Second Wind

 人懐こい態度もそれなりの計算があってのものだろうとは知っていたが、器用な男なりに努力を省かずにいるのが好ましかった、のかもしれない。単に同年代で同階級の人間に飢えていただけだろうと言われたらそれまでだが。すれ違えば敬礼でない挨拶を交わすようになって、じきに食堂で会えば相席するくらいのことは普通になった。幅広い知識と経験などというマトモな言葉は残念ながら当てはまりそうもないのだが、銀髪の転向者は話題豊富かつ喋り上手な人間で、付き合っているのは割と楽しかった。ただし、閉口することがひとつ。
「閣下の犬を見に行こう」
 日帰りのツアーにでも誘うような具合で、思い出したように吹っ掛けて来るのだ。1度や2度なら笑い流していたものを、3度目にもなると彼は気詰まりに黙り込んでしまう。そうして不自然な間の後、そっけなく、
「やめておく」
 そんなやりとりが幾度かあって、「行きたきゃひとりで行け」くらいのことは言い返せるようになって、さらに幾度か。エイリアン呼ばわりを暴露するぞと、明言しない科白の影から隠微に脅迫され、彼は渋々首を縦に振った。激しく迷惑な男だと思う。それでもまだ憎めないから、不思議としか言いようがなかった。
 彼が暗澹と溜息をつくと、何が不服だと青年は人差し指を突きつけてきた。彼は言おうか言うまいか、わずかに迷った。きっと、理解されない。この萎縮は、己の卑小さから来るものだ。この緊張は、闊達な男から見れば奇妙だろう。うっそりと眼差しを上げる。窓からの光を銀髪が弾いていた。ああ、確かにこのままでは苦しい。黙っていたら何も変わらない。せめて以後の嫌がらせだけでも規制しなくては――。
「あの人の前に出ると、俺は神経が震える」
「そうか?」
 お前の振る舞いが信じられないともらした言葉に、銀髪の男は初め怪訝そうに首を傾げ、次ににっと笑った。
「俺は心臓がふるえる」
 楽しくてたまらないと、いっそ清々しいまでの隔絶。彼は目を伏せて笑った。弱みを晒した事を後悔した。


 その日の勤務を上がると、彼はロビーで青年を待った。そうしてくれと連絡が入ったのは終業予定時刻の20分ほど前だった。何をして暇を潰そうかと決めかねたところで、奥から駆け出してくる転向者に気付いた。そいつは地下駐車場に繋がる通路の手前でキーを高く掲げ、
「いくぞ、グスマン大佐」
「何事だ?」
 彼は幾分胡散臭げに尋ねながら銀髪の男を追った。
「私邸を訪ねていくのは厭なんだろう。今日なら散歩を襲撃できる」
「・・・ただの幸運じゃないんだろうな」
 ラントカーの助手席に乗り込みながら、彼はぼそりと呟いた。きっと標的がどんな行動に出るのか調べ上げて、判明した時点で大急ぎで仕事を切り上げて。それも気遣いだと思ってよいのだろうか。何か、と聞き逃したらしい青年の声がしたが、彼は重ねて確認を取りはしなかった。相手も黙って、車をとばす。着いたのは夕暮れの川原だった。
 シートから滑り降りた青年は川岸へ向かって、いきなり声を上げた。
「閣下ー!!」
 彼は車を降りたところで、思わず首をすくめた。とはいえどうせ同行はばれるに違いないので歩を進めると、青草の茂る川辺に上司の姿があって、逆光に目を細めているのが分かった。連れ立って降りていくと、 冷たい眼差しとともに
「何をしている」
「・・・何だろう」
 転向者は真顔で彼を振り返った。
「俺に聞くな。犬を見たいと言ったのは君だぞ」
 それで何を悟ったのか、参謀長は嘆息した。
「卿もしつこい男だな」
 銀髪の青年は上目遣いで笑い、少し離れたところを歩いているダルマチアンを、舌打ちで呼んだ。犬は上司に良く似た一瞥だけをくれて、近寄ろうとはしない。青年はむくれて言った。
「閣下、やっぱり”来い”と”お座り”くらいは教えましょうよ」
「”待て”も大事だよ」
 何の気なしに言ったとたん、
「そういうのは好かん」
と断じられてひやりとする。が、傍らの転向者は平気な顔で、
「コミュニケーションには形も大事ですよ」
言うや上官の飼い犬をとっ捕まえてじゃれ始めた。
「・・・・・・随分慣れてますね」
「ああ」
 そのまま同行者が戻るまで延々に沈黙が続くのかと冷や汗混じりに思ったら、参謀長はちらりと唇を舐めてから再び口を開いた。
「誰かの飼い犬だったようだから、躾もされているはずだ」
 それでいて勝手をさせるのは意外なような気もしたが、きちんとしようと思えば出来るくせに勝手を働いて許されている実例は、もうひとつ目の前にあるのだった。四角四面の人間だという印象は、もしかすると虚構なのかもしれない。執拗に誘ったのは偏見を正すつもりでだったのかとふと思ったら、何が本当か分からなくなりそうだった。
「躾直したほうがよいのか?」
 彼はかぶりをふった。
「小官には、そうしないという発想がなかっただけです」
「ふむ」
 ひとしきり遊んで満足したらしい青年が、額に幾筋かの銀髪を張り付かせて帰ってきた。
「でも閣下、呼び名はないと不便ですよ。いまんとこダルマチアンを略してダルで通してますが」
「勝手に通すな」
 直截な物言いに、彼は思わず止まってしまった。止まって、周囲を見詰め直してみた。
「え、だってダルマで止めるとグロテスクな都市伝説思い出しません?」
 手持ち無沙汰を誤魔化すように、足元を嗅ぎ回る犬に手を出してみたりもした。黒白の短毛種の体はじんわりと温かかった。
「そういう事を問題にしているのではない」
 その温みに凭れかかるように肩の力を抜けば、噛み合っていない会話はそうあるべく可笑しく聞こえた。彼はふいと顔を上げた。
「そういえば、名前はどうして」
「必要性を感じない」
 差し挟んだ疑問に淡々と答えた参謀長へ向かって、銀髪の男は口を尖らせた。
「あっ、小官には専横的だの何だの言ったじゃないですか」
「そうだったか?」
 参謀長はすこし面倒臭そうに応じた。フェルナーはそれをすっぱり無視し、勢い込んだ様子で、
「そうですよ。だからあれから考えたんです。要するに閣下は、名前を探してきて選ぶなんてのが嫌なんでしょう?」
「まあ、大きくひっくるめればそんなところだが」
「だったら小官の名前をあげますから付けて下さいよ」
 得々とした転向者を前に、参謀長はいわく名状しがたい表情になった。
「・・・呼びにくそうだな」
 青年は満面の笑みを絶やさず、
「じゃ、略してトニーでいいです。特別に」
 とことん怖いもの知らずな物言いだ。
「いや、やはりやめておく」
 グスマンはは上官の柔らかな陰影を刻んだ口許は笑みを纏いつかせているのだと気付き、ひどく珍かな蝶でも見つけたような気分になった。彼は参謀長とブーイングを吐き出している青年のどちらに言うともなく、
「そういえば、メスですよね」
と声に出して、手元のダルマチアンに視線を移した。上司は言葉少なに頷いた。
「ああ」
「なんだ、そうなのか」
 銀髪の青年は不満そうだった表情を瞬間的に切り替え、蜜の滴るような笑顔を見せた。グスマンは別にそれことれとがどう繋がっているとも思わないが、この同僚は楽天的なのである。

(C)甘藍

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