About hide


NAME・・・Hideto Matsumoto
BIRTH・・・1964. 12. 13 〜 1998. 5. 2
BIRTH PLACE・・・Yokosuka, Kanagawa, Japan
BLOOD TYPE・・・AB
BODY SIZE・・・170cm, 50kg
POSITION・・・Guitar, Vocal
HOBBY・・・Guitar Panting, Music
FIRST GUITAR・・・Gibson LesPaul DX

音楽はもちろん、いろいろな才能に満ち溢れていた。
98年には「hide with Spread Beaver」の活動も期待されていたが残念にその年の5月2日に不慮の事故によって
死亡。日本中の多くのファンが悲しんだ。
その後も人気は衰えることなく、ファンは増え続け、カリスマとして未だに沢山の人々に影響を与え続けている。
2000年の7月20日にはhideの地元である横須賀に「hide MUSEUM」が建設された。


Trace of hide

1964年12月13日に神奈川県横須賀にてhideこと松本秀人は誕生した
ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通に成長していった。
そして、小学生時代秀人少年は肥満児であったのだ
1番太っていた時で150cm 70kgだったという。とうてい考えられない
秀人少年は自分が肥満であるということにコンプレックスを抱き、内気な性格へとなっていた
しかし、イジメられるといったような事はなく逆に軽いイジメに加わるといったような少年であった
この頃からクラスメイトから「秀、秀」と慕われていた。

中学に進み、秀人少年はヤセるどころかますます太っていった
そんな中、彼は衝撃的な出会いをする。それは「ロック」
友人の家で聞いた伝説のロックバンド「KISS」の音楽に魅了された
彼はその時衝動的に思った。「エレキギターが欲しい!」
これが俗にいわれるhideの「初期衝動」となっている。
そんなロックに目覚めた秀人少年にある1番の協力者がいた。それはおばあちゃん
ドブ坂で偶然売られてたKISSのギター「ギブソンレスポール DX」をおばあちゃんに頼んでGETした
ギターに興味の無い人も見に来たというKISSのギターを手に入れた秀人少年
hideは後にこの時の事を当時で言えばカウンタックを手に入れたみたい。と語る
美容院を経営してたおばあちゃんはロックがしたいという秀人少年の髪を染めてあげた
また、後にXのライブなどでHIDEが纏っていた衣装はおばあちゃんに貰った物も多かった。
これで本格的にロックが出来ると思ったが一つ大きな問題があった。それは肥満ということ
「ロックはヤセてなきゃカッコ悪い。」と思い減量を決意した
でも寝る間も食べる間も惜しんでギターを練習した秀人少年の体重は自然と落ちていった
高校に進み、アマチュアバンド「サーベルタイガー」を結成。地元では有名なバンドにまで発展した
だが、バンドの更なるスキルアップにあたっての多くのメンバーチェンジなどの人間関係に
HIDEは優しい性格からか、嫌気を感じ悩み苦しんでいた
ついに耐え切れなくなったHIDEは横須賀サーベルタイガーを解散。
ギターを置き、もう一つの夢だった理容師になるために専門学校へ
この話を聞きつけた同じアマチュアバンド界のYOSHIKIはHIDEを「X」へ誘った
HIDEは迷わず「X」へ加入。再びギターを持つ。

Xの激しいロック、過激なパフォーマンスはカリスマだった
デビュー当時敬遠されていたが数年で日本を代表するロックバンドになる
Xは世界進出を図るため、バンド名を「X JAPAN」へと改名。
あくまでも日本のバンドだということを位置付けるためJAPANを付けた。
ちなみに、アメリカに降り立った当時は同じ「X」という名前のバンドがあったので
一時的に「X FROM JAPAN」と名乗っていた
また、べーシストのTAIJIが脱退。新たにHEATHをべーシストとして再開
そんな中でもHIDEは93年に待望のソロ活動を始める
HIDEはソロでは名前を小文字の「hide」と改め活動開始
1stシングル2枚同時リリースという当時では関心が高かった
X JAPANとソロ活動、どちらの活動も精力的に行った。

97年、X JAPAN解散。理由は「ボーカルのTOSHIの音楽性の違い」
XはTOSHI以外の声では考えられない。ということで97年9月22日解散発表
ファンもあまりの突然の事態に信じられない人も多かった。
発表当日はhideもとても落ち込んでいて弟兼マネージャーの裕士さんも声をかけられなかった
97年12月31日、「LAST LIVE」と紅白歌合戦出場で沢山のファンに見送られ解散した
しかしそんな中hideは前々から新しい動きをみせていた。

98年になりX JAPAN解散後のhideは「hide with Spread Beaver」を結成
かねてからツアーでサポートメンバーをしていたKIYOSHI、JOE、CHIROLYN、DIE
最も付き合いが長いI.N.A、そして謎のギタリストKAZも新たに加入。
97年年末にはROCKET DIVEのレコーディングも終わり、来年のスケジュール表を片手にhideは
「来年はすごいよ〜」と笑顔で嬉しそうに語っている。
98年のhideのスケジュールは1月〜12月まで埋め尽くされていたのだ
98年を迎え、1〜4月はロスのスタジオを拠点にレコーディングやプロモ撮影など忙しい日々を送る
4月下旬に二匹のシングル「ピンクスパイダー」、「ever free」を引っ提げて帰国
オフィシャルサイト「ever free」のhideの日記の4月27日は最後のメッセージとなる。
『本日帰国しました、、、、2匹のシングルの世話やきに、、、。』という言葉を最後に
hideは帰国してから雑誌の取材、TV出演、ラジオ出演と多忙なスケジュールを日本でこなす。
そして、5月1日深夜TV番組ロケットパンチに出演する。収録後スタッフと共に打ち上げへ
3時ごろお開きとなって弟の裕士さんの運転する車で家へ帰宅
朝方同居していた住人がドアノブにタオルをかけ首を吊ってるのを目撃。すぐさま病院へ運ばれる
しかし5月2日8時52分死亡・・・
警察は自殺と考えたがhideがこれからの活動にとても意欲があり
遺書なども見られなかったので不慮の事故と断定。
すぐ関係者に伝えられ海外にいたYOSHIKIは緊急帰国、TVにもただちに報じられた
ファン達はあまりにも突然の事で混乱し、ネット上のオフィシャルサイトにもアクセスが急増
その後、葬儀には5万人のファンが参列。
13日、27日発売の「ピンクスパイダー」「ever free」は大ヒットを記録した
10月、11月にはhideの最後の作品「HURRY GO ROUND」「Ja,Zoo」がリリースされた
そして2000年7月には故郷横須賀にミュージアム設立。横須賀のシンボルの一つとなっている
ミュージアムの建設には現総理大臣の小泉首相も力を貸してくれている
毎年5月2日にはミュージアムでhide memorial dayが開かれ 誕生日の12月13日にもミュージアムにて毎年必ずイベントが行われている
hideの死によって悲しみと共に命の大切さやいろんな事を学んだ
これからも彼の生きた証、伝説は永遠に語り継がれていくことだろう・・・
                 (c)yu-suke

98年5月2日8時52分 hideは私たちの胸の中に永久の眠りについた



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