家族の肖像

 今の時点で私に伝えられているところによって、私の祖父母の家族について書いてみようと思う。私の祖父は、1964年ころに65才で亡くなったから1899年ころの生まれか。私の祖母は、2001年現在96才だから、1905年生まれか。一番上が女(長女)で1927年生まれ、一番下も女(次女)で1937年生まれだ。この間に、男が4人いるから、皆60代か70代前半だ。  祖父は、小田原の農家の長男として生まれた。実家は稲作と蜜柑農家ではなかったかと思う。小学校しか出ていないが、小田原市役所に勤務し助役まで出世した(一説には、出納役(ナンバー3)ともいう)。務め人ながら、努力と才覚の人であったことは間違いない。小田原私立病院を建て、そこの事務長も務めたという。こういう業績は、当時病院に務めていた人にとっては、インパクトがある。かく云う私はそこで生まれた。私が4才のときに祖父は亡くなったが、地方紙に名前が出て、葬式の時は道が車で渋滞したという。  祖父は、農家出身ながら教育熱心で、子供を大学に行かせるために何町歩もあった畑を売り払ったという(次男以降であろう)。実家から出て小田原市内に住んだが、戦後は実家に戻った。1963年ころに改築される前のその家は茅葺で、土間のある日本家屋だった。  長女は、たぶん高校出で、東京に出て警察官と結婚した。美男美女のカップルで、夫はすこぶる倹約家(ケチ)であった。一男一女をもうけている(女は、母譲りの美貌で、日本女子大を出ているが、幸せな結婚はできなかった)。夫の死後は、持ち前の派手な性格が出て、倹約によって生じた財産を潰しながら自由に生きている。  長男は、高校出で、神奈川県庁に務めた。祖父に似た性格で、アイデアとユーモアがあり、本庁の部長まで行き県のなんとかセンターの理事長で退職した。退職時の地位は、一説によると祖父を超えたともいう。良くできた女と結婚し、一男一女をもうけているが、子供達はあまり優秀ではない。結婚後しばらくは横浜に住んだが、祖父の死後は実家に戻り祖母と同居した。  次男は、早稲田大学を出ている。兄弟のなかでは一番頭が良かったという。しかし、在学中に結核を患い、思うような就職ができず、地元の信用金庫に就職した。そこで理事にまでなったのは、学歴からは当然か。看護婦上がりの女(すこぶる評判が悪い)と結婚し、一男一女をもうけている(男は、多摩美を出て高校の美術教師の傍ら、個展を開いている)。  三男は、東京の二流大学を出ている。兄弟のなかでは一番豪放で、大声・酒呑み。盆暮れに親戚が集まると、いつも話題の中心であった。民間会社に務めていたらしいが、酒と博打のためにいつも貧乏で、借金も多かったという(あとから聞かされた)。最後は、タバコが原因か癌になり、余命いくばくもないころに、酒を呑んで茅ヶ崎の海で溺れて死んだ。自殺説もある。その長男も不幸にして、30代前半で幼子を残して癌で死んだ。  四男は、東京水産大学を出た。兄弟のなかでは一番地味で、コツコツやるタイプだった。その後、東京大学の博士課程を終了し、母校東京水産大学の教授となった。薬剤師あがりの女と結婚し、一男一女をもうけている(男は早稲田の法学部を出て、一流企業に務めている)。四男は、三兄弟のなかでも一番目立たなかったが、東京水産大学の学長にまでなった。兄弟のなかでは一番の出世といえる。  最後の次女は、女に学歴は要らぬというのか、高校卒だ。長男の同僚と結婚し、二男をもうけている。夫は長男ほどには出世しなかったが、夫が結構な遺産を相続し、現在は悠々自適の生活をしている。二男をもうけ、うち長男は東大法学部を出て大学教授となっている。  孫の代から兄弟姉妹を見ていると頗る面白い。学生時代までは次男が期待されていただろう。兄弟姉妹のなかでは、長女と三男が常にいばっていた。長男は父と似たような生涯をたどったが、時代が移り、父の代ほどの尊敬は受けていない。孫の教育レースと財産形成では、いつも引け目を感じていた次女が勝利した。 

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