First Contact

「それは違う。卿のやろうとしていることは、あれの客体化に過ぎん」
「しかし閣下、そうであっても関係性とは相手を特定化するところから始まるのではありませんか」
 温み切った春の昼下がり、グスマンは上司である参謀長の執務室の戸を3度ノックし、制止がないことを確認して押し開いた。そこでは、上司と転向者が何やら論を戦わせていて、入っていけずに足を止めた一瞬、先回りして身構えたのを読んだかのようなタイミングでオーベルシュタインが戸口を振り返り、ほらみろ、来てしまったではないか、と銀髪の男に言った。
「え・・・」
 彼は真意を図りかね、来てはならなかったのかと持参の書類に目をやった。いや、そんなはずはない。だが、ただでさえ峻険なこの上司の邪険な声音は、彼を萎縮させるのに十分だった。
「先に済ませておきたい件があった。ここで待機しているように」
 上司は頓着した様子もなく立ち上がって、すらりとした長身をドアへと運んだ。狼狽のあまりその意味まで受け取りかねていた彼は、ぶつかる2歩ほど手前で脇へ避け、呟くように
「了解しました」
 背を見送り、開け放たれたままの扉を部屋の主が角を曲がりきるのを待って閉めると、置き去りにされた銀髪の青年が殆ど睨むような眼差しで彼を見ていた。彼は眉を寄せ、
「何か?」
「・・・ちょっと待てよ?」
今思い出すから、と続けて青年は、灰青がかった銀髪に両のこめかみを覆う格好で十指を潜らせた。
「何を」
 青年は彼が問うのを無視してなおしばらく沈黙を守ったが、
「――あああっ、駄目だ!!大体のところ、顔と名前くらいは一致させたつもりだったんだけどなぁ」
終にはわざとらしく派手に言い放ち、その勢いで力を抜いた。彼は儀礼として小さく笑った。
「ああ、後方担当課はけっこう独立採算でいけてるからね」
「そういや、あんまり行ったことないな」
 中将の直属で首輪つきの男はそうごちてみせた。机に凭れかかった姿勢からにゅっと手を伸ばし、
「よろしく。アントン・フェルナーだ」
「こちらこそ」
 彼はその手を取り、短い言葉で名乗った。相手は首肯で応え、
「近づきのしるしに、茶でもだそう」
 理路の通っているようないないような事を言って踵を返した。ほどなくして戻って来たときには青年は両手にコーヒーカップを持っていたが、
「字義どおり茶の方がいいか?」
と問うのに促されて覗き込んでみれば、片方はコーヒーらしい。
「そうだな、そちらを貰おう」
 妙なところでマメだと感心ながら彼は紅茶のカップを受け取り、ひとくちふたくち啜った。
「・・・ところで、先刻は何の話を?」
「は?」
 青年は不思議そうに頭を揺らした。
「邪魔をしてしまったようだから」
と、彼はあやふやに笑って言葉を継ぎ足した。
「いや、あれは別に仕事の話じゃないからいいんだ」
「そうだな、何やら哲学的な様相だった」
 とたんフェルナーは大きく吹きだした。多少気を悪くしないでもなかったが、それで何を言えるでもない気性の彼は、相手が落ち着くのをただ待った。青年は体躯を折ってひとしきり笑い、哲学的だなんてとんでもない、と引き攣れた呼吸の下から応えた。
「あれさ、飼い犬に名前をつけるべきか否かって議論だったんだぜ?」
「犬?飼い始めたのか?」
「ああ、閣下がな。飼い始めたっていうか、しばらく飼ってるようなんだけど、未だに名前がないらしい。一個の個性として認識するのならば名前は是非とも必要だと進言したのだが、人間が一方的にそうすることは相手の主体を却って侵すことになるとかなんとか」
 面白い人だよな、とさも当然のことのように、求めるまでもない同意を会話の潤滑剤にしようとする人のような明るさで、銀髪の青年は最後に付け加えた。彼は少しびくつくような驚異を感じながらそれを隠して頷き、
「そうだな・・・犬を飼ってるなんて知らなかった」
と、ささやかに話の軌道を逸らそうとした。
「え!?結構すぐ耳に入ってきた話なんだけど」
 青年は鮮やかな翡翠の瞳で瞠目した。グスマンは曖昧に首肯した。
「へぇ・・・でも、意外だ」
「ああ。俺もここはやはり経緯が知りたいと思ってたんだが、それじゃ、知らないよなぁ」
「残念ながら」
 彼は苦笑した。
「いやいや、発信源は突き止めてある。後はチャンスさえあれば解明できるさ」
 青年は自信満々でこぶしをつくる。彼は苦笑を深くし、意識するともなく言葉をこぼしていた。
「流石は噂のエイリアニストだな」
「あ、それ酷でぇ」
 青年は抗議しながら破顔した。
「おや、心外だ」
 首を傾げつつ様子を窺う。彼をエイリアン研究家と言ったら当のエイリアンは席を外している上司になるわけで、悪く取られたのならフォローしておかなくては――程度の知恵が、そもそも口に出す前に回ったらとは自分で思わないでもなかったが。それでも相手はその土俵を不利と見たらしく、
「て言うか、貴官が知らなすぎなんじゃないのか?」
「そうかな」
 彼は聞き返した。
「わりかし世捨て人っぽくない?」
 何を見て言っているのか、毒のない口調だが遠慮もない。
「それは、逆撃にしてもあんまりだ」
「今週のヒットチャート言える?」
「降参する」
 両手を挙げて見せるとフェルナーはかぶりを振り、コーヒーに口をつけた。彼はそれを眺めながら、話の接ぎ穂を探した。
「・・・何犬を飼ってるのかな」
 青年は即座に答えた。
「ダルマチアンだそうだ」
「更に意外だ」
「何なら似合いだと思った」
「何だろう・・・ウィペットとかサルーキなんかイメージかも知れない。飼った事ないから、どんな性質の犬なのか良く知らないけど」
 青年は身を乗り出し、
「詳しいんだな」
 彼ははにかんだ。
「餓鬼の頃、家に犬がいたから」
「じゃ、今度一緒に見せてもらいに行こう」
「は?」
 誘いがあまりに唐突で、彼は話の筋道を見失いかけた。
「いや、俺、見に行く口実がなくてさ。貴官が犬好きなら好都合だ」
 フェルナーは銀髪をくしゃくしゃとかき回していた。彼は不可解への対応の一環として腕を組み、
「別に好きだとは言っていないが、それ以前に、何故見に行く必要が?」
「名は体を表すというだろう。俺は一見もせずに命名するほどいい加減な男じゃない」
 どこか威張って青年は言った。この男の話は、時折飛躍する癖があるようだと察し、エイリアニストというよりエイリアンなんじゃないかという疑惑を抱え込んで、グスマンは眉間に皺を刻んだ。
「・・・名前は、付けるかどうかで議論中だとついさっき聞いたような気がするが」
「記録としては正確だ」
 涼しげな肯定。
 そこでノックなしにドアが開いた。上司の帰還である。タイムアウト。

(C)甘藍

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