LILA 降りしきる雨。 灰色の雲に覆われた光の無い空から絶え間なく落ちるそれは、彼を召したことを後悔する神の懺悔の涙。時間の止まった執務室の窓から幾度も彼の面影を雨の中に見た。 もうこの部屋に戻ってくることはないだろう…。 提督のいない執務室は殺伐として気が狂いそうになるほどの静寂に包まれている。 遺品を整理するなんてことがどうして出来るだろう。私の脳裏にはこの部屋で資料に目を通す提督の後ろ姿や、窓枠に凭れてコーヒーを啜る提督の横顔が焼きついているというのに。 溜息をつくと提督の机の抽斗をそっと開けてみる。そこには提督の手で綺麗に磨かれたブラスターがあった。 射撃の名手だった提督。デスクワークの合間に嬉しそうな顔をしてブラスターを手入れしている姿を思い出し、私は注意深くそれを取り出した。少し型式の古いブラスターに見覚えがある。 間違いない…あの雨の夜に自分と兄を救ってくれた提督のブラスターだ。 敬愛する上司の手によって使いこまれた銃は、持ち主を失っても輝きを失ってはいない。 しかし、もう二度と彼がこの銃を手にすることはない。人生の最期の瞬間までブラスターを握りつづけた戦士は天上<ヴァルハラ>に召されてしまったのだ。 現実の理不尽さに対するやりきれない思いが怒りとなって込み上げてきた。そして提督を救えなかった自責の念と後悔は、復讐を願う新たな怒りとなって私を狂気の淵に追い込んでいく。 「ああ、ところでな、ホルツバウアー、おれは来年にでも結婚することにした」 提督の弾むような声が鮮やかに頭に蘇った。そして振り返った時の恥ずかしそうな笑顔と藤色の瞳も。 「 Verdammt noch mal …Verdammt!… Verdammt!」 神を呪う言葉を何度も叫びながら私は執務室の窓に向けてトリガーを引いた。 割れ落ちたガラスを踏みしめて窓に近寄ると、冷たい雨が激しく身体に降り注いでくる。 あの夜と同じ容赦のない冷たい雨は、私を狂気の淵から記憶の深い闇の中へと引き込んでいった。 闇の中に見たのは、懐かしい日のルッツ提督・・・・・・・そして若かった己の姿。 |
瀕死の兄を抱えて逃げ込んだ路地裏。 「兄さん、しっかりしろ!」 サイオキシン麻薬の組織と癒着している貴族官僚の上司を告発した兄は、銃創による出血のために意識が朦朧としていた。所詮、一役人である兄と下っ端軍人である己が敵う相手ではなかったのだ。後悔の苦い味が口中に広がるのを感じながら、冷たくなっていく兄の身体を抱きしめる。 「畜生っ…」 近づいてくる高級地上車のエンジン音がまるで人生のカウントダウンのように頭に響いた。 (見つかってしまったのか…) 奴らは証拠を残さない。どこまでも追いかけてくる、永遠に…どこまでも。 「兄さん、もう駄目だ。これ以上逃げられないよ…」 己の死期を悟った途端に兄の身体の重みや自分の体温が切ないほど愛しく感じられた。 最後に味わう感情が恐怖でも悲しみでもなく、愛であるのがせめてもの救いだろう。 兄の手をしっかりと握ると私は目を閉じた。 「どうした、怪我をしているのか?」 死を覚悟したその時、私は救世主<メシア>の声を聞いたのだ。 背後から聞こえたその声に無我夢中で声の主を振り仰ぐ。 長身、軍服、碧眼・・・そして口元には優しい微笑。空耳ではないことに私は安堵の溜息をついた。 (助かった) 「あの地上車に追われているのだな」 力なくうな垂れる私に頷きかけると、彼は軍服の中からブラスターを抜き取った。土砂降りの雨、視界の悪さをものともしない正確な射撃。 まっすぐに伸びた右腕を左腕で支える独特の姿勢から放たれたのは、Eins, Zwei, Drei、 たった三条の閃光。 神業だ…。呆然とする私の目に地上車の炎に美しく映えている彼の藤色の瞳が映っていた。 「ここはいいから、早く病院に連れて行け」 綺麗な碧眼に浮かぶ藤色の彩り…深く頭を下げると兄を抱えて病院へと急いだ。 名も名乗らずに別れてしまったその少佐に再会したのは、雨の日の夕暮れ時であったか…。 肩を叩かれ振り返ると、瞳を藤色にして笑っている提督が立っていたのだ。 「え、名前?ああそう言えば卿の名前も知らなかったな…俺はコルネリアス・ルッツだ」 「ホルツバウアー中尉であります、ルッツ少佐」 ずっと提督に憧れつづけてきた。 兄と自らの命を救ってくれた提督、恩返しをすることさえ出来ないまま提督は逝ってしまったのだ。 提督のブラスターをしっかりと握り締めたまま、私は力なく砕け散ったガラスの上に跪く。 思い出の詰まった一丁の銃、雨に濡れてしまったそれにそっと唇を当てると私は復讐を誓った。 |
「ホルツバウアー中将」 突然名前を呼ばれて我にかえった。いつからそこへいたのだろう…。開かれた執務室の扉の前に包帯で右腕を吊ったミュラー提督が立っていた。 「卿が撃ったのか…」 提督は怪訝な顔をして割れた窓ガラスを見やり溜息をつく。 「これを渡そうと思って来たんだ。ブリュンヒルトに残されていたルッツ提督の遺品、提督の婚約者にお渡しするべきかと思ってな」 震える手で小さな箱を受け取った。雨に濡れた箱をそっと開くと提督の軍服やシャツ、そして付箋の付いた雑誌が出てきた。 「Heirat」 “結婚” という名の雑誌…。 以前、提督が真っ赤な顔をして慌てて隠した雑誌はこれだったのだろう。 熱いものがこみ上げてくるのを必死で抑えると、ミュラー提督に礼を言うために私は顔を上げた。 「ミュラー提督…」 提督は左手の掌で顔を覆いルッツ提督の机の前に立ち尽くしている。 嗚咽の声が微かに雨の音に混じって聞こえてきたので、私は提督が泣いていることを知った。 執務室に残っていた書類の整理を終えると、ルッツ提督の私物を一つの箱にまとめていれる。 懐かしい写真を見ては頬を緩ませ、提督の直筆書類を読み返しては姿勢を正す。永遠に続くのではないかという程その作業に時間を費やした。そうしていると少なくとも孤独ではなかったのだ。 最後に残った一丁のブラスターを、私は提督が生前そうしていたように丹念に磨いた。 提督の椅子に腰を下ろし、壊れものを扱うように慎重に汚れを落とす。 「閣下、これでよろしいですか?」 心の中で問い掛ける。 デスクランプだけの薄暗がりの中、提督の嬉しそうな微笑を見たような気がした。 提督のブラスターを己の軍服に収めると、激しい雨音の響く執務室を後にした。 誰も入ることの無い執務室。 もし霊魂というものが存在するならば、提督の帰るべき場所はここではない。 願わくはあの女性の元へ帰る前に私の所へ会いに来て下さい、そう考えて苦笑した。 地上車に乗ると、副官のグーテンゾーン少佐にTV電話をかけた。 極度の疲労の為かひどい顔をした彼が画面に現れる。目が腫れているのが痛々しかった。 「明日ミッターマイヤー提督の司令部に移ることになった」 「そうですか。閣下のご無事を祈っております。ルッツ提督の…」 言葉に詰ったグーテンゾーンにしっかりと頷いた。これは我々の聖戦<ジハード>なのだ…。 ルッツ艦隊旗艦「スキールニル」、指揮シートに座るルッツ提督の雄姿…。士官食堂で提督と飲んだワインの味。ポーカーをしながらの他愛のない雑談。 そんな思い出のすべてを共有する私たちの間には多くの言葉など必要ない。 明日中にルッツ提督の遺品を届ける旨を伝えると私はTV電話を切った。 激しい雨の中、アクセルを踏み込んで地上車を走らせる。私は何処へ行こうとしているのだろう…。 天上<ヴァルハラ>…その言葉が甘美な痛みと共に脳裏を過ぎった。 この聖戦が終わったらそれも悪くない…。 激しい雨の去った後には永遠の虚無、あの美しい藤色の光を見ることはもう無いのだから。 das Ende |
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この鬱陶しい梅雨の時期にじめじめした暗い話ですみません。(…なのでホルツバウ アーの顔をちょっと爽やかにしてみました) |