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by.Hollyさん |
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今日から新帝国暦002年。 大本営からリアルタイムに送られてくる皇帝陛下のお姿と共に、新年を祝う乾杯をする。 それにしても、まさかこの場所で2度目の新年を迎えることになるとは思わなかった。 「オーディンにいれば休暇のひとつも取らせてやれるんだろうけれど」と、閣下は少し申し訳なさそうな表情をなさったけれど、私としては不満など何もない。 年が変わっても、暦が変わっても、赴任先が変わっても、相も変わらず私は閣下のおそばにいる。この上ない幸せだ。 乾杯をする瞬間、思わず願い事など心の中で唱えてしまったのは秘密にしておこう。 今年も来年もその次もずっと、閣下の副官でいられますように。 …我ながら少し恥ずかしい。 さて、差し当たってイゼルローンはおおむね平和だ。 あったとすればクリスマスから年末にかけて歓楽街がちょっとした騒ぎになったくらいで、それも憲兵隊が出動するほどのものにはならなかった。 外側に目を向けてみれば、通信に少々妨害波は混ざったりしているものの、敵襲があるわけではない。実は赴任以来敵襲は一度もない(当然といえば当然だけれど)。 「ヤン・ウェンリーでも来ないかな。暇で仕方ない」 末端の兵士たちの間ではそんな冗談が飛び交っているらしい。 それを聞きつけて、ヴェーラー中将はひとしきりお説教をした後、ため息混じりに閣下に進言した。すると閣下はとんでもないことをおっしゃった。 「俺も彼らに賛成したいな」 「閣下、その冗談は笑えませんよ」 この台詞を皮切りに、ルッツ艦隊3大名物のひとつ、ヴェーラー中将のお説教タイムスタート。新年早々これは運がいいんだか悪いんだか。 とはいえヴェーラー中将も(そして私も)、閣下のお気持ちはわからないではない。はっきり言ってイゼルローン勤務は暇なのだ。 しかも閣下の場合、息抜きや気分転換をしようにも、気の置けないお付き合いができるようなご友人は皆イゼルローンから遠く離れたところにおいでなわけで。 この要塞を守ることは当然重要きわまりない任務なのだけれど、時々居住区の公園でひとりぼー っと空を見ていらっしゃる閣下のお姿なんかを目にすると、なんだか複雑な気分になる。閣下のお気がまぎれるのならば、何であろうと呼んで差し上げたいと思ってしまう。ご友人だろうと、ご家族だろうと、それこそヤン・ウェンリーだろうと。 もちろん戦闘があれば少なからず人命を失うことになるのだし、ましてその相手がヤン・ウェンリーとなれば、何がどうなるやらわかったものではない。それでもどこかで戦いを望んでしまうのは、きっと職業軍人の悪い癖なのだろう。 と言っても私の場合、戦場に立っていらっしゃる時の閣下のお姿がこの上なく好きだという、ただそれだけなのだけれど。 これは危険な考えだろうか? 「冗談は冗談として置いておくとしても、」 ヴェーラー中将のお説教をなぜかにこにこと聞いておいでだった閣下の表情が、ふと変わった。 「近いうちに陛下から何らかのご命令があるだろうな。ヤン・ウェンリーと戦えるかどうかはわからないが」 そう言ってスクリーンの向こうの宇宙を見やった瞳は、…青いままだった。 単なるお戯れではなく、ある程度確実性のあることだという証だ。 閣下がそうお考えだということは、間違いなく近日中に何か動きがあるだろう。 よほどのことがない限り、閣下の読みが外れることはない。 思わず長く書きすぎてしまった。今日はこのくらいにして早く寝よう。 明日からまた気を引き締めて仕事に復帰だ。 《1月2日》 昨日の閣下の言葉は早くも現実になった。 皇帝陛下から出撃命令が下ったのだ。 前線に出るのは久方ぶり、旧帝国時代にロイエンタール提督(今は元帥だけれど)の下でこの要塞の攻略戦を戦って以来だ。 「こういうのを血が騒ぐというのかな」と閣下はおっしゃった。 よく見たら瞳の色が変わっておいでだった。 例え数え知れない戦いを乗り越えていらっしゃった閣下でも、いざ出撃となると少なからず緊張と高揚感とをお覚えになるのだ。 さっそく、閣下のまっすぐ張りのあるお声が全要塞に響き渡った。 「皇帝陛下よりご命令があった。我々は当要塞を発し、同盟首都ハイネセン方面へ向かうようにとのことだ。要塞守備隊を除く全艦隊は明後日1200(ひとふたまるまる)をもって出撃とする。各自怠りなく準備するように」 過不足ない、用件のみの言葉なのに、なぜかどきどきする。私の好きな瞬間だ。 ただ、ひとつだけ気になることがあった。 全要塞への放送を終えた直後、閣下がふともらした言葉のこと。 「魔術師のにおいがするんだよなあ」 どういう意味だろう。 魔術師=ヤン・ウェンリーか? 《1月3日》 なんだかおかしなことになってきた。 今日大本営から届いた命令は、昨日のそれとまったく正反対だったのだ。 簡単に言えばこんな感じだ。 「イゼルローン要塞の守りを固めるべし、動くなかれ」、と。 その通信文を私が読み上げたところ、閣下の第一声はこうだった。 「ヤン・ウェンリーか」、と。 たぶんその声は私とホルツバウアー中将とヴェーラー中将と、…その時閣下のすぐおそばにいた数人に聞こえただけだろう。 もしかして昨日閣下がふとおっしゃった「魔術師のにおい」というのはこれのことだったのだろうか。 閣下はかなり難しそうに考え込んだ末、射撃場に引っ込んでしまわれた。閣下が考えに迷われた時の習慣だ。 1時間経ったら呼んでくれと言われている。今のところまだ20分ほどしか経っていない。 …たった今、大本営から新しい命令が届いたようだ。 これは今すぐ閣下にお伝えしなければ。 続きは後から書くことにしよう。 《1月4日》 結局続きを書くことはできなかった。まあいい。こちらに書いてしまえ。 昨日2度目に届いた通信は、要塞を動くなという命令に続くものだった。 通信の通り、万が一同盟やフェザーンへの内通者などいたら大変なことだ。即刻艦隊中の調査をすることに。その間は出撃命令は凍結。 内通だなんて、私の個人的感情からすれば閣下を困らせる行為以外の何物でもないわけでもってのほかなのだけれど、100万単位の将兵を抱えるこの艦隊で、上から下まで同じ気持ちでいるとは限らない。 …閣下の人となりを知れば誰もそんな真似をしようとは思わなくなると、私は思うのだけれど。あんなにいい上官が他にいるものか。そりゃあロイエンタール元帥ほど広い視野をお持ちではない(と閣下はご自分でおっしゃっていた)し、ミッターマイヤー元帥ほど速いわけでもないし、ビッテンフェルト提督ほど豪快ではないし、ミュラー提督ほど粘り強くもないし、ファーレンハイト提督ほど…いやこの辺にしておこう。とにかく誰がなんと言おうと閣下がどうおっしゃろうと最高なのだ。これだけは声を大にして言っておきたい。 …って、誰も聞いていないか。 ところで今日は軍議の最中に思いがけないものをいただいてしまった。 今日が私の誕生日だと、この忙しいさなかに皆覚えていてくれたのだ。 「覚えていたのは閣下だよ。俺は忘れていた」と、ホルツバウアー中将は悪びれずに笑っていた。 「こんなことをしている場合でもないと思うのだけれど」と控えめかつもっともなコメントはヴェーラー中将だ。 「腕によりをかけたんですよ。ケーキなんて久しぶりですから」とは、スキールニルの料理長。 そう、いただいたのはバースデーケーキ。しかも甘いものが苦手な私に合わせた、甘さひかえめのブランデーケーキときている。いつの間に作ったんだ? 「この程度しかしてやれなくてすまないな」と閣下は少し申し訳なさそうだった。 いえいえ閣下、この程度なんておっしゃらず。 誕生日を覚えていていただけただけでも光栄なのに、この忙しい時期にもかかわらずこんな素敵な計らいまでして下さって、もうお礼の言葉もない。ケーキも美味しかったし、最高の気分だ。 ありがとうございます閣下! 不肖ヘルベルト・グーテンゾーン、一生閣下についていきます! 《1月5日》 昨日の日記を読み返したら恥ずかしくなってきた。 きっとブランデーケーキで酔ってしまったに違いない。元々アルコールには強くないけれど、ここまで弱くなっていたとは不覚だ。 書き直そうかとも思ったけれど、やめた。 その瞬間瞬間の気持ちが読める、それが日記の醍醐味だから。 ……閣下の受け売りだけれど。 ところで、一昨日開始した調査の結果が憲兵隊から司令部に届いてきた。 どうやら憲兵隊はイゼルローンに赴任して以来の大活躍をしたようだ。 公金や物資の横領、横流し、フェザーンへの内通など、明らかになった不祥事は1つや2つなんてものではない。今回憲兵に捕らえられた人々だけで…正味一個分隊といったところだろうか。 これを受けて、出撃は正式に取り消しとなった。 出撃を命じる通信と禁じる通信のうち、閣下は後者を本物の皇帝陛下からのご命令と判断されたようだ。決め手はやはり今日判明した数々の出来事を言い当てた、3日の通信だったのだろう。 「さすがに皇帝(カイザー)はご明察でいらっしゃる」と、閣下はしきりに納得しておいでだ。 でもまだヤン・ウェンリーがやってこないと決まったわけではない。――そのあたりは誰かに指摘されるまでもなく閣下も承知していらっしゃる。さっそく今後の方針に関する会議を開くことになった。 たぶん閣下の中では既に方針は決定しているのだと思う。それでも会議を行ったのは、艦隊内の意思統一を図る意味もあったのだろう。今日発覚した不祥事のこともあり、少々不安だったのかもしれない。顔には出ていなかったけれど。 そういえば会議中にも通信が入ってきた。重ねての出撃命令、つまりはヤン・ウェンリーからのにせ通信だ。当然、その命令は無視。 まったく、このヤン・ウェンリーという男、いったい何を考えているのだろう。 閣下でさえいまいち掴みかねておられるというのに、私にわかるはずなどない。 《1月6日》 今日は居住区(特に市街ブロックあたり)に雪が降った。しかも大雪だ。 イゼルローンの気象プログラムはなかなか巧妙にできていて、時々思いがけない天気をもたらしてくれる。突風に煽られたり、ちょっとした雨に降られたりなんてこともよくあるらしい。 全要塞が警戒態勢に入っているから市街ブロックに立ち入る必要も皆無に近く、おかげで大規模な被害はなかったのだけれど、だからといってこの忙しい時期に大雪はないだろうに。 ――もしかしたらこれもヤン・ウェンリー一党の作戦のうちではないかと考えてしまう。 何らかの奇策を用いて気象プログラムを外部から操作し、この要塞に小さな混乱を起こさせる意図でもあるのではないか、と。 閣下に話してみたところ、側にいたホルツバウアー中将に「そんなせこい真似をするものでしょうか」と苦笑されてしまった。でも閣下は、「いや、あの魔術師ならば…なればこそ、可能性は否定できないな」と言ったきり、考え込んでしまわれた。さすがに今日は射撃場へはおいでにならなかったけれど。 「ヤン・ウェンリーとは恐ろしい男だな」 と、その様子を見ていたヴェーラー中将は後で述懐されている。曰く、ほんの小さなできごとですら彼の策略であるかのように思わされてしまうあたりが恐ろしいとのこと。さらに中将は 「今この瞬間も、もしかしたら我々は彼の手の内で踊らされているのかもしれない。可能性にすぎないけれども」 と、世にも恐ろしいことを口にされた。 にわかに肯定はできかねるけれど、100%否定することもできない、その辺りが恐ろしいところだ。おそれ多いことながら、皇帝陛下の類い希な頭脳をもってしても、断定することは不可能だろう。 もしかしたら、いやもしかしなくても、私たちは大変な人物を敵に回しているのではないか? 《1月7日》 今日も出撃命令があった。 たぶんこれもにせの命令だろうということで、私たちは相変わらず要塞の中にいる。 閣下はあれやこれやと考えておいでのようだけれど、未だに結論を導き出せないご様子だ。 ヤン・ウェンリー一党が攻めてくる気配はないが、警戒体勢は解除するわけにはいかない。新年以来ずっとフル回転の通信兵たちには申し訳ないけれど、まだ何日か何週間かは働くことになるだろう。 これからいったいどうなっていくのだろうか。 ふと、ヴェーラー中将の口癖を思い出した。 「我々は我々にしか果たしえない責任を果たすまでだ」、と。 それぞれがそれぞれの領域で最善を尽くす。例えば私は閣下の副官という職務を全うすること。それがよりよい結果へ至るための道なのだということらしい。 もっともな話だけれど、難しいことでもある。 最近閣下が戦闘中でもないのにコーヒーに砂糖を入れておいでだ。 やはりそれだけ頭を使っておられるということなのだろう。 《1月8日》 今日はこれといって大きな通信はなかった。 イゼルローンにとどまると心に決めたものの、閣下は相変わらず何やら考えておられる。 その間も、ホルツバウアー中将や分艦隊司令官の方々は艦隊の整備に余念がない。 ヴェーラー中将も要塞のあちこちを見て回って、出撃命令が解かれたからといって兵士たちの集中力が切れないようにと気を配っている。 こんな時私にできることはといえば、定時の報告と最新の資料をまとめることの他はちょっとしたお話し相手くらいかもしれない。それでも閣下のお役に少しでも立てているようなので、これでよしとしよう。 居住区の雪はなかなか溶けない。 道路端にこんもりと盛り上がった雪の山を見ていたら、唐突にヤパーニッシュ・スタイルの焼き魚が食べたくなってしまった。なぜか雪の山が大根おろしに見えたのだ。 そういえば閣下はきちんとお食事なさっているだろうか。 いろいろあるからといって抜いたりしていなければいいけれど。 明日ペーター(筆者注:当時の従卒)にそれとなく確認してみることにしよう。 《1月9日》 またしても出撃命令が届いた。 それでも閣下は動くおつもりはないらしい。 これはにせの指令だとわかってはいるのだけれど、こう何度も届いてくると実はこちらが本物ではないかとも思えてくる。 口にも顔にも出さないけれど、閣下も未だに迷っておられるようだ。でもこれは私の胸の内にしまっておくことにする。司令官が迷っているとわかれば、艦隊中に動揺が広がってしまう恐れがあるからだ。ただでさえ相手はヤン・ウェンリーだというのに。 昨日の焼き魚の件だが、料理長に尋ねてみたところ、やはり事態が一段落するまでお預けのようだ。ヤパーニッシュ・スタイルは何かと手間がかかるらしい。残念だけれど、この忙しいさなかに食事に注文など付けている場合ではないという天の声だと思っておこう。 それから閣下はきちんとお食事をなさっているということもペーターの証言ではっきりした。いい傾向だ。 今日の閣下のコーヒーは砂糖2杯だった。確実に増えている。 《1月10日》 出撃が決定した。 きっかけはまたまた届いた出撃をうながす通信だ。 今度は今までになく大変な文面で、通信兵も顔面蒼白だったが、受け取った文章を読んだ瞬間、私も血の気が音を立てて引いていくのを感じた。 もしこの通信が本当に大本営からのものであったとすれば、このまま要塞内にとどまっていては閣下が罰せられてしまう! ――さすがに閣下も動揺されたようだ。表情には出していらっしゃらなかったけれど、微妙に瞳の色が揺れたように見えたのは私の目の錯覚ではないだろう。直後にペーターに頼んだコーヒーになんと3杯も砂糖を入れ、しかもクリームまで入れられたくらいだし。 閣下は司令部全員に…ペーターにまで意見を聞いた後、久々に射撃場へこもってしまわれた。例によって1時間経ったら呼んでくれとの言葉を残して。 しかし30分ほどで、閣下は司令室へ飛ぶようにして戻ってこられた。そして開口一番、こうおっしゃった。 「グーテンゾーン、召集をかけてくれ。出撃するぞ!」 あそこまで鮮やかな藤色は本当に久しぶりだ。それだけで嬉しくなってしまう私はなんて単純な人間なのだろう。 即座に会議が開かれ、出撃の意志と作戦の内容が伝えられた。 機密にあたるので今はまだ詳しくは書けないけれど、私たちを罠に掛けようとしているヤン・ウェンリーを反対に罠に捕らえてやるのだとだけ書いておこう。いつものようにヴェーラー中将が慎重論を唱えられ、閣下もその言い分を十分に理解されたようだけれど、結局出撃は正式に決定して、今に至る。 でも、気になることがある。 けれどそのことについては明日に回して、ともかく出撃準備を進めなければ。 進発は明後日。のんびりしてはいられない。 《1月11日》 出撃準備は着々と進んでいる。今のペースで行けば予定通りやれるだろう。 休憩時間の間に、昨日気になったことについて少し書いておきたい。 「智者は智に溺れる。ヤン・ウェンリーのカレンダーも残り少ないぞ」 これは、閣下が会議の最後に発された言葉だ。 この言葉に他の方々は大いに盛り上がったけれど、私は少し不安になった。 閣下は普段あまり荒っぽい物言いをなさる方ではない。まあこの程度の冗談を飛ばすことくらいは無いことはないのだけれど、それにしてもなんだか…例えるならねじが一本飛んでしまったような…いや違う、とにかく何かがずれているような印象を受けたのだ。気のせいだろうか。 ホルツバウアー中将あたりに相談してみようかと思ったけれど、中将は出撃準備でお忙しいのでそれどころではない。参謀長も他の参謀の方々も同じだ。 そこで、留守を預かることになったヴェーラー中将にお話ししてみた。中将は「卿が危惧する気持ちも分からないではないけれど、」と前置きした上で、お説教モードに突入するかと思ったら、「作戦の方向性が決まった以上、卿は閣下を信じて卿にしか果たしえない責任を果たしなさい」と、ごく静かにおっしゃっただけだった。 それだけだったのに、思い切り説得されてしまった。 …そうだよな。副官たる私が、閣下の最もお側にいる人間が、閣下を信じて差し上げなくてどうするのだ。 閣下は部下に絶対的な服従を求めるような方ではない。むしろ私たちの意見も積極的に聞いて取り入れて下さる。私たちのことを信頼なさっているのだ。ならば私たちは閣下のお気持ちに応えて、持てる力を最大限使って閣下にご協力するのが筋というものではないか。 ごちゃごちゃと考えるのはもうやめだ。 これから15分ほど仮眠を取って、それから仕事に戻ろう。 《1月12日》 本日、全艦隊は予定通りイゼルローン要塞を進発。 艦橋のスクリーンから離れていく要塞を見つめる閣下の眼差し(少し藤色だ)は自信にあふれている。 あのヤン・ウェンリーが相手だろうときっとうまく行く。閣下を見ているとそう思えてくる。 これだけすっきりした気分でいられるのはきっとヴェーラー中将の言葉のおかげだ。 作戦が終わったらお礼を言わなければ。 さて、明日あたりは日記など書いていられないほど忙しくなるだろう。 次にこの画面に向かう時、どうか作戦が成功していますように。 《1月14日》 正確にはもうそろそろ15日なのだけれど。 本日未明、作戦は終わった。 今、この日記をスキールニルの私の部屋で書いている。 今頃要塞は勝利を祝う同盟語であふれかえっているだろう。 反対にこの艦は、帝国語どころか言葉のひとつも聞こえてこないほどに静まり返っている。 私たちはイゼルローン要塞と実に1割にのぼる艦艇と人員、そしてヴェーラー中将を失った。 途中までは予定通り――閣下の思惑通りに進んでいた。 しかしヤン・ウェンリーの知略は閣下の発想をはるかに越えていたのだ。 ヤン艦隊が要塞に接近しても雷神の槌は発射されず――あらかじめ仕込まれていたというコマンドワード(あの魔術師はいつかイゼルローンに戻ることを見越していたのだ!)で要塞の全機能が無力化されたらしい――留守部隊の防衛もむなしく要塞は奪取され、敵艦隊のかわりに私たちがあの要塞主砲を受けることになった。 ヴェーラー中将は戦死されたのではない。要塞を守りきれなかった責任をとって自決されたのだ。 そのご遺体と対面された時の閣下のお姿を、私は一生忘れないだろう。 ばん、と両の掌をカプセルの蓋に押し当てて、しばらく微動だになさらなかった。 それから肩から腕にかけてが微かに震え、指の先がぎりりと白くなる。 「この……馬鹿が」 隣にいたペーターは泣きじゃくっていたけれど、閣下は泣きも叫びも怒りもせず、ただ棺の中をじっと見つめておいでで。 「…いつ死んで償えと言った」 やっとの事で呻くように呟いたきり、今度こそ動かなくなってしまわれた閣下に、私もホルツバウアー中将も他の参謀の方々も、何をして差し上げることもできなかった。 作戦を開始して以来今の今まで、閣下は一瞬たりとも休憩を取っていらっしゃらない。 もちろん仕事は山積みだ。要塞を脱出してきた留守部隊の収容、被害状況の調査、報告書の作成など、数え上げればきりがない。でも不眠不休でするほどのことではないし、何より閣下は明らかに疲れておいでだ。肉体的にもそうだが、それ以上に精神的に。 「閣下、どうかご休息ください」 今日になってからいったい何度この言葉を閣下におかけしただろう。他の方々も同じ言葉をかけていらっしゃるに違いない。 それでも閣下は休んで下さらない。今もまだ艦橋から外を見ておいでだろう。もう見えなくなったイゼルローンの方向を。 こういう時ヴェーラー中将がいらっしゃったら、きっと閣下をうまく説得して下さるに違いない。でも中将はもういない。 この作戦が終わったらお礼を言おうと思っていたのに。 なぜ自決などしてしまわれたのですか、中将! 《1月16日》 艦隊は順調にガンダルヴァ星系方面へ向かっている。 2日と待たないうちに到着するだろう。ウルヴァシー基地指令のシュタインメッツ提督にも連絡済みだ。 兵士たちは少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。 閣下もやっと定期的に休養をとって下さるようになった。ほっと一息だ。 落ち着いてきたところで、改めて思わずにいられないのは、やはりヴェーラー中将のこと。 閣下がお休みになっている間に、中将のご遺体が安置されている部屋へ足を運んでみた。 よく考えれば、亡くなってしまわれた中将とまともに顔を合わせるのは今日が初めてだ。 まるで眠っているような表情だ、と思った。ただしこめかみにきれいに穴が空いているのだけれど。 報告によると、自分の血で汚してしまわないようにと、丁寧にも机にシーツをたたんで敷いた上で自決されたのだという。そのあたりが真面目で細やかな気配りのきくヴェーラー中将らしくて、苦笑を禁じえない。 悲しい苦笑いだ。 そんなところに気を配るより、もっと考えるべきことがあっただろうに。 「自分にしか果たしえない責任」。 中将が事あるごとに口にされていた言葉だ。 私も、ホルツバウアー中将も、ペーターも、そして末端の兵士たち、ご家族、果ては閣下に至るまで、中将を知る人間なら一度ならず耳にしたことがあるだろう。 口癖になるほどにこだわり続けた「責任」というものを、果たして中将は全うしたのだろうか。 私はそうは思わない。 確かに旧暦の昔から、敗戦の責任を死をもって償うというのは軍人の常套手段だ。たぶん中将も、そのセオリーに則ったのだろう。 でもそうしたところで何が変わるわけでもない。奪われた要塞も、失われた艦艇も、人命も、何ひとつとして戻りはしない。 それだけではない。作戦の失敗でただでさえ衝撃を受けておられる閣下に追い打ちをかけるようにつらい思いをさせ、艦隊の業務を幾ばくかながら混乱させ、そしてこれからご夫人とお嬢さんを悲しみの淵に叩き落とそうと している。 そんな責任の果たし方があるものか。 冷静沈着で、博識で、常識家で、こんな風に閣下のお役に立てればと尊敬し、目標にさえしてきた方だけれど、だからこそ、最後に中将のとられた行動は解せないことこの上ない。 死んで責任を取るなんて、そんなやり方、私には認められない。 決めた。 私は生きてやる。 生きて、生き延びて、生き抜いて、そして私にできうることを全うする。 それが私にできる、私にしかできない責任の果たし方。 差し当たって私に課された責任は、閣下の副官としての職務。 いつまで、どこまでやっていけるのかはわからないけれど。 私が閣下のもとにいられる限り、最大限のことをしようと思う。 ヴェーラー中将、見ていてください。 いつか天上で再会したとき、あなたに言わせて見せます。 「卿にしか果たしえない責任を果たすことができたのだな」、と。 「生きてこそ果たしうる責任もあるのだな」、と。 願わくば、それが遠い日のことでありますように。 ささやかだけれど固い決意を告げて、私は中将のご遺体に別れを告げた。 明日あたりから上陸準備にかからなければならない。 今回の戦闘についての報告書もそろそろ完成させなければ。 やるべきことは山積みで、限りがない。 今日はこのくらいで休んで、明日に、そしてこれからに備えよう。 (『ルッツ元帥評伝』初版限定別冊付録『副官グーテンゾーンの日記』より抜粋) |
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日記形式ということで、説明くさくならないようにした結果、なんともわかりにくいことになってしまいました。 7巻第5章「蕩児たちの帰宅」を開きながら読んでいただくと多少ましになるかと思 います。 戦闘が迫っているのにやたらのんびりしているじゃないかというツッコミはなしにしてやってください(汗笑)。 |