日記
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いろんなことが日々片付いていくうちに、 徐々に今まで通りの生活に戻っていきます。 月曜日からは職場にも復帰するつもりです。 夕方、仕事が終わってから父に面会に行っていました。 「今日は帰ったら面会に行こう」とよく思っていました。 今まで通りの生活に戻り、ふと同じようにそう思った時、 その必要はないんだなと改めて父がいなくなったことを 実感するのでしょうね。 いつも、遠くから父のいる施設が見えたときには、 その建物を見ながら父を思ったものでした。 でも、これからはそれも思い出の一つとして 見ることになるのですね。 先日、施設に父の荷物を取りに行ったとき、 一部の職員の方にはお礼を言うことができたのですが、 一番お礼を言いたかった方に会うことができませんでした。 どうしてもその方には一言お礼が言いたくて、昨日も 今日も施設に行ったのですが、その方の勤務時間の関係で 会うことができませんでした。 やはりまだ、施設に行くと父がいるような気がします。 ホッとするような、落ち着くような、あったかいような、 うまく言えないけど、またここに来れば父に会えるような、 なんだかそんな気持ちになりました。 父が亡くなってから、いろいろと手続きがありました。 一つ一つ、父の名前が消えていきます。 そういうのはやっぱり寂しいものですね。 父の存在の大きさ、父がどれほど僕の心の支えであり、 僕にとって励みであったか、それを実感するのは きっとこれからのほうが大きいのでしょうね。
情緒不安定。 やらなければならないことが まだ残っているのになぁ。 しっかりしろよ、自分。 鬱々、鬱々、鬱々、鬱々・・・。 一人でいるのがしんどい。 何もしたくない。 やらなければならないことはあるけれど、 何も考えずにただ寂しさと悲しさと 父の思い出話にどっぷり浸かって、 泣いたり笑ったりしていたい。 感情に任せていられたら・・・。 頑張らなくてもいいときなのに、 そうとばかりはいかない。 頑張らなくていいよって、こんなときは 人に甘えたらいいよって言われたら、 涙が出てくるのは何でだろう。 やらなければならないことが先で、 感傷に浸るのは後回し。 見送る立場の辛いとこだな。 自分がしっかりせんでどうすんねんって。なぁ・・・。
父が痴呆になったとき、早く気がつかなかったのは 自分のせいだと自分を責めた。 もっと早く気がつけばよかったと自分を責めた。 そして今また自分を責める。 施設に入れられた父が自分のことを恨んでないか、 施設で寂しい思いさせて恨んでないか、 自分勝手に、自分の自己満足でできることをやって、 施設に入れたのも仕方ないことだったというのも、 結局はただの言い訳に過ぎないんじゃないかと。 自分を責めるのは間違いだとあなたが教えてくれた。 父はそれを恨むような人ではないと、 父が頑張って長生きしてくれたのがその証拠だと・・・。 あなたの言葉が温かかった。 満足はない。後悔も消えはしないけれど、 思いは父に届いていると信じたいと思います。
| 2003年01月28日(火) |
1月23日〜28日のこと |
少し落ち着いたので、ここ数日のことをまとめて書きました。
1月23日
本日、父が永眠しました。 深夜2時半頃、一本の電話がありました。 父のいる施設からでした。 「2時の巡回の時にはそれまでと変わりない様子 だったんですが、その後呼吸が止まりました。 ○○先生にすぐ来てもらうように連絡しました。 ○○さんもすぐこちらに来られますか?」 正直、自分の耳を疑いました。 急に何が起こるかわからないと、ある程度は覚悟が できていましたが、最後に面会に行った時の様子や 1週間前にやっと元気になって退院して来たばかりだった ことから考えて、これからまた穏やかに過ごしていければと 思っていた矢先だったから・・・。 「呼吸が止まった?!そんなの一時的に呼吸が乱れている だけなんじゃないの?まさか・・・いや、とうとう・・・」 半ば信じられないという思いと、ついにこの時が来てしまったのか という思いが僕の頭の中に渦巻いていました。 そんな思いを抱きながら慌てて身支度をし、施設に駆けつけました。 いつも父に会いに行っていた場所。父のいる部屋。 そこで目にしたのはいつものように呼吸をしている父ではなく、 酸素マスクを付け、眠るように静かに横たわっている父でした。 そばにいた夜勤の看護婦さんと医師から状況の説明を受けました。 2時の巡回のときは何らいつもと変わりない様子だったそうですが、 その後、他の部屋を回って父の部屋の前を通りかかったとき、 いつものような呼吸の音が聞こえなかったので様子を見に行ったら 呼吸が止まっており、すでに身体が冷たくなり始めていたそうです。 すぐに医師が駆けつけて人工呼吸などの処置を施したそうですが、 もう脈が振れることはなかったそうです。 わずか15分から20分の間のできごとでした。 「お力が及ばなくて申し訳ありません」と言う医師と看護婦さんに、 「今までありがとうございました」と頭を下げました。 「酸素マスクを外してもいいですか?」という看護婦さんの言葉に、 僕は「はい」とだけ返事をしました。 「しばらくそばについていてあげてください。あとで身体を キレイにしに来ますから・・・。」その言葉を聞いても、 不思議とその時まで僕は涙が出ませんでした。 部屋で二人きりになり、父の顔を覗き込み、いつものように 父の手を握り頭を撫でました。 「お父さん、よう頑張ったなぁ。長生きしてくれてありがとうなぁ。」 そう言ったとたん、僕の目からは涙が溢れました。 いつもはとても温かかった父の手は、もう冷たくなりつつありました。 父の顔は本当に眠っているようで、今にもフゥッと息を吸って 今までと変わらず呼吸を始めるのではないかと思えるほどでした。 苦しそうに顔を歪めることもなく、穏やかな顔をしていました。 父が息を引き取る前日の22日、僕は7度8分の熱があり、 夕方面会に行くのをやめて早めに床に就いていました。 風邪かインフルエンザかもしれない状態で面会に行き、 父にうつすわけにはいかないと思ったから・・・。 僕が父に会ったのは、21日のあの日が最後になってしまいました。 調子が良さそうな様子で、何か喋っていた父。 もしかしたら、あの時、父は僕に最後の言葉をくれたのかもしれません。 何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか、最後の言葉なら なおさらそれをわかってあげられなかったことを今でも残念に思います。 ですが、父が僕に教えてくれたこと、言葉でなく態度でなく、 父を思う気持ちから僕が心で感じ取ったことに過ぎませんが、 寝たきりの父から教わったこと、父が伝えてくれたことは 僕の心の奥深くにいつまでも残ることと思います。 通夜の晩、僕は父と二人で過ごしました。 「お父さんの子供に生まれてよかった。すごく幸せだったよ。 自分はお父さんのことが大好きだから、尊敬してるから・・・。 本当によう頑張ったなぁ、ありがとうなぁ。」 棺の中で眠っている父のおでこを撫でて、僕は泣きながら何度も何度も 父に言葉をかけました。 明日1月24日。父も母の元へと旅立ちます。
1月24日
今日は父の葬儀でした。 僕が心に思っていたことはただ一つ。 喪主としての責任を果たすこと。 父の旅立ちを立派に見送る、ただそれだけでした。 葬儀の間、僕はずっと父の遺影を見つめていました。 心は落ち着いていました。涙で父の顔が見れなくなるのはイヤでした。 葬儀の最後に父との思い出話が流れた時は、やはり涙がこぼれました。 そして、最後のお別れ。出棺・・・。 棺に釘を打ち込まなければならないこと、火葬場で釜に火を入れる スイッチを押さなければならないこと、この二つは僕にとって 一番悲しく重たいことでした。特に、釜に火を入れるのは、 それが喪主の務めだとわかっていても、やはり一番辛かったです。 だけど、他の誰にもさせたくなかった。だから僕が押しました。 たぶん父も他の人でなく僕にそうして欲しいだろうと思ったから・・・。 そのときが一番泣けました。それまでで一番涙がこぼれました。 父の亡骸が遺骨になるのは天国への入り口なんだ。 そう自分に言い聞かせるしかありませんでした。 身体は目に見えなくなってしまっても、父の魂は生きてる。 僕の心の中で生き続ける。 今はまだ父が入院している姿とか、息を引き取ったばかりの顔とか、 棺の中で眠っている父の姿の印象のほうが強くて、 元気だった頃の姿がなかなか思い浮かびません。 悲しんでいては父が心配すると思っていても、涙が浮かんでしまいます。 だけど、これからたくさん父のことを思い出してあげたいと思います。 そして、たくさん父に語りかけてあげたいと思います。 きっと、これから先、父も僕を見守っていてくれることでしょう。 父が悲しまないように、しっかり自分の道を歩いて行きたいと思います。 二人きりの家族だった父が亡くなり、僕は一人になりました。 でも、僕は独りぼっちじゃない。だからお父さん、安心してください。
1月26日
日中はこれからのことや今までのことをあれこれと考えられたのですが、 夜になり一人になると何も考えられなくなり、只々ボーッとしていました。 父がいなくなった寂しさというのは、正直なところ今はまだあまり 実感がなく、時々、まだ施設にいるような、ただ会えないだけのような、 遺骨を目の前にしながらもどこか違う世界の話のような、 今はそんな感じがしているという状態です。 これから徐々に今まで通りの生活に戻っていくのでしょうが、そうやって 落ち着いてきた頃に、父のいない寂しさを実感することでしょう。
1月27日
昨日、施設に父の荷物を引き取りに行きました。 父がここまで長生きでき、僕が働きながら少しでも父の世話をして あげられたのは、施設で本当に良くしていただいたからだと思います。 僕一人では、きっとどこかで僕も父も潰れていたと思います。 精神的に参ってしまい、何度も一緒に死のうかと思った頃に、 本当に父を道連れに死んでいたかもしれません。 あの時、死なずにここまでこれたからこそ、僕も父に自分の できる範囲で少しでも親孝行してあげられたんだと思うと、 施設の職員の方々には心から感謝せずにはいられません。 長く施設でお世話になっていた父は、病院ではなく住み慣れた施設で 最期を迎えたかったのかもしれませんね。 本当は家で、僕が看取って上げられたら一番良かったのだと思います。 そうできない状況とわかっていても、やはりそのことが一番悔やまれ、 父もそれを恨みに思っているのではないかと思ったりしてしまいます。 ありがたいねぎらいの言葉をかけて下さる方もおられますが、 僕自身は満足感と後悔と入り乱れたような複雑な気持ちです。 後悔する気持ちがないということはありません。 もっとしてあげられることがあったんじゃないか。自分のできる範囲 というのはただの自己満足に過ぎなかったんじゃないか。 そんな思いがやはり僕の中にあります。 ですが、僕が父にしてあげられたこと、たとえそれがホンの僅かでは あってもその事実に変わりはなく、大変なときもあったけれど、 それが自分にとっては幸せなことであり、その機会を僕に与えてくれた 父には心の底から感謝しています。 明日はもう初七日を迎えます。 生まれたとき四人家族だった僕は、とうとう一人になったんですね。 祖母、母、父と僕は見送りました。そのたびに思うことですが、 人が亡くなることがこんなに悲しいことなら、逆縁にならずによかった。 祖母にも母にも父にも、僕が先に死んでこんな悲しい思いをさせなくて よかったと思います。それが三人に対しての一番の孝行だったかな・・・。
1月28日
早いもので、今日は父の初七日でした。 こうして1週間、また1週間と父の納骨の日が近づいてくるのでしょう。 今日、一人の友達から電話がありました。 そのとき僕は、自分の中のあることに気づきました。 僕は一人でいるとき、なぜだか泣くことができませんでした。
父の葬儀以後、何かしている時やしなければならないことを考えている時は、 それで気が紛れているので悲しいという感情を忘れられます。 一人でいる時は何も考えられなくてボーッとしてしまうため、 気分は滅入っても悲しみに浸って泣くことはありません。 でも、それは違っていました。一人でいる時は一人の寂しさを 感じたくないために、悲しいという感情にならないように 自分で感情を抑えていたに過ぎなかったんです。 自分の感情に触れないように気を張っていたに過ぎなかったんです。 本当は寂しい気持ちでいっぱいだったのに・・・。 自分の中で何かが切れたような気がしました。 一人で気を張っていた自分に気づいたとき、僕は泣いていました。 寂しいときは寂しい、悲しいときは悲しいと、素直に感じて
泣けるほうが心にはきっと優しい・・・。
なんだか風邪ひいたかも・・・。 仕事中から寒気と身体の節々の痛さにゲンナリ。 とりあえず座っていられさえすればなんとか こなせるだろうと思って座っていたのはいいけれど、 寒気がするのにたまに身体がカーッとなって 汗をかく。でも、仕事中で着替えられないから そのまま身体が冷えてまた寒気がする始末。 すごい悪循環・・・(T▽T)アハハ!
今日は早めに寝ます。 これ以上熱が上がらないことを祈って・・・。 ・・・にしても、身体痛いです〜〜!(叫び)
施設にいる父に面会に行った。 今日は調子がよかったのか両目をパッチリ開けていた。 うつらうつらしていることが多くて、調子がいいとき でなければ話しかけてもあまり返事は返ってこない。 そんな父だから、少しでも返事が返ってきたときは嬉しい。 うまく動かない口で声にならない言葉を発する。 何を伝えたいのか何を訴えたいのか・・・。 わからないままに、手を握り「うんうん」と 頷きながらただ頭を撫でるしかない。 言葉をわからない僕が悪いわけではないけれど、 わかってあげられないのが申し訳なく思う。 また来るからね。ゆっくり寝るんだよ。 「あぁ」と短く答えた父を、連れて帰って あげたいと思ったら悲しくなった。 朝から夕方まで仕事に出て留守にしている家に、 この状態の父を一人で置いておけないことは わかっているけれど、後ろ髪を引かれてしまう。 父の調子が良さそうで嬉しかったけれど、 家に帰りたいと言っているかもしれないと思うと、 やっぱり寂しい気持ちになった。 ・・・複雑です。
遅ればせながらではありますが、初詣に行ってきました。 いつも思うことですが、神社とかお寺のあの厳かな 空気が僕は大好きです。もっとも、年が明けたばかりの 賑やかな神社も好きなんですけどね(笑) 初詣客でごった返してるのが好きなんじゃなくて、 出店がたくさん並んでるのが好きなんですよ。 僕は基本的に人が多いところはあまり好きじゃないから。 あの出店が大好きなんです。 だから、花火大会や土曜夜市も好きです。 ただ、そういう出店が出る所っていうのは、たいてい 人が集まるところだから人が多いのが当たり前なんで、 残念ながらめったに行くことはないんですけどね(苦笑) ま、出店の話はいいとして、今日は初詣に行ってきました。 いつものようにお参りして、お守りを買いに寄って いろいろ見ていると、厄除けのお守りの横に「八方除けお守り」 っていうのがあったんです。聞いたことないなぁと思いながら よく見ると、そばに説明みたいなことが書いてあって、 「男女共に今年八方ふさがりな生まれ年の人です」という表の中に 「昭和42年」と書いてありました。 ・・・ええ、僕、42年生まれなんです・・・( ̄Д ̄;) ガーン どうやら今年は僕にとって八方ふさがりな年にあたるようで、 ぼかぁ、思わずお守り買っちゃいましたよ(T▽T)アハハ! いいのいいの、八方ふさがれてるならふさがれてるなりに、 じーっと力を蓄えておけばいいんだし、壊せる壁なら自分で 壊せばいいんだし・・・とかなんとか自分に言い聞かせたりして(苦笑) まーねー、いくらいい年って言われても、いいときもあれば 悪いときもあるんだし、活発に活動しなきゃいけないときもあれば 少し休んで物事を静観しなきゃいけないときもあるでしょ、みたいな。 「果報は寝て待て」じゃないけれど、チャンスってきっとどこかに 転がってるもんだと思うし、動いてるときだけチャンスが掴める ってもんでもないからね〜。それこそ「季節は待つもの」じゃないかな。 チャンスが来たときにそれを逃さないだけの判断力と、そのときに 生かせるだけの力を蓄えとけってことでしょうか。 ま、今年一年どんな年になるのかわかりませんが、八方ふさがれても それにつぶされないだけの力を蓄えつつ、今年も頑張りたいと 改めて思った今日の初詣でした。
昼間、テレビで某映画にちなんだ番組をしていました。 少ししか見ていないのですが、その番組の中で 「あなたが生き返って欲しいと思う人は誰ですか?」 という内容の話をしていました。 僕にも生き返って欲しいと思う人が何人かいます。 その中の二人は、僕の母親とばーちゃんです。 ばーちゃんは小さいときから僕の面倒をほとんど 見てくれていました。にもかかわらず、10代の頃の 僕は、良くないと思いながらばーちゃんに反発ばかり していました。反抗期・思春期にありがちな気持ちを、 ばーちゃんにぶつけていたんですよね。 なぜ、母親にではなく、ばーちゃんだったか。 それは僕の母親がめちゃくちゃ怖い人だったから(笑) 僕の母はかなり威圧的(?)なタイプに思われていたらしく、 親戚の人に「逆らおうとか思わないの?」と 言われたことがあり、「そんなことしたら血を見るから」 と僕が答えたら、大笑いされてしまいました(苦笑) ま、その話はさておき、ばーちゃんは僕が16のときに 亡くなってしまったため、全然優しくしてあげられなくて すごく申し訳なく思っています。 優しくしてあげられたのは、ばーちゃんが倒れて 意識がなくなるまでのホンの数日だけ・・・。 僕が見舞いに行った時に嬉しそうに笑ってたのが 忘れられません。その姿を思い出すたび、 もっと優しくしてあげてたら良かったと思わずには いられないんですよね。後悔先に立たずですが・・・。 同じようなことは母親にも思います。 僕が学生の頃に亡くなってしまったので、親孝行らしい ことが何一つできてない・・・。 母はよく「親孝行 したいときには 親はなし」と 言っていましたが、本当にそうなってしまいました。 番組を見て、もし、ばーちゃんが生き返ったら、 あの頃反発した分、優しくしてあげたい。ばーちゃんが 喜ぶようなことをしてあげたいなぁ・・・と思いました。
そして、母が生き返ったら親孝行したい。
んーーでも僕は怖がりなので、本当に母親やばーちゃんが 生き返ってきたら、たぶん固まっちゃうだろうなぁ(苦笑)
入院から約一ヶ月、父が本日退院しました。 肺炎には至らなかったものの、気管支炎を起こし、 急な高熱とその影響からか呼吸が不安定になってしまい、 夜、急遽施設から病院に搬送されました。 あの日、夕方僕が施設に面会に行っていたときから 呼吸が不安定で、すでに努力呼吸をしていました。 父は元々、高齢のせいもあって舌根沈下になりやすく、 今日施設で聞いた話では、あの日も介護士さんに舌を指で 押さえられて気道を確保されながら病院に運ばれたのだそうです。 施設から連絡があり、取るものも取り敢えず病院に駆けつけると、 そこには苦しそうに努力呼吸している父が横たわっていました。 頭部後屈だけでは気道が確保できず、懸命に呼吸していても うまく息が吸えないという状態でした。 苦しそうなのに何もしてあげられない。ただ見ているだけ。 そういうのはすごく辛いものがありました。 息が吸えなくて苦しそうに涙をこぼしている父の姿に、 僕も泣いてしまいました。 何とか呼吸を楽にしてあげたくて、落ち着くまで指先でずっと 下顎を支えていました。下顎を持ち上げると喉に詰まるような 息遣いがなくなるので、楽になるかもしれないと思って・・・。 僕にしてあげられることはそれくらいしかなかったから。 次の日の朝、年配の看護婦さんに「心配だったね・・・」と 声をかけられたとき、何だか救われたような気持ちがしたのを 今でも覚えています。 病気を克服し、また元気を取り戻したのは父の頑張りです。 父の基礎体力の強さと、生命力の強さの賜物だと思います。 父はいろんなことを身を以って教えてくれます。 そんな父に、また元気になってくれてありがとうと言いたいです。 今日、病室から出るとき、先生に「大変だったけど、あなたも よく頑張ったね。これからもしっかり看てあげて」とねぎらいの 言葉をいただきました。僕は大して何もできてません。 自分にできるホンの僅かなことをしただけにすぎません。 でも、正直、すごく嬉しかったです。
心配してくださった皆さん、励ましの言葉をかけてくださった皆さん、 本当にありがとうございました。 父が無事退院できましたことを、ここにご報告させていただきます。
首を痛めてしまいました。 数日前にこけた時に首がおかしかったのですが、 どうやらそれが原因みたいです。 首から背中にかけて急に痛みが走り、 首が回らなくなり、座った姿勢を保つのも 辛くて身動きできなくなってしまいました。 ハンドル操作がうまくできなかったので、 車を運転するのが怖かったのですが、 何とか病院に行きました。 で、今は首にコルセットをはめています。 頚椎捻挫全治1週間、診断書付きです。 コルセットで首を固定しているので 座っているのも、幾分か楽になりました。 が、すごく不自由です・・・。 こんなふうになっていつも思うことですが、 健康に越したことはありませんね。
「君はテレビっ子」(by The Boom)の サビの部分替え歌
♪ゲームっ子(スキスキ) 愛しのゲームっ子(スキスキ) 肩こりこりさせて 君はゲームに夢中〜 君の気を引くためなら 大ドジ踏んでもいいよ〜♪
以上、今日の日記終わり。 ん?今「これだけ?!」と言う誰かの声が 聞こえたような気が・・・。 失礼しましたm(_ _)m
ホントに寂しいです。 今日は仕事以外に誰とも口を利いてません。
正月も明けたというのに、僕はまだ正月の余韻が 残っていて・・・ってか、賑やかだった場所が 急に静かになって、そこに残されてるのって 寂しくないですか?楽しかった余韻満載な場所に 一人だけ取り残されたような感じです。
父の具合もだいぶ落ち着いてきて、お蔭様で 正月はのんびり楽しく過ごすことができました。 楽しかった分、その反動を今すごく感じています。 クリスマス前、急に父が入院することになり、
一時はどうなるかと思ったけれど、徐々に父も持ち直し、 退院できてれば一番良かったんだけれど、年末年始は 今までになく幸せな時を過ごすことができました。 だもんでね、余計に一人に戻っちゃったら寂しいんです。 特にこの状況は。「宴の後の・・・」じゃないですけどね。 たぶん、この状況になってみないとこの寂しさは わかんないでしょうねぇ・・・。 ま、僕が元々寂しがりなのもあるんだろうけど(苦笑) それにしても、ウチが1週間もあんなに賑やかで笑い声が 聞こえてたのって、本当に何年ぶりなんだろう・・・。 この家が家族的な温かい雰囲気に包まれたのは、 思い出せないくらい久しぶりのことでした。 ホンの1週間くらいの間、今までの一人ぼっちの生活が なくなってただけなのに、また前の生活に戻っただけなのに、 慣れてるはずの一人の生活なのに、今は今まで以上に 寂しく思えます。こういう状況になってみて初めて 感じる寂しさなんでしょうね・・・。
寂しいのは嫌いです。ろくなこと考えないんでね(苦笑)
最近行くようになった近くのタバコ屋さん。 その店の前には自販機があって、僕のお気に入りの 「ウィンストン」がたくさん入ってるので、時々 自販機には寄っていましたが、少し前からカートンで 買うようになって、店に入るようになったんです。 で、そこのおばちゃんがすごく愛想のいい人で、 初めて行ったときには「ウィンストン・ワンのショート ください」と僕が言うと、「味で勝負する・・・」と ボソボソ言いながらタバコを出してくれ、ロングに 付いているおまけのターボライターをつけてくれました。 さらに、僕が帰ろうとすると、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」 と話しかけてきて小銭入れをサービスしてくれました。 そして、また次に行ったときにもターボライターをつけてくれ、 さらに、僕が帰ろうと車に乗ったところに追いかけてきて、 ウィンストンの使い捨てライターもつけてくれました。 でね、今日もそのタバコ屋さんに行ったんです。 「ウィンストン」は入荷前だったらしく、カートンで置いて なかったんだけど、そのおばちゃんがわざわざ自販機から 10個出してきてくれて、またもやターボライターをつけて くれました。で、今日はさらに、携帯用灰皿もサービス してくれました。めちゃくちゃサービスのいいタバコ屋さんです。 おばちゃんは「お兄ちゃんここの近く?たくさん置いとくから また寄ってやってちょうだいね」と言い、僕も帰ろうとしたら、 たまたま僕の足元に猫がジャレ付いて来て、そこから話し好きな おばちゃんの長話に付き合わされることに・・・(苦笑) 「ウィンストン」は人気があるって話と、猫の話でしたけどね。
なんか昔ながらの懐かしい感じのするタバコ屋さんです。
こういうタバコ屋さんって今でもあるのね(^^;;
コンビニで買うより味があるかも。
ウィンストンじゃないけど、「味で勝負する」って感じかな(笑)
今日ほど、やっぱり僕はここに一人でいるんだなと 感じたことはなかった。 楽しかった時間が長いほど、寂しさは大きくなる。 笑いたかったけど、いったん泣いてしまった後は 表情を崩せばまた泣いてしまいそうで、 僕には笑うことができなかった。 涙をこらえるのが精一杯。 手を振るときにはこぼれてしまったけれど・・・。 人の温もりに触れられる生活。 笑いあえる人がいる。微笑みかけてくれる人がいる。 微笑みかければ微笑み返してくれる人がいる。 そんな温かみのある生活は僕にとっては遠い昔の ことだったから、少しの間だったけど、なおさら 僕にはそれが消えてしまうのが寂しかった。 今まで通りに戻るだけ、ただそれだけなのにね・・・。 泣いてちゃいけないんだ。本当は。 嬉しかったことだから、「ありがとう」だよね。
皆さんへ 新年明けましておめでとうございます。 昨年は途中でHPをやめたり、引っ越したりしましたが ここに遊びに来てくださってありがとうございました。 こんないい加減な管理人ではありますが、 本年も昨年同様よろしくお願いいたします。 皆さんにとって幸せな一年でありますように・・・。
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