ヴェスターラントの悲劇

「卿の視線は、刃のようだな」
 寡黙な上官を嫌悪のまなざしで見つめていたフェルナーに、投げかけられた言葉。
 いつもよりは、感情がこもっていた。不快をあらわす響き。
「……失礼を…」
 答えた言葉が、自分でも慇懃無礼だった。
 内心の動揺と、怯みをこらえての言葉だった。
 上官は、再びデスクの上の書類に視線を戻す。

「閣下!」
 意を決したように呼びかけたフェルナーを、オーベルシュタインはきつい口調で遮った。
「言うな!卿の言いたいことはわかる…わかっている」
「ですが、閣下!」
「フェルナー!!私は、命じたぞ。黙っておれ!」
 激したところなど見せたことのなかった、上官の激しい叱責。
 フェルナーは、思わず黙り込み、そのきつい碧の瞳で上官を睨み付けていた。上下関係の厳しい組織である。
 ほんとうなら軍律に則っても許されない行為だった。
 オーベルシュタインの語気の荒さに、シュルツが思わず腰を浮かせた。
 軽い吐息とともに、オーベルシュタインが常の声に戻り、シュルツに退席を命じた。
「…は!」
 後ろ髪を引かれるような姿で、シュルツが執務室から出ていった。
 フェルナーはまだ、その気の強さを示すように上官を睨んでいる。
 殴るなら殴ってみろ、とでも言いたそうな顔だった。
「私の部下になったのなら、こんなことくらいで動揺されては困るな。フェルナー大佐」
 オーベルシュタインの冷ややかな視線。義眼の冷たい光。
 その眼に暖かみを感じていたのは、自分の勘違いだったのか、そう自問したくなるような光が、上官の双眸にあった。
「…こんなこと…?200万の虐殺がこんなこと、ですか?」
「そうだ。ヴェスターラントの住民は、記録の上での存在でしかない。私も、卿も、彼らのことは何一つ知らぬ『200万の民衆』という数字でしかない」
 言い切られて、フェルナーは絶句した。

 数字?数字!数字!!

 青臭い正義感など、汚れた任務をこなしていたときに捨て去ったはずだった。だが、目の前で恬然と「民衆は数字」と言い切る上官を見て、フェルナーは怒りを通り越して涙が流れ落ちた。
 悔しいのか、情けないのか、嫌悪なのか、もはやフェルナーにもわからなかった。
 ただ一つ、わかっていること。
 泣けるほどに、自分がこの上官を信頼していたということ…。
 噂通りの非情なばかりの人ではない、と。


「俺は…小官は、閣下の献策に見当がついていました。そして、諮問があれば反対するつもりでいました」
「…わかっていた」
「小官は、閣下の献策をローエングラム元帥閣下が却下すると思っていました…!」
 フェルナーの叫びに、オーベルシュタインは口元をゆがめた。
 苦笑なのか、自嘲なのか、わからない微かな笑い。
「それは、卿の読みが甘い。ローエングラム元帥は、この献策を却下したりは、しない。非常に嫌悪感を抱いた様子だが、あの方は、形よりも実を選ぶ方だ。あの方が言い出せないことを、私が具体的に献策したまで、だ」
 淡々と言うオーベルシュタインに、フェルナーは一層の怒りを感じた。

『私が献策した』

 すべての責任は、私にある、と明言した上官。
 手を汚したのはローエングラム元帥ではなく、自分であると言いきる、剛さと頑なさ。

「これで、リップシュタット連合軍以下大貴族たちは、民衆の支持を失った。後は、ガイエスブルグの軍を討てばよい。これが、私のやり方だ。フェルナー」
 義眼がまっすぐにこちらを見つめている。
 きつい、視線。
 試すような、口元。

「閣下は、それでいいのですか。ローエングラム元帥閣下が、そして閣下が200万の民衆を見殺しにしたということは、いずれ知れます。閣下が献策して、閣下が実行して、閣下はみじろぎひとつしないで画像を見ていた。閣下は、冷血漢、人でなしと呼ばれつづけるんですよ…!?」
 オーベルシュタインは、その口元をゆっくりとほころばせた。

「それが、いったい、どうしたというのかね」

 フェルナーは、俯いた。もはや上官の顔を、正視できなかった。
「…ローエングラム元帥閣下は、きっと閣下を憎悪なさいます…。あの時、閣下が見殺しにしろ、といわなければ自分は命じなかった、と。これから先、閣下の軍人として、参謀としての、命取りになるかもしれない策でしょう…。キルヒアイス提督やミッターマイヤー提督は、閣下を怪物のように思うに違いありません…。閣下は、永遠の忠誠なんて、人の心が不変だなんて信じていらっしゃらないでしょう…。ローエングラム元帥が、この件で、閣下の責任を問うかもしれないじゃないですか。全部閣下のせいにされるかもしれないんですよ!?いいんですか?ほんとうに、それで、いいんですか!?」

「…今、そんな先まで考える余裕は、ない。当面の敵は目前にいるのだぞ」

 わかりきっていた上官の返答を聞いて、フェルナーの眼が伏せられた。こらえようとしても、流れる涙。
 オーベルシュタインは、驚いたようにフェルナーを見た。
「何を、泣く…。子供でもあるまいし!」
 冷たく言い放ちながらも、オーベルシュタインは、椅子から立ちあがってフェルナーに近づいた。
 その肉の薄い手が、フェルナーの肩に置かれる。
「私が選んだ道だ。卿が泣く必要も、ない。…私は、そのために『ここ』にいるのだ」

 自分の危惧を、自分の心配を冷然と退ける上官に対する悔し泣きをこらえるフェルナーを後に、オーベルシュタインは書斎へと去った。
 デスクの上には、ヴェスターラントの惨劇をどのタイミングで帝国全土へ流すかの、草案を残して。
 いささかも乱れていないその流麗な筆跡が、フェルナーにはひどく虚しく感じられた。



 ヴェスターラントの惨状が帝国全土に放映された後、リップシュタット連合軍は民衆の支持を失った。

「見よ!この大貴族たちの暴挙を!!」
 ローエングラム元帥の代弁者が、演説をする。
 あの見るに耐えない映像が、繰り返し帝国中に流れる。
 民衆の恐怖と嫌悪と憎悪の眼差しは、大貴族に注がれ、ローエングラム元帥は日を追うごとに民衆の支持を得た。



 ローエングラム陣営は、さきに、同盟軍の帝国領侵攻で焦土作戦を採用し、飢えに耐えかねて民衆から略奪した
 同盟軍を帝国の民衆に『敵』と認識させたように、こんどは旧態依然とした大貴族を『敵』と明確に認知させたのである。
 いずれも、オーベルシュタインの過激な策略だった。
 そして、民衆の支持を失ったガイエスブルグ要塞は、士気も衰え、物資にも事欠き、ローエングラム元帥とオーベルシュタイン中将の思惑通り、時間をかけずに勝利を手中にすることができた。
 まさに、200万の犠牲は有効に役立ち、内戦は比較的短期間で済んだのだった。

 ブラウンシュヴァイク公爵と、その一派は自滅したのと同様だった。
 事実上、ゴールデンバウム王朝は倒れたのである。
 しかし、ローエングラム元帥も半身ともいえるジークフリード・キルヒアイスを、自分の判断ミスと警備の不備によって失った。

 若い覇者の奢りと傲慢が招いた、とり返しのつかない喪失。
 その前に、ヴェスターラントの件でキルヒアイスに弾劾とも思える忠告、もしくはたしなめを受けていたローエングラム元帥の判断力は、にぶっていたのかもしれない。
 ガイエスブルグを陥落させ、誰も信じ得なかった覇業の完成が手を伸ばすところまで来たという、奢りに似た感情。
 ヴェスターラントへ与えた己の所行への後悔と恐怖。正当化しようとする自己防衛本能。
 キルヒアイスならわかってくれるという、甘え。
 様々な感情がないまぜになった若い覇者に、たった一人の無私の友人の言葉が、毒針のように突き刺さった。
 一番触れて欲しくなかった、ヴェスターラントの一件…。
 ヴェスターラントの見殺しは、ローエングラム元帥にとってもけっして後味のよいものではなかったし、心に引け目を持っていた。しかし、理想家であり、清廉潔白なキルヒアイスは、幼馴染みであり、たった一人の同志の非道な行ないを見過ごすことができなかったのだ。
 言葉の行き違いは大きな悲劇を生む。

 長い間たった二人きりで志しを同じくしていた二人は、ここで和解の機会さえなく永遠の別れを迎えた。

 ガイエスブルグを制圧したローエングラム軍は、ろくな身体検査もせすブラウンシュヴァイク公爵の遺体と付き添ってきたアンスバッハ准将を御前に引き出したが、アンスバッハは主の遺体の中に隠していたハンドキャノンでローエングラム元帥を狙い、丸腰のキルヒアイスに阻止されると、レーザーを仕込んだ指輪で彼に致命傷を与え道連れにして、服毒し主の後を追った。

 オーベルシュタイン中将は、キルヒアイスがブラウンシュヴァイク公爵の腹心アンスバッハに殺害されたこの一件さえ逆手にとって、潜在的な敵であるリヒテンラーデ公爵を討ち取ったのだった。
 ローエングラム元帥が自失していた際の、危急の策としてもあまりにもあざとい策ではあった。
 フェルナーは何も言わなかった。
 この策で再び三度、オーベルシュタインは僚友に嫌悪感を抱かせる。
 言うことは正しい。しかし、他人には嫌悪と憎悪を与える正論家。
 何か言ったところで、義眼の上官は彼の言うことなど、取り上げもしないことがわかっていた。

 そして、帝国の覇権はラインハルト・フォン・ローエングラムの手中に収まった。
 貴族、平民、そして、たった一人の親友の血を代償として。



「彼は…どうしている?」
 フェルナーは、ガイエスブルグからの投降者―ヴェスターラント出身の下士官の様子を、彼を世話している老いた従卒に尋ねた。
 オーディンでの政権略奪劇からしばらく経っていた。
「まるで、生きる屍のようです…」
「そうか」
「間に合わなかったと、艦隊が間に合わなかったのだと、伝えたんですが。それっきり…」
「…そうか…。彼を、頼むな」
「はっ!」
 日頃、闊達なフェルナーの陰鬱な様子に首をかしげながら、老従卒は敬礼をして見送った。
 ヴェスターラント出身の下士官は、故郷を救うことができなかった苦悩のうちに、間もなく衰弱して病死したと、あとからフェルナーのもとに報告がきた。食事をほとんどとらず、点滴と薬剤で体を維持していたが、とうとう衰弱死をむかえたという。
 その下士官は、ヴェスターラントの熱核攻撃を受けた本当の理由を察知していたのではないか、フェルナーはそう思えてならない。

 フェルナーはやりきれない思いをまたひとつ、抱え込んだ。
 オーベルシュタインのもとにも同じ報告がいっているはずだが、上官は普段とまったく変わりがない。冷血とも、非情ともいわれるが、オーベルシュタインはまったく意に介さない。すさまじい精神力だった。その意志の強さ、揺るがない自我はいったいどこから来るのか、氷の冷気を漂わす上官に、ただただ、フェルナーは舌を巻いていた。



 フェルナーはその眼で、見つめつづける。
 敵からも、味方からも賞賛されることのない、パウル・フォン・オーベルシュタインという人物を。
 その、選んだ道を。
 オーベルシュタインの義眼は、更に先を見つめている。
 黄金の髪をした軍神の影として、若い覇者の表に出ることのない闇の部分に呼応するように。ローエングラム元帥のその闇の部分こそ、オーベルシュタインが必要とされるところなのだと、フェルナーは理解した。


 フェルナーは、ヴェスターラントの件については黙して語らない。
 非情なはずの上官が、幕僚に一切責任をとらせないために諮問すらしなかった、あの惨劇を招いた策略。
 止められなかった、という思いは捨てられない。
 何とか他に方法があったのでは、という後悔の連続だった。
 その罪を贖うのは、今ではないということも承知していた。


 アントン・フェルナーは、見つめ続ける。
 200万の無辜の民衆の犠牲の上に築かれた、勝利とその代償を。
 そして、今では少しだけ理解している。
 200万の犠牲の上に、もっと多くの民衆が救われたことを。


 大貴族が自暴自棄になり、自分の荘園や植民地を焦土と化してまで徹底抗戦する恐れがあったものの、ブラウンシュヴァイク公爵のヴェスターラント攻撃で、民衆も、貴族でさえも、その惨劇に恐れをなし、結局二度と民衆に危害は加わえられなかったのだ。
 辺境平定のキルヒアイス提督の戦いが、この一件のせいだけではないが、随分早くに終了したのも事実であった。

 そのすべてを肯定はできない。
 しかし、フェルナーは彼の非常な上官の行くつくところを見ていたい、という感情にとらわれている。

 すべての責任を自分に帰す、非常な策士。
 その義眼を事実と現実からそむけることのない、気丈な上官をフェルナーは、見つめ続ける。
 「宝石」にたとえた己が忠誠心を捧げるのは、やはり目前のこの義眼の男でしかないのではないか、と。

 見つめていよう、決してこの上官が自分の心に他人を踏み込ませないのなら、せめて見つめていよう。

 その碧の瞳の観察者の視線は、冷たい男の背に注がれつづける。
 冷徹な上官が、その目的を達する時まで。
 そして、彼がその義眼を瞑る日まで。

(C)ましろさん

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