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by.ましろさん |
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の副官が着任するのもめずらしいといえる。 副官人事は司令官の職権に帰属するが、彼女が第13艦隊司令官ヤン・ウェンリー少将 の副官になったのは、ちょっとした訳があった。 フレデリカ・グリーンヒル中尉。 自然にウェーブのかかった金褐色の髪と、生き生きとしたヘイゼルの瞳が印象的な才色 兼備の若い女性だった。むろん、名高き英雄ヤン少将の副官を拝命するのは、その美貌の せいではない。抜群の記憶力と、事務処理能力を買われての転属だった。 彼女をヤン少将の副官に推薦したのは、アレックス・キャゼルヌ少将だった。 ヤンの「副官には優秀な若手を」という贅沢な注文に、キャゼルヌは絶妙の人事をした のだった。 フレデリカはその姓の示すとおり、グリーンヒル大将の娘である。士官学校次席卒業。 優秀な若手の筆頭であろう。 キャゼルヌは、以前結婚を勧めた時ヤンが「上官の娘」でごねたのを覚えており、その ささやかな仕返しもさせてもらったのだ。 >キャゼルヌの妻は、かつての彼の上官の娘だった。ヤンは、いまだに仲のよいキャゼル ヌ夫妻を控えめにからかったのである。ちょっとした憧憬もこめて。 副官着任の復命に現れたフレデリカを目の前にしたヤンは、一瞬言葉を失った。 彼女のきりりとした物腰、規律のよい動作、なにより聡明そうなヘイゼルの瞳がヤンの 目を引いた。 「優秀な若手を選んでおいた」と、連絡は受けていたが、肝心の名前を教えてくれなか ったキャゼルヌの魂胆がはっきりとわかった。 その人事がキャゼルヌの意地悪でしかもヤンの副官として必要な贈り物であることにす ぐ気がついたが、ヤンの彼女を見た一瞬の呆然とした表情を見ることができなかった先輩は、さぞ残念だったろう。 一見ぼさっとしているように見えるヤンであるが、これでなかなか人を見る目はある。 キャゼルヌの人選に感謝はすれども、私人としてはグリーンヒル大将の娘であるフレデ リカの存在は、生真面目なヤンにとってやや荷が重いのは確かだった。 ヤン・ウェンリーは、自分にできないことは素直に認め、それができる専門家にまかせ ることができる司令官だった。 艦隊運用はフィッシャー准将に、司令部の運用はムライ准将、パトリチェフ大佐に、そ してその有機的な結合をグリーンヒル中尉にまかせていた。 彼女は実に有能な副官だった。 統合作戦本部情報分析課からいきなり前線指揮官の副官を勤めるようになった彼女は、 それでもその有能ぶりを発揮した。ヤンの求める細々とした事務事案や、会議の準備、ヤ ンが苦手とする仕事を着々とこなしていた。 第13艦隊創設のその最大の理由であり任務は、イゼルローン要塞を陥落させることだ った。 少将の率いる半個艦隊で難攻不落の要塞を落とせという命令を、他の艦隊司令官たちは 冷笑と苦笑をもって感想に変えた。 おそらく同盟の幹部でこの「作戦」の成功を信じていたのは、ヤン当人と彼を艦隊司令 に任命したシドニー・シトレ元帥、そしてもう一人くらいなものであったろう。 信じるというほどのものではないが、他の提督や司令官のヤンに対するやっかみや反感 を一言で退けてくれたアレクサンドル・ビュコック中将でさえ、攻略の成功を確信してい たわけではない。 イゼルローン攻略を成功しかけたシトレ自身が、その困難さを熟知している。 だが、ヤンには勝算があった。 ヤン・ウェンリーは戦場での駆け引き、あるいは戦術だけで戦いに勝てると考える愚か な指揮官ではない。 艦隊編成、作戦行動の予定などはすべて幕僚と副司令官フィッシャー准将にまかせ、ヤ ン自身はひたすらイゼルローン攻略の作戦を練っていた。 骨子はできている。 あとは作戦遂行の人選、そしてその人選を周囲に納得させ、作戦遂行する当人たちにも 納得させることだけだった。 計画が具体化したとき、ヤンは司令部の幕僚であるフィッシャー、ムライ、パトリチェ フを呼んで今回の作戦を詳しく説明した。 良識と常識に従う彼らの反応は、絶句。 その作戦の奇抜さ―ヤンにいわせると視点を変えただけ、ということではあるが―に、 三人は、ただ呆気にとられていた。 ややあって、ムライが質問した。 「もし、失敗なさったらどうします?」 ヤンの答えは「尻尾を巻いて逃げ出すさ」で、あった。 軍人らしくない彼は、逃げる、という言葉を嫌わない。どんなに言葉を飾っても「逃げ ること」には変わりないのだから。 ヤンの幕僚が表情の選択に困ったように退室したあと、ヤンは副官を呼んだ。 グリーンヒル中尉は立場上、幕僚よりも早くにヤンのイゼルローン攻略作戦を知ってい た。そして、彼女は異議を唱えることもなく、懸念も表明せず、ヘイゼルの瞳を輝かせな がらその作戦の成功を予言した。 あまりに自信に満ちているその言葉を、ヤンは奇妙なことと自覚しながらも直接聞いて みた。 「なぜ、そんなに自信満々なんだ?」 グリーンヒル中尉は、ちょっとためらって返事をした。 そのためらいはヤンの作戦に対するためらいではなく、自分自身へのためらいであった。 あの日から、ずっと追いかけて来た「中尉さん」 エル・ファシルで出会った、あの日からずっと好きだった「中尉さん」 そのことを知られるのが恐いような、知って欲しいような複雑で、甘い感情。 ヤンはフレデリカのことをまったく覚えていないようだった。 それはそれで安心はしたのだが、寂しい思いもたしかにしていた。 そこにいたのは、有能な副官フレデリカ・グリーンヒル中尉ではなく、ただのフレデリ カ・グリーンヒルだった。 フレデリカはふっと深く息を吸って、ヤンを見つめた。 「8年前のエル・ファシルの時も、提督は成功なさいましたもの」 ヤンは「またか」というような思いで若い副官を見た。 エル・ファシルの英雄。 あの成功が、ヤンのその後を決定したのだった。 「それはまた薄弱きわまる根拠じゃないか」 ヤンの言葉に、フレデリカは動じなかった。 「でも、あのとき提督はひとりの女の子の心に絶対的な信頼を植えつけることに成功な さいました」 「………?」 明瞭な回答のみを上官に返してきた副官の謎のような返答に、ヤンは不審そうに美しい 女性士官を見つめた。 「私はあのとき、エル・ファシルにおりました。そして、残された民間人を助けるため に食事する暇もなくサンドイッチをかじりながら指揮をとっていた若い中尉さんの姿をは っきりと憶えています。…そのサンドイッチを咽喉に詰まらせたとき、紙コップにコーヒ ーを入れて持っていった14歳の女の子のことなんて、中尉さんはとっくにお忘れでしょ うね」 「………」 「そのコーヒーを飲んで生命が助かった後で、なんと言ったか、も」 「……なんと言った?」 「コーヒーは嫌いだから、紅茶にしてくれたほうがよかった―って」 ヤンは、あやうく吹き出しそうになったが大きな咳で、発作のような笑いをなんとか押 さえ込んだ。 「そんな失礼なことを言ったかな」 「ええ。おっしゃいました。空になった紙コップを握り潰しながら…」 金褐色の髪をゆらして、フレデリカは笑った。 「そうか。謝るよ。しかし、君の記憶力はもっと有意義なことに使うべきだな」 上官はもっともらしく言ったが、負け惜しみ以外には聞こえなかった。 「シェーンコップ大佐を呼んでくれ」 ヤンはそう命じて、美しい副官のヘイゼルの瞳から目を逸らせた。 それがどういう意味なのか、フレデリカにはわからなかった。 有能な副官と、何を考えているのかわからない提督は再び任務の顔に戻った。 「薔薇の騎士」連隊長シェーンコップ大佐がヤンの執務室を訪れてから、グリーンヒル 中尉は自分のデスクについて、小さな鏡を取り出して自分の顔を見た。 頬は火照ってはいない。 過度に期待した表情もしなかったはずだ。 14歳から今までずっと「中尉さん」を見つめてきた。 フレデリカ・グリーンヒルが軍人を目指したのは父の影響もあるが、エル・ファシルで 必死に―そうは、見えないのがヤンなのであるが―働いていた中尉さんのことが念頭にあ った。 うだつのあがらない、身だしなみに構いもしないで一人で走り回っていた若い中尉さん。 エル・ファシルの軍人の主だった階級の者はすべて脱出してしまった。ヤン・ウェンリー 中尉に後をすべて任せて。 若い指揮官に罵詈雑言を浴びせる者も多く、フレデリカは義憤にもかられていた。 その気持ちが「中尉さん」の身辺に気を配った理由でもあった。 ヤンは憶えていないようだが―あの混乱では仕方ないし、ヤンはそのようなことに無頓 着であった―フレデリカは、それでも満足だった。 二人の共通した記憶が、あったのだから。 ヤンは明らかに、あのときの少女を覚えていたようだった。 それが、フレデリカだとは思ってもいなかったようではあるが。 初恋の告白をしたようなくすぐったい気分を、フレデリカは鏡をしまうとともに振り払 った。 第13艦隊の前途は多難である。 しかし、フレデリカは信じていた。 かならず、ヤンは成功すると。 ヤン・ウェンリーは、この人事で彼を全面的に信頼し、補佐し、理解する副官を得た。 彼女のヘイゼルの瞳はヤン一人を見つめ続け、やがて副官から恋人、人生の伴侶へと立 場が変わってもその絶対的な信頼はついに揺るがなかった。 ヤンが振り返ると、ヘイゼルの瞳が微笑む。 信頼と深い愛情に彩られた淡い色の瞳は、ヤンに安心感を与え続けた。 フレデリカ・グリーンヒルにとって、ヤン・ウェンリーとの出会いこそ、想像もしなか った後半生の苦難の始まりであったのだが、彼女は後悔はしなかった。 ヘイゼルの瞳はまっすぐに、目の前の銀色の巨大な要塞を見つめている。 難攻不落と言われてきたあのイゼルローン要塞が陥落する、その結果を信じてグリーン ヒル中尉は上官の後方に控える。 最前線は初めてとは思えない彼女の落ち着きは、ヤンに対する信頼からきている。 「薔薇の騎士」連隊からのが連絡が入った。 「作戦成功せり」 ヤンとフレデリカの不敗の伝説が始まる。 |
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書いてて照れますが、大人の恋でも少女の恋でもないいい意味での中途な思いがお気に入りです(笑) 副官企画で、なんて話を書くんでしょうね〜。
ましろさん@架空の書斎 |