|
「女の幽霊が出る?」
「はい、隊員が噂しております」
親衛隊長キスリング准将は、トパーズの瞳を副隊長ユルゲンス大佐に向けた。
「どの部屋だ?」
「陛下の、私室の区画に近い『アイリスの間』と呼ばれている部屋です。小さな宮殿の端ですし、隊員の詰所に近いので仮眠室に使っていますが…」
「姿を見たのか?」
「見た、と言いきれる者はいません。また、まったく何も見ない隊員がほとんどです。仮眠をとっていると…女のような声が聞こえるということです」
キスリングはちょっと顎に手を当てて、沈思した。
「好ましくないな…。幽霊なら、まだいい。物理的な存在なら、非常にまずいぞ」
「は?」
「この新無憂宮の全容はまったくわからんのだ。どこに抜け穴があるのかさえ、な」
「…!」
ラインハルト・フォン・ローエングラムが皇帝に即位して、新無憂宮に住むようになり宮殿の様子はかなり調査が進んだ。
もっとも、皇帝の御座所近くの調査で手一杯であり、完璧な俯瞰図など作れる見込みはなかった。500年の歴史の中、改築され増築され、財を注ぎ込こんで建築された新無憂宮の内部は、迷路さながらであった。
使用しない宮殿は随時閉鎖したが、それでも先の廃帝エルウィン・ヨーゼフの誘拐時のように地下迷路が使用される場合も想定される。
「あそこの部屋は、調査済みだったな?」
「はい、各種センサーで調査しました。抜け穴、隠し部屋などはありません。ただ、壁が他の部屋よりも厚いのですが、音楽室だったらしく防音のためだと宮廷管理官は言っております」
ユルゲンスは、答えた。
「おまえさんは、信じるほうか?」
「幽霊、ですか?」
「そういうもの一般だ」
「科学技術の固まりのような戦艦にも怪談はありますからね…。信じはしませんが、ないとも言いきれません」
キスリングは、ぽんとユルゲンスの肩を叩いて
「いい感覚だ。さすが鉄の胃袋だな」
「…誉めていませんね。隊長はどうなんです?」
「俺は、信じないほう、かな…」
そう言って、キスリングは微かに笑った。
「今晩、二人でアイリスの間で仮眠だ。シフトを変えておく。いいな?」
「了解!」
アイリスの間は、無憂宮でも比較的小さな宮殿の一室である。
この一角は婦人部屋に使用されていたらしく、壁面にアイリスの花が描かれている。他にも、ナルシス、オールドローズ、ミュゲなどの花で飾られた部屋が連なっている。
キスリングとユルゲンスは、簡易な装備ながら一応この部屋と周辺の探査を終え、隠し部屋、通路が無いことを確認した。これでも「女の幽霊」の声が聞こえるようなら、正真正銘怪談話のできあがりである。
「侵入者と幽霊、どちらの存在が証明されるのも困りものですな」
ユルゲンスは、それが持ち前の毒のない笑いで言うが、内心はむしろ侵入者の方がよいと思っている真摯な目がキスリングには可笑しかった。
皇宮にそう簡単に侵入されても困るが、物理的な力が効かない存在?を相手にするのも気が重い。それはキスリングも同様だった。噂は噂のうちに絶っておく。そう思ってはいても、どろどろとした確執をもつ古い宮殿に巣食う「怪談」を全面的に説明し、解明するのは不可能なこともわかっていた。
ともかく、場所が悪い。
皇帝の御座所に近すぎる。
「激務ゆえの幻聴ならいいのだがな。仮眠では眠りも浅いだろう」
キスリングは、寝台に身体を横たえたユルゲンスに静かに言った。キスリングもユルゲンスも親衛隊の特殊な軍服を脱いではいたが、長靴は履いたままだった。
「いずれ劣らぬ猛者揃いの親衛隊員が、幽霊に怯える図は見たくありませんな。隊長」
「今まで体験したのは…?」
「オレンハウア、シェファー、ヘッケル、キール、エーベルトの5人です。いずれもここに仮眠した時に限って、声や姿を聞いたり見たりしたそうです」
ユルゲンスは声をひそめるように言った。
まるで、その話をすると幽霊といわれるものが目前に現れるかのように…。
「ふむ…」
キスリングはその5人に、なにかひっかかるものを感じながら部屋の明かりを最小に落とした。
「さて、今夜一晩でけりがつくとも思えん。…寝もうか、ユルゲンス」
「しばらく、ここですか…」
「そんなにいやそうに言うな、ユルゲンス」
「…私は自分の直感を信じる口なんですが、ここはどうもいやですね…」
「寒気、がするか?」
キスリングの言葉に、ユルゲンスは驚いて身体を起した。
「隊長?」
「さっきから、私も寒気を感じる。真夏なのにな…」
「これは、今夜でけりがつくと助かりますな。風邪は引きたくないですから」
冗談めかしてユルゲンスがいい、毛布を口元まで引き上げた。
「さて、招待状は向こうに届いたようだ。訪問を待つとしようか」
沈黙が、あたりを支配した。
『…ぎゅんたー…』
夢の中で、誰かが名を呼ぶ。
『ぎゅんたー、ソコニイルノ』
かすかな、声。男か女かわからない、声。
「誰だ!?」
キスリングの詰問は声にならない。
『ぎゅんたー…』
『…ぎゅん…た…』
「誰なんだ!?」
「…大丈夫ですか?隊長」
ユルゲンスに身体をゆすられて、キスリングは目を覚ました。
「あ、ああ…。うなされていたか?」
「はい。かなり」
「俺の名を、呼んだか…?」
「…いいえ?」
キスリングは、汗ばんだ額をハンカチで押さえた。なにか問いたげなユルゲンスの目を見ないようにしてキスリングは、深く息を吐いた。
キスリングは、一方の壁を見る。アイリスの青い花で飾られた白い壁。
その夜は、そのまま過ぎていった。
宿直のシフトを変えた2晩目。
『…ぎゅんたー…』
夢の中で、誰かが名を呼ぶ。
『ぎゅんたー、ソコニイルノ』
かすかな、声。甘い、少女のような声。
『ワタシハ、ココヨ』
漆黒の巻毛が視界に入る。白い肌、緑のビロードのドレス。目をあけているわけではないのに、はっきりと知覚できる。
『ココニイルノヨ。ムカエニキテ』
少女の声がだんだんと大人びる。
『ギュンター、貴方、私はここよ。手が、手が届かないわ』
白い手が、白い手だけが、首筋に這う。指には簡素な指輪が光っていた。その冷たい感触に思わず声を上げると、目の前にユルゲンスの顔があった。
「……名を、呼ばれた」
「名前?先夜も言ってましたね、隊長」
キスリングは、トパーズの目を見開いた。前夜、目撃者の姓を聞いたときのひっかかりが腑に落ちた。
「おい、ユルゲンス!今まで声を聞いたり姿を見たのは、全員が『ギュンター』だな!」
「あ!!」
ユルゲンスとキスリングは顔を見合わせた。
「やれやれ…幽霊の存在は決定だな」
キスリングは暗い目をして、中庭に面した壁を見つめた。本来窓があってしかるべきの間取りなのに、この部屋には中庭に面した窓が一つもない。壁が、他の部屋よりもやや厚いことも調査でわかっていた。
そして、キスリングは自分の夢に出てきたモノが、そこから現れたのをしっかりと覚えていた。
翌日、皇帝の許可を得て『アイリスの間』の解体が始まった。
表向きは、部屋の老朽化と言う理由だが親衛隊長キスリングと皇帝の側近シュトライト中将が立ち会ったのが人目を引いた。工事用ロボットが騒音とともに壁を崩し、屋根を取り払う。舞い上がる土ほこりに閉口しながら、立会人は作業を見つめている。
工事用ロボットが停止した。
ぶううぅん、という耳障りな音を残して緊急停止したのだ。操作をしていた者がよほど慌てて停止させたらしい。
今まさに掻き落とそうとした壁の中に、それらがあった…。
壁面にびっしりと塗り込められた、朽ち果てた遺体の群。
あまりにも時間が経っているので、センサーにすら感知されなかったそれらは、外気にふれ、ゆっくりと、くずれ落ちた。
「男?あれらは男だったんですか?」
ユルゲンスが頓狂な声を出した。ここは親衛隊の新しい仮眠所にされた部屋である。キスリングが一時の休憩のため、部下が淹れたコーヒーを飲んでいたところへ、ユルゲンスがシフト交代のため現れた。任務のため、しばらく直に顔を合わせなかった隊長と副隊長はすぐに過日の幽霊話に話題が移行した。
「男だそうだ。あの宮殿ができてまもなく塗り込められたらしい」
キスリングがめずらしく嫌そうに答える。おそらく生きたまま塗り込められたであろうと、医学チームから報告があったばかりだった。
「無憂宮の資料室に記録が残っていたそうだ。あの宮殿は、ある皇女の宮殿として建てられたんだが、その皇女は当時の皇帝・皇后の唯一の嫡出子で、ずいぶん気の多い女性だったらしくしかも、他の貴婦人と婚約しているような貴族の子弟をたぶらかし、飽きると…あの壁に…」
「なんだか、大昔の残酷物語を地でいくような話ですな…」
ユルゲンスも気持ち悪そうに胸を押さえた。
「壁に塗りこめ、顔だけをしばらく出しておいて鑑賞していたそうだ。男が泣いたり喚いたりする姿を、な。なんとも、気持ちの悪いことだ」
次々に塗り込められる男達、となりの男が息絶え、またとなりに新たに男が塗り込められる。犠牲者はいったいどのような苦しみを味わったのか…。
キスリングとユルゲンスは、窓から今はすっかり更地になった宮殿跡を眺めた。皇帝は報告を聞くと即座に宮殿の取り壊しと、さまよえる犠牲者の魂をヴァルハラへ送るようにと、シュトライトに命じ た。
『アイリスの間』を含め、その小宮殿は即日取り壊され、遺体は聖堂に安置の上、葬られた。
「そうそう、隊長にはまだ報告されていませんよね」
「うん?」
「あの壁の中にもう一体、塗り込められたモノがあったことは?」
「聞いていない」
ユルゲンスは、深く息をつき、キスリングの顔を見て言った。
「人形が一体、ある男の足元に埋められていました。…漆黒の髪をした、緑のビロードのドレスを着たけっこう大きい人形です…。人形の中には…」
キスリングは、中身が何であるかわかるような気がした。
「中は…、女の手首…だろう?」
ユルゲンスがぞくっと身体を震わせた。
「隊長…」
「俺以外にあの人形を見た連中も、わかっているだろう…。指輪をはめたあの手で撫ぜられたんだ首筋を…」
「ず、ずいぶんはっきりと、見たんですね…」
「不思議と、恐ろしい感じではなかったな…。名を呼ばれ、探されているという、答えなければならないような、不思議な感じだった」
「…きっと探していたんでしょう。人形の持ち主は、ギュンター・v・ヤーンという男の恋人で、皇女の侍女だったそうですから…。指輪に刻まれていたそうです。『ギュンター・v・ヤーンより永遠の愛を誓う。マティルダ・v・ワイスマンへ』とね」
おそらく、侍女の婚約者を皇女が奪い、ついで侍女までも殺害したのだろう。無残にも婚約指輪をしたままの手首を人形に封じ込めて、男に決して触れられないところに、埋められていたのだ。
二人は同時にため息をついた。
「しかし、今の今まであの部屋に幽霊が出るなんて聞いたことが無いそうですよ。無憂宮に古くからいる侍従連中も」
ユルゲンスが首を傾げる。
「それはそうだろう…。あの部屋はずっと後宮の貴婦人のサロンや音楽室のようなものだったんだからな」
キスリングが熱のない声で呟く。注意深く小宮殿跡から目を逸らせながら。
「いったい、この宮殿で何が起こっていたんでしょうね…」
ユルゲンスは、そっと辺りを見渡すようにして、言った。
「500年もの間、閉ざされていたんだ。…いずれは皇族や貴族が何をやっていたのか、公表される日も来るだろう…」
キスリングは軽く首を振り、立ち上がって軍服をきちんと直し皇帝のもとへ行く準備をした。
窓の外には、まだ、あの姿が見える。
「隊長…見えてますか…?」
ユルゲンスの声が、いささか震えている。
「ああ。ドレスのフリルまではっきりと、な」
「…私には、そこまでは見えません。でも、いるのだけは、わかります」
怖くはないが、慣れることもないだろう。キスリングは人形もマティルダという女性も憐れむつもりはなかった。生半可な憐れみを、人形やその女性が受け入れるとも思えなかった。
そこに、それは、ない。
そう思うしかなかった。それは、キスリングの側にいるために巻き込まれたユルゲンスも同じ思いだろう。病欠しているほかの5人も、いずれ落ち着くに違いない。
「人形は、ヴァルハラへは行けないのでしょうか…」
「さあ…。あれはどう処置されたんだ?」
「たしか、ヤーンという男と一緒に埋葬されたはずです」
「あの人形の謂れはしらんが、よほどあそこに未練があるのだろう。人形――ひとがたというものは、本来、人に似せて呪(まじな)いに使ったのだそうだ。ひとかたならぬ想いを封じたものなら、さまよい歩いても不思議はないかもな」
キスリングは淡々と言う。
「前におまえさんは言ったな。『信じはしないが、ないとは言いきれない』と」
「はい」
「私も、その意見に賛成だ」
窓を見ると、人形は消えていた。
かすかに、女の泣き声がしたのは、幻聴だったかもしれない。
フェザーンへ遷都した後、博物館として公開された無憂宮には多くの怪談が残された。暗く豪壮な佇まいの巨大な宮殿は、500年に渡る皇族、貴族たちの暗躍の場であった。
宮殿の其処ここに人の念が澱んでいても不思議はない。
キスリングとユルゲンスの歩く廊下の片隅にも、ひっそりと影は潜むのだろう。
黄金の髪をした軍神だけが、そのあまねく光で影を払うことができるのかもしれない。
皇<帝の斜め後方に立つキスリングは、皇帝の煌く叡智と覇気を見つめながら、そう思った。
この方は、ご自身が流された他人の血の多さをもってしても、決して後悔はなさらないだろうと…。
覇王とは、非情でしかも哀れみの心など持たないものなのである。
「ひとがたよ、自らを哀れむならこの地において永久の眠りにつくがいい」
キスリングは、そっと心のうちで語りかけた…。
オーディンが辺境の一惑星となるべき日も近かった。
新無憂宮の怪談も、途切れがちにではあるが、後世まで伝わったことは事実である。 |