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「卿の視線は、刃のようだな。まるで、斬りつけられているような気がする」
冷たく乾いた声で投げかけられた、言葉。
ローエングラム元帥の旗艦ブリュンヒルト内に与えられた、総参謀長オーベルシュタイン中将の執務室で、フェルナーは突然そんな言葉を聞いた。
同席していた主席秘書官シュルツ少佐が、一瞬体を強張らせた。それほどに、冷ややかできつい声音だった。
リップシュタット戦役の前線に在るブリュンヒルトの総参謀長執務室での個人的な会話は、皆無に等しい。
その習慣を破ってまで、寡黙で峻厳な上官が言った、その言葉。
「……失礼を…」
内心の動揺を隠しながら、フェルナーは最短の言葉を口にした。
それこそ半ば殺気をこめて見つめていたのは、事実だったから。
その理由は、ヴェスターラントという惑星―ブラウンシュヴァイク公爵の荘園―が被った悲劇に起因していた。
つい最近彼の上司となったオーベルシュタイン中将は、敵方―反ローエングラム陣営―からの投降者であるフェルナー大佐を「神経が太い」という理由でローエングラム元帥から下賜され、そのまま何も言わず、彼を使いつづけていた。度量が広いのか、無頓着なのか、最初は判断がつきかねていたが、近頃はこの上官がある意味ローエングラム元帥よりも無能な者を嫌う傾向があることがわかってきた。彼の幕僚は、みな彼が参考にするための意見を述べることに終始し、積極的能動的な者はあまりいない。と、いうよりは、そもそもこの上官は他人に意見を求めても、それに従うことをしないのだ。
リップシュタット戦役が本格的に宇宙へ戦線を拡大して、オーベルシュタイン率いる参謀部がローエングラム元帥とともに作戦を考えることが多くなっても、基本的には元帥と参謀長との間で、ほぼ作戦が決まる。
まるで、自明の理、であるかのように。
オーベルシュタインの幕僚は、確固たる上官の意見を知りつつも、自分の意見を述べなくてはならなくなり、これはこれできつい任務だった。
彼らの上官は、きっちりと自分の方針を定め、滅多に変更することがない。
そして、それは嫌みなほど成功するのだ。その指針のためだけに、幕僚から意見を聞く。
しかしながら、自分の作戦だけを優先するわけではなく、オーベルシュタインは聞くべき点があれば、幕僚の意見を聞き入れることも多い。あくまでも、自分の立案に添った採用の仕方であるが。
その辺りが、参謀部の部外者にはオーベルシュタイン独断と受け取られることの要因であると、フェルナーは幕僚となってから理解した。
アントン・フェルナー大佐は、つい先程、ガイエスブルグ要塞からの投降者からもたらされた情報について上官に報告した時の、彼の眼が忘れられなかった。
「ブラウンシュヴァイク公爵が、ヴェスターラントを熱核兵器攻撃する模様です。ガイエスブルグ要塞からの投降者から、そのような情報がもたらされました」
フェルナーの報告に、オーベルシュタインは義眼のせいだけではない、冷ややかな視線を向けた。義眼のせいだけではない、という非科学的な思いは、さらに募る。まるで、義眼から冷気が出るような説明の付かない、
寒々しさ。
フェルナーがその情報について詳しく説明している間、オーベルシュタインは一言も質問しなかった。じっと、フェルナーを見つめている、その、眼。
義眼は、感情も表情も写し出さない。
その時ほど、フェルナーはこの上官を恐ろしいと思ったことは、なかった。
熱核兵器による攻撃は、ガイエスブルグ要塞の貴族の中でも反対意見が強く、ブラウンシュヴァイク公爵自身も独断専攻はできない状態では、あったらしい。しかし、短気で、自分の領地をどのように差配しようが領主の勝手であると言う思想の持ち主―選民意識の固まりのような公爵がいつ激発して、ヴェスターラントへ熱核兵器搭載の戦艦を派遣するかわからない切羽詰った状況である、と投降者は訴える。
オーベルシュタインは、その投降者に面会することはせず、なおもガイエスブルグ要塞の内情の聞き取り調査を急いで続行させた。投降者、ヴェスターラント出身の下士官は、故郷を救いたい一心で協力は惜しまなかった。
貴族間にも対立はあること、下級兵士はほとんどが平民で、上官に有無を言わせずリップシュタット連合艦隊に組み入れられたこと、ブラウンシュヴァイク公爵には人望がないこと、メルカッツ提督も思うように行動できないこと。
知る限りのことをフェルナー以下、調査にあたった軍人に話した。
「助けてください!ヴェスターラントを…!私の故郷を…。200万人の民衆を!」
悲鳴のように訴える、その下士官を、フェルナーは暗い目をして見つめた。
(たぶん…ヴェスターラントは贄に捧げられるだろう…。ローエングラム元帥の覇道のために。そして、参謀長の宿願のために…)
フェルナーは、ヴェスターラントの一件を聞いたときの上官の反応から、上官が考えうる策をほぼ正確に読み取っていた。
200万人の犠牲で、更にそれを上回る犠牲を未然に防ぐ。
ブラウンシュヴァイク公爵ら、貴族の横暴・残虐性を知らしめる。
この結果を、ローエングラム元帥の政治的立場を強化するために最大限利用する。
オーベルシュタインはそうした計算をする男だった。少なくとも、フェルナーはそう看破していた。
オフレッサー上級大将の謀殺も、凄まじかった。
ロイエンタール、ミッターマイヤー両大将に命じ彼を生きながら捕らえ、そのままガイエスブルグへ送り帰しただけの行為が、ブラウンシュヴァイク公爵の病的な猜疑心を煽り、レンテンベルグ要塞でローエングラム軍の兵士をなぎ倒した戦功大なるオフレッサーは、「裏切り者」として衆人の前で処刑された。
「金髪の孺子」嫌いの急先鋒だったオフレッサーが、部下は全てレンテンベルグ要塞で処刑されたにもかかわらず、生きたままガイエスブルグへ戻されたことで、ブラウンシュヴァイク公爵以下貴族たちに「彼は裏切ったのではないのか」という激しい猜疑心を起こさせる、オーベルシュタインのその心理分析は鋭いものだった。
またその処刑がローエングラム元帥の、自分と姉を侮辱した男に対する復讐心を満足させたのも、たしかだった。
オフレッサーの処刑は、敵には、いつ誰が裏切るともわからないという更なる猜疑心を、味方には、裏切り者の汚名をきた死に喝采をもたらした策であったはずだった。
本来、ゴールデンバウム王朝に忠実であったはずのオフレッサーが「裏切り者」として処刑された無念さ、口惜しさは、そのまま、彼のために多大な犠牲を払ったローエングラム軍の兵士や提督に溜飲を下げさせは、した。
だが、オーベルシュタインは、武人の集団であるローエングラム元帥麾下の軍人とは、やはり異質の思考をする参謀型の軍人である。その異質さが、武人気質の僚友の嫌悪を招く原因となるのでもある。このオフレッサーの「死」こそが、有効な手段であるがゆえに、いっそう他者の嫌悪を買うには、充分だった。
そして、オフレッサーの死に様を「趣味ではない」と吐き捨てるように言ったのは、実際に部下に多大な犠牲を出し、自らもオフレッサーと戦った当人たちであった。
ヴェスターラントの住民を、大貴族がエゴのみで虐殺しようとしていることを帝国中に知らせることだけで、反リップシュタット連合感情を定着させることはできるだろう、フェルナーはそう思う。
しかし、完璧な効果を求めるなら「虐殺」を実行させたほうがいい。
政治宣伝だけではなく、画像と言う証拠がいかに激烈な効果をもたらすか、フェルナーは承知していた。言葉を飾るより、大声を上げるより、たった1シーンの画像がどれほどの衝撃をもたらすか、オーベルシュタインほどの男なら熟知しているはずだった。
最小の犠牲で、最大の効果を狙うには絶好だった。
それは、確かに、正しい「計算」だった。
フェルナーの理性はそう囁くが、感情がついていかない。
人の命を「数」として、考えることが悪いこととは非難できない。戦争は、戦死した人数で勝敗を計るのだから。
フェルナー自身、今この時、自分の手を直接血に濡らしていないだけで、きれいごとで殺し合いをしているつもりはない。戦艦の中にいても、砲撃と着弾による閃光で何万と言う兵士が一瞬で、命を奪われるのだ。それこそ、艦橋に提示されるデータとしての戦力が、物語るのは「数字」であった。生き残った数が多いほうが、残った戦艦の数が多いほうが、勝利したことになるのである。
実際に手を下すばかりが、加害者ではない。
しかし、ヴェスターラントの200万の住民は立場が違う。無辜の民衆である。貴族に対して初めて反抗した民衆である。彼らが、生きながらに焼け死ぬことのないように手立てを講じることは充分できるはずである。
ただ、本当にオーベルシュタインがその策をローエングラム元帥に献策するかどうかは、流動的であるし、また、あの華麗な軍歴を持つ元帥がその非道な策を用いるかどうかは、話が別である、と思っていた。
いや、フェルナーはそう、思いたかった…。
オーベルシュタインは、ヴェスターラントの一件については参謀部の幕僚には一切諮問しなかった。腹心といえる立場にある、フェルナーにさえも。
フェルナーはそれが不満であり、また、どこかで安堵している自分を発見して自己嫌悪に陥った。
ガイエスブルグからの投降者を一般兵から隔離し、監視を命じてオーベルシュタインはしばし執務室に隣接する書斎で沈思していた。書斎から出てきたオーベルシュタインは、普段と全く変わらない様子でローエングラム元帥への面会を秘書に命じた。手には、ヴェスターラント関連の資料を持っていた。
ヴェスターラントの運命が決定したのだと、フェルナーは悟った。
「閣下…!?」
フェルナーのうわずった声に、オーベルシュタインは、ちらりと視線を投げてよこした。横顔の削ぎ落としたような頬が、フェルナーの視界に入る。薄い唇も、引き結ばれたまま、義眼だけが、こちらを見ていた。
「閣下!ヴェスターラントは…」
「この件に関しては、卿の意見を聞く気はない。控えておれ」
にべもない言葉と、冷ややかな雰囲気を残して、オーベルシュタインは執務室を後にした。
立ちすくむフェルナーに、シュルツもかける言葉を失っていた。
ヴェスターラントの処遇は、決定した。
ブラウンシュヴァイク公爵の熱核兵器攻撃は、これを阻止しない。
強行偵察艦を派遣して、監視にあたる。むろん、攻撃の映像を得るために…。
すべては、ローエングラム元帥とオーベルシュタイン中将の密談で決定した。ことは極秘事項に指定され、ガイエスブルグからの投降者は監視を強化され、関係者には箝口令がしかれた。
そして、ヴェスターラントは生きながらに地獄と化した。
瞬時の灼熱の中で、影だけを残しこの世を去った人々の姿。
わずかに生き残る時間が長かった人々の、苦悶の態がまざまざと見られる、四肢の様子。
子供とおぼしい小さな影を体全体で守ろうとしたらしい両親や、家族の焼け焦げた影。
焼けただれた大地に黒こげの影だけを残す「人」の姿。
無惨な映像が、艦橋に流れる。
植民星に点在しているオアシスに向けて投下された熱核兵器は、確実にそこに生きていたありとあらゆる命を焼き尽くした。
人も、動物も、植物も、大地も、大気さえ…。
公爵の代理人たるシャイド男爵の搾取に耐えかねて立ち上がった民衆の、甥を襲撃し死に至らしめた、これがブラウンシュヴァイク公爵の報復だった。
ヴェスターラントは、200万の民衆の巨大な墓標の惑星となった。
その映像がモニターに流れた瞬間、艦橋は静まり返った。
こみ上げるものを、こらえる者。耐え切れず、うめき声をあげる者。しゃくりあげ、艦橋を飛び出す者。
誰も、制止はしなかった。
気の弱い、と嘲笑する者も、いなかった。
そこに映し出される映像は、地獄そのものなのだから…。
ローエングラム元帥とて、青ざめた顔色でモニターを見つめていた。
点々と大地に残る黒い影。
つい先刻まで「人」であった、それ。
そして、フェルナーは見た。
元帥の横で、眉一筋動かさずにこの惨状を見つめているオーベルシュタイン中将の姿を。
完璧な無表情。無反応。無言。
己の行為の結果に驚愕しての、態度ではない。
わかりきっていた結果を、見ているだけの、無感動。
そう。
オーベルシュタインには、手に取るようにわかっていたのだ。この一方的な虐殺の結果と、見る者の反応が。
そのために、200万の住民は見殺しにされた。
この映像を見て、ブラウンシュヴァイク公爵らを憎悪し、嫌悪する世論は一気に反大貴族、反ゴールデンバウムに傾くだろう。ブラウンシュヴァイク公爵がゴールデンバウム王朝の正当な後継者は己の一族だ、と言い張る限り、民衆は彼と王朝を敵とみなすだろう。
200万の犠牲で、ローエングラム元帥とオーベルシュタイン中将は、世論という味方を得たのだ。そして、その見えない力は、リップシュタット連合をも追いつめることになる。彼らが率いているのは、平民の兵士がほとんどなのだから。
ガイエスブルグが内側から崩壊するのも、時間の問題だった。
オーベルシュタインが狙った効果は、完全に成功するだろう。
最小の犠牲で、最大の効果、を。
ローエングラム元帥の、罪悪感と、後悔の光を宿す蒼氷色の瞳が震えていても、オーベルシュタインの瞳は、微動だにせず、モニターを見つめていた。
義眼のせいではない。
決して、義眼のせいではない。
この人が、この惨状を直視できるのは、ありのままに物事を写す義眼のせいなんかではない。
フェルナーは叫びたかった。
この人には、人らしい感情など、ないのだと。
フェルナーは、その場を離れた。
オーベルシュタインの義眼が、それを確認するように見ていたことを、フェルナーは知らない。
そのまま、そこに立っていると、上官を締め上げたくなる誘惑にかられそうだった。足早に誰もいないようなエリアを探して、廊下を進む。
情けなさと、嫌悪と、後悔が一気に押し寄せる。
(これが、貴方が望んだ結果ですか!?)
(満足ですか!)
投げつけたかった言葉。
しかし、止められなかった自分も同罪だと、理性は囁く。
飲み込んだ言葉の代わりに、こみ上げてくる吐き気に耐えながら、フェルナーは壁を思いっきり殴りつけていた。
目の前にあの惨劇の画像が焼きついて離れない。
ヴェスターラントの惨状を見た後、フェルナーはしばらく執務室に戻らなかった。
腹心のサボタージュにも、オーベルシュタインは無関心だった。
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