだろうかというくらい、印象が強烈だ。手入れされた口ひげと、野心的な眼差し。男の僕から見ても、なんだかすごく男くさい感じがする。声も、印象的だ。演説させたら似合うような通りのいい声。でも、意識して作っているような感じもする。
個性の強い人同士反発し合うのか、シェーンコップ准将とはうまが合わないらしい。会えば言葉の矛先を交わしている。特殊な睡眠薬を飲ませて、彼の任務を遂行できないようにしたのがシェーンコップ准将だから、無理もないかもしれない。
もっとも、投降してきた彼を最初から怪しいと考えていたのは、ヤン提督なのだけれど。
バグダッシュ中佐が苦手にしているらしい人が、もう一人いる。
他ならぬ、僕だ。僕も彼が嫌い、だ。
今のところ、僕が本気で人に銃を向け、殺意を抱いたのは彼が初めてだったかもしれない。
でも、ちょっと彼を見る目が変わったこともある。
彼が、無聊をかこうのに飽きて(そのいい方も、僕は好きじゃない)なにか、任務を与えてくれとヤン提督に直談判して、いろいろあって僕に銃を突きつけられてから少し経ってからだった。
世間話をしにきたかのように、バグダッシュ中佐はヤン提督の執務室にふらりと、やってきた。どうも、ヤン提督は言いたい放題言う人が、お好きなようだ。僕自身も随分失礼なことを言ってしまうので、他人のことは言えないのだが。
バグダッシュ中佐の放言も、他の幕僚たちの物言いも、ヤン提督は咎めたことがない。
ヤン提督の側には、いつものように副官フレデリカ・グリーンヒル大尉が控えていた。
バグダッシュ中佐は、非常に驚いたようだった。
「ミス・グリーンヒル…!?」
フレデリカさんは、黙礼した。ヘイゼルの瞳が少しだけ翳ったような気がした。
バグダッシュ中佐が投降してから、二人は初めて会ったのだ。
「…貴女がここにおられたのなら、私の正体がばれて当然ですな…。5年前、私邸でお目にかかりましたな、大尉」
フレデリカさんは、頷いた。そして、思い切ったようにバグダッシュ中佐にヘイゼルの瞳を真正面から当てた。
「あの時の父とお話ししていらっしゃった中佐の言葉は、はっきりと覚えていますわ…。私はまだ、軍の内情のことなど気にも止めておりませんでしたが…」
なにか言いかけてバグダッシュ中佐は、やめてしまった。
バグダッシュ中佐は、いつものシニカルな視線に別の色合いを浮かべてヤン提督に向かって言った。
「閣下、グリーンヒル大尉に個人的な話をしても、よろしいでしょうか」
いつになく、まじめな声だった。
いつものどこか人を試すような、からかうような響きではない、真剣な声。
「かまわないよ。私が席を外そうか?」
「いや、それには及びません。それに、グリーンヒル大尉が困るでしょう…私と二人では。私は…クーデター派の転向者ですからな」
バグダッシュ中佐は図々しい男と思っていたが、フレデリカさんには随分気を遣う。
「でも、私がいては、話しにくいだろう?そうだな、ユリアンを残していこう。それならいいだろう」
いいながら、ヤン提督はもう椅子から腰を浮かせていた。呆然とする僕らを尻目に、止める間もなく提督は自動ドアの向こうに消えていた。
その時バグダッシュ中佐がフレデリカさんに話したことは、グリーンヒル大将がクーデターの首謀者 になるまでの経緯だった。
その事を聞いて、フレデリカさんが楽になるとは思えない。けれども、バグダッシュ中佐は真剣に、丁寧に、客観的にことの経緯を説明していた。 父親と戦わなければならなくなった若い女性を、充分気遣って、言葉を選んで、傷つけないように…。
フレデリカさんがこの言葉で納得したとは思えないけれど、話を聞き終わってきっぱりとした敬礼をして部屋を出ていった姿は、とてもきれいだった。 バグダッシュ中佐は、短い吐息をもらした。
「ぼうや」
「……はい」
僕は不本意ながら、返事をした。いまの二人の会話を聞いていたら、僕はほんとに「ぼうや」でしかないのだから。フレデリカさんの知りたかったことをすべて知らせて、下手な慰めひとつ言わない大人の男。
バグダッシュ中佐。
僕は、子供だ。
そう、思い知った。
ヤン提督のやさしさも、バグダッシュ中佐の男らしさも、僕には、ない。
きっと、ヤン提督もそのことを察して席を外したんだろう。下手に同席してしまうと、きっとご自分もいろんなことを考え込んでしまうし、バグダッシュ中佐が事実をはっきり伝えられないだろうと、考えてのことなんだろう。フレデリカさんだって、上官に、父親のクーデターの話を聞かれるのはつらいかもしれない。
僕は、バグダッシュ中佐がフレデリカさんによくない話でも吹き込むのかと、悪く考えていた。ほんとに、僕はまだまだ自分の物差しでしかものを考えていない。
考え込んでいると、バグダッシュ中佐の挑戦的な目が僕のほうを覗きこんでいた。
「ユリアン・ミンツ君。当分、ヤン提督のもとで働かせてもらうよ。あの人は、働き甲斐のある上官みたいだからな」
バグダッシュ中佐は、僕が「ぼうや」と呼ばれて返事をしたことに、にやにや笑いながら、そんなことを言う。
「…当分…ですか?」
僕の冷たい眼にも負けずに、バグダッシュ中佐は断言する。
「ああ。ヤン・ウェンリーが、ヤン・ウェンリーでいる限り。当分、な」 なんだか、僕はからかわれているのだろうか…。
「驚きましたな…。あなたがフレデリカ・グリーンヒル大尉を更迭もせずに、副官として側に置いておられたとは。てっきりイゼルローンに残してきたと思いましたよ。あの時も、そうおっしゃってましたから」
フレデリカさんと別れてから、バグダッシュ中佐がヤン提督に話しかけた。 執務室に戻ってきたヤン提督は、黒ベレーを手に取りちょっと気分を悪くしたようにバグダッシュ中佐を見た。
僕の、紅茶を淹れる手も一瞬止まってしまった。
「有能な副官を、理由もなく、なぜ更迭しなきゃならないんだね?」 「理由もなく、ですか。クーデター首謀者の娘を副官にしている、クーデター鎮圧軍司令官。貴方はそんなことにも拘泥しないんですな」
「親は親、子は子。そうは思わないのかい?」
「普通の人は、そうは思いませんよ」
ヤン提督は憮然とした、ように見えた。
「お二人ともお互い、辛いですな。これからの戦い…」
からかうような響きは、感じられなかった。ヤン提督の黒い瞳が、少しだけ悲しそうにみえた。
その時はもう、ヤン提督の痛烈なクーデター派弾劾工作をバグダッシュ中佐は聞かされていたようだった。グリーンヒル大将以下クーデター参加者が、実は帝国のローエングラム元帥の覇権争いでの遠大な計画の一部であり単に彼らは躍らされていたのだという、あの情報工作…。傍目から見ると、手段を選ばない作戦 だと思われるに違いない。
バグダッシュ中佐にして「あまりにも、ひどい」といわせた、あの作戦。
どんなにフレデリカさんが傷つくか、ヤン提督もバグダッシュ中佐も気を遣ったのだった。
たとえ、それがまぎれもない「事実」だとしても…。
事実だと、知っているのはヤン提督と、僕と、ビュコック大将くらいのものなのだから。
「ヤン提督、ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
バグダッシュ中佐が退室してから、僕はもう一度紅茶を淹れながら、尋ねた。
「なんだね、ユリアン」
「バグダッシュ中佐は…クーデター派、グリーンヒル大将閣下をどう思っていたんでしょう…。ただの方便、だったんでしょうか…」
ヤン提督は、黒ベレーを深く被りなおした。
「そういうことは、本人に聞くべきだね。ユリアン」
僕は、赤面した。ヤン提督に差し出した紅茶のカップが、かたかたと音を立ててしまった。
「いや、叱ったんじゃないよ。…あの男はあの男なりに、同盟の将来を心配していたんだと思うよ。だから、一番良心的なグリーンヒル閣下を選んで接近した。寝返ったとか、転向したとか自分で言っているのも、あの男の言うとおり確かに生きる方便だろう。でも、人の気持ちなんてそんなに単純じゃない。あの男は、自分に正直に、そしてなによりも同盟を心配しているのさ。多少、ひねくれているようだがね」
「…僕、よくわかりません…」
「いいかい、ユリアン。私の艦隊と、イゼルローン要塞は『異質』な軍隊だ。どこの艦隊や駐留軍もこうだと思ってはいけないよ…。バグダッシュは、それをいやというほど知っているのさ。彼がクーデター派に組したのも、最初に彼が言ったとおり、正義と勝算を計算したからさ」
僕は確かに、ヤン艦隊とその幕僚の人たちしか、知らない。バグダッシュ中佐は、そんな人たちを見つづけて、『異質』なヤン提督にあっさり寝返ったのだろうか…。他の軍隊は、そんなにすごい状態なんだろうか。
「彼は、私が勝ちつづける限り側にいるだろうね。私にぶつぶつ言っていただろう?彼が転向を申し出たときに。責任とってくれ、といわんばかりに、ね」 僕の困惑を楽しむように、ヤン提督は紅茶を啜った。
そして、それだけの理由でバグダッシュ中佐がここにいるのではないということも、ヤン提督はちゃんと、わかっていらっしゃったようだった。
「主義主張などは、生きるための方便」
そう言いきった人は、誰よりも優しい目で、そして熱い思いをもって、他人を見ていたような気がする。斜に構えたような彼の言動も『ヤン艦隊』にいれば、それほど目立ちもしない。
「ペテン師の艦隊にいれば、詐欺師だって目立たない。それに奴は、寝返り者のイメージが大きすぎる。ご大層な同盟軍はもう奴を受け入れないさ」 口の悪い事を言ったのは、シェーンコップ中将だったか…。
信じられる人を見つけることができれば、探し当てることができれば、彼はそこにいるのだ。
そんなことを言うと、きっとバグダッシュ大佐は「おやおや。私のトラップに、はまりましたな。人を欺くときのお手本ですよ」なんて平気で言うのだろうけど。
彼のいう「方便」は、いまでは納得がいく。
ヤン提督が逝ってしまってなお、頼りない指導者である僕―ユリアン・ミンツ中尉の側にいる彼を見ていると大佐の「方便」の使い方もあまり上手じゃないな、と思ってしまう。
僕も、充分人が悪いのかもしれない。
バグダッシュ大佐は、僕に期待してるのじゃなくて、かえって見捨てられないのだろうな…と。
つい苦笑してしまうが、僕はちょっとうれしい。
バグダッシュ大佐は、いまもここにいる。
相変わらずの皮肉な笑い顔で、貴重な情報戦略の中心人物として。
酔狂人の集まりらしいイゼルローン軍に、彼ほどふさわしい人もいなかったみたいだ。
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