三日月葉歌 

 すっかり秋めいた空に、ぽっかりと白いラクダのような形の雲が浮かんでいる。
 昨夜はとにかくひと騒動だった。
 というのも、この近くにある美術館で盗難事件が起きたのである。
 犯人は、猫。
 猫という名前の怪盗とか、猫に似ている人物とかではない。
 正真正銘の猫だった。
 なにしろ、盗まれたのが美術館の事務室にあった「お魚スナック・ゼロワン」なのだ。
 いつもえさを与えている学芸員が休みで、誰も猫に食べ物をやっていなかった。
 あまりにもお腹を空かせた猫が、こっそり美術館に忍び込んでそのえさの袋を持っていったところ、何かの弾みで警報
装置が鳴り人間達の勘違いとどたばたが始まったというわけだ。
「せっかく我が探偵社の名を挙げるチャンスが訪れたと思ったのに。」
  悔しげにぶつくさ文句を言っている雇い主に、私はあきれて何も言う気になれない。
 自称迷宮の魔術師の好敵手である露崎夢伊智郎は、私より五つ年上の私立探偵で見た目のよさに比べて仕事はイ
マイチだった。
 夢伊智郎じゃなくて、無一文じゃないのか?と言いたくなるほど暇を持て余し、こうして何か事件めいた事が起きるたび
にずうずうしく出かけていく。
 今回は珍しく予告状なる物が美術館に来ていて差出人があの有名な迷宮の魔術師じゃ大騒ぎするのは当然だが、結
果がこれじゃ本物かどうかも怪しいものだ。
「あの、本当に本人からだったんですか?誰かのいたずらだったとか?」
 沈黙とため息に耐えられず、私は質問を投げた。
「いや、間違いなく本物だ。あの筆跡は、見覚えがある。」
「でも、筆跡なら簡単に真似できるし、あの美術館にそれほど高価な品は見あたらなかったような。」
「あったよ。だが、無くなった。あの猫殿が食べてしまったんだ。」
「まさか、お魚スナックゼロワン?」
「違うよ。」
「それじゃ?」
「ふき君、悪いけど少しだけ黙っててくれないか?あとでちゃんと説明するから。」
 彼はそう言うと、険しい顔をして黙り込んだ。
 この横顔に何人の女性が騙されただろう?
 彼が無一文にならずにすむのは、ひとえに沢守財閥のご令嬢のしつこいまでのご厚意のおかげだった。
 あとでどんな見返りを要求されるのだろうと心配で仕方がない。
 私達が立ち止まったのは、昨夜の舞台である美術館の近くにある喫茶店だった。
「いらっしゃいませ。」
 優しそうな笑顔の女性が、カウンターから声をかけてきた。
 彼は迷いもせずに一番奥の壁際の席にと向かい、私もそれについて行った。
 まだ朝食をとっていない私はコーヒーとサンドイッチ、いつも朝食代わりに紅茶を一杯飲むだけの彼は、ミルクティーを注
文した。
「それで、いつまで待てばいいんですか?」
 私がサンドイッチを一つつまみながら尋ねると、彼はカウンターへ手を挙げた。
 彼が小声で何かを言いつけると、彼女は肩をすくめて立ち去り、少ししてから戻ってきた。驚くべき事に、昨夜の猫を抱
きかかえている。
 彼は目を丸くする私を一瞥すると、女性に先をうながすように首を傾げた。
 女性はこくりとうなずいて、スカートのポケットから小さな金色の鍵を取り出した。
 私は息を飲んだ。
 それはフランスのある貴族の宝石箱の鍵で、それ自体が美術品として高い評価を受けある美術館に展示されていた。
だが、半年前に盗まれたという話だった。
 それがなぜあの美術館にあったのかは、分からない。
 だが、何者かがあのえさの袋にその鍵を隠し、猫がそれを食べてしまった。
「昨日後を追いかけている時、かなり苦しそうだった。おそらくのどにひっかかったんだろう。それに一度この店の前で見
かけた事があったから、もしかしたらと思ってね。」
 私は素直に感心したが、まだ事件は解決していない。
 鍵を盗んだ犯人は?迷宮の魔術師は?
 これからが大変だった。